シチュエーション
三月某日のとある公立中学校の風景。 ♪あおーげばーとーとしー この季節に定番の例の歌が流れ、しばらくしてから講堂から生徒達がゾロゾロと出てくる。 特筆すべきは、最初に出て来た3年生と思しき連中が、皆黒い筒を手にしていることだろうか。そう、今日はこの学校の卒業式だった。 女子の半数(及びごく少数の男子)程度が涙ぐんでいる中で、ひと際目立つのが、ボロ泣きしているひとりの女生徒だろう。 「カッチン、大丈夫?」 「う、う゛ん、だい゛じょう゛ぶだがら゛……」 友人らしき周囲の女子に、懸命に平気な様子をアピールしようとしているが、どう考えても半ベソかいてる状態では上手くいってない。 「ごめ゛ん……あ゛、あ゛だじ、ぢょっと……」 その事には自分でも気づいてたのか、友人達の輪を離れ、ピューッと何処かへ走り去ってしまった。 「大丈夫かなぁ?」 「まぁ、最後のHRまでには帰ってくるでしょ。それにしても、ちょっと意外だったなぁ。 私、日輪さんてもっとドライと言うかサバサバした娘だと思ってたわ」 「あ、俺も俺も。まさか卒業式なんかで日輪の涙が見れるとはなぁ」 「委員長も京極くんもヒドいよ!そりゃあ、確かにカッチンは、ドラマのクライマックスでも平気でツッコミ入れちゃうような、ちょーっとKYな娘だけど、アレでもお年頃の乙女なんだからね!……たぶん」 彼女の弁護(?)を聞いた周囲の人間は、「親友のお前がいちばんヒドいよ!」と思ったとか。 さて、そんな風にクラスの友人連中に話題を提供しているカッチンこと「日輪香月」の方は、校舎の屋上でひとり気分を落ち着けていた。 「うぅ、まさか自分のものでもない卒業式で泣いちまうとは……不覚」 給水塔のある建物にもたれてペタンと三角座りしつつ、そんになことを呟く「香月」。 いや、それは本当に「日輪香月」という少女なのだろうか? よく見れば髪が短いうえに、眉も太い。また、声も少し低いし、何よりこの年頃の女の子にしては立居振舞が、なんと言うか無頓着過ぎる。 今だって、スカートの裾が乱れるのをまったく気にしてないので、可愛らしいピンクのショーツが丸見えだ。 いや……待った。紳士的な行為とは言い難いが、そのスカートの中から覗くショーツの股間部分をよく見てると、明らかに女子にあるまじき膨らみがある見てとれるではないか! 勘の良い読者諸氏なら、もうおわかりであろう。 そう、半月程前に無理矢理着せられたのと同じ女子制服姿でココに「日輪香月」として来ているのは、紛れもなく彼女の兄である「日輪勝貴」なのだ。 脳天気でアッケラカンとした性格の香月と異なり、勝貴の方は昔からエアリーディング能力というか場の空気を読む力が無駄に高い。 簡単に言えば、盛り上がってる場面ではハイテンションに、重苦しい雰囲気ではシリアスになれる……と言うか、自然になってしまうのだ。 おかげで「周囲から浮いてハブられる」という事態とは無縁だし、これを利用して、たとえば図書館などに行けば無性に勉強したい気分になれたりと、便利な事も多々あるのだが、必ずしも自分で制御できるワケではないのが難点だった。 そのため、今日みたいに女子に交じって卒業式なんかに出てしまった場合には……ご覧の有り様というワケだ。 そろそろ涙も治まったので、根が真面目な勝貴は、そろそろ教室に戻ろうと重い腰を上げる。 「ったく……どうしてオレがこんなメに遭わないといけないんだ……」 周囲に誰もいないのを幸い、そんな愚痴が彼の口から飛び出したのは無理もないだろう。 昨日の日曜の朝、目が覚めた時から、彼ら兄妹は想像だにしなかった理不尽な状況に巻き込まれているのだから。 勝貴は激怒した。 必ず、かの悪戯を企む妹を問い詰めなければならぬと決意した。 勝貴には女心がわからぬ。勝貴は生れついての朴念仁である。 恋人はおろか女友達もロクにおらず、男友達とばかり遊び暮して来た。 故に、妹や母の多少の悪巫山戯を見逃すくらいは常であった。 けれども度の過ぎた身勝手に対しては、さすがに我慢ならないのだ! ……と、彼が「走れメロス」風に気合を込めて怒っているのにはワケがある。 今朝目が覚めたら、妹である香月の部屋──というか彼女のベッドで寝ており、しかも彼女のパジャマまで着せられていたのだ。 最初はわけがわからなかった勝貴だが、ふと昨夜の夕食の席での会話が脳裏に甦った。 実は一昨日、慶聖女学院から「日輪香月」宛てに無事に合格通知が届いた。 本来はめでたいコトだし、実際家族4人が揃った夕飯時の話題はそのことがメインとなったのだが、妹の香月がふと「でも……本当なら、あの学校に通う資格があるのって、あたしじゃなくてお兄ちゃんなんだよね」などと言いだしたのだ。 そして、娘LOVEな両親もその尻馬に乗って「そうねぇ」「そうだな」と頷きマシーンと化した……だけならまだしも! 「どうだ。せっかくだから、勝貴が慶聖に通ったら」 「そうねぇ。あそこは勉強もなかなか難しいらしいし……香月ちゃんだと授業についていくのにちょっと不安かしら」 そんな両親の冗談に、すかさず香月も尻馬に乗る。 「えー、そうなの?じゃあ、お兄ちゃん、任せた!あたしは、代わりにお兄ちゃんの通ってる御園坂に入学するから」 妹とよく似た(本来なら、妹が兄に似ていると言うべきなのだろうが)女顔にコンプレックスを抱いている勝貴にとっては、冗談にしても実におもしろくない話題だった。 (そもそも、妹よ、お前は自分が行く予定の学校のレベルすら把握してないのか?) あの能天気娘のことだから、どうせ制服が可愛いとかの適当な理由で受験を決めたのだろうが……。せめて学校の担任教師も、もう少し適切なレベルへの進路指導をしてくれればいいものを。 毎度のこととは言え、自分以外の3人の家族のノリについていけないものを感じつつ、昨夜は早めに勝貴は眠りについたのだ。 ──そして、翌朝「こう」なっていたのだから、てっきり勝貴は、昨晩の与太話に悪ノリした妹が手の込んだ悪戯を仕掛けたものだとばかり思い込んだのだ。 パジャマを脱ぎ捨てようとして、下着まで女物(正確には妹のもの)に換えられているのに気付き、赤面してそそくさとパジャマを着直したのはココだけの秘密だ。 いくらなんでもコレはやり過ぎだろう。あるいは年甲斐もなくお茶目な母あたりも噛んでいるのかもしれない。 怒りと羞恥の感情以外に、半月ぶりに再び着用した女性下着にほんの少し倒錯的な感興が湧いたことは、とりあえず無視して、勝貴は妹である香月の部屋を飛び出した! ……出したのだが、そこからの展開は、彼が思い描いていたのとは少し──いや、大幅に異なった。 1階に下りた彼の姿を見た両親が、彼に「香月」と呼びかけてくることまでは、想定内だった。 しかし、それはあくまで悪ふざけの範囲内のはず。彼が本気で怒っていると知れば、すぐさま謝罪する。その程度の潔さは、彼の両親は持っているはずなのだ。 それなのに、茶目っ気のある母はともかく、基本的には真面目なはずの父まで、ごく自然に彼のことを「香月」として扱うというのは、尋常な事態ではない。 嫌な予感がした彼は、おそらく未だ眠っているのであろう妹の姿を求めて、本来の自分の部屋へと足を踏み入れ、案の定、グースカ寝ている妹の香月を叩き起こした。 渋々布団から身を起こした香月は、彼のパジャマを着ていたが、それだけでなく、寝相のせいか半分ずれたパジャマのズボンから彼の愛用しているボクサーショーツが覗いている。 いかに悪戯好きとは言え花も恥じらう15歳の乙女、兄の下着を自ら好んで履くほど変態ではない……たぶん。 そうなると、コレは妹にとっても不測の事態が起きているということになる。 慌てて勝貴は香月を揺さぶり、半ば強制的に叩き起こした。 「ん〜、なによ〜、おにーちゃ……」 眠たげに目をこすりながら起きた香月は、兄の顔、そして格好を見ていきなり噴き出した。 「ぶひゃひゃひゃ!ナニよ、ソレ!?かわい〜〜」 ……コレを「乙女」と呼んでよいのか、いささか怪しい気がして、頭が痛くなる勝貴。 ともあれ、香月の笑いの発作が治まったところで、事情を説明する。 最初こそ「はぁ?ナニ言ってんの??」と信じなかった香月だが、自分の着ているモノを見下ろし、さらにふたりで両親と会って話をしたトコロで、ようやく信用したようだ。 無論、両親にも同様の説明をしたのだが、こちらは未だ半信半疑といったトコロ。 それでも、「勝貴」「香月」しか知らないようなコトを話したり、鏡やカメラ、あるいはヴォイスレコーダーなどを駆使して実験し、ようやく七割がた信用してもらえたのだが、だからと言って、この事態が解決したわけではない。 わかったことは以下の通りだ。 1)本人ふたり以外の目には、兄である勝貴が「香月」、妹である香月が「勝貴」に見える。声も同じ。元々よく似た要望の兄妹とは言え、さすがに両親が素で間違えるとは思えない。 2)ただし、ビデオに撮ったり声を録音したりすると、本人達にも「他の人と同じく容姿と声が入れ替わっているように見える・聞こえる」。逆に、鏡に映った姿は、本人達には普段通りに見える。 3)似たような背丈・体格とは言え、一応、勝貴のほうが身長で2センチ、体重で4キロほど香月を上回っていたはずなのに、なぜか互いの衣服のほうが身体にピッタリになっている ──こんなところだろうか。 異常の事実が判明したところで、香月は神妙な顔で兄、そして両親の顔を順に見つめて、こう言った。 「つまり、もし明日になってもこの怪奇現象が収まっていなかったら……あたしの代わりにお兄ちゃんに卒業式に出てもらうしかないってワケね」 「…………は?」 そう、翌日の月曜日が、地元の公立中学に通う日輪香月の卒業式なのだ! SS一覧に戻る メインページに戻る |