シチュエーション
夏休みを間近に控えた7月のとある日曜日。 とある小学校の教師をしている女性、天迫星乃(あまさこ・ほしの)は、外出先からの帰路で見覚えのある少女と顔を合わせた。 「「あ……」」 ほんの一瞬、お見合い状態になってしまったが、そこは年長者だけあって、星乃の方から、優しく声をかけた。 「こんにちは、武内さん。お友達とプールかな?」 彼女とその連れが手にしているビニールカバンから推測して、そう尋ねてみる。 「あ、はい。えっと、お久しぶりです、星乃先生」 昨年度担任したクラスの女生徒は、そう言ってペコリとお行儀よく頭を下げた。 じゃじゃ馬と言うより腕白と評した方が良さそうな、元気で活発な娘だったのに、たった1年足らずでここまで変わるとは……。 小学六年生と中学生一年生では、それだけ大きな違いがあるということなのだろう。彼女が進学した中学(実は星乃の母校)がそれなりに名門校であるという点も、いくらかは関係しているのかもしれない。 「そう。武内さんのことだから、もう心配ないと思うけど、気を付けてね」 「はい、わかりました。あの……星乃先生、水泳とか色々、ありがとうございました!」 心から感謝していることがよくわかる、シンプルだが素直な言葉だった。 「ふふ……いいのよ。先生は武内さんの担任だったんだし、それに一生懸命頑張る子は、先生、大好きだから」 「いろんな意味で」という言葉は心の内に留める。 学生の頃からいわゆる百合系の傾向が強い彼女だが、さすがに元教え子、それも13歳にもならないような娘相手に自重するくらいの分別はあった。 「じゃあ、お友達を待たせては悪いから、先生は帰るね。さようなら、武内さん」 手を振り颯爽と歩き去る彼女を、元教え子の少女とその連れの女の子が、憧れるような眼差しで見ているのを感じる。年下の子達からそんな目で見つめられるのは、照れ臭くもあるが、やはり嬉しいものだ。 (それにしても……) 心の中で、先程の少女──武内ちはやに関するある秘密を思い出して、星乃はクスリと微かな笑みを漏らした。 (まさかたった一年で、あのコがあんな風に「ローティーンの少女」としての暮らしに完全に馴染むとはね〜) まぁ、私も他人のコトは言えないけど……と、僅かに苦笑の混じった述懐を抱く星乃。 やや小柄で多少童顔ではあるが、どこから見ても魅力的な若い女性である天迫星乃だが、高校1年生の頃までは「星児」という名でごく普通の男子だったという経歴を持っていたりする。 そして、高1の秋にとある事情(事故?)から女性、それも遺伝子レベルで完璧にSEX:Femaleになってしまい、色々人に言えない苦労も体験してきた。 もっとも、10年近く経った今では完全に女性としての生活に馴染んでいる。性自認も「女」になって久しいし、とりたてて不満もないのだが。 そして、そんな彼女が先程会った「少女」ちはやも、またいささか特殊な事情を抱えている子だった。簡単に言えば、「彼女」もまた1年前までは、「武内千剣破」という16歳の少年だったのだ。 ──いや、この表現は正確ではないだろう。「彼女」は、星乃とは異なり、少なくとも肉体的に見れば「男性」のままのはずなのだから……。 信じられないことに、ちはやは、神様に頼んで妹と立場を交換した結果、自分達以外の周囲の人間から「現在の立場」にふさわしい人間として扱われるようになったらしい。 「らしい」と言うのは、当時の星乃の目からも、「彼女」が自分の担任するクラスの女生徒にしか見えなかったからだ。 ただ、星乃の場合は自らの経験もあるし非常識な知り合いが多いこともあって、ちはやの不審な行動から、何か事情があることに気づいて、やんわりと聞いてみたのだ。 結果、秘密をひとり(いや、妹も含めてふたりか)で抱えることにストレスを感じていたちはやはアッサリ真相を告白し、半信半疑ながらも彼らの「立場交換」をフォローすべく星乃はいろいろ面倒をみることになった。 そして大騒動の末、その「立場交換」を解除する手段が一時的に焼失してしまい、以来、元兄と元妹は、現妹&現兄として暮らしている……というワケだ。 「一時的」と表現したものの、あの様子では1年経った今も復旧していないのだろう。今の状態が長引くようなら、いっそこの先も入れ替わったままの方が幸せかもしれない……と、星乃は夢想したりもするのだった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |