シチュエーション
「魔王…。」 魔王と口に出された瞬間、出した瞬間、ステラはピリピリと、空気が変わったように思えた。大気が震えているようなそんな感覚。 驚いたりしなかったのは、その空気に気おされていたのと、果物屋の唄を魔王といわれた瞬間に、はっと思い出したから。 震えるような空気の中でその空気をつんざく、低い声がマリギュラから放たれる。 「我ら魔王の理で語るのなら、統べる種は夜魔。統べる力は静眠と氷寂。狩猟と闘争を称え、交わりを赦し、月を祝す魔王、だそうだ。」 その声は静かに響き、胸の奥まで沈んでいく。人間の王と似て、非なる厳格さを持った声に、ああ、本当に魔王なのだと、頷いてしまう。 さらに言葉どおりの月の祝福だといわんばかりの月明かりが、マリギュラの寝所を照らす。 月明かりで少しずつ象るマリギュラの姿形に、ステラは眼を驚愕に見開き、自分が唾と息を呑むのを感じた。 黒曜石が露に包まれ煌きを帯びているようなその黒髪。赤い眼と言われれば畏怖の対象でしかないが、紅玉と冠せば何よりも輝きそうな眼 黒と白を基準にした外套から漏れる蒼白い肌で作られた逞しい胸板。どこか危険な匂いを漂わせる魔の美を前に、ステラの眼は捉えられていた。 なんて美しい、と。王宮で会った美男子、美しい宝石、そのどれもが、目の前に広がる光景に勝てないだろう。 永遠にも感じられそうな美しいこの光景。誰にも邪魔できない魔王の作るこの光景。だからこそそれを台無しにできるのもやはり魔王だけなのだ。 「とまぁ、偉そうに語ってみた所で、実際は何もやることがなくて、退屈している魔王って所だ。 そこに丁度お前のような来客が来たから、助かったもんだ。 隣に座って話しでもしてくれないか?いいだろ?いいだろっ?」 ぶち壊し。まるでブチ壊しである。情事の際に、愛しているか?と聞かれ、あ、その前にトイレ行って良い?と答えんばかりのブチ壊し。 魔が差したと言っても良い。しかして、その台無しが、ステラとの距離を縮めるものであり、人間と魔王の談笑会の口火を切ったのである。 マリギュラの厳格な雰囲気もどこへやら。ぽんぽんとベッドの隣を叩く、その姿にステラは微笑をもらす。 「くすっ…今、参りますから。」 ベッドの前まで行くと淡いピンク色で染まったショートドレスの裾を両手でちょこんと持ち上げ、一礼して、ぽふっとマリギュラの隣に座った。 「おお、なかなか堂に入ってるな。さすがは王宮の侍女。佇まいからして1・2年の貫禄ではあるまい?」 「はい。15の時から南のロウディア2年、オルガノで2年と、姫様の侍女を変わらず4年勤めさせていただいております。」 「4年もやってりゃ、堂にも入るわな。ロウディアっつーと、帝国か?あそこは暮らしにくいだろう?暑くてたまらねぇよ。」 「ふふっマリギュラ様は、暑いのは苦手でいらっしゃるのですか?。」 「あーダメダメ。大体暑いと喉が渇くし、汗もでる。ベタベタしたのは嫌いなんだ。」 ベッドに座った所までは、まだ緊張も恐怖もなかったといえば嘘になる。だがこういいながら、 ぱたぱたと手を振るマリギュラを見て、ステラの恐怖感や緊張はどっかにすっとんでいってしまった。 「魔王様であっても、苦手な物もございますのね。」 「そりゃそうだ。基本的にはお前たち人間と変らんからな。無駄な力と寿命と生態系くらいなんじゃあないか?」 「そうなのですか?古来より魔王はあらゆるものを超越した 畏怖の存在であり、逆らえば、7代に渡って災厄を振りまかれると聞きました。」 「どこの教典だよそれは!7代に渡ってとか、あらゆるものを超越したとか。大きく書きすぎなんだ。 大体畏怖の象徴だとかなんとか言うが、怖いか?」 どさっと後ろのベッドに倒れ込みながらマリギュラがごちる。 「あ、いえマリギュラ様は話もしてくれますし、なんだか心地良い感じがします。」 そうだろ、そうだろと猫のように笑いながら話かける魔王に、ステラは愛らしさのようなものを覚え、また少しずつ近づいていった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |