王都騎士団【二年前の話・中編】(非エロ)
シチュエーション


黒旗隊副隊長であるシルヴァリアは、此処数日隊内に於ける、微妙な雰囲気の変化を感じ取っていた。
常日頃から──怠惰ではあるが──有能な働きを見せる上官デュラハムが、主な原因である事は分かるのだが、その理由に皆目見当が付かない。
一回り近い年の差はあるが、古くからの友人として親しいシルヴァリアは、首を捻りながらデュラハムの私室を訪れていた。

「悩みでもあるのか」

酒を酌み交すには少しばかり早い時刻ではあったが、些細な事と気にする様子もなく、地酒をグラスに注ぎ入れる。
デュラハムはちらとシルヴァリアを見遣ったが、片目を僅かに細めただけで、何も言わずにグラスを傾けた。

「此処数日のお前の働きに、気味が悪いとゴセックが溢していたぞ」
「……俺が仕事をこなすのが、そんなにおかしいか」
「あぁ、おかしいな。気味が悪いを通り越して、笑える程だ」
「っ。ヒューの野郎め……」

舌打ちを鳴らす年下の友人を見つめながら、シルヴァリアは顔に笑みを刻んだ。

「先日の野盗の件以来か。何を悩む事がある」
「別に何も。俺ぁいつも通りのつもりだが」
「嘘を言え。いつもなら三日を要する仕事を、二日でこなすなど、お前には有り得ん」

失礼な事をきっぱりと言い切られるが、デュラハムには返す言葉もない。

おかしいか、おかしくないか、と訊かれれば、今の自分は相当おかしいだろう。
頭にちらつく物を消し去ろうと、仕事や酒に没頭しているのだ。
これがおかしくないと言える筈がない。

薄紅色をしたアルコールを口に含んだシルヴァリアは、最近蓄え始めた顎髭を撫でながら視線を外した。

「まさかとは思うが……女か?」
「ぶっ!!」

デュラハムは仕事で思い悩むようなタマではない。
私生活にしても、この年で家族と呼べる人間が居ない以外は、大酒飲みの愛煙家と言う何処にでも居る男だ。多少女癖は悪いが、全て職業婦相手と言う所から見ても、決して悪い男ではない。

然程考えずとも予想がつく結論を口にすると、デュラハムは口にしたばかりの酒を盛大に吹いた。

「図星か」
「シ、シルヴァ…てめ……」

あからさまに動揺しきったデュラハムが手の甲で口許を拭う。
シルヴァリアはにんまりと人の悪い笑みを浮かべながら、顎髭に手を遣ったまま、ギィと椅子を軋ませた。

「惚れた腫れたなど無縁の男だと思っていたが、いやはや中々」
「おい、俺はまだ何も──」

一人納得したように満足気に笑むシルヴァリアに苦々しい面持ちを向ける。
二十年来の付き合いを持つこの男に、嘘や言い訳が通用しないのは身に染みているが、だからと言って、おいそれと相談する気にはならない。
しかしシルヴァリアは、そんなデュラハムの葛藤を見越したかのように、片眉を上げるとアルコールを口にした。

「それだけ動揺しておいて、今更何を言う。娼婦相手に悩むお前でもあるまいし……相手は誰だ?」
「関係ねぇだろ、髭親父」
「髭親父はお互い様だろうが」

苦々しい面持ちを崩さないデュラハムにシルヴァリアは苦笑する。
頑なデュラハムの事だ。正攻法で攻めても、口を割る事はないだろう。

「まぁ、別に構いはしないが」
「なら最初から訊くな」
「仕事をこなしてくれるなら、部下としては何ら問題はないが……余り思い詰めると、そのうち爆発するぞ」
「……」

再びグラスを傾けながら、シルヴァリアが諭す。
眉間に皺を刻んだままのデュラハムは、手の中のグラスに視線を落とすと、重い溜め息を吐いた。

そもそも、何故自分が悩む必要があるのか。
そう自分に問掛けた所で答えは返っては来ない。
では、今まで一度足りとも意識をした事がないのか、と訊かれれば答えは否だ。
だがそれは一過性の物で、今回のように持続する程の代物ではなかった。単なる本能の一種と言っても差し支えない。

ただ言えるのは、あの日、ファムレイユが見せた笑みが、酷く魅力的だと思ったと言う事だけ。

彼女が黒旗隊に入隊したのは十七歳──デュラハムが二十九歳の時である。
騎士の数は多く、騎士団内全ての騎士の顔と名前が一致する訳ではない。
女性騎士は全体的に人数も少ないし、何より黒旗隊にはファムレイユ以外に女性は二人しか居ない。何も彼女だけが特別な訳ではない。
見習い騎士の頃からを知る彼女に、特別な想いを抱くなど、つい先日まで考えられなかった事だ。

しかも、たった一度の笑顔だけで。

──知った顔相手でも、一目惚れって言うのかねぇ。

そんな事を考えている自分に気色悪さを覚えるが、胸の中が綻ぶ感触は悪くない。

「いい年した大人が……何やってんだか」

情けなさ満開で溜め息を吐いて、デュラハムは執務室から覗く窓の外へと視線を遣った。

「団長、最近変じゃない?」

昼食をとるファムレイユに、そう切り出したのは同僚のヒラリー・クウェンスだった。
レオンの元で働く彼女はファムレイユの直接の部下ではなかったが、騎士団付属の養成学校で同期と言う事もあってか、休日も共に過ごす程に仲が良い。
宿舎の食堂はお昼を過ぎているせいか人気も薄く、二人に注意を向ける者はいなかった。

「そうかな?」
「気付いてないの?レオン隊長の話だと朝早くに自主鍛練してるって話よ。ファム、知らない?」
「……初耳」

ズズとスープを啜るファムレイユの横で、褐色の肌を惜しげもなく晒したヒラリーは、黒く丸い目を細めた。

「ま、あたしは良いけど〜。団長が汗を流すお姿を、近くで見られる機会なんて、そうそうあるモンじゃないし」

──普段は物臭だもんね、あの人。

逞しい男が好きと豪語して止まないヒラリーにとって、常日頃汗を掻く事を嫌う──正確には、そのあとの湯浴みが面倒だと言って憚らない──デュラハムが、汗にまみれる姿は貴重なのだろう。
浮かれ気分の同僚の言葉に内心呟きを漏らしたファムレイユだが、その言葉はスープと共に喉の奥に流し込んだ。

変化の理由におおよその察しが付くだけに、下手な事が言えないと言うのも理由の一つではあったが。

サラダを頬張ったヒラリーを横目で見ながら、ファムレイユはスプーンを置くと、残っていたパンの欠片を口に運んだ。

「仕事をしてくれるなら、私には関係ない話よ。ヒル、こないだの鍛練の報告書、早くヒュー殿に提出してね」

態と冷ややかな視線を投げ掛けると、ヒラリーは口一杯にサラダを頬張ったまま恨めし気な目付きでファムレイユを見つめた。

「もほ〜、いひあうっ」
「食べるか喋るか、どっちかにしてよ。意地悪じゃなく、上官命令」
「そほ言ふとほろがっ、意地悪だって言うの〜」

何とか口の中の物を飲み下しヒラリーが唇を尖らせる。
子ども染みた行動だが、不思議と憎めないのはヒラリーに似合っているせいだろう。
無言の威圧に近い眼差しを向けたあと席を立つファムレイユを見上げ、ヒラリーは大袈裟に肩を竦めて見せた。

「了解致しました、ゴードンス隊長殿。──そんな堅苦しい事ばっか言ってると、恋人出来ないよ?」
「……生憎、そんな暇は御座いません」

ピラピラとフォークを揺らすヒラリーに呆れ混じりの溜め息を漏らし、ファムレイユはトレイを手にして返却口へと向かう。
そんな彼女を見送ったヒラリーは、サクとサラダを突付いて頬杖を突いた。

「良い女なのにね〜。ファムって」

憧れと現実は違う。
その差異に気付けば気付く程、ファムレイユは心の中で膨らむ感情に苛立ちを感じていた。

記憶の中の騎士は礼儀正しく、真摯で、ファムレイユにとっては大きな存在だった。
しかし現実に直面した今は違う。
確かに執務をこなす手腕には目を見張る物があるが、それ以外の部分は余りにも酷い。
酒も煙草も、所構わずと言った風情があるし、夜の街で女性と共に薄暗がりに姿を消すデュラハムの姿を見た、と言う話を耳にしたのも一度や二度ではない。

なのに。

──憎めないのよね……。

午後の執務を終え自室に戻ったファムレイユは、もう何度となく溢した溜め息を吐いた。

──恋愛は綺麗事だけでは済まない。

かつてヒラリーが告げた言葉を今になって実感するとは。

デュラハムに抱いている感情は、最早憧れではない。
彼の欠点を知った上で、それでも焦れてしまうのだ。
日頃余り感情を露わにする事がないからか、その事に気付いている者は居なかったが、ファムレイユ自身が気付いているのだ。
自分に言い訳をしてみても、それは余計に気持ちを確かめるだけにしかならない。

「……下手な事言うんじゃなかった」

先日、あのテントの中で最後に告げた言葉に嘘はない。
だからこそ己の軽率さが恨めしい。

しかし、一度告げてしまった言葉は取り消せない。

今はただ、時が全てを洗い流してくれるのを待つしかない。

そう考えたファムレイユだったが、現実は彼女の思いも因らぬ方向へと進んでいた。


数日後。
騎士団では盛大な宴が催されていた。
元々お祭り好きな風潮があるのか、誰もが飲み、歌い、踊る。
夜が更けてもそれは静まる事はなく、主賓であるファムレイユは一足先に私室へと戻っていた。


長らく空席だった、黒旗隊副隊長補佐への就任。
寝耳に水とは正にこの事だ。


元々副隊長補佐は、騎士団内では然程重要な役職ではない。
隊長、副隊長、隊長補佐の三職で構成される隊が殆んどで、場合に因っては隊長補佐が複数人任命される。
だが、黒旗隊だけは例外であった。
騎士団団長を兼任する隊長は多忙を極め、その為、副隊長はしばしば隊長代行を務めねばならない。それ故に副隊長補佐は隊長補佐と同等の能力と責任を要されるのである。
デュラハムが副隊長を務めていた六年余りの間、その補佐官となる人物はいなかったのだが、それだけデュラハムが有能だったとも言える。
また、武官でありながら文官と同等の能力を必要とされるので、成り手が少ないのも理由と言えるだろう。

そんな補佐官に任命されたファムレイユは、就任が決まってからと言う物、胸に不安を抱き続けていた。

補佐官に任命されると、隊長や副隊長と同じく個別の執務室を与えられ、その隣室は私室として使う事を許される。
馴染めない私室に戻ったファムレイユは、側遣えの侍女を下がらせると、深い溜め息を吐きながらマントを外した。
祭典用の礼服から部屋着に着替えベッドに腰を下ろす。
その間もファムレイユの口から漏れるのは、溜め息ばかりである。

「……何を考えてんのよ、隊長は」

憎らしいと思うのは、自分を補佐官に任命したデュラハムの事。
通達の為、騎士団の議会に呼んだデュラハムだったが、その表情は始終堅苦しい物で、いつもの飄々とした雰囲気ではなかった。
その事が余計にファムレイユの表情を曇らせていたのだが、それよりも補佐官としての責務の方が荷が重い。

ベッドに腰を下ろしたファムレイユは、尽きぬ溜め息を吐きながら窓の外へと視線を投げた。

外からはまだ、賑やかな声が聞こえている。
と、それに混じって、不意に扉のノックの音が耳に届いた。

「はい」
「俺だ」
「…隊長?」

扉を見遣るが開く様子はない。
重い足取りで扉へと向かったファムレイユは、最後に一つ大きな溜め息を吐くと扉を開いた。

「どうかされましたか」
「いや、ちょいとな」

一度私室に戻ったのか、デュラハムもシャツにズボンと言った軽装だった。
こんな時間に、と思いはしたが、それなりに理由があるのだろう。
言葉を濁すデュラハムを暫し見つめたファムレイユだったが、取り合えず部屋の中へと招き入れた。

「浮かない顔してんな、と思ってな」

促されるままに椅子に腰を下ろしたデュラハムの言葉に、ファムレイユは眉を寄せながらベッドに腰を下ろした。
私室は長年使用される事が無かった為、まだ客人を向かえられる程の設備は整っていない。

「誰のせいだと思ってんですか」

つい咎めるような口調になったが、それが本心だ。
そっぽを向いたファムレイユの様子に、デュラハムは困ったように頭を掻いたが、直ぐにその手を下ろすとファムレイユに向き直った。

「まぁ、そう言うな。補佐官ってのは、お前さんが考えてる程、辛い職務じゃねぇよ」
「……ですが」
「いや、ホントに。補佐官の責任は全て上官の責任だ」

いつになく真摯な言葉に、ファムレイユは視線を向けた。
デュラハムの持つ空気はいつもと同じだったが、その眼は真っ直ぐにファムレイユに向けられていた。

「補佐官ってのはその名の通り上官の補佐が仕事だ。その代わり、補佐を受ける上官は、補佐官の仕事全てに責任を負わなきゃならん」
「……はぁ」
「俺が補佐官を置かなかったのは、他人の尻拭いが出来る器じゃねぇと、俺が判断したからだ。だが俺の補佐ならいざ知らず、お前さんはシルヴァの補佐だ。お前さんの尻拭いが出来ねぇ程、あいつは無能じゃないと思うが?」
「…それは…確かにそうですけど」

何気に失礼な事を認めているのだが、ファムレイユは気付かない。
デュラハムは苦笑混じりに笑いながら、ペチと己の頬を叩いた。

「なら、そう思い悩む事もないだろ。シルヴァを信用してやれ。お前さんなら大丈夫だと、太鼓判を押したのはシルヴァなんだ。その責任分ぐらいシルヴァに迷惑を掛けても問題はねぇだろ」

隊長らしからぬ言葉を紡ぐデュラハムだったが、その言葉は酷く素直にファムレイユの胸に届いた。
それは長年副隊長を務め、またシルヴァリアを副隊長に任命したデュラハムだからこそ、言える言葉でもある。
そう気付いたファムレイユは、知らず頬を緩めていた。

「全く…貴方と言う人は……」

呆れにも似た言葉だったが、笑い含みの呟きにデュラハムは片口端を引き上げた。

「やっと笑ったな」
「……え?」

思わぬ言葉に、次の瞬間ファムレイユの顔から笑みが消える。
言われてみれば此処数日、笑みを浮かべる事はなかったのだが、日頃から執務で笑みを見せる事の方が少ない。
疑問を顔に乗せたファムレイユは、意味が分からずデュラハムの言葉に眉を顰めた。

「そんなに、しかめっ面ばかりでしたか?私」
「いや、そう言う意味でなくてだな」

ヒラヒラと片手を振ったデュラハムが重い腰を上げ立ち上がる。
矢張意味が分からずファムレイユは益々眉間に皺を刻んだが、次の瞬間、思考回路が停止した。

視界が陰ったかと思うと、デュラハムの腕が回される。
抱き締められていると気付くのに、ファムレイユは暫しの時間を要した。

起こった事が理解出来ないファムレイユだったが、デュラハムの腕は僅かに力を込めてファムレイユを抱き締めた。

「人が散々悩んでたってぇのに…全く」
「……え?」

普段よりも格段に近い場所から聞こえる声に、ファムレイユは身動き一つ出来ない。
大柄なデュラハムにファムレイユはすっぽりと収まる程で、デュラハムが思っているよりも、ファムレイユは小さかった。

「た、たいちょ──」
「好きだっつったら、迷惑か?」

何とか事態を把握したファムレイユだったが、その声を遮るようにしてデュラハムの腕に力が篭った。

胸許に押さえ付けられているせいで、デュラハムの声は頭に直接響いてくるようだった。

「情けない話、こないだからお前さんの顔がチラついて堪んねぇんだわ」
「へ?」
「この年になって、恋もへったくれもねぇとは思ったんだがな。……ファムが好きだ。自覚しちまったら、しょうがねぇわ」

他人事のような軽い口調だが、腕の力は緩まない。
ついぞ聞いた事のない優しい声音に、ファムレイユは再び硬直した。

──好き…って。……え…?……誰が…誰を…?

「え…っと」

いまだ呆けたような声しか出せないファムレイユは、必死になって思考回路を動かす。
断片的に聞こえた言葉を繋げ、その意味を理解すると、不意に頬が熱くなった。

「た…いちょう」
「迷惑だってんなら今すぐ離れる。んでもって、この事は忘れろ。俺とお前は、ただの上官と部下だ」
「っ……!」

頭とは裏腹に口は上手く回らない。
どう答えるべきかと悩むファムレイユだったが、静かに告げられた言葉は、ファムレイユが思っていた以上に、ファムレイユの胸に突き刺さった。

ただの上官と部下。

言われてみれば、確かにその通り。
今まで抱いていた憧れや密かに焦がれていた想いを別にすれば、デュラハムとファムレイユはそれだけの関係でしかない。
実際、側から見ていても、それ以上でもそれ以下でもなかったのだが。

「……嫌…です」
「……ファム?」

その関係を認めると言う事は、今まで抱いていた想いを否定すると言う事。
気付けばファムレイユは、デュラハムの背に腕を回していた。

「それだけの関係なんて、私は嫌です」

シャツを握る手に力を込めて、ファムレイユは胸の内に秘めていた想いを必死になって絞り出した。

「……そっか」

デュラハムの言葉が安堵の色に染まっていたのは、決して気のせいではなかっただろう。

デュラハム自身も──気にしていたとは言え──別に想いを告げるつもりは無かった。
しかし、ここ数日塞ぎ込んでいるようにも見えたファムレイユが、僅かとは言え見せた笑みに、半ば衝動的に抱き締めてしまった。
冗談で済ませてしまえば良かったのかも知れないが、そう出来なかったのは、それだけファムレイユを意識してしまっていたからに他ならない。

抱き締めた腕の力を緩めたデュラハムは、ファムレイユの顔を覗き込むように少し体を屈めた。
頬を撫で耳に触れる。
ファムレイユの頬は熱かったが、デュハムの向ける眼差しをしっかりと捉えていた。

「それは、俺の事が好きだって自惚れても構わねぇんだよな?」
「っ……嫌いなら、今すぐ突き飛ばしてます」

素直に言葉にしないファムレイユだったが、見せる表情は酷く可愛らしい。
恥ずかしさのあまり拗ねたような顔付きだったが、デュラハムにとっては充分過ぎる程の答えだった。






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