王都騎士団 【風邪っぴき】(非エロ)
シチュエーション


ベッドの中で、ファムレイユはひっそりと溜め息を吐いた。
昨日からどうにも体調が優れず、執務に向かえば上官であるシルヴァリアにあっさりと看破され、抵抗も虚しく私室へと強制送還。
加えて現在はシルヴァリアが隊長代行を務めている現状。代行を任せたデュラハムはと言うと、隊長補佐のヒューを含めた数人を供に、
十日程前から王都から離れた公領地での祭典に出席している。帰還は明日の予定だが、それまでにシルヴァリアの仕事が片付くかどうかも
怪しい。
デュラハムが真面目に執務をこなしていれば、シルヴァリアの仕事も然程の量ではなかったのだが。
医師の診断では軽い風邪。
根が真面目なだけに、忙しい時に病に臥せってしまった、自己管理不足が情けなかった。

ベッドに臥せり二度目の夕刻。
側遣えの侍女はあれこれと世話を焼いてくれるのだが、寝ているだけの自分を相手に、然程仕事があるとも思えない。薬を飲んでうつら
うつらするだけのファムレイユは、早々に侍女を下がらせた。
窓から差し込む西日が目に痛い。室内は茜色に染まり、外からは鍛練を終えた騎士達の賑やかな声が聞こえている。

レオンに鍛練の指示をし、シルヴァリアの報告書を貴族評議会に提出。
そんな明日の予定を鈍い頭で考えながら、ファムレイユは微睡みに身を委ねた。

寝ては起き、起きては寝て。
ふと気付くと、窓の外はもう真っ暗で、空には星が瞬いている。
酷く喉が乾いている事に気付き体を起こすと、ベッドサイドに置かれてある水差しからグラスへと水を注ぎ、一息に飲み干す。
薬が効いているのか熱っぽさは昨日よりは下がり、気怠さも然程酷くはない。もう一眠りすれば、朝にはそれもなくなっているだろう。
僅かに汗ばんだ夜着が疎ましいが、着替えるのも億劫で、ファムレイユは再び布団の中へと潜り込んだ。
目を閉じるが、そう睡魔が訪れる筈もなく。
寝返りを打ったファムレイユの耳に、微かにノックの音が届いたのは、それから間もなくの事だった。

扉を見つめるが物音はない。しかし人の気配は微かにだが感じる。
私室の扉は一つしかなく、続くのは執務室のみ。何かの間違い、などと言う事もないだろう。

「誰…?」

僅かに体を起こしたファムレイユは、ベッドサイドの引き出しに手を掛けながら口を開く。
中には短刀が入っている。いつ何時、賊が訪れるとも知れないからだ。

しかし返ってきた答えは、意外な人物の物だった。

「俺だ」
「! …隊長?」

まさかと思いながらも、扉が開かれる。
礼服姿のデュラハムは、マントすらも身に着けたままで、部屋に入ると微笑んで見せた。

「起こしたか?」
「いえ。…ですが何故」

当然の疑問だ。
デュラハムの帰還は明日の昼過ぎ。こんな──少なくとも夜半に帰って来るなど、予想外にも程がある。
しかしデュラハムは、マントを外すと備え付けの椅子に掛け、大股でベッドへと歩み寄った。

「シルヴァからの連絡でな。お前さんが風邪をひいったっつーから。先に馬を飛ばして来た」
「祭典は?」
「執務にゃ支障ねぇ。今日──もう昨日か。無事終らせて来たよ。まぁ、そのせいで、こんな時間になっちまったがな」

ファムレイユの髪を撫でながらデュラハムがベッドに腰を下ろす。
意外な成り行きにいまだ目を瞬かせているファムレイユに、デュラハムは小さく笑い掛けた。

「体調は?」
「あ…いえ。…明日には執務に掛かれるかと…」
「そうか。最近お前さん、休み無しだったからな。……今の仕事が終わったら、暫く休みにするか」

デュラハムの声は酷く優しい。
眼差しも、手も、ファムレイユを慈しんでいるかのようで、ファムレイユは思わず頬を赤らめる。
日頃は勝手気儘な男なだけに、こうも優しくされると調子が狂ってしまう。
柄にもなく、素直になりそうな自分に気付き、ファムレイユは唇を噛んだ。

「……隊長」
「ん? ──っと」

恥ずかしさがない訳ではない。
しかし、この胸の内に溢れた想いは手に余る。
意を決して──と言うと大袈裟だが、ファムレイユにしてみればかなりの覚悟を決めて──デュラハムに寄り添うと、デュラハムは驚い
たようにファムレイユを見下ろしたが、直ぐにふんわりとファムレイユを抱き締めた。

「どうしたよ」
「いえ……何と無く」

いつもとは違うファムレイユの様子に、デュラハムは苦い笑みを浮かべる。問掛けても、拗ねたような物言いで、デュラハムは笑みを深
めた。

いつものようにからかおうか、と思いもするが。まぁ良いか、と思い直す気持ちもない訳ではない。
結局は後者の思いに従って、デュラハムはぽすぽすとファムレイユの頭を撫でた。

それが益々ファムレイユの混乱を冗長させる。

自分の為に、態々馬を飛ばして来たデュラハムの好意は嬉しい。それを素直に受け止めると、今度はその胸に体を預けたいと思ってしま
った。
そうなったらなったで、更にデュラハムは優しく自分を包み込む。いつものように──例えば、冗談混じりに「寂しかったのか」と問わ
れれば、彼を張り倒して布団に潜り込める物を。

なのに今、自分の想いとは裏腹に、デュラハムはただただ優しい。
それが物足りないと思ってしまう自分にファムレイユは戸惑う。

だが、いつまでも沈黙を続けていられる筈もなく。
先に口を開いたのは、現状を楽しんでいたデュラハムではなく、混乱を抱えたままのファムレイユだった。

「あの……」
「何だ」
「あとの事は…」

こんな時でも仕事の話しか思い浮かばない自分が憎らしいが、そうでもないと余計な事を口走ってしまいそうだ。
僅かに視線だけでデュラハムを見上げると、デュラハムはファムレイユを撫でたまま笑みを浮かべた。

「ヒューに任せて来た。嫌味も言われたな。『そんなにゴードンスが心配なら、騎士などお辞めになられては如何ですか』って」
「ヒュー殿が?」
「まぁ本心じゃねぇだろう。満面の笑みを向けやがったからな、あの野郎」

デュラハムが勝てない人物は世の中に三人居る。
想い人であるファムレイユと二十年来の友人であるシルヴァリア、そして補佐官のヒュー。
冷静で氷の心を持つとあだ名されるヒューだが、根はなかなかにお茶目な人物である。二人の事を知りながら、それをネタにデュラハム
の尻を叩くのが日課となっている男の事だ。その嫌味も、ファムレイユに向けた物ではない事は、充分に想像が出来る。

デュラハムの腕の中で思わずくすくすと笑いを溢すと、デュラハムは困ったように眉を寄せて、ファムレイユを見下ろした。

「笑い事じゃねぇっての。お前さんのせいだろ」
「帰還を決めたのは隊長御自身ですよ? ……知らせたシルヴァ副隊長にも、多少の責任はあるかも知れませんけど」
「……お前さん、日に日に図太くなってないか?」
「良い見本が目の前にいますから」

態と人の悪い笑みを向けると、デュラハムは大袈裟とも思える落胆の溜め息を吐いた。

その様子が可笑しくて、ファムレイユは益々肩を震わせる。

我ながら情けないと思わないでもなかったが、デュラハムは抱き締める腕に力を込めると、そのままファムレイユをベッドに押し倒した。

「っ!?」
「あんま笑うな」

不意の出来事に目を丸くしたファムレイユを軽く睨みつけ、唇を落とす。
僅かに乾燥している唇を舌で舐めると、デュラハムの腕の中でファムレイユが身じろぎした。
舌を侵入させる事はせず、カサカサになっていた唇を丹念に舐める。
口を引き結んだファムレイユは、強く目を閉じるとデュラハムの服を握り締めた。

「んっ…んん」

ゆっくりと時間を掛けて唇を舐め、顔を上げる。
口付けた訳でもないのにファムレイユの顔が蒸気しているのは、呼吸も止めていたせいだろう。
そんな姿に、引き出しにしまった筈の悪戯心がデュラハムの中で首をもたげた。

「あ、あの」
「ん?」
「その……」

何か言いたげな唇に舌を差し出す。ペロリと舐めるとファムレイユは反射的に目を閉じたが、直ぐに瞼を開くと口の中でごにょごにょと
呟いた。

「あの…風邪が……うつるので」

だから、行為を止めて欲しい。
いつものファムレイユならばきっぱりと告げたに違いないが、今日は矢張様子がおかしい。
見下ろすデュラハムの眼差しに耐えきれず、視線を外したファムレイユは、服を掴む手に力を込めた。

「……だから…その…」

言い淀む姿が可愛らしい。
唐突に体を寄せられた時は驚きもしたが、病気のせいで心細さもあったのだろう。
そんな風に思うデュラハムの考えは、あながち間違いではなかった。

はっきりと言葉に出来ないもどかしさはある物の、ファムレイユの中を占めるのは、もう少しだけ側に居て欲しいと言う想い。
同じ隊とは言え、そう毎日毎日顔を合わせていた訳ではないのだから、十日程度の別れは大した事はないのだが。
病気での心細さが無かったと言えば嘘になる。
それに加えデュラハムの優しさが、ファムレイユの調子を狂わせている事も否めない。

もう少しだけ。

控え目と言えなくもないが、自分がデュラハムに対して執着心を持っている事自体、ファムレイユにとっては大きな出来事だ。
いつもなら素直になる事すら難しいが、今のデュラハムならば、少しぐらいの我が儘も許されるような気がして、ファムレイユはそっと
デュラハムの口端に口付けた。

「っ!?」
「続きは…次回と言う事で…」

だから、恥ずかしさの余りデュラハムの肩に顔を埋めたファムレイユは、デュラハムの表情の変化に気付かなかった。

不意打ちを食らわせるのは自分ばかりだと考えていたデュラハムだけに、ファムレイユの行動は動揺を呼び起こす。
言われた意味もさる事ながら、今までどれだけデュラハムが望んでも頬に口付け一つ落とさなかったファムレイユが──僅かに唇を外し
ていたとは言え──自分の意思で口付けたのだ。
芽生えたばかりの悪戯心はあっと言う間に霧散して、デュラハムは心底動揺していた。

徐々に思考が繋がり始め、次に思うのは告げられた言葉。
デュラハムにしてみても、態々馬を飛ばして来たのはファムレイユを純粋に心配しての事だったし、病み上がりの彼女を相手に無理を強
いるつもりはなかった。

もっとも場合に因っては、性欲と悪戯心に負けて事に及んだ可能性も皆無ではないが。
それはそれで良しと気楽に構えていた辺り、デュラハムの気性が伺える。

それはさておき。
ファムレイユと事を構える仲になって早半年。今まで抱いた数は両手の指に足りるかどうか。
全てはファムレイユの性格故なのだが、それを今更言っても始まらない。職業婦を相手にする事はなかったが、一度その味を知ってしま
ったデュラハムが、悶々と夜を過ごした事は少なくない。
そして今まで、ファムレイユから次の約束を取りつけた事も一度足りとてない。
私室を訪れるのは決まって我慢に耐えきれなくなったデュラハムばかりだったし、事が終れば早々にファムレイユに部屋から追い出され
た事もある。

──……どう言う心境の変化だ…此奴。

恥ずかしそうに顔を埋めるファムレイユを見つめ思うも、猜疑心は欠片もない。
狂言や嘘を嫌う性格を熟知しているからこそ、驚きが隠せないのだ。

ちなみに、自分の行動がファムレイユを変えている、などと言う考えは毛頭ない。

しかし。

──まぁ良いか。

直ぐに思考を切り替えられるのも、デュラハムの長所と言えば長所だろう。
いつまでも戸惑っていても仕方がないし、ファムレイユが次を望むのならば、自分は純粋にそれを喜べば良いだけの話。ここで申し出を
断れば、禁欲生活を強いられるのは目に見えている。

一人頭の中で結論付けたデュラハムは、頬を緩めるとぐしゃぐしゃとファムレイユの頭を撫でた。

「分かった。楽しみにしとく」

デュラハムの言葉にファムレイユは息を吐く。
内心どんな答えが返ってくるのかと不安でいっぱいだったのだが。デュラハムが約束を手違た事はない。
ファムレイユはデュラハムの肩から顔を上げると、服を掴んでいた手を離した。

「じゃあ…」
「けど、このまんま戻るってのもな」
「………え?」

コン、と何かが床に落ちた音がする。
何が起こっているのか分からないファムレイユだったが、デュラハムは心底嬉しそうに笑うとファムレイユの額に口付けた。

「何もしねぇから、構わないだろ?」
「……へ?」

先程よりも間抜けな声を出すファムレイユを尻目に、デュラハムはもそもそと布団に潜り込む。
堅苦しい礼服の上着を脱ぎ捨て床に落とし、ついでにベルトも緩めて放り投げる。

先程の音はブーツの音か、などとファムレイユの頭の片隅で冷静に呟くもう一人の自分が居たが、ベッドに横たわるファムレイユはそれ
どころではない。

「た、隊長!?」
「一人寝は寂しくてなぁ。……たまにゃ、こう言うのも悪かないだろ」

思わず硬直するファムレイユだったが、デュラハムはファムレイユの頭と枕の間に枕を差し込み、彼女の背中をあやすように優しく叩く。
その心地好さと僅かな汗と日の匂いに包まれ、ファムレイユは目を閉じ、そろそろとデュラハムの腰に手を回した。

「……本当に、何もしませんよね?」
「あぁ」
「絶対?」
「約束する」

疑っている訳ではないが、何度も訊いてしまうのは照れ隠しだ。
デュラハムもそれを分かっているのか、微かな笑みを浮かべて目を閉じる。
ファムレイユは少し腕に力を込めると、ぴったりとデュラハムに寄り添った。
心音と暖かさがゆっくりと睡魔をもたらして来る。

「……おやすみなさい」
「おやすみ、ファム」

ファムレイユの髪に口付けたデュラハムは、そっと目を開けると腕の中の様子を伺った。
安心したように目を閉じるファムレイユの姿を確認し、自分もじわじわと訪れる睡魔に身を委ねる。

朝になれば侍女に見付かるかも知れない。だが、それはその時考えれば良いだろう。
戻って来ていると分かれば、シルヴァリアに執務を任されもするだろうが、それもこの際忘れてしまおう。

ただ今は、腕の中の彼女だけに想いを馳せ、デュラハムはゆっくりと眠りに就いた。






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