シチュエーション
![]() 胸の奥がもやもやする。 陛下のお年を考えれば当然のことだ。 未だ独身であることの方がおかしい。 けれど、陛下は女性嫌いだとセレスティン将軍が言っていた。 腕に抱えた王妃候補の資料がやけに重たく感じる。 陛下に手渡さねばならないのだと思うと気が滅入る。 気がつけば私は陛下の元ではなく、将軍の元へ足を運んでいたのだった。 「いいか、お嬢ちゃん」 将軍は陛下の知己であり、信頼の篤い部下でもある。 「俺の部屋へ入ったなんてあいつには死んでも言うなよ」 執務室の隣にある仮眠用の部屋へ入りながら将軍は言う。 ぼさぼさの髪と無精髭。 シャツの胸元は開かれ、逞しい胸板が覗く。 人差し指で頬をかき、眉をしかめて溜め息をつく。 一見するといかにも軍人という厳つい男性だが、これでも髪を整えて髭を剃って正装すると五歳は若く見えるのだ。 「それでなくても近頃風当たりがきついんだ」 促されるままに寝台に腰掛ける。 そして、将軍は私の足元に座り込んだ。 「で、話って?」 抱えている資料に視線を落とすと将軍の視線も資料に向いた。 私はおずおずと将軍に資料を差し出す。 ぱらぱらと資料をめくり、将軍が不思議そうな顔で私を見る。 「これがどうした」 「陛下のお妃候補です」 「アホ。そんなもんは見りゃわかる。そうじゃなくて、はっきり言え」 視線を落とすと靴の爪先が目に入る。 はっきり言えと言われてもそれが言えないから困っているのに。 「大国の姫君と婚姻を結び、縁続きになるのは悪いことじゃない。王族の義務だな」 わざわざ言われなくてもそんなことは私にもわかる。 「この中からよりよい良縁を選ぶわけか」 将軍の言葉に悪意を感じる。 「さすがに育ちのいい姫君方とあって高貴な顔立ちだこと。美人揃いじゃねえか」 ぎゅっと唇を噛みしめる。 「あいつがとっとと妃娶って世継ぎこさえてくれりゃあ国も安泰だ。なあ、イルマのお嬢ちゃん?」 そんなことはわかってる。 わかっているのに胸が苦しい。 胸の奥が痛くて苦しい。 「……あのな」 ぽとりと握りしめた手に涙が落ちる。 「泣くなよ。俺がいじめたみたいじゃないか」 爪先から視線を上げると困ったような呆れたような顔をした将軍と目が合った。 「す、すみません」 ごしごしと瞼をこする。 「あんな冷血漢のどこがいいんだかね」 将軍の無骨な指が頬に触れて涙の痕を拭う。 どこと言われても困る。 綺麗な顔も低い声も大きな手も他人に対して容赦ない性格も何を考えているのかわからないところも意地悪なところも優しいところも全部好きだ。 強いて言うならば、たまに見せてくれる意地悪で優しくて甘い微笑がどうにかなりそうなくらいに好きで好きでたまらない。 「顔がいいからそうは見えんが、すこぶる性格の悪い奴だぞ」 「はい。でも、優しい方です。セレスティン将軍もご存知でしょう?」 「それはお嬢ちゃんにだけだぜ。俺に優しかったことなんかねえよ」 苦虫を噛み潰した顔をする将軍に私は笑いかける。 「いいえ。将軍とご一緒の陛下はいつもより柔らかい雰囲気を纏っておられますから」 思い当たる節があるのか将軍は複雑な顔で押し黙る。 私は目尻に溜まった涙を手の甲で拭った。 将軍と話していたらなんだか少し落ち着いてきたような気がする。 「俺から渡してやろうか」 膝に置いた資料をぽんぽんと叩きながら将軍は言う。 「そういうわけにもいきません。私が仰せつかった仕事ですから」 「渡したくなくて泣いたくせに」 「そ、それでもです!」 にやにやと笑う将軍は意地が悪い。 「どうせ即座に屑籠行きだろ。もしくは、引き出しの奥に眠らされるか」 「そうでしょうか」 「王太子時代からあいつはいつもそうだよ」 ほっと安堵の息をつき、胸を撫でおろす。 「いっそ泣いてみたらどうだ」 「はあ?」 「私以外の人と結婚するなんて嫌です! なんてよ」 笑う将軍を睨みつけると笑い声がさらに増した。 「まあ、それもいいと思うけどね」 「よくありません」 「たまには素直になりゃいいんだよ。まだまだ親父さんに頼ってるとはいえ、イルマ家継いだんだろ。身分違いってこともねえさ」 立ち上がって私の膝に資料を放り投げて将軍は私の頭を撫でた。 大きくて温かな手はとても心地良くて、将軍の言葉を素直に受け止めることができた。 家を継いだとはいえ、まだまだ父に頼りきりでとても当主とは名乗れないような私だけれど、それでも陛下の隣に並んで遜色はないのだろうか。 淡い期待を胸に抱き、けれども膝にはそれ以上に大きな不安材料を乗せたまま、私は陛下の大好きな微笑を思い浮かべるのだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |