クールメイド(仮)(非エロ)
シチュエーション


「旦那さま、失礼いたします」

耳に心地よいアルトを響かせて部屋の扉を開けたのは、この屋敷に仕えている
メイドのハリエットであった。
切れ長の目をしたなかなかの美人で、彼女が身につけていると飾り気のない
お仕着せも魅力的に映る。
しなやかな両手をスカートの前で揃えると、ハリエットはつつましく主人の反応を待っていた。

彼女の雇用主の名はサー・ドミトリアス・マクレーガー。
ややくせのある茶色い髪をした紳士で、どこか老成したような雰囲気を持っているのだが
良く見れば眼鏡をかけたその顔はまだ若いように見えた。
ぎこちなく微笑むとドミトリアスはハリエットを手招きする。
しずしずと主人の傍にやってきたハリエットはあくまで冷静な表情で尋ねた。

「なんのご用でしょうか」
「……ああ。ええと、その……」

ハリエットの視線にドミトリアスはなぜかたじろいだ様子を見せた。
そしてどうにも落ちつかなげにみじろぎをする。
目線を落とし、しばらくの間唇を薄く開いたまま、ああ、とかううとか
意味のない呻き声をあげながら何やら迷っているようだった。
その様子にハリエットはぴんときた。
ここの所、彼が自分を呼びつけてこういった様子を見せる時は必ず
“ある事”を言い出し始めるのだ。

ハリエットは黒い瞳をひた、と主人にすえて彼を見つめる。
その視線をまともに受けたドミトリアスは一瞬あせった様に身じろぎをしたが
思い切ったように彼女の手を引き掴むと勢い込んで叫んだ。

「わ、わたしと結婚してくれないか!?」

ハリエットはその突然の、しかも唐突な申し出にも関わらず驚きを見せることはしなかった。

彼女はメイドだ。特に名のある家の出という事は全く無い。単なる使用人だ。
反対にドミトリアスは、サーの称号が示すとおり貴族である。
明らかに彼女とは身分の隔たりがあり、ドミトリアスがハリエットに求婚するというのは
普通に考えてまず考えられないことであった。

だが、ハリエットの表情には驚愕も狼狽の色もない。
彼がこんな事を言い出すのは初めてではなかったからだ。ハリエットは穏やかな微笑を浮かべた。

「……旦那さまったらいけませんわ。そのお話なら何度もお断りしているじゃありませんの」
「もうこれで五度目だね……」

ドミトリアスはその返事にしょんぼりとうなだれたまま呟いた。
くす、と小さく笑い声をあげながらハリエットはドミトリアスの手から自らの手を引き抜いた。

「お茶の支度をいたしましょうか? 熱い紅茶を召し上がったら気持ちも変わられますわ」

とりつくしまもないハリエットの態度にドミトリアスは眼鏡を曇らせる。

「……なぜイエスといってもらえないのか聞いてもいいかい?」
「身分が違います」

胸をはり、良く通る声でハリエットは言う。その答えにドミトリアスは妙な顔をする。

「身分……? そんなことを気にしているのかい? ハリエット。
君のことはわたしが守る。約束するよ!」

ドミトリアスはハリエットに懇願していた。その姿にハリエットはため息をついた。

彼が自分に求婚する理由に、ハリエットは思い当たる節があるのだ。
一度ハリエットは彼と性関係を持った事があるのだ。

その時分、ドミトリアスは心に大きな傷を負っており、ハリエットはお見舞いのつもりで
自らの体を提供したのだ。彼の事を好きだという気持ちはもちろんある。
そうでなければさすがにハリエットも関係を持つ気分にはならなかった。
だが、男爵夫人になってやろうとかそういう事を考えたことなどハリエットは一度もなかった。

彼女は自らの主がずい分初心な性質だということは理解していたが、使用人に手を出す貴族が
珍しくないこと身をもって知っているハリエットとしては、使用人の自分に手を出したからといって
妻にする、というドミトリアスの申し出に一番初めはずいぶんと驚いたものだった。

「わたしは……君にあんなことをして……。どうかしてたんだ、一生を賭けて償う。
だからハリエット、イエスと言ってくれ」

(償うといわれましてもねぇ……)

見れば、ドミトリアスは子犬のような瞳で彼女を見上げている。
ハリエットはほだされ、うっかりうなずかない様にするために神経を集中させた。

(旦那さまは別に私の事が好きで好きでたまらないから求婚なさってるわけでもないのだし)

そう考えるとハリエットは妙に胸のあたりがチリチリするのだが、
あえてその理由を深く考えずに済ませた。

(私が誘ったようなものなのだから、責任を感じる必要もないのにおかしな方)

ぎゅっと拳を握ったまま、ハリエットは声を張り上げる。

「あの日のことは、旦那さまが責任をお感じになることではありません。
別にわたくしの一生を左右することではないと思いますので。
……他に御用がなければ失礼いたしますが旦那さま。お茶のご用意は必要ですか?」
「……頼むよ」

サー・ドミトリアスはがくりとうな垂れたまま返事を返し、彼のメイドは
スカートを翻しながら午後のお茶の用意をするために部屋から出て行った。






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