シチュエーション
・ソフトだけど吸血表現あり 月の綺麗な夜だった。 吸血鬼セルヴィムは、週に一度の食事を終えて屋敷に帰る途中だった。 腹は適度に朽ちて、夜の空気は冷たいながらも凛として澄み切っている。身体を預けた翼竜も今晩は好みの獲物が見つかったらしく上機嫌で、僅かな手綱の動きに素早く反応しては悠々と空を駆ける。 実にいい夜、気分のいい夜だった。 だからこんな夜でもなければ、街を抜けてしばらく飛んだ先、深い森の中に感じた小さな気配に気づき、あまつさえその傍らに降りたってみようなどとは、きっと考えもつかなかったに違いない。 その場に残された数々の状況から察するに、野犬にでも襲われたのだろう。 ひとところ木々の並びが途切れ、僅かに開けた草地のあちこちには、格子を組んだ馬車の残骸と、かつては人間であったものと人間の一部であったもの、それからおびただしい量の血液が飛び散っていた。 吸血鬼の自分でさえここに降り立つまで匂いをほとんど感じなかったのも当然だ。下草にこびり付いた血液は真夜中の冷気に凍りはじめており、考えずともこの惨状は起きてからだいぶ時間が経ったのものだと察せられた。 「…奴隷商人か。こんな夜更けに、何を考えたのだか」 その殆どが年若い娘のものである死体の中、唯一まともな衣服をまとった男は、でっぷりと肥えた胸から腹にかけてをざっくりと切り裂かれて絶命していた。 夜の闇に乗じて街を抜け出し、馬車の檻に娘たちをつめ込んで、一体どこへ行くつもりだったのか。 今となってはそれもわからないが、このように夜逃げまがいの強行軍を行おうとするからには、まともでない事情があったのだろうということは想像に難くない。 「…可哀想に」 栄養状態が悪く痩せこけていたとしても、野犬や狼の類が狙うのはこのような男ではなく若い娘だったであろう。 セルヴィムは形良い眉を痛ましげにひそめると、男の傍ら、胸から下を無惨に食い散らかされた娘の身体に向かって手をかざした。 一瞬の間を置いて、娘の身体が勢い良く燃え上がる。 人間の力では作り出せないであろう高温の火は、たちまちその身体を燃やし尽くし灰に変えるとひとりでに収まった。蛋白質が焼ける匂いに、セルヴィムの傍らに控えていた竜が喉を鳴らす。 そうしてセルヴィムは、あちこちに散った惨状の残骸を、男の死体をも含めひとつひとつ灰にしていった。 普段であればこんなことはしないが、きっかけが何であろうと一旦このような現場に出くわしたのだ。夜を統べるものとして、全てを焼き尽くす炎をもって哀れな人間たちを土に返してやることぐらいは。 しかし、草地の端、最後のひとりの前に足を進めたセルヴィムは、そもそも自分がここへ降りたった気配に思い当たり、その目を微かに見張った。 「…息がある」 最後のひとり、この寒い中地面に倒れ伏した少女は、身体のあちこちに傷を負い、ぼろきれのようになりながらもまだ呼吸をしていた。 明るい月の光の下、血と泥にまみれながらもその素肌は見たこともないほどに白く、顔の周りを縁取る髪も、汚れていてはっきりとはわからないが綺麗な白金色のようだった。 自分たち吸血鬼とは違う、白いながらも血の通った肌の色に興味を惹かれ、セルヴィムはしばしそこに佇んだまま少女を見つめていた。 (だが…長くはないだろう) 少女が息絶えた後、この肌の色は自分たちと同じような青く無機質な色に変わってしまうのだろうか。もしそうだとしたら、折角美しいものが残念なことだ。何の気なしにそんなことを考えて。 しかし。直に呼吸が止まるだろうと思われた少女の指先が、見つめるセルヴィムの足元でひくりと動いた。 驚くセルヴィムの眼前で、少女は弱々しく拳を握り、喉をひゅうひゅうと鳴らし…そして、ゆっくりとその瞳を開いた。 「……!」 長い睫毛に縁取られた両の瞳は、まさに先程セルヴィムが糧としてきたばかりの、鮮やかな血の色。思わず息を呑むほどの、深い緋色をしていた。 (…白子か…!) 吸血鬼の中でも突然変異の部類に入るセルヴィムの瞳は、他の吸血鬼のような真紅ではなく、底光りする銀色をしている。 それをなかなか気に入っているセルヴィムは、特に周りと違う自分を恥ずかしく思うでもなく、仲間の瞳の色を羨ましがるでもなく過ごしていた。 だがそのように思っていたはずの彼は吸血鬼になってからの長い人生の中ではじめて、このような色の瞳を持つことができなかったことを悔やんだ。 それほどまでに、この瀕死の少女の瞳は、美しいものだった。 だから、そのまま彼女の脇に膝をついたのは、半ば無意識下での行動だった。 死の淵に瀕していても尚深いきらめきを宿す瞳に見入られ、その色を失いたくはないと思い、セルヴィムは少女に声をかけた。 「生きたいか?」 少女は答えない。ただ、髪と同じく限りなく白に違い色をした睫毛を微かに震わせた。 「このままだとお前は半刻もせず死ぬだろう。だが…お前が望むのならば、俺の僕としてその命、長らえさせよう」 銀と赤、ふたつの視線が絡まりあう。 「代償は他ならぬお前の血。吸血鬼セルヴィムの僕となりこれより数百年を生きるか、さもなくばここで死を待つか。選ぶがいい」 時間にすれば、ほんの数秒だったろう。セルヴィムが見つめる彼女の瞳が徐々に揺らめき…そこから、一筋の涙が薄汚れた頬を伝った。 「…ぁ……」 声どころか吐息にすらならない、喉から空気が漏れる音。だがセルヴィムには、それで充分だった。 セルヴィムは、まるで恋人にするように少女の身体を抱き寄せると、その首筋の汚れを丁寧に舐めとり――柔らかな肌に、鋭い牙を突き立てた。 ぶつり、という肉が裂ける音と共に、少女の甘く、熱い血潮がセルヴィムの口内に流れ込む。 「…ぁ…っ!」 その途端、ぐったりと力を失っていた肢体が、セルヴィムの腕の中でびくりと跳ねた。 セルヴィムはそんな少女の身体を愛おしげに撫で回しながら、流れ出る血に舌鼓を打ち、喉を鳴らす。 「……っ!」 そして、少女が弓なりに身体を反らし、絶頂にも似た衝撃に身悶える頃になってようやく、セルヴィムはその首筋から顔を上げた。 見下ろせば腕の中の少女は、媚薬に似た成分を含む吸血鬼の唾液によって呼び起こされる快楽に赤い瞳を潤ませ、全身を桃色に上気させていた。 胸の中心、熟れた果実のように赤く染まって勃ち上がった突起が愛らしい。 彼はそんな少女を見つめて満足げな笑みを浮かべると、彼女を片手で抱き、血にまみれた牙を今度は己の手首へと突き刺した。 そして自らの血液を口に含むと、セルヴィムは少女の頬を優しく撫で、紅色をした唇にそっと口付けると、彼女の喉へと契約の証をそそぎ込んだのだった。 確かに、しばらく前から僕が欲しいとは思っていた。 徐々に増える研究資料を整理させるも、いまいち料理のセンスがない執事の代わりに厨房に立たせるも、いくらでも使い道はあるのだ。 だが、こんな簡単に決めてしまうのではなく、しかるべきところからしかるべき人間を迎え入れるのだと考えていたのに。 要するにこれは、後から考えてみると、いわゆる一目惚れ、というものだったのかもしれない。 「…主…さま…」 だがこの時、その一言だけを呟いて意識を失った少女を抱くセルヴィムは、そんなことは欠片も考えつかなかったのだ。 ましてや、この僕が後に自分の人生において欠かせない存在になり、果ては伴侶にまでなろうなどということは。 全く、思いもよらなかったのだ。 SS一覧に戻る メインページに戻る |