シチュエーション
久方振りの王都は出ていった時のままでユリシスを迎えてくれた。 風呂上がりにローブ一枚で長椅子に腰掛け、自分付きの女官に髪を乾かしてもらう。これもあちらへ行くまでは日常的に行われていたことだ。 「よいご身分ですね、閣下」 呆れた顔の副官に蔑みを含んだ眼差しを向けられても今のユリシスはめげない。 「それで、お前の衣装は決まったのか?」 途端にイリスのこめかみがぴくりと動いた。 「正装は軍服と決まっております」 ユリシスはわざとらしく大袈裟に驚きを表した。 「私に恥をかかせる気か?」 「ならば、自分ではなく見目麗しき女性を伴えばよいではありませぬか」 「駄目だ。お前を連れていく」 向こう三年は戻れぬはずのユリシスが王都の門を開くことができたのは、末の妹が婚約披露パーティーを開くこととなったからだ。兄として妹の晴れ舞台を拝まぬ訳にはいかないと、祝いの書簡一つですませようとしたイリスにさんざん駄々をこねて長期休暇を取ったのだ。 「大体、貴様とて休暇中だろう。軍服ばかりでは味気ないぞ」 「閣下の付き添いをするのであれば、それは任務と同じこと。閣下に合わせて休暇は取りましたが、自分は休暇だと思っておりません」 イリスにしてみれば正直な気持ちを述べたのだが、ユリシスはそれが気に入らないようで一気に気分が落ち込んだように見て取れる。 「そうか」 ひらひらと手を振り、お付きの女官を退室させる。 扉が閉まったのを確認し、ユリシスは立ち上がった。 「イリス」 窓際に立っていた副官の手前まで近づき、その頬に触れる。 「どうしても嫌か?」 褐色の肌を撫で、短く刈られた髪に触れる。憂いを帯びた眼差しと相まって官能的ですらあるユリシスの動作にもイリスは眉一つ動かさない。 「嫌ですね。どうせ休暇をいただけるのであれば旧友と酒でも酌み交わした方がよほど有意義かと」 ユリシスの手が首の後ろに添えられ、ゆっくりと引き寄せられる。 「どうしていつもつれない?私が嫌いか?」 切なげに見つめれば、イリスは不思議そうな顔をする。 「自分は閣下を尊敬しています。人間としては引っかかりを覚える部分もありますが、軍人としては尊敬に値する人物でしょう」 「男としては?」 イリスは深々と溜め息をつき、ユリシスの胸を押した。けれど、ユリシスはイリスを離さない。 「年下は嫌いか?」 「そういう問題ではありません」 「整った顔は嫌か?」 「そういう問題でもありません」 イリスの返答に焦れたユリシスは聞きたくないと言わんばかりに唇を重ねた。 突き離すでも噛みつくでもなくイリスは微動だにしない。ユリシスの舌が唇をなぞろうと構いもしない。無反応というものだ。 「……イリス」 まったく反応を返さないイリスを悲しげに見つめ、ユリシスは小さく頭を振った。 「望むものなら何でも与える。お前の望みなら何でもする。私はお前が欲しい。側にいてはもらえぬか」 イリスの手を取り、その手のひらを頬によせる。温もりを確かめ、手のひらに口づける。 愛おしさがこみ上げて、ユリシスは頭がどうにかなりそうだった。 思えば、一目惚れというものだった。ふと訪れた訓練場で見たイリスの立ち居振る舞いに心惹かれた。 情報や評判を聞き集めた結果、必要とあらば上官すら諌める生真面目な人柄に好感を持った。裏から手を回し自分の隊に異動させることに成功したときは喜びに震えた。 初めは近くで見ていられればそれで満足だった。なぜだか知らぬが彼女の姿を目にするだけで胸が熱くなれたから。 「私では駄目か」 けれど、人は欲深い。だんだんと見ているだけでは満足できなくなる。触れたい。愛したい。愛されたい。 ほんの少しでいい。ユリシスは愛情のこもった眼差しをイリスに向けてもらいたいのだ。 「……あなたは悔しいのです、手に入らないものがあることが。だから、あなたは私を求める。手に入れば途端に魅力をなくすでしょう。ユ リシス様、今一度ご自身の心とよく向かい合ってみることですね」 真剣に応えてくれているのはよくわかる。軍人としてのイリスではなく、一人の女として応えてくれている。それはユリシスにもよくわかる。 「私は卑怯な男に成り下がりたくはない」 だが、理解するのと納得するのでは話が違う。 「今一度問うが、お前の意志で選んではくれぬのか?」 ユリシスの懇願するような声音と瞳に陰る暗い色にイリスは絶句する。 目の前の男を愛してやれない自分に罪悪感を覚え、次の瞬間には彼の言葉の意味を思い嫌悪した。 「自分の気持ちを偽ることは出来かねます」 「……後悔するぞ」 「あなたに対して自分を偽ることはできません。初めこそ不満はありましたが、私は……今はあなたの部下として働けることに誇りを持っていますから」 今度はユリシスが絶句する番だった。 なぜ部下としてのイリスでは満足できないのかと欲深い自身を呪う。 沈黙が数分続き、ユリシスはイリスから手を離し、深々と溜め息をついた。 「少し一人になりたい」 頷き、イリスは部屋を後にする。 残されたユリシスは力ない足取りで長椅子まで歩き、倒れ込むように腰を下ろす。 「それでも、私は――」 イリスの真摯な眼差しを思い出し、ユリシスは一人葛藤するのであった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |