シチュエーション
![]() 主に対面するのは初めてのこと。無礼のないようにと思えば思うほどに緊張は高まっていく。 跪いて頭を垂れ、ヴォルテールは緊張から息を飲む。 「へえ」 傍らに立つヴォルテールの父が話し終えると主となるべき青年は緩く波打つ髪を気だるげにかきあげた。 「それで、僕の護衛をしてくれるわけだ」 明らかに見下した目で青年はヴォルテールを見た。ヴォルテールの心を失望が覆う。 「この、どう見ても子どもにしか見えないか弱い少年が」 ゆったりと背もたれにもたれたまま、青年は腕を組んで嘲笑う。 「若。見かけで判断してはなりません。こう見えてそこらの大人には負けはしませんぞ」 父の反論に青年は鼻で笑う。 仕方がないのかもしれない。主となるべき青年は他人を信用がするのが嫌いなのだと父が言っていた。そして、信頼を得るのは難しいかもしれないがヴォルテールなら出来るはずだとも言ってくれた。 「お、おそれながら申し上げます」 ヴォルテールには父の期待に応える義務がある。父の期待に応え、主の信頼を得る――それは後継者としての責務だ。 「確かに私では父には及ばぬかもしれません。しかし――」 体は反射的に避けようとする。けれども、主への忠義が辛うじてヴォルテールをその場へ留まらせた。 「僕は発言を許した覚えはないし、顔を上げてかまわないとも言っていないよ」 ぽたりと髪を伝って滴が落ちる。青年は机に置かれた水差しの中身をヴォルテールへぶちまけたのだ。 「申し訳ございません」 じわりと涙がこみ上げるがヴォルテールは必死にそれを堪えた。 「僕がなんと言おうと君はきかないんだろうね」 「ええ。若には申し訳ありませぬが、私の主は若の父君。逆らえはしません」 「……そこの濡れた子犬は番犬くらいにはなるのかな」 青年が父に全幅の信頼を寄せているのはヴォルテールにもよくわかった。 「君が言うなら子犬の一匹くらい飼ってもいい。――但し、僕には絶対に逆らうな」 ヴォルテールは跪いて頭を垂れたままだ。 「いいね、子犬君。さあ、顔を上げてごらん」 しばらく迷い、ヴォルテールは意を決して顔を上げた。 明るい色の柔らかそうな髪と深い色の瞳。少し冷たそうではあるが、青年の容姿は彫刻のように美しく整っていた。 ぼんやりと青年を見上げ、ヴォルテールはその容姿に見惚れた。 「僕に忠誠を誓うことを許可してあげるよ」 くるりと椅子ごと青年がヴォルテールへ体を向ける。 目の前に靴を差し出され、ヴォルテールは意味が分からず困惑する。それを見た青年は不快げに眉をひそめた。 「一から躾てやらなきゃならないのか。面倒だな」 靴の爪先がヴォルテールの額をこつんと小突く。 「申し訳ありません」 よくわからないなりに主の機嫌を損ねたことにだけは気づき、ヴォルテールはうなだれる。 「まあいい。僕の身辺警護をするのは許してあげる。但し、その目障りな姿を必要以上に僕の前に晒さないでくれ」 ひらひらと手を振られ、ヴォルテールはまたしても首を傾げる。 助けを求めるように見上げた父は楽しそうでいて困ったような表情で傍観している。 「だから」 苛立たしげに青年は髪をかきあげ、ヴォルテールを睨みつけて舌打ちをした。 「いいかい。僕が呼びつけない限り、僕の前にその間抜け面を晒すなと言ってるんだよ。今すぐ、僕の前から消えてくれ。濡れた顔して、目障りなんだ」 自分が水をかけたことを棚上げして怒り出す青年を理不尽に思うよりも、ヴォルテールは青年の意図を理解できない自分自身に失望する。このままではいつまで経っても父の期待に応えられそうにない。 とりあえずと部屋から出たヴォルテールは青年の目に触れぬように護衛をするための作戦を唸りながら考え出すのであった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |