王都騎士団【感謝の気持ち】(非エロ)
シチュエーション


王都騎士団赤河隊は、重装備兵を主力とするため、古くから女性騎士の入隊は禁止されていた。
実際、男性騎士の間でも、大人一人分の重さの装備で行軍出来る者は、限られている。

だがしかし、赤河隊が見習い騎士達に敬遠されているかと言うと、そうでもない。
精鋭部隊である黒旗隊に次いで、志願者が多いのは、華やかな場面に出る事が多いからとも言えよう。

それはさておき。
赤河隊内部で、一番の不満を挙げるとすれば、やはり、男ばかりのむさ苦しい隊、と言った声だろう。
付属養成学校は男女混合。他の隊も、多少割合は違えども、女性騎士が所属している。
気を使わなくて良い反面、華が無いと言うのも困った物である。

特に兵卒は、棟の掃除から下着の洗濯まで、担当を決め割り振られている。食事だけは騎士団棟の一角にある食堂で賄われるが、それ以外は全て、自分達でこなさなくてはならない。
これはどの隊にも当てはまるのだが、側遣えの侍女を持てるのは、私室を当てがわれる副隊長補佐以上の者のみである。



そして。



「本日よりお世話を申しつかりました。ミラルド・カッツェと申します。よろしくお願い致します」

シルヴァリア・ハリスが、赤河隊副隊長に就任した時、挨拶に現れた侍女を前にして、うろたえる余り執務机に膝をぶつけたのも、有名な話である。

シルヴァリアは当時二十八歳。
十八歳で赤河隊に入隊してからと言うもの、家族や親戚以外で女性と話した事は皆無に等しい。
その家族も、母親や年老いた乳母以外に女性はなく、はっきり言えば女性に免疫がないのである。

しかし、そんな事はミラルドの知るところではない。

彼女は仕事熱心で良く働いた。
細かい所まで気がつくし、常に笑顔を絶やさない。
シルヴァリアが、長期に渡る演習から戻って来た時などは、どんなに夜が遅くても出迎えるほどに、ミラルドの働きぶりには目を奪われる物があった。

そのお陰か、半年もすれば、シルヴァリアも、ミラルドに対しては打ち解けられるようになっていた。
さほど変わらない、二十七歳という、彼女の年齢のお陰もあったのかも知れない。



そんなある日。

三年前から付属養成学校の講師としても働くシルヴァリアは、今年黒旗隊に入隊したばかりのデュラハム・ライクリィを連れ、城下街へと出ていた。
シルヴァリアにとってデュラハムは、教え子と言うよりも年の離れた弟のような存在だった。
事実、デュラハムはシルヴァリアよりも十四歳年下で、講師に就任した最初の一年を、養成学校のルームメイトとして過ごした事もあり、他の生徒達とは違ってプライベートな付き合いも多い。
この日も、デュラハムの入隊祝いと称して、久々に二人で食事でもしようということになったのだ。
言い出しっぺがデュラハムなのは、今更言う間でもない。

冬の空気は冷たいが、穏やかに晴れているからか、さほど寒さを感じない。
先を歩くデュラハムの後に続きながら、シルヴァリアは賑やかな城下に目を細めた。

ここ数日、新しく赤河隊に入隊が決定した見習い騎士達の世話で、城下に降りる暇もなかった。
デュラハムに誘われなければ、暫くは執務室に篭りっぱなしになっていただろう。

「見ろよ、シルヴァ」

まだあどけなさを残すデュラハムは、立ち並ぶ露店の一角を指差す。
新年を間近に控えた街は着飾り、一風変わった品物も多く並んでいた。
デュラハムが示したのも、その中の一つ。王国内では出土の少ない銀を扱う店であった。

「ほう…銀細工か」
「帝国製だってよ。……格好良いなぁ」

細やかな細工のナイフは、革の鞘と共に置かれ、目の玉が飛び出る程ではないにしろ、相応の値がつけられている。
柄の部分にも装飾が施されていたが、店の主人に断りを入れ、手に取ってみると、しっくりと馴染む。
単なる装飾品ではなく、実用的に作られている辺り、軍国の異名を取る帝国製と言うのも頷ける。

「俺も俺もっ」
「振り回すなよ」
「しねぇよ!」

せがむデュラハムにナイフを渡し、シルヴァリアは他の商品にも目を向けた。
帝国から流れて来た物以外にも、様々な銀で作られた品がある。
ふと、その中の一つに目を奪われたシルヴァリアは、引き寄せられるようにしてそれを手に取った。

デイジーを象った髪留め。

掌サイズだが、その装飾は見事な物で、比例して他の髪留めよりもやや値が張る。

「どうした、シルヴァ?」
「ん? あ、いや」

ナイフを戻し、他に面白い物はないかと物色していたデュラハムに、不意に声を掛けられ我に返る。
手にしていた髪留めにデュラハムの視線が向けられたが、シルヴァリアは平静を装って、髪留めを元の位置に戻した。

「あれ、買わねぇの?」
「……買わん」

ニヤニヤと悪戯小僧のように自分を見上げるデュラハムに、軽い睨みを利かせてみる。
もっとも、その程度でデュラハムの表情が変わる筈もなく、デュラハムは髪留めとシルヴァリアを交互に見ると、芝居掛った仕草で頭を左右に振った。

「俺の事は気にしなくて構わねぇのに」
「誰がお前の事など気にするか」
「あれ? 彼女にプレゼントじゃねぇの?」

冷たく言い放つと、今度は不思議そうに此方を見る。
シルヴァリアは小さな溜め息を吐くと、店の主に「邪魔をしたな」と声を掛け、デュラハムを置いたまま歩き出した。

「ちょ、待てよ、シルヴァ!」

慌てて後を追って来るデュラハムが隣に並ぶ。
頭一つ分は背の低い少年を一瞥し、シルヴァリアはフンと鼻を鳴らした。

「何だよ。シルヴァ、彼女いねぇの?」
「俺に女がいなくて悪いか」
「や、悪かねぇけどさ」

態と突き放した物言いで返すと、デュラハムは少し決まりが悪そうに口篭った。

「だったら……何で、髪留めなんか見てたんだよ」
「別に。他意はない」
「……ふぅん」

本気で機嫌を損ねたとでも思ったか、それ以上デュラハムが口を開く様子はない。
大人気ないかと内心反省しながらも、シルヴァリアは、暫く無言を貫いた。

とは言え、その程度で居心地の悪くなる二人ではない。
二年前までは日常茶飯事の遣り取り。
食事を始める頃にはもう、二人はいつものように他愛ない雑談を交すようになっていた。

シルヴァリアが執務室に戻ると、暫くして扉がノックされた。

「どうぞ」
「失礼致します」

涼やかな声が聞え扉が開かれる。
いつもならエプロンドレスを身に付けているミラルドが、私服姿で姿を現した。

「どうかしたのか」
「お戻りになるのをお待ちしておりました」

問掛けに、ミラルドはにっこりと笑う。
意図する事が分からず、不思議そうな表情を浮かべるシルヴァリアに、笑み顔のミラルドは小さく頭を下げると、顔を上げた。

「暫くのお暇を頂きましたので、発つ前にご挨拶をと思いまして」
「あぁ、今日だったのか」
「はい」

間もなく新年を迎える。
新しい年を王都で迎える者も少なくないが、側遣えの者の大半は、故郷に戻る。
ミラルドもその中の一人で、シルヴァリアも以前から話は聞いていた。

「わざわざ私を待たなくても構わなかったのに」
「いえ」

素直な想いを口にすると、ミラルドは口許を綻ばせ、からかい混じりに目を細めた。

「私が居ない間、お部屋を汚されては敵いませんもの。留意して頂かないと」

その言葉に、シルヴァリアは一瞬目を丸くしたが、直ぐに笑いを溢すと、クツクツと肩を震わせながら席を立った。

「そう心配するな。その手の事であなたを煩わせた事はないだろう?」
「そう言えば、そうでしたね」

くすくすと笑うミラルドの髪は豊かな黒髪。いつもはネットに収まっているそれは、今日ばかりは下ろされて、ミラルドが笑う度に柔らかに揺れた。

「それでは、私はそろそろ」
「ああ。気を付けて行けよ」
「はい。ハリス様もお風邪など召されませぬよう」

浅く会釈を残したミラルドが部屋を出る。
背後の窓から差し込む、冬の日差しに黒髪が輝き、シルヴァリアは、暫しそれに見惚れていたが、ミラルドの姿が見えなくなると、小さな溜め息を吐いて、また執務に戻る事にした。




何度も言うが、赤河隊は女性と接する機会が少ない。
こと、シルヴァリアに於いては、実直な性格も関係してか、女性関係には人一倍縁が無かった。

だからこそ。
ミラルドに対する己の感情に、気付かなかったとも言える。

少なくとも、この時までは。


王都内にある生家で新年を迎えた翌日、シルヴァリアは早々に、騎士団の己の執務室に戻ってきた。
名家の出とは言え、シルヴァリアは分家の身。更に言えば、騎士団に入隊した時から、一切の煩わしい関わりを断っていた。

閑散とした、人気のない棟はいつもと違うが、執務に没頭してしまえば気にならない。
そうやって、二刻ほどの間、春先の合同演習に向けて、書類と睨めっこをしていたシルヴァリアだったが。

ふとした拍子に感じた違和感に、ペンを走らせる手を止めた。

大した事のない違和感だが、やけに胸の内に引っ掛かる。
小さな棘のような違和感は、やがて徐々に大きくなって、その時になって初めて、シルヴァリアは喉が乾いている己に気が付いた。

「あぁ……そうか」

気付いてしまえば何の事はない。
いつもは喉が乾く前に、ミラルドがお茶の支度をしてくれていたのだ。
ただ、それだけ。

シルヴァリアは席を立つと、給仕室へと足を向けた。
今は副隊長補佐のデール・ギブソンも休暇をとっている。お茶を煎れるぐらいは自分でするしかない。

「そうか……彼女がいないと、こうも不便なんだな」

フと溢れた笑みは、僅かに苦い物が混じってはいたが、それ以上にミラルドの有り難みを感じていた。

シルヴァリアは、ミラルドが煎れたお茶を拒んだ事はない。
それどころか、彼女にお茶を煎れるよう指示した記憶もない。

今まで気にした事がなかったが、思い返せば、ミラルドは常にシルヴァリアの望むタイミングでお茶の支度をしてくれていた。
いくら職務に忠実とは言え、多忙な自分を相手に、そうそう都合良くお茶の支度など、直接の部下であるデールにも出来るかどうか。

「絶対無理だな」

そう思えば思うほど、ミラルドがいかに自分を気に掛けてくれていたのかが分かる。
こんな些細な事だからこそ、それが良く分かってしまうのだ。
例えそれがミラルドの職務だとしても、彼女以上に自分を気遣ってくれている人間もいないだろう。

「……何か、礼をするべきかも知れんな」

給仕室の前に立ち、ぽつりと呟いたシルヴァリアは、ふいに顔を上げると、足早に今来た道を戻り始めた。

執務室の扉がノックされ、シルヴァリアは返事と共に顔を上げた。

「どうぞ」
「失礼致します」

予想通りの相手の声に、シルヴァリアは軽い咳払いをして、慌てて机の引き出しに手をやった。
扉を開けて入ってきたのは、簡素な服装のミラルドである。

「新年おめでとうございます、ハリス様。本年も引き続きよろしくお願い致します」
「あぁ、こちらこそ」

見慣れたエプロンドレスを身に付けていると言う事は、今日からミラルドも仕事に戻るのだろう。

シルヴァリアから遅れる事三日だが、まだ新年休暇を得た者達の殆んどは戻っていない。
ミラルドは比較的早い方と言える。

「生家はどうだった」
「お陰様で、みな健勝でした。両親も兄も、皆様に宜しくとのことです」
「それは何より」
「ハリス様もお代わり無くて何よりです」
「む……そ、そうか」

他愛ない話をしている間も、シルヴァリアの手は、引き出しの取っ手を握ったり話したり。
中に入っている物を渡すだけだと言うのに、いまいちタイミングが計れない。

「いつ、こちらにお戻りに?」
「二日に」
「まぁ、そんなに早く」
「色々と、執務があるのでな」


半分上の空で口を開くシルヴァリアだが、ミラルドは気にした様子もなく、それどころか執務が忙しいと思ったのだろう。
歯切れの悪いシルヴァリアの口調に、邪魔をしてはいけないとばかりに、「それでは……」と頭を下げて出て行こうとする。

その姿を目にした瞬間、シルヴァリアはガバと引き出しを開いた。

「ま、待て。カッツェ!」
「……はい?」

勢いはそのまま大声となり、ミラルドはびっくりしたのか、目を丸くして振り返った。

「その……ちょっと、待ってくれ」
「は……はい」

無性に緊張するのは何故なのか。
その理由すら考えられないシルヴァリアだったが、決意を固めたのは二日も前の話。
ここで後には引けない。
むしろ先に伸ばす方が、精神衛生上、良くないに違いない。

「その……あなたに、言わなくてはならない事が……」
「……はい」

くるりと向き直ったミラルドは、不思議そうに目をぱちくり。
シルヴァリアは大きく一つ深呼吸をすると、紙包みを掴んで立ち上がった。

「あなたが俺に仕えるようになって半年だが……その……俺は、今までそれが当然の事のように受け止めていた」
「それは当然のことですから」
「いや、違うんだ」

机を迂回し、ミラルドの前に立つ。
ミラルドはやはり不思議そうに口を開いたが、シルヴァリアは首を左右に振って、話の続きを始めた。

拳に固めた左手の中は、じんわりと汗ばんでいて気持ちが悪い。

「当然と言えば、そうだが……俺は感謝しているんだ。だが、それを、今まで口にした事がなかった。だから……少しでも、それを伝えたくて……」
「……はい」

もごもごと口篭った口調だが、ミラルドはシルヴァリアの言葉に笑みを浮かべる。
柔らかなその表情に、シルヴァリアは一瞬息を飲んだが、次の瞬間、ぐいと右手を彼女の前に差し出した。

「あの……?」
「嫌なら捨ててくれて構わん。だが、今は受け取って欲しい」

早口でそう告げたシルヴァリアは、押し付けるようにして、ミラルドに紙包みを手渡す。
ミラルドは戸惑ったように、紙包みとシルヴァリアを交互に見ていたが、やがて、そっと紙包みを広げた。

「これは──」

銀細工の髪留めは、デュラハムと共に出掛けた日に見付けた物である。
そもそも、女性に物を贈ったこともないのだ。
何が喜ばれるかなど、真剣に悩んだこともないし、この髪留めもたまたま見付けたに過ぎない。

もちろん、ミラルドはそんな事は知らないが、シルヴァリアはがりがりと頭を掻いて、ミラルドから視線を外した。

「あなたに似合うだろうと思って……。こんな形でしか、感謝の気持ちを表せないが、今までの礼だ」
「そんな……お気持ちだけで充分ですのに」

手の中の物を見つめたミラルドの声は、困惑の色が混じっている。
しかしシルヴァリアは、有無を言わせぬ口調で、矢継ぎ早に口を開いた。
ただし、視線は逸らしたままである。

「いや、それだと俺の気が済まないんだ。……あなたがいなくて、この三日、俺は不便で仕方なかった。こんな物で礼の代わりにするのも、どうかと思ったんだが」
「…………」
「……受け取ってもらえるか?」

沈黙を続けるミラルドに、シルヴァリアは不安で仕方ない。

恐る恐る視線を移すと、ミラルドもゆっくりと視線を上げ、それからにっこりと微笑んだ。

「ありがとうございます、ハリス様」
「……え」
「大切にします。……本当に、嬉しいです」

両の手で包み込むようにして髪留めを握り締めたミラルドの言葉に、シルヴァリアは心底安堵して、深い深い溜め息を吐いた。

ミラルドは早速髪留めを付けると、指の先でそっとなぞる。
微笑みに満たされた表情は、彼女の言葉が嘘でない事を物語っていた。

「それにしても……」
「ん?」

ふと視線を戻したミラルドに、シルヴァリアは己の視線を交わらせる。
ミラルドは少し可笑しそうに笑いながら、口許を緩めた。

「ハリス様がご自分の事を「俺」とおっしゃる姿を、初めて見ました」
「え!? あ……」

悪戯に笑うミラルドに、そう言えば、と思い出す。

執務の時は常に「私」で通しており、「俺」はプライベートの時でしか使用しない。
何と無く身に付いた言い回しだったが、ミラルドには新鮮だったのだろう。

それだけ緊張していたのか、と、今更ながらシルヴァリアは恥ずかしくなったが、ミラルドは気にした様子も見せず、くすりと笑みを溢した。

「それでは、仕事に戻ります。お茶の用意をして来ますね」
「あ、あぁ……ありがとう」

一礼して立ち去るミラルドに、シルヴァリアは暫し呆けていたが。

緊張していたせいか、妙に喉が乾いている。
それをミラルドが察したかどうかは分からないが、相変わらずのタイミングだ。

「……敵わないな、彼女には」

苦い笑みを浮かべて呟いたシルヴァリアは、ゆるゆると首を振って席に戻る。
目を閉じると、先ほど一瞬だけ目に止まった、黒髪に栄える髪留めが瞼の裏に焼き付いていて。

シルヴァリアは、本日二度目の安堵の吐息を漏らした。






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