シチュエーション
仕事を持つ身でも、二十五を過ぎれば行き遅れ。三十を過ぎれば貰い手もない。そんな周囲の「常識」の中、ミラルドは二十八の誕生日を迎えた。 親兄弟はのんびりとしたもので、ミラルドが結婚しようがどうしようが、本人の好きにさせておけ、が基本スタンスだったし、ミラルド自身も、結婚なんて自分には縁がないと思っていた。 しかし、周囲はそう思わなかったようで。 王都騎士団侍女長の、サリー・ヘッグマンから、見合いの話を持ち出されたのは、誕生日の翌日だった。 「私が、ですか」 不意の話に目を丸くするミラルドの前で、サリーはにこにこと笑いながら頷いた。 「そうよ。ブランド子爵の末息子さんなんだけど、中々の好青年でね。少し年はいってるけど、ホラ、あなたもアレじゃない?」 中途半端に言葉を濁すサリーに、ミラルドは苦い笑みを浮かべる。 ──行き遅れって言いたいなら、言えば良いじゃないですか。 喉元まで出掛った言葉を、すんでの所で飲み込んで、ミラルドは曖昧な相槌を返した。 「はあ……」 「それにほら、あなたのお母様もトレバー男爵家のお家柄でしょう? 決して釣り合わない話じゃあないと思うの」 「ええ……」 「会うだけでも会ってみてはどうかしら。悪い話じゃないわよ」 「まあ……」 正直、あまり乗り気ではなかったが、不幸なことに断る理由が思い付かない。 なにより、サリーの押しの強さは侍女達の間でも有名なところ。 ミラルドは歯切れの悪い、曖昧な相槌を返しながら、ふと、彼に話せばどうなるだろうかと考えた。 それを実行したのは、もう夕方から夜へと、空が色を変えた時刻だった。 王都騎士団・赤河隊副隊長は、つい先程貴族評議会の議会室から戻って来たばかりで、疲れた様子で持ち帰った資料を執務机に置いた。 「お帰りなさいませ」 「あぁ、ただいま」 微かに笑みは浮かべているが、シルヴァリアの顔に疲労の色は濃い。 ここ数ヶ月、隣国から流れて来る難民が後を断たない。 元々、さほど豊かではない国だったが、今年は近年稀にみる不作の年で、その影響が出ているからだろう。 それだけならば良いのだが、流れてきた難民達は、各所で混乱を招く原因になっていると言う。 王族評議会でも、難民の処置をどうするかが議論の対象になっており、その下の貴族評議会では特に、隣国に近い貴族達から苦情が寄せられているのだと、ミラルドも人伝に聞いたことがある。 基本は王都を守護する騎士団だが、王国内のあちこちに支部もあり、貴族達の私設騎士団とも繋がりがある。 今回の件は、その私設騎士団と、遊撃隊である黄鐘隊で混乱を収める方向に働くことになるようだったが、その一部に赤河隊が同行する事になったらしい。 ミラルドは用意していたお茶を置くと、じっとシルヴァリアの様子を伺った。 いつも穏やかなシルヴァリアだが、評議会から戻った時は、決まって疲れたように口を開かない。 実際、頭脳労働は得意でも好きではない性格らしく、長期遠征から戻った時の方が、彼は口数が多かった。 「ハリス様」 「ん?」 ミラルドの視線に気付いたシルヴァリアが、資料から目を外して顔を上げた。 「……お疲れのようですね」 「まぁな。だが、王都に混乱を招く前に、事態を緩和させるのが俺達の仕事だ。愚痴を溢している暇はないさ」 フと浮かべた笑み顔に、ミラルドは少し眉尻を下げる。 今年の初め、ミラルドが生家から戻って以降、シルヴァリアはミラルドの前では、仕事の顔を見せることが少なくなった。 いつもなら「私」と自身を呼んでいるが、二人きりの時は「俺」と言葉を崩すのが、その際たる証だろう。 その事が、ミラルドの中で変化をもたらしていた。 だからこそ、聞いてしまったのかも知れないが。 「あの、ハリス様」 「何だ?」 「……もしもの話ですが」 そう前置きするミラルドに、シルヴァリアは不思議そうな眼差しを向ける。 いくら距離が近くなったとは言え、気軽に雑談を交すほど、二人は親しい間柄ではない。 どちらかと言えば、シルヴァリアとの距離は、付属養成学校の生徒達の方が近いだろう、と、ミラルドも感じている。 だが、聞かずにはいられない。 「もしも、私がお暇を頂く事になれば……ハリス様はお困りになられますか?」 なるべく婉曲に。言葉の真意を悟られぬよう、ミラルドが尋ねる。 問われたシルヴァリアは、少しばかり眉を顰めたが、すぐに笑みを浮かべると、残っていたお茶を飲み干した。 「それは今すぐ、と言う話なのか?」 「いえ。仮に、の話ですが──」 「正直に言えば、困るな」 問い返され、やや口篭ったミラルドに、やはり笑みを向けたままのシルヴァリアは、きっぱりと言い切った。 「美味いお茶が飲めなくなるし、何より俺の仕事が一つ増える」 「と……言いますと?」 「お茶が飲みたいと、わざわざ侍女に言いつけなければならないだろう?」 茶目っ気混じりに笑うシルヴァリアが、軽くカップを持ち上げる。 その様子に、ミラルドはくすりと笑いを漏らして、ティーポットを手に取った。 「なるほど。私は専属のお茶係な訳ですね」 「もちろん、それだけではないがな」 とぽとぽと掲げられたカップにお茶を満たす。 侍女の仕事は数多いが、仕える相手に負担を掛けてはならないのが鉄則。 ミラルドは意識的に行っていた訳ではないが、今までにも何度か、お茶の煎れ方とタイミングをシルヴァリアに褒められた事がある。 その点だけで言うならば、お茶のために呼び付けられることのないミラルドは、他の侍女達に比べて有能とも言える。 「あなたは良く気が付くし、仕事も早い。何より、俺の気付かぬ部分で、想像以上に支えられていると感じている。俺にとっては、大事な人だよ」 シルヴァリアは何気無く言ったつもりだろう。 しかし、その言葉を聞いた瞬間、ミラルドは、つくり、と、胸の内に何かが刺さったのを感じた。 それは決して嫌な物ではなかったが、何故だか無性に気になってしまう。 動揺、と呼んでも良いかも知れない。 その動揺を悟られぬよう、ミラルドはお盆にポットを戻すと、微かな笑みを取り繕った。 「それでは、私はお暇を頂けませんね」 「無理にとは言わんよ。あなたにもあなたの事情があるだろう。どうしてもと言うなら、俺は止めん」 「そう……ですか」 「何か切っ羽詰まった事情でもあるのか?」 「……いえ」 二杯目のお茶を飲みながら、シルヴァリアは穏やかに笑う。 その様子に、ミラルドは益々動揺を激しくした。 否。それは確かに動揺ではあるのだが、明らかにさっきとは種類が違う。 妙な苛立ちが胸の奥深くに湧き起こり、さっき刺さったばかりの何かを、ぐりぐりとえぐり出そうとしているのを感じる。 心地良かった筈なのに、苛立ちがそれを消そうとしているのに気付いて、ミラルドは思わず眉をしかめた。 「それでは、ハリス様は、私がお暇を頂いてもよろしいのですか?」 言葉に知らず棘が含まれる。 そう気付いた時には、既に言葉は口から溢れ、シルヴァリアまで届いてしまっていた。 シルヴァリアはと言うと、不意に不機嫌そうな口調で問われ、不思議そうに目を見開いている。 呆けたようなシルヴァリアの顔を見ているうちに、ミラルドは段々と苛立ちを募らせる。 何故、そんなに腹が立つのか、自分でも良く分からなかったが、抑えの利かない苛立ちは、ミラルドから冷静さを奪っていた。 「もしかしたら、結婚するかも知れないんです。私」 きっぱりと、今までにない強さで告げると、シルヴァリアの目は益々開かれて、ミラルドを凝視した。 「ですから、こうしてお茶を煎れられなくなるかも知れません」 「それは……いつ……」 「さぁ。早ければ来月にでも」 適当なことを言っている。 だが、ここまで来て引くことは出来ない。 冷静さを欠いたミラルドは、お盆を手にすると、深々と頭を下げた。 「執務のお邪魔をしてしまい、申し訳ありません。失礼します」 固く強張った表情を見られぬよう、顔を上げると背中を向けて扉へと向かう。 悔しい。 何故かその一言が、胸の内を掠めて行ったが、ミラルドは足を止めようとはせず、扉に手を掛けた。 だが、 「待て、ミラルド!」 不意に強い口調で呼び止められ、次の瞬間、ミラルドの耳に、ガラスが割れるような音が届いた。 その音よりも、初めて名前を呼ばれた事に驚いたミラルドが足を止めると、今度は強引に肩を掴まれた。 「な……」 「あぁ、くそっ!」 驚きで目を白黒させたミラルドの耳に、焦ったような呟きが届く。 が、それを理解するよりも早く、ミラルドは何か暖かな物に包まれるのを感じた。 ミラルドを抱んだのは、シルヴァリアの大きな体だった。 二人の間に挟まれたお盆が床に落ち、僅かな飛沫と陶器の破片が床に散る。 だが二人は、それに気を回す余裕も無く、シルヴァリアは固くミラルドを抱き締め、ミラルドは何が起こったのか分からず、されるがままになっていた。 「それならそうと、早く言ってくれ」 「な……にが」 「あなたが結婚なんかしたら、俺は困る」 頭上から振る声は、今までに聞いた事がないほどに、悲痛の色が濃い。 懇願にも似た声で紡ぎながら、シルヴァリアの腕に力が込められ、ミラルドは息苦しさを感じた。 「副団長の立場なら、俺は止めん。だが、一人の男としてなら、話は別だ」 「ハリス様……苦しい」 「……あぁ、すまん」 何かとんでもない事を言われたような気もするが、取り合えず息苦しさを何とかしようと、ミラルドはシルヴァリアの胸許に手を掛ける。 それに気付いたシルヴァリアは、少し腕の力を緩めたが、ミラルドの体を離そうとはしなかった。 「あの……」 「本当に、結婚するつもりか?」 戸惑うミラルドだが、シルヴァリアは少し首を傾げて、ミラルドの顔を覗き込む。 ミラルドが顔を上げると、間近にあるシルヴァリアの灰色の瞳は、真っ直ぐにミラルドを捉えていた。 「……かも知れない、と」 「それは……困る」 途端、フとシルヴァリアの顔に苦笑が浮かぶ。 その時になって、ようやく冷静さを取り戻したミラルドは、事の次第に頬を赤く染めてうつむいたが、シルヴァリアもそれ以上に顔を赤くして、唇を噛み締めた。 「自分でも呆れる話なんだがな、ミラルド」 「……はい」 「俺はどうやら、俺が考えていた以上に、あなたを必要としているらしい」 「と、言いますと……」 「どう言えば良いのか分からないが……」 さっきまでの勢いは何処へやら。視線をさ迷わせ、シルヴァリアは口の中でもごもごと何事かを呟く。 しかし、その声は酷く篭っていて、ミラルドの耳に届いても、言葉までは分からない。 はっきりしない態度に、ミラルドは訝しげな面持ちで、シルヴァリアを見上げた。 「ハリス様?」 「あぁ、いや……その……」 言い淀む様は、到底、戦斧の似合う重装備兵とは思えない。 立ち居振る舞いは謙虚で礼儀正しいが、その容貌は武骨で大きな岩山を想像させる。 そんなシルヴァリアが、少年のように顔を真っ赤にしているのを見て、ミラルドは思わず笑いそうになった。 だが、 「ミラルド」 意を決めたかのように、シルヴァリアが表情を固くする。 真摯な眼差しに、溢れそうになった笑いは引っ込められて、ミラルドは息を飲んだ。 「俺は、あなたに恋している」 「……え」 「だから、あなたが他の男の物になるのが許せない。あなたの幸せを願う事も、俺には出来ない」 強い眼差しと強い口調。 それを受けたミラルドの胸の奥を、何か大きな物が突き刺さった。 「……こんな事を言われて、あなたは迷惑だろうが」 目を伏せたシルヴァリアが、抱き締めた腕の力を強くする。 しかし、先程のような性急さはなく、むしろ優しく包み込まれるような抱擁に、ミラルドは自分の両腕をシルヴァリアの背に回した。 突き刺さった何かはじわじわと溶け、酷く暖かな物が胸の内に広がっていく。 身体中の細胞一つ一つが、その暖かな物に歓喜の声を上げている。 その声に従って、ミラルドは両の手に力を込めた。 迷惑などではない。 それどころか、慕う相手に想われていた事実は、ミラルドにとって喜び以外の何物でもない。 薄ぼんやりと自覚はしていたのだ。 シルヴァリアの為に働ける事が喜びだと、そう想った時から。 「ハリス様」 「……」 「私は、貴方を愛しています」 シルヴァリアの胸に顔を埋め、それでもしっかりと言葉を紡ぐ。 「迷惑だなんて、思いません。貴方が幸せになれるのなら、私は何でも捧げられます」 「……ミラルド」 頭上で深い吐息が漏れる。 少し顔を上げたミラルドは、戸惑いを隠せないシルヴァリアの表情を目にすると、にっこりと笑って見せた。 「だから、安心して下さい。私が結婚すればハリス様が幸せになれないと言うなら、私は一生独身で構いません」 自分と同じ物がシルヴァリアにも突き刺されば良い。 そう想いながら告げた言葉に、シルヴァリアは一瞬言葉を失ったが。 「……ありがとう」 やがて穏やかに目を細め、そっとミラルドの額に口付けた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |