二組の”大佐と副官”(非エロ)
シチュエーション


副官の机にうず高く積まれた書類の山がユラユラと揺れ始め、あっという間に
崩れ落ちていく様を、この部屋の主は「またか」といった表情で見つめていた。
部屋の主の襟元には六つの星が並ぶ階級章が輝いている。王立軍の階級章は一つ星で
少尉、二つ星で中尉と言った具合に階級が上がる毎に星が増えていく。六つ星は現場の
トップである大佐を意味している。
書類が散らかった床の真ん中にしゃがみ込み、オロオロとしている小柄な女性の襟元の
階級章は星一つの少尉のものである。
暫くして落ち着きを取り戻した女性は、薄桃色のセミロングの髪を揺らしながら書類が
散乱する床に這い蹲った。そして、無数の紙の束を大慌てでかき分け何かを探し始めた。
そのかき分け方が尋常でなく、その場を余計に散らかすことなっていたが、彼女はお構いなし
だった──というよりも正直それどころではなかった。この紙の束に紛れ込んでしまった
本日の大事な会議資料を彼女は探していたのだ。
しかし、崩れた書類の山は膨大な量で、目当ての資料は簡単に見つかりそうもない。

「はあ」

──部屋の主が額に手を当てながらついた大きな溜め息に反応して、彼女は
伏せていた顔を上げた。
失態を恥じて彼女の細い秀麗な眉は”ハ”の字に引き下げられ、愛らしい円らな
ヴァイオレットの瞳はいつ泣き出してもおかしくないほどに潤みきっている。そして、
その桜色の可憐な唇を震わせながら、申し訳なさそうに頭を下げた。

「す、すみません、大佐。私、ま、またヘマを……」

”大佐”と呼ばれたこの部屋の主は黒髪の細身の男性である。歳の頃は二十代後半。
印象的な鋭い銀の瞳を持ち、鼻梁は彫像のように高くその下の薄い唇は固く引き結ばれている。
理知的で凛々しい印象を受けるその容姿から、彼が多くの女性の衆目を引いていることは
容易に想像できる。
額に掛かった前髪をかき上げヤレヤレといった様子で首を二度三度振ると、その男は
ゆっくりと革椅子から立ち上がった。

「こうしていては会議に遅れる。書類は後で構わないから行くぞ」
「で、でも……その会議に必要な書類じゃ……」

今にも消え入りそうな声で、桃色の髪の女性は男の顔色を伺いながら恐る恐る発言した。
今にも泣き出しそうに歪められた顔立ちは実際の年齢よりも彼女を幼く見せる。

「気にするな、イルマ。一通り目は通し、中身は覚えている」

長身痩躯の男は散らかった書類の束を避けて、マントを翻し部屋を出ていった。

「た、大佐ぁ!待ってくださいぃぃ!」

イルマは自分の机に置いてあった革の手帳、羽ペンとインク瓶を抱きかかえるようにして
上官の後を慌てて追いかける。

──スヴェン大佐、怒っていらっしゃるのだろうか。そうだよね、だってとても大事な書類で
昨日もお持ち帰りになって夜遅くまで内容を頭に叩き込んでいたって、仰っていたのに……
私ったら。
彼女は上官の三歩後ろを歩きながら、いつまで経っても治らない自分の不注意を呪った。
イルマとドジは昔から同義語であり、士官学校時代から同窓生には散々からかわれていた。
目の前を歩く大佐の副官に任官されてからも、ミス、ヘマが減ることはまるでなかった。
冷淡な鉄面皮として彼女の上官は知られていてから、イルマはいつクビになってもおかしくないと
ビクビクしていた。

しかし、歳が十以上──正確には男が二十八歳で、イルマが十七歳なので十一歳も違う
ためか、呆れられることはあっても怒られることは滅多になかった。それでも上官にいつまでも
甘えていてはいけない、とイルマは毎朝出勤前に心に誓うが、就寝前にはやはり間の抜けた
自分を呪う日々が続いている。

──大佐……ごめんなさい。
途端に前を歩いていた男が立ち止まる。ぶつかりそうになりながらもイルマも何とか踏み
とどまった。申し訳なくて、イルマは振り向いた上官と目を合わせられない。

「イルマ、そう落ち込むな。あの資料が無くとも何とでもなる」
「ど、ど、どうして……私が落ち込んでいるとお分かりなるのですか?ま、魔術ですか?」

ちなみにイルマの上官は若いながらも優秀な魔導師で王立軍の中でも、一目置かれて
いる存在である。一般的に魔導師は知識と魔術の探求に一生を捧げ、人との係わり合いを
好まない。人里離れた場所に塔を建て研究に没頭する魔導師のイメージはあながち的外れ
ではない。しかし、何事にも例外はあるもので習得した魔術を用い、人の世で生きる魔導師も
少なからずいる。

「……それだけシュンとしていれば魔術など使わずとも誰でも分かると思うが」
「すいませんでした。スヴェン大佐」
「気にするな、と言った。これは上官命令だ」

到って真面目な口調で、スヴェンと呼ばれた男は応えた。

「はい……」

許しを得たことで安堵したのか、イルマの声のトーンが心なし上がる。その返事を聞いた
スヴェンは再び前方を向いて、会議室へと歩き出した。

◆◇◆

昼食を挟んだ長い会議が終り、執務室へ戻る途中のスヴェンは終始ウンザリした顔だった。
魔導師らしく合理性に欠けることを好まない彼は、長々とした意味の無い会議が大嫌いだった。
書類などなくとも自分の報告を完璧に済ませると、スヴェンは目を瞑り飛び交う無味乾燥な
議論に無視を決め込んでいた。

「まったく無駄な時間だった。あんなことをわざわざ仰々しい会議など開いて決める必要が
どこにあったと思う?」

額にかかった髪をかき上げたスヴェンは同意を求めるかのようにイルマをその銀色の瞳で
見つめた。その銀の目は戦場においては猛禽類の如き鋭い眼光を放つことから、”鷹の目”と
揶揄されている。

「そ、そんな私は……その……」

──大佐の意見には同意したいけど……あれは執政官様が開かれた会議だから、
「つまらない」なんて言うと失礼だし……でも大佐が同意を求めているのだから……いやいや、
どこで誰が聞いているか分からないのだからやはり、「つまらない」などと言ってはいけないわ……。
まごまごと答えに窮するイルマを見限ったのか、スヴェンは彼女から視線を外し黙って
自分の執務室に向って歩き出した。

──ああ、また私は大佐に嫌われてしまった。
イルマは肩を落とし、スヴェンの三歩後ろを項垂れながらオズオズと部屋へ戻った。
部屋に戻ったイルマの最初の仕事は、床一面に散らかった書類の片付けであった。
彼女がそれに取り掛かっている間、スヴェンはオーク材で作られた横長の執務机に
頬杖をつき、うららかな陽気の中で瞼を閉じ考えにふけっていた。
床の片付けを終えたイルマは入り口に近い自分の机に座り、気取られないようそっと
スヴェンの顔を遠目に眺めていた。滅多に表情を崩さないスヴェンだが、午後のひと時、
黙考に耽っている間だけは穏やかな顔つきになる。イルマにとっては上官のその顔を
覗き見るのが、密かな楽しみであった。

──大佐のああいう顔を見れるのは、この部屋にいる私だけ……。
だが、至福の時間はそうそう長く続かない。スヴェンが目を開けてしまったのだ。
その瞬間、イルマはすぐさま顔を伏せ、机の上の書類を読んでいるフリをする。スヴェンに
気づかれていないだろうかという心配から、小ぶりな膨らみの下に収められた心臓は
バクバクと大きな音を立て、全身の血が沸騰したのかと思うぐらいに熱くなる。

「イルマ」

声を掛けられたイルマは思わずビクリと全身を震わせて、スヴェンに顔を向ける。
その様子はまるで油が切れたブリキの人形のようにぎこちない。

「な、何でしょう?」

──お、お顔を盗み見ていたこと……き、気づかれていませんように……。

「さっきの会議の議事録を一応読んでおくから、貸してくれ」
「はい……えっと……この辺りに……えっ、あれっ?」

議場で速記を取っていた紙が見当たらない。

──確か、このバインダーに挟んだはずなのに……ない、ない、ない!!
慌てたイルマは机の上の書類の束をひっくり返し、引き出しの中、書架の中、あげくの
果てに制服のポケットまで探り始めた。

「イルマ、幾らなんでもポケットには収まらんだろう?」

スヴェンの呆れ声がイルマの胸にグサリと突き刺った。真っ当に考えれば確かに
そんなところにあるはずなかった。

「は、は、はい。すいません」

──ダメだぁ、またやってしまったわ……どうしよう……。
本日何度目か数えることもできないヘマを後悔しながら、自分自身にほとほと嫌気が
さしたイルマの曇った視界には、滲んでぼやけたスヴェンの顔が映っていた。

「……ごめんなさい」

しかし、スヴェンには別段咎める様子はない。彼からしてみれば、何時であろうとイルマの
ミスは織り込み済みなのだ。

「まあいい。アユタナの所に借りにでも行って来くれば良い」

スヴェンが親しいラインベルガ=スニードの副官を務めるアユタナは、同性ですら
羨やまずにはいられない類稀な美貌に、煩雑な副官の仕事を事も無げにこなす能力を
兼ね備える完全無欠の才女として軍の中でも評判が高い。イルマにとってもまさに
憧れの存在であり、上官同士が仲が良いことから困った時にはいつも助けてもらっている。

少し間を置いて、スヴェンが珍しく和らいだ声で切り出した。

「議事録は後で構わないから、コーヒーを淹れてくれないか?」

その言葉を聞くなり塞ぎこんでいたイルマの顔がみるみる喜色の色を帯び、明るく
生き生きとした表情へと変わる。

「あっ……はい!」

スヴェンの前ではヘマばかりのイルマでも、褒められたことの一つや二つぐらい
あるものだ。勿論多くはないが、その代表格がコーヒーを淹れることだった。特別なことは
していない、と言うよりもできないが、イルマの淹れたコーヒーを必ずスヴェンは「美味しい」と
褒める。だから、イルマも嬉しくて上官が「コーヒーが飲みたい」と言い出すのをいつも
心待ちにしていた。

「美味しいの、淹れますね」

満面の笑みで応えたイルマの様子を見て、スヴェンは少しホッとしていた。

──イルマの場合は普通の味がするだけでも充分、褒めるに値する……部下の機嫌を
取るのもなかなか一苦労だ。

込み上げてくる苦笑を必死に噛み殺す。

「ああ、頼む」

スヴェンは少し口元を緩めると、再び瞼を閉じて黙考に耽った。一方イルマは、はやる
気持ちを抑えながらいそいそとお湯を沸かし始めた。

◆◇◆

西日が差し込む軍本部の廊下にて、軍服がはち切れんばかりの筋骨隆々の大男とその
人物とは対照的な長身痩躯のスヴェン=ホークが立ち話をしていた。

「スヴェン、お前のところの副官はどうにかならんのか?」

太い眉が印象的な厳めしい顔つきのラインベルガ=スニードの階級章は、スヴェンと同じ
六つ星だ。三十代前半にして大佐に昇り詰めたものの、窮屈なデスクワークよりも
血風吹き荒ぶ戦場に身を投じる方を選んでしまう根っからの武人である。
獅子の鬣の如き赤髪と巌のような体躯で得物の大剣を振舞わすその姿は神話に登場する
軍神さながらであり、周辺国から”アルセリウスの獅子”と畏怖を込めて呼ばれている。また、
類まれな武勇に加え裏表のない性格で部下からの人望も厚い。

「先程もアユタナのところへ今日の議事録を借りに来たぞ。議事録ぐらいならばどうとでも
なるが、あのような様子では何時か大問題を引き起こすぞ」

イルマを副官にしてからというもの、ラインベルガのお小言は半年間毎日続いている。

──半年間も毎日欠かさずミスするのは大したものだが、イルマ本人はあれで到って真面
目なのだから可哀想というべきだろうな。
ラインベルガは決してイルマを悪く言うつもりなどない。純粋に心配しているからだと
いうことはスヴェンにも痛いほど分かるが、ほぼ毎日繰り返されていてはさすがに話半分
に聞き流してしまう。

「おい!聞いているのか、スヴェン!」
「そう言うな、ラインベルガ。あれはあれで良い所があるのだぞ」

スヴェンの言葉にラインベルガは太い眉を寄せ、怪訝な顔をする。

「もしかして……お前、あういう娘が好みなのか?」

突如、スヴェンの”鷹の目”が細まり途端に凄みが増す。その瞳に睨まれラインベルガは
全身に悪寒が走るのを覚えた。どうやらこの国きっての魔導師の虎の尾を踏んで
しまったらしい。

「誰がそんなことを言った?」

聞いたものを凍りつかせんばかりのスヴェンの威圧的な声が響く。剛毅でならす、さしもの
ラインベルガもたじろがざるをえない。

「いや、う、噂だ。あれだけ足を引っ張られてもお前がイルマを解任しないことを不思議
がっている下士官どもの間で流れている噂だ」
「それを真に受けたでもいうのか、ラインベルガ?」
「ゴ……ゴホン。その……あのだな……あくまで、可能性として質問しただけなのだ」
「お前ともあろうものがつまらん風説を口にするとは嘆かわしい。噂は軍紀を乱し、
戦場では敵につけ入るスキを与える。よもやお前ほどの男が知らぬはずがあるまい」

ピシリと言い放たれた正論に反駁の余地はまるでない。おまけにスヴェンの迫力から
推察するに、反論しようものならただではすまないことをラインベルガは本能的に悟った。

「あ、ああ。すまなかった」

彼が冷や汗を垂らしながら頷くと、スヴェンの瞳がいつもの色に変わった。

──まったく、イルマのことになるとこの男は人が変わる。それでいて、恋心でもあるのかと
探ってみると今のように本気で怒りかね出しかねない……魔導師という奴らは厄介な連中だ。
とはいえ、勘繰りを入れたラインベルガ自身がとびきりの朴念仁だったから、スヴェンが
僅かに見せた異質な気色に気がつくことはなかった。
冷や汗が引き始めた友人を横目に、スヴェンが一言呟いた。

「イルマの良い所はだな……」

ところが、イルマを褒めようとしたものの次が続かない。スヴェンの記憶の中のイルマは
ミスを犯して慌てている姿か、謝っている姿のどちらかだった。
興味津々な様子でそのスヴェンをラインベルガは凝視している。
暫く沈黙が続いた後、スヴェンがおもむろに口を開く。

「……コーヒーを美味く淹れる」
「コーヒー?」

ラインベルガは呆気に取られたが、スヴェンは到って真面目に頷く。

「ああ、悪いか?」
「…………いや」

──お前、コーヒーだけなら副官にバリスタでも雇え!!
と、叫びたいラインベルガであったが、命を天秤に掛けてまで口にすることはなかった。

◆◇◆

──まったく付き合いきれん。
そんな気持ちでラインベルガは自分の執務室に戻った。誰もいないと思っていた部屋の
ドアを開けると、副官のアユタナ=リーランドがまだ書類を整理していた。

「まだ、帰らんのか?」

ラインベルガの声に、見事なブロンドの髪をアップに纏めた美しい女性が顔を上げる。
銀色の細いフレームのメガネが良く似合う聡明な相貌は何だか嬉しそうに緩められている。

「後、少しで終わりますわ、大佐」

婉然と微笑を浮かべるアユタナはラインベルガと八歳違いの二十三歳である。文官、
武官を問わず幾人もの傑出した人材を輩出した由緒あるリーランド公爵家の子女だ。
若く家柄も良くおまけに美しい彼女が、何故むさくるしい平民出の自分の副官になど
志願してきたのか、ラインベルガにとっては未だに謎である。

「ゴホン……そうか、あまり無理はするなよ。根を詰めすぎると身体に毒だぞ」
「お気遣いありがとうございます。ところで、終わったら食事をご一緒して頂けませんか、
ベル?」

親しげに掛けられた「ベル」という愛称にラインベルガは慌てふためき仰け反ってしま
う。

「リ、リーランド中尉!!」

アユタナのいないところであれば、いくらでも彼女の名前を口にできる。しかし、面と
向うと、あがりにあがってしまい、彼女が任官されてから半年も経つにもかかわらず、
いまだにラインベルガは副官を名前で呼べない。

「し、執務中はそのように呼ぶのは止めろと言ったはずだぞ」
「あら、では執務中ではなければ宜しくて」

ほっそりとしたアユタナの指先がメガネのフレームを押し上げる仕草は、相手を本気で
追及する兆候だ。こうなるとラインベルガは、戦場での武勇はどこ吹く風で蛇に睨まれた
蛙の心地に追いやられる。

「……い、いや、そういう問題では……」
「では、どういう問題なのですか?」

ルージュを引いた柔らかそうな唇が緩み、澄んだ双眸が悪戯心に満ちた輝きを放つ。
ラインベルガはドサリと自分の執務用の革椅子に巨体を沈めると、長く溜め息を付いた。

「だから……その……ええい!ダメなものはダメなのだ!」

ラインベルガは友人のスヴェンのように思慮深くもなく弁が立つわけでもない。文官の
中でも一、二を争うほどに優秀なアユタナを相手に舌戦を試みても、勝ち目がないことは
痛いほど良く分かっている。そのため、下手に言い争うよりも半ば強引に話を打ち切る方を
彼は選んだ。
しかし、ラインベルガの答えに納得がいかないアユタナは、ゆらりと席から立ち上がり
ヒールの音を立てながら彼に歩み寄る。

軍の制服の上からでも分かる彼女の抜群のプロポーションには、強靭な自制心を誇る
ラインベルガですらわれ知らず見蕩れてしまう。重力に逆らう張りのある豊かな胸の膨らみ、
一切の無駄がない細く括れた腰とタイトスカートを押し上げる上向きのお尻があいまった
肉感的な体型は、美の象徴である月の女神の彫像が生命を得たのかと勘違いしそうになる。
そして、そんな色香を隠すどころかわざと強調するように、にじり寄ってくるのだから、純朴な
ラインベルガにしてみればたまったものではない。

「そんなつれないことを仰らなくても宜しくはありませんか?」

薄いレンズ越しにラインベルガを見つめるサファイア・ブルーの瞳が妖しく揺れる。
口元に微笑を浮かべたままアユタナはラインベルガの執務机の端に横向きに座り、わざと
見せつけるようにスラリと長く伸びた脚を組み替える。黒のストッキングとコントラストをなす
白い脚は生唾ものだ。挑発的な仕草にさしものラインベルガも思わずゴクリと喉を
鳴らしてしまう。それを見たアユタナはさも嬉しそうに微笑む。

「私、あなたがその気になるのをずっと待っているのですよ、ベル。そろそろお気づき頂
いてもいいかと」
「リ、リーランド中尉!か、か、からかうのは止めてくれ!」

ラインベルガは耳まで真っ赤に染め、そっぽを向いて拗ねたように呟く。

「お、俺みたいな男を……お、おちょくって何が楽しいんだ?」

その言葉を聞いて、アユタナは怪訝そうにラインベルガを見つめる。

「おちょくるなんて……今も昔もそんなつもりはサラサラありませんが?」
「き、君みたいな魅力的な若い女性が俺みたいなのを相手にするなど、誰が信じるという
のだ!」

毎朝、鏡で見る自分の顔はゴツゴツと厳めしく武人としては申し分ないが、どう考えて
も女性の興味をひくとは、ラインベルガには到底思えない。そんな武骨な顔立ちと朴念仁の
性格が相まって、彼は三十一歳になる今の今まで女性には無縁の殺伐とした生活を送ってきた。

──そんな自分がアユタナのような若い美女に迫られるなど、夢だとしても信じられない。
これは何かの悪い冗談なのだ。そうとしか考えられん!
眉間に深い皺を刻み、固く瞳を閉じたラインベルガが丸太のような太い腕を組む姿を見
つめたアユタナは、おもむろに制服の襟元に手を掛ける。

「では、こうすれば信じてくれますか?」

室内に響くボタンを外す乾いた音に、慌ててラインベルガは瞳を開ける。

「…ちょ、ちょっと待て!」
「待てません!」

彼の視線の先には、制服のボタンをドンドン外していく絶世の美女の悩ましい姿があった。
肌蹴た胸元から覗く黒い下着に包まれた豊かな膨らみが作り出す谷間に、ラインベルガの
視線は思わず釘付けになってしまう。

──いかん。いかん。な、何をしている!こ、こんな風紀に反するようなことは上官として止めねば!

「リーランド中尉、もう止めろ!じょ、上官命令だ!」

それでもアユタナの指は止まらない。上着のボタンを全部外すと今度はベルトのバックルを
緩めに掛かる。

「き、聞こえんのか!上官命令だぞ!」
「……力づくでお止めになったら、如何です?”アルセリウスの獅子”とも称されるお方が
女一人組み伏せることなど、造作もないことでしょうに」

挑発するような流し目に、ラインベルガはドギマギしてしまう。戦場ではどれだけ白刃が
降り注いでもいささかも変化を見せない心臓の鼓動が、今は早鐘のように滅茶苦茶な勢いで
打ち鳴らされる。

「た、頼む、リーランド中尉。気を確かに持て!」
「持っていますが、何か?」
「いやいや……いつもの冷静な君を取り戻してくれ!」
「普段と何ら変わりませんが」
「…………なあ、頼む。俺を困らせて何が楽しいんだ」

はぁぁとアユタナは悩ましげな溜め息をつく。

──何て、鈍感なのかしら。
形の良い顎に手をかけ、見目麗しい副官は暫し思考を巡らせた。

「……ではどうでしょう。私の名前を呼んで頂けるのであれば、今日のところは確実な一歩を
踏み出したということで譲歩致しましょう」

ラインベルガからいつも「リーランド」と家名で呼ばれることがアユタナには常々、もどかしかった。
好きな人間に自分の名前を呼んで欲しい──まさか、自分がこんな少女じみたことを切に
望むようになるとは、とアユタナは呆れていた。たかだか、名前如きと思っていても、
ラインベルガの低く野太い声で自分の名前を呼ばれることを想像すると、彼女の心は
キュッと甘く締め付けられる。そして、自然と頬が紅くなり目が潤んでしまう。

──本当はいきなり押し倒してもらっても構わないのだけれど、ベル相手では現実的な
ところから一つづつ進展させていくしかないわね。
ラインベルガは「今日のところは」というところに引っ掛りつつも、事態の収拾を図るべく
副官の提案に不承不承頷き、彼女の名前を呼ぶことにした。しかし、やはりというべきか
色恋沙汰への免疫をもたない彼にはこんなことですら羞恥心が先走り、モゴモゴと言い
よどんでしまう。
純情なラインベルガが必死に羞恥と葛藤している姿を眺めながらも、アユタナは衣服を
脱ぐ手を止めない。濃紺のタイトスカートが脚をスルリと通り抜け、前が肌蹴た上着を
羽織った彼女の下半身はガーターベルドで止められた黒いストッキングとショーツだけ
という姿になっていた。
とんでもなく悩ましげで扇情的な姿にラインベルガは頭を抱える。下手をすると夢でも
誘惑されそうだ。しかし、切迫した状況にラインベルガはやっと勇気を振り絞り、彼女の
名前を蚊の鳴くような小さな声で呟いた。

「…ア、……アユタナ……中尉」
「中尉は余計ですわ」

まったくどちらが上官かサッパリ分からない。

「…………ア……アユタ……アユタナ。頼むから、この辺で勘弁してくれ」

ボソリした声だったが、アユタナにしてみれば至上の音楽と同じかそれ以上の響きだった。
あまりの喜びで飛び上がらんばかりに心が弾んだ。たかだか、名前を呼ばれただけにも
関わらず、彼女は身体の奥がキュッと熱くなるのを覚えずにはいられなかった。
しかし、それとは別の感情も湧いてきた。

「私の裸など見るに堪えませんか?」

口元には微笑を浮かべながらも、アユタナは少し悲しそうに目を歪めてみた。

「……そういう問題ではない。その、俺だって見てみたい……って、何を言っているんだ、
俺は!!!」

あまりに恥ずかしい失言に頭を机に叩きつけ、ラインベルガは赤髪を掻き毟っている。
その羞恥に悶える上官の姿と彼の口からはからずも漏れた本心を聞けたことから、
アユタナは安心した。

──ベルも興味があったのね。良かった。

「と、とにかくだ……服装を正してくれ。だ、誰か入ってきたら困るだろうが」
「私は構いません。できれば、情事の後ぐらいに勘違いしてもらった方が、話が早く良いの
ですが」

平然とトンでもないことを言い放つ美貌の副官に、無粋の塊である上官は頭を抱える。

──何の話だ!何の!

「約束は守ってくれたまえ……頼む」

今日何度、アユタナに頼むと言ったか数え切れないな、とラインベルガは思う。

「……仕方ありませんね」

その返事にラインベルガはほっと安堵の息を吐くが、そんな気持ちとは裏腹に脳裏を
残念という思いがよぎる。慌てて理性を総動員して打ち消そうと躍起になるにもかかわらず
彼はアユタナが着衣を整え終わるまで、その姿から目を放せないでいた。






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