とある秘書とバカ坊ちゃん(非エロ)
シチュエーション


烏丸美鈴は如月怜二の元に派遣された私設秘書である。
表向きは怜二のスケジュール管理を仕事としている。
さて、表向きと言うからには裏向きもあるのかと問われれば、ある。
ちょうど今夜も始まるところらしい。


「おーい、もう19時だよ」
「あ、はい。では夕食をお持ちします」

その返事を聞くと怜二は目に見えてぶすくれた表情をした。

「違う。飯のことじゃなくて」

不満げな顔をしてそっぽを向いた瞬間振り返る。

「いや、二人で今すぐ食事に出る!」

言うや否や外出の支度を始める怜二。

――仕事を始めて1ヶ月。
美鈴は早くもくじけそうになっていた。
怜二はサボるわけでもなく、仕事をしないわけでもない。
実際怜二の仕事量は凄まじいものがあるが本人は平然のやってのける。
そこの所は尊敬できる……と思う。
尊敬できる上司の下で働けることはとても喜ばしいことだ。
上司のためにフォローしておくなら人の話を聞かないわけではないのだ。
ただ、自分に都合の良いように解釈してしまうところがあるというか。
それも別に仕事の上では悪いことではない。
強引に流れを変えて、自分のペースでもって仕事を運ぶのが怜二は得意だ。
ひとつだけ、美鈴が困っていることがある。

「美鈴ちゃん、準備は?もう出れる?」

それがこれ――怜二からのアタックだった。

勤務時間外の名前呼びに加えて、書類を渡すたびに手を握るのは日常茶飯事。
仕事が終われば食事や買い物に付き合わされる。
その度に美鈴の狭い部屋に増えていく分不相応なプレゼントの山。
断ろうにも「俺がしてあげたいからしてるだけ」と押し切られては積んでいく。
一体何がそんなに気に入ったのかと思って聞いてみたこともある。

「え?んー…直感?」

自慢ではないが、美鈴の容姿はせいぜい十人並みである。
22歳になる今まで男性とのお付き合いの機会には恵まれなかった。
その話も正直にしてみたのだが。

「だが、そこがいい!」

といわれる始末。
その上、「俺が初めての彼氏とかそれはそれでおいしーな!」とまで言い出す始末。
ここまで来ると美鈴にはもはや理解不能である。
しかし美鈴にいいところを見せたいのか、以前の秘書がいたときより仕事効率がいいらしい。
怜二は顔もよいしそれなりに性格もよい。
ので本当のところ、まあ悪い気はしなてない美鈴である。
そのため、今までは好きなようにさせてきたのだが。

「じゃあいこっか。今日は何が食べたい?」

美鈴の肩に手を置きながら部屋を出ようとする怜二。

「如月様、こういうことをされるのは本当に困ります」

一度といわず何度も口にした言葉。
だが今回は押し切られるわけにはいかない。
今回こそ、と言うべきかも知れない。

「えーなんでぇ?っていうか、時間外なんだから名前で呼んでよ、怜二って」

へらっと笑う怜二をきっと睨みつける。
流されてはけない。
相手は雇い主で、自分は部下なのだ。
それもあんな噂が流れているとなれば自分だけでなく、怜二の名に傷がつく。

「申し訳ありませんが、お断りします」

言うと美鈴の肩を離して顔の前で手を振って見せる怜二。

「美鈴ちゃーん、外野の言う事なんて気にするだけ無駄だよー?」

そのの言葉に美鈴の肩が震える。

「…知って、らしたんですか?」

驚きを隠せない美鈴に怜二が続ける。

「烏丸美鈴はカラダで仕事を取った、とか、如月家の次男坊は秘書に誑し込まれてる、とか?」

その通りだった。
社内でまことしやかに流れている噂。
補足しておくならば怜二は名前に二が付いてることでわかる通り次男である。

「まあ、後半は嘘じゃないけど……巻き込んでゴメンね」

そう言われてしまうと返す言葉がない。

「でも美鈴ちゃん……いや、烏丸さんは厳正な審査の上で俺が選んだのだから」

真面目な表情でそう言われてしまうと弱い。
しかも顔がいいからなおさら困る。
いつも、こんな風に真面目にしてればいいのに、と少し思う。

「仕事の出来にも不満はないどころか給与アップを考えるべきかも知れないなー」

アハハと笑いながら後ろを向いていた怜二が振り返る。

「でも本当に助かってるよ、いつもありがとう」

少し、鼓動が跳ねる。
いつもこうやって真面目にしてくれたら、私だって……そんな胸中を隠しつつ。

「はい、ありがとうございます」

何がありがとうなのかわからないままそう言って俯く美鈴。
それを見て、何を思ったのか怜二が美鈴の正面に立ち、真面目な表情をする。

「俺としては噂通り骨抜きにされたって構わないんだけど?」

美鈴の顔を下から覗きこむようにして口を動かす。

「カオよし、性格よしの上に金持ちの次男坊って普通お買い得なんじゃないの?」

怜二の口から出た言葉に一瞬あっけに取られて、思わず笑ってしまう。

「あ、笑った。よしよし、やっぱりかわいいな」

自分の顔を見て一緒になって笑う怜二にからかわれたのだと悟る。

「からかわないでください」
「からかってないよって言ったら本気にしてくれる?」

やられっぱなしでいるのも面白くない、と美鈴は反撃に出る。

「秘書に手を付けたって言われますよ?」

どうだ、と実際脅しにも何にもなっていないことを言って胸を張る美鈴。

「ああ。うちは社内恋愛自由なの。俺が君を採用してすぐに決めた」

軽く交わされ拍子抜けする。

「え?じゃあなんで如月様とこんなに噂になってるんですか?」

目を丸くして美鈴が怜二に詰め寄る。
社員食堂や女子トイレで好奇の目にさらされるのなら自分たちだけじゃなくてもいいはずだ。

「……俺が珍しく仕事してるから?」

言い難そうにそっぽを向く怜二。

「美鈴ちゃんがいてくれるとやる気が出るっつーか、なんていうか…」

ごにょごにょと怜二が話してるのを適当に聞きながら美鈴は思い出していた
引継ぎのときに美鈴が現在している仕事をしていた人から『如月様はすーーっごく大変だと思うけど、がんばってね』といわれたことを。
あれは仕事をしないから仕事をさせるのが大変だって意味で…そう思えばいろいろなことに合点がいく。

「なんだあ。私がどうとかじゃなくて、如月様だからこんなに噂になってたんだあ」

力が抜けて床にへたりこむ美鈴。
なんだか笑ってしまうが、意外に消耗していたようである。

「え、え?なに?どうしたの美鈴ちゃん?もしかして具合悪い?」

いきなりしゃがみこんだ美鈴を前にうろたえる怜二。

「気が抜けて、立てません」

だから自分を放って食事に行ってください、と続けようとした美鈴の体がふわりと浮いた。

「と、とりあえずソファに…」

そう言った怜二の顔がすぐ横にある。
いわゆる女の子の憧れ、お姫様抱っこされてると気付いた美鈴は暴れだした

「え、あ?如月、様ッ!お、おおお、重いですから!!はな、離して!」

人一人というのはそれなりに重量があるものであって、大人しくしていればそれなりに支えられるが暴れられれば均衡は崩れる。
怜二はとっさに尻餅をつくようにして後ろに倒れこんだ。

……美鈴を抱えたまま。

動くものがいなくなった部屋が静寂に包まれる。

「美鈴ちゃん、どこか痛いところは?」

床に倒れたまま聞くと、怜二の上で美鈴が身じろぎする。
態勢を崩しても美鈴を離さなかったために上半身が密着している。

「…いひゃい、れす」

お互いの体温が交わって溶けた頃、美鈴がポツリと声を洩らした。

「え?どっか痛いの?!どこ?!」

美鈴をなおも抱えたまま怜二が上半身を起こすと、膝の上に座らせるような形になった。
それが恥ずかしいのか、はたまたこういうことに免疫がないからか顔を真っ赤にした美鈴が口を開く。

「しら、をかんらみたいでふ」

覚束ない口調で言葉を紡ぐ。
倒れるときに大声を上げていたのでそのままの勢いで舌を噛んだのだろう。
少し涙目で口を開けて見せる美鈴。
夜、至近距離、想い人は腕の中で顔を赤くして涙目で、口を開けて何かをねだるように舌を突き出している。
この状況で狼にならないには、怜二は若過ぎた。

「んっ、んんぅ?」

抗議らしき美鈴の声ごと飲み込むように口付ける。
唇で、美鈴のそれを食み、舌でなぞり、味わって――口腔に進入しようとしたところで思いとどまる。

「ごっ、ごめん!」

我に返った怜二は自分のしたことに驚いて美鈴を膝から降ろすと頭を下げる。
…床に座っていたのでそれは自然と土下座の格好になる。

「本当にごめん!勝手に、合意なく、彼氏でもない男にこんなこと…」

謝罪の言葉を口にしながら何度も頭を下げる怜二。

「でもそれは美鈴ちゃんが本当に魅力的だったからで……ってそんなの言い訳だよね!ごめん!」

墓穴を掘りながらなおも言い募る。

――が、返事はない。

「美鈴ちゃん?」

怒りのあまり口もきいてくれないのかと恐る恐る顔をあげた怜二が見たのは唇を半開きにしたままぼんやりとしている美鈴の姿だった。

何を謝っていたのかも忘れて、手が伸びそうになる。
そういえば、美鈴ちゃんは彼氏がいたことないって言ってたっけ。
どこか冷静な部分でそう考えて、彼女の初めてのキスを奪ってしまったことに喜びと罪悪感を感じる。

「美鈴、ちゃん?」

もう一度呼びかけると美鈴の視線が怜二に向いた。

「え、ああ。……はい」

まだ少しぼんやりとしながら、顔を赤らめて俯く美鈴は仕事をしているときと違ってまた可愛らしい。
なんか初々しいよなあ。
そんなことが頭をよぎるが謝罪が届いてなかったのはたしからしい。
怜二はもう一度頭を下げる。

「本当にごめん!好きでもない男にあんなことされれば怒って当然だと思う。殴って気が済むならいくらでも殴っていいから」

額を床に擦り付けんばかりにして頭を下げながら美鈴に殴られるのならそれはそれで、いい…とMなことを考える。

「急に……だから、驚きました。どうしてあんなこと」

恥じらいながら話す美鈴ちゃんもまたいいなあ、と思いつつ謝罪を続ける。

「誰でもよかったわけじゃなくて君だから、思わず……」

そこまで口にしてふと怜二は思う。
俺、今までに美鈴ちゃんに好意はアピールしたけどちゃんと口にしたことはないんじゃないか?
まあ、口にはキスしましたけど。
一人でツッコミを入れながらさらに考える。
まず、告白して、お付き合いを申し込むべきなんじゃないだろうか。
怜二は顔を上げるとまっすぐに美鈴を見つめる。

「美鈴ちゃんが好きだ。俺と付き合ってくれ!」

飾らない直球。
驚いたように目を見開くと逃げ場を探すように視線をさまよわせる美鈴。

「断っても仕事に支障は出ないようにする!無理だから諦めろといわれても急には絶対諦められないと思うけど…」

床に手をついて美鈴の方に身を乗り出すようにして続ける。

「考えて、みてくれないか」

見上げる美鈴の顔はさっき以上に赤い。
だが、視線をそらさずに口を一文字に結ぶと、口を開いた。

「はい」
「美鈴ちゃん大好きだー!」

言うと同時に美鈴を抱きしめる。
考えてみることに対する返事なのか、付き合ってもいいということなのかなんてことは怜二にはどうでもよかった。
ただ、好きな人が腕の中に収まっているだけで幸せだったのだ。
嬉しそうにしている怜二を見て、美鈴も悪い気はしていないようで、怜二の背にそっと手を回す。

上司と部下という関係の他に彼氏彼女という関係が加わるのはそう先の話ではなさそうだ。






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