おかしな二人2(非エロ)
シチュエーション


「今日も雨ですわね」

六月。書斎の窓から見上げた空はぶ厚い雨雲に覆われていた。
どうやら梅雨に入ったようで、ここ数日は青空を見ていない。しようがない事とはいえ
そろそろ太陽が恋しい。

「昨日も同じことを言っていたが、何か不都合でも?」
「洗濯物が乾きませんわ。それにずっとこんな天気では気が滅入ります」
「農作物にとっては恵みの雨だろう。水を大量に必要とするイネ科の植物にとってはこの
時期の雨が秋の実りを左右する」
「私は植物ではありません。それに梅雨は黴雨とも書いて、稲熱病の原因にもなります。
長雨は植物にもよくありませんわ」
「そうか、それは失礼した。くっくっく……」

わざと小さく頬を膨らました私に、英博様は愉快そうに喉の奥でお笑いになった。
この屋敷で働き始めて、早いもので三か月が経つ。
奴隷として売られかけていた私を救ってくださった恩返しの為ではあるが、英博様の
召使いとして働く今の暮らしに不満はなく、寧ろ喜びすら感じている。直接聞いたわけ
ではないものの、英博様も私に気を許してくださっているらしく最近では多方面の知識を
教授してくださる。その膨大な知識と発想に触れているだけで私は日々の暮らしが楽しくて
しかたがない。

――英博様が主で、本当によかった。

常識的な人間が聞けば、自由を許されながらおかしなことをと言うかもしれない。だが
この気持ちには些かの偽りもない。

「早く晴れないかしら」

呟いた時、玄関の呼び鈴が鳴った。

「郵便かしら。出てまいります」
「うむ」

「お待たせしました。どちらさまですか?」

私の声に、扉の向こうの来客は何故か一拍置いて返事をした。

「ヒデヒロ・カワシロに会いに来たのだけれど、いる?」

女性の声だ。しかも異国人――それにしては異様に流暢だが――らしい。
様々な分野の第一人者として国際的にも評価されていらっしゃる英博様には海外からの
手紙も多い。とりあえず怪しいところはなさそうなので、扉を開けた。
普通人の顔がある辺りを見たつもりだったが、そこは洋服の胸元だった。この国の女性
としては身長の高い自分よりも更に背があることに内心驚きつつ目線を上方へ移す。
肩の辺りで揃えられた波打つ白金の髪。唇には真っ赤な紅をさしている。典型的な西洋
の人間の容姿だ。そして何より。

――ああ、空だ。

瞬間に、思わずそう思った。厚い暗雲が切り取られ、空がそこだけ覗いているような
青い、青い双眸。

「私の顔に何かついてる?」

柔和な笑みで話しかけられ、私ははっとした。

「失礼しました。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


*******************

「まったく、この国はいつも雨が降ってるのね。うんざりしちゃう」
「君がこの時期ばかりに来ているからだろう」

書斎の机前に備えられたソファに深く腰掛け、彼女――ローズ・ジルベルスタインは
紅茶を啜った。

「この時期しかこの国に来る時間がないんだもの。しようがないでしょ?」
「なら天気に文句など言わないことだ」

じろじろと眺めるのは失礼と知りつつ、私は英博様と話すジルベルスタイン氏の容姿を
盗み見た。
玄関先では顔ばかり印象に残っていたが、全身を見れるようになるとその足の長さに
驚く。下手をすると股下が平均的な日元の成人男性の腰位まであるのではないだろうか。

――西洋人と東洋人で骨格が違うというのは本当なのね。

視線に気づいたのか、ジルベルスタイン氏が横目でちらりと私を見た。気に障ったの
かもしれないと少し焦ったが、特に怒っているふうではない。直ぐに英博様に向き直ると
早口で何かを捲くし立てた。

「――――――servante――――――femme――――――」

明らかに日元の言葉ではない。学校で習った他国の言語に似た響きをたが、どうやら
若干異なる地域のもののようで意味は分からない。
英博様には氏が何を言ったのか分かるらしく、ちらりとこちらに目線を移してから
首を横に振ってやはり私に分からない言葉を返した。内容は分からないが、二人の目線
からしてどうやら話題になっているのは私のようだ。
しばらく異国の会話が続き、氏のカップの中身がなくなった頃、どうやら話題は一応の
決着がついたらしい。

「セツ」
「はい、何でございましょう」
「彼女は今日ここに泊っていくことになった。上の客室を一室、整えておいてくれ」

「今日はちょっと疲れたかな……」

日もとっぷりと暮れ、仕舞い湯に入った私は自室に戻るとベットに突っ伏した。
普段の仕事に加え、ジルベルスタイン氏のお世話が加わった為、流石に身体が疲労を
訴えている。横になると同時に頭の中が霞がかる。そのまま眠りに落ちようとした時。

「セツ?ちょっといい?」

ノックとジルベルスタイン氏の声に、私は慌てて起き上がった。夜着とベットを整え
扉を開ける。白いふんわりとしたネグリジェに身を包んだ氏が後ろに手を組んで立って
いた。

「どうかなさいましたか?何か御要りようのものでも――」
「いえ、そうじゃなくてあなたに用なの」
「私にでございますか?」
「そうあなたに。お邪魔していい?」
「もちろんでございます。でも、この部屋では……」
「あら、なら私の部屋にする?」
「い、いえそういうつもりでは」
「分かってるわ。気を使わないで、ヒデヒロにもそう言われてるの」

氏は茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせると、後ろ手に隠していた葡萄酒の瓶と
金属製の杯を見せた。

「ヒデヒロから聞いて、私もあなたに興味が湧いたの。少しお話しましょうよ」

「質素な部屋ね」
「そうでしょうか?」

私の言葉に目の前に座った異国の少女は首をかしげた。
いつも泊る部屋も客室としてあしらわれてはいたが、そもそも客自体来ないので

――単にヒデヒロの性格からかも知れないが――必要最低限の寝具があるだけで
装飾品の類は一切なく、白塗りの壁がどこか病院を思わせる。かろうじて本物の
それと違うところがあるとすれば、床に敷かれた輸入物の絨毯くらいのものだ。
この部屋もまた似たり寄ったりであったが、唯一他の部屋と違うのは、東向きの
窓際に机と椅子がおかれていることだった。
それにしても年頃の娘が暮らす部屋にしてはあまりに貧相だ。

「自分用の机を置かせていただけるのですから、身に余ることです」
「謙虚だこと。どう?」

椅子に腰掛け、ワイングラスを勧めた私に少女は首を振った。

「じゃあ私だけ頂くわね。とりあえず座って。立たれてると落ち着かないわ」

少女は遠慮しつつ、自身のベットに腰掛ける。

「……あの、ジルベルスタインさん」
「ローズでいいわ」
「じゃあ、ローズさん。日元へは何の御用で?」
「ヒデヒロに会いに来たのよ。私用と仕事両方でね」
「仕事?」
「国で大学教授をしているの。生物学のね。学会で渡来してたヒデヒロと三年前に
知りあってね。以降、日元に来る時にはここを宿にさせてもらってるの。今回は
こっちの学会に出席するついでに休暇を取って暫く滞在することにしてるわ」
「女性で、大学の生物学の教授を?」

少女は大きな黒目を更に大きく見開いた。

「そんなに驚くことでもないわよ」
「いえ、この国では大変なことですわ。女性が社会に進出するようになったとはいえ
せいぜい初等科の教師が精一杯。それが、海の向こうでは大学の教授をされている
方までいらっしゃるなんて……」

少女の言葉には驚きと高揚が感じられた。

――なるほど、ヒデヒロが好むはずだわ。
日元について多くを知っているわけではない私でも、この国の、女が蔑まれる文化は
理解している。いや、そもそも多くの女たちは蔑まれているとすら思っていない。自分
達に自由があるべきという考えを抱くことがない。
その点、この少女は先進的と言っても間違いない。

「そんな風になりたくはない?」
「え?」
「私のように自立した社会人になる気はあるかってこと」
「もちろんですわ」

逡巡もなく答える。

「なら私と一緒にこの国を出る気は?」
「……一体何故そんなことを?」

流石にここまで話が進むと何かしらの考えを持っていることが分かったらしい。
私はまだワインが半分ほど残ったグラスを置いた。

「ヒデヒロは貴女を留学させたいと考えているの。見聞を広めてほしいと思ってる」
「英博様が、そうおっしゃったのですか?」
「ええ。もし貴女にその気があるなら海外での生活を世話してほしいと頼まれたわ」
「……」

――あら?
喜ぶかと思った少女は、意外にも戸惑いと悲しみの表情を見せた。

「折角のお話ですが、お断りします」
「差支えなければ理由を教えてもらえない?」
「私は今の暮らしに充分、満足しております。国の外に出て見聞を広める、確かに
魅力的はお話ではありますが、それよりもここで、英博様のお世話をさせていただく
ことが、何物にも代えがたいのです」
「下女として一生を終えたいと?」
「それでも構わないと思っております」

私は机に頬杖をついて、少女を見つめた。
日元の人間にしては大きなその双眸が私を見つめ返す。そこにはかけらの迷いも
感じられない。

「……そう。ちょっと残念だわ。あなたが世界を見てどんな人間になっていくのか
私も見てみたかった」
「申し訳ございません」
「いいのよ。ヒデヒロのことが好きなのね。あなた」
「ええ、お慕いしております」

一瞬、沈黙した。少女が答えたその様子は、飼い主に尻尾をふる犬のようだ。
多分、伝えたいことが伝わっていない。

――ああ、そうだった。この国の言葉はややこしいのよ。

「ごめんなさい、そうじゃないのよ。えーっと、なんて言うんだったかしら」
「?」
「あなた、English……利語は使える?」
「ああ、利語なら大丈夫です。学校で習いました」
「なら、likeとloveの違いはわかるわよね?」
「はい……あ」

そこまで言って、漸くわかったらしい。
また一瞬の沈黙。だがそれは一瞬では終わらず十秒続き、三十秒続き、ついに
一分続いた。

「……セツ?」

堪らず沈黙を破った私に、彼女ははっとして口を開いた。

「あ……申し訳ありません」
「何かまずいことを言ったかしら?」
「いえ、そんなことは。ただそういう風に考えたことがなかったので……」

私にというよりは自分に呟くような調子でそう言って、セツは俯き考え込んで
しまった。

「………………」

今。
もしかすると今、私は一人の女性が一人の男性を意識する瞬間を目撃したの
かもしれない。

――おもしろい。

セツには失礼かもしれないけれど、率直にそう思ってしまった。
何せ、彼女の想う相手が、あの、ヒデヒロなのだ。それだけで彼女の恋を俄然
観察したい気分になってしまう。
男を性の生き物とするなら男であることすら疑わしいあの超朴念仁が、この子に
好きと言われて一体どんな反応をするのだろうか。

――大学に、休暇の延長の申請をしなきゃ。

ワインのアルコールで少し陽気になった頭で、私はそんなことを考えた。






SS一覧に戻る
メインページに戻る

各作品の著作権は執筆者に属します。
エロパロ&文章創作板まとめモバイル
花よりエロパロ