シチュエーション
番外3 目の前にいるのは前の宰相の息子だ。城に上がりいくつかの部署を経て、現在の宰相の下で補佐の役についている。 髪の色は母親ゆずり、顔立ちはあの家に流れる王家の血が色濃くでたようだと言われている。 「母御は息災か?」 書類に目を通しながら執務中の青年に声をかける。側では宰相も本と書類を積んで執務の最中だ。 「はい、領地関連や細々したことで忙しいようです」 宰相が口を挟む。 「今でもお綺麗ですよ。両家で食事をした時など、ついときめいてしまいます」 宰相の娘と婚約している青年は、義父になる予定で、上司でもある宰相の言葉に複雑な顔をする。 「ほう?」 言葉の中の棘に気付かれないか? 「では、今でも誘いなども多いのではないか?」 宰相が死んだ後、領地と、息子が一人前になるまでと仕方なく色々な行事や式典に姿を現した美しい未亡人狙いで、 求婚者が殺到した騒ぎを思い出す。 女の前の夫の伯爵も宰相も、女を表に出すのを嫌がって避けていたらしい。 なので女が公の場に登場したときの衝撃は大きかったともいえる。 その騒動は結局王家が領地を一時預かりにして、息子が成人するまで管理するとした処置でようやくおさまった。 領地狙いはそれでよかったが、女狙いはそれからも長く続いたようだ。 「母は父の前にも夫と死別しているのでそんな気もないようです。父との思い出で過ごしていくと」 子供の目からもとても仲の良い夫婦に見えました、と続けた。その様子は容易に想像でき、胸に鈍い痛みを生じさせる。 何も知らない子供だった自分に鮮烈すぎる思い出だけを残して消えた女と、それを見守り女を手にした宰相。 全て宰相の手のひらの上かと悔しい思いもした。 今でも女の肌触りや息遣い、熱を思い出すことができる。 「そなたの父は随分といい男だったからな。余の憧れで目標だった」 子供で青臭い自分に比べ、大人の包容力とにじみ出る風格を持った宰相には到底かなわなかったと思う。 だが時が過ぎ、宰相の息子が式目前という状況は感慨深いものがある。 「まあ、早く家族を増やしてにぎやかにしてやればよい」 臣下の結婚式には参列できないのであとで祝いの品を贈ろう。かなうならば女と共に式の様子を見守りたかった。 女と自分の絆たるこの青年の晴れ姿を見てみたかったが。 照れて赤くなる青年と、花嫁の父の心情を早くも発揮した宰相に笑いかけてそれぞれ執務に戻る。 あのまま女を望んでも後ろ盾のない、没落貴族の未亡人では安寧に生きるのは難しかったと今なら分かる。 男児を産んだとしても、口さがない偏見に満ちた人間達から母子ともに傷つけられていただろう。 むしろ男児であったからこそ、国内の混乱の火種になっていたとも考えられる。 宰相はそれも見越して――それ以外の理由の方が大きかっただろうが、女と結婚したのだろう。 結果は、宰相の考えが正しかった。女は静かで幸せな日々を過ごし、子供は忠誠心に溢れた有望な青年に育ってくれた。 女を側に置く望みはかなわなかったが、自分の想いは実を結び密やかに受け継がれてゆく。 それも幸福の一つの形なのだろう。 ――幸せになれ。それがあの女にも幸せなのだから。 花婿の父の心情で再び書類に目を落とす。 SS一覧に戻る メインページに戻る |