歪んだ愛
シチュエーション


私のお仕えする侯爵家のお嬢様はとても美しく――そして高慢だった。

普通なら、現実に打ちのめされて自分勝手な我儘は許されないと言う事を学んでいくが、お嬢様は違った。
それだけの無理を通す財力が、侯爵家にはあった。そしてお嬢様自身の美しさと優雅さが周りが甘えを許し拍車を掛けた。
美しいというのはそれだけで、罪だ。私はその我儘さえも愛した。
こちらは有能で……使用人を使い捨てることも厭わない侯爵家の方々にすら頼りにされている上級使用人。
使い捨ての下級使用人とはご家族の態度は一線を画し、それが私の自尊心を保つといえど、身分違いの恋。
私はお傍に居られるだけで幸せだった。滅私で仕えていた。
そんなある日、社交界デビューを果たしたお嬢様が夜会から興奮した体で帰ってきて、私に言った一言。

「素敵な方を見つけたの!私の旦那様は彼しかいないわ!」

貴族年鑑も頭に入れていた私には、そのお相手の名前を聞き、今度の要求はいくらお嬢様でも無理難題のように思えた。
相手の方の家格はこの家と同格かそれ以上。
しかし、旦那様と奥様は何とかお嬢様とその殿方との縁談を取り付けた。
私がその方に会ってみると、なるほどと嫉妬心よりも納得する心のほうが大きいほどの、麗しい貴公子だった。
金糸の髪と吸い込まれるような青の瞳。その顔は美しく整っているが、だからと言って女々しくはなく、男らしさも備えている。
貴族的な優雅な振る舞いと、使用人だからと言って軽んじられることもなく話してみると頭の回転もよく、ユーモアも持ち合わせているようだった。
自分より優れた相手ではないと認められない、だからと言って優れた相手が本当に出てきたとしても、結局は認められないと思っていたが。
――完敗だ。
私は、どうせお嬢様を奪われるなら、より良い最高の相手にと、彼に嫁がせることに積極的になった。

「もちろん、ついてきてくれるのでしょう?」

嫁ぎ先へも、お嬢様は私を連れて行く気だった。そして私も当たり前のようについていく気だった。

この誰もが羨むほどの美男美女の待ち望んだ結婚は……
お嬢様にとっての不幸の始まりだとはこの時誰が予測できただろうか。

結婚生活は、最初の頃は表面上うまくいっているかのように見えた。
しかし派手な外見とは裏腹に温かい家庭を望む旦那様と、艶やかに派手に社交界をいつまでも騒がせたいお嬢様の結婚生活が上手くいくはずもなかった。
沢山子供が欲しいと望む旦那様に、体のラインが崩れるから嫌だと出産した女の体形の崩れる醜さを事あるごとに言っていた。
しかしそこはご夫婦、何度もベッドを共にするうちに……子供ができた。
それでもお嬢様は派手に遊びまわることを辞めず、流産しかけ、それを悪びれもせず自分の享楽を追い求めるお嬢様に旦那様は困惑気味だった。
旦那様は私のように達観してはいない。そのお嬢様の我儘についていけるわけはない。求めるものが違う。
二人の仲は急速に冷めつつあった。それも旦那様の方だけ。
お嬢様はなぜ自分の享楽に付き合ってくれないのか、本当に分からないようだった。
自分の夫なら自分に付き合うべきと、本当に愚かにもそう思っていた。

子供は男の子で無事に生まれたが、お嬢様は育児に関心がなく、貴族にあるべき教育姿勢で雇った乳母任せ。
自分が気が向いたときにだけ構うと言ったありさまだった。
それは社交を大事にする貴族の当たり前の母親像だったが、反対に旦那様は坊ちゃまを慈しむ。
そうこうしているうちに、旦那様はもうお嬢様には期待していないかというかのように浮気をし始めた。
お嬢様は内心は穏やかではなかったが、それを顔に出すことはプライドが許さない。
そして「浮気」だと割り切ってあきらめているようだった。
貴族では当たり前の遊戯。
むしろステイタス。
どうせ「浮気」なのだから、一番は妻である私――旦那様は必ず自分の下に帰ってくると。
それを現すかのごとく、旦那様はどんな愛人を持とうとも、妻であるお嬢様を優先させた。
そして、必ずお嬢様の下に返ってきた。
魅力的な夫を持つ、寛大で物わかりのいい奔放で美しい妻。理想的な夫婦。それがお嬢様お気に入りの風評だった。

お嬢様と旦那様は夫婦だったが、今やお嬢様の片思いだった。

――その気持ちはお嬢様が少し他者を思いやることで手に入れられたのに。

旦那様はお嬢様の本当の気持ちに気づかず、彼女は生まれながらの貴族でそれを期待するのは間違っていると。
坊ちゃまが大きくなるにつれ夫婦の溝は深まっていった。
しかし、表面上は変わらないのでお嬢様は気が付かない。

そのお嬢様上位の生活はある娘の所為で、一変することになる。

ある時から、旦那様が一切の女遊びを辞めた。
その少し前に、旦那様が火遊びを持ちかけた相手が、お嬢様の気に入らない夫人だったのでお嬢様には珍しく愛人の事で詰った。
お嬢様は旦那様が反省しておとなしくなったと思っていたようだが、私はその本当の理由を知っていた。
そんな事いつも旦那様を見ていればわかる。

――旦那様は本当の恋をしていた。

しかも相手は、坊ちゃま付きの親子ほど年下のメイド。

普通に見ればそれなりに可愛い少女であるが、お嬢様と比べてしまえば美しさは足元にも及ばない、野暮ったく、どこにでもいる普通の娘だ。
奥様が温室で磨かれて作られた大輪の薔薇ならば、野菊のような印象を受ける。
しかし、慈しむように微笑む顔や、献身的に仕える姿。そして旦那様を親愛と尊敬のまなざしで見る目。
惜しみなく注がれるそれは、家族に飢えている旦那様にはたまらなく魅力的に見えたに違いない。
今までの浮気相手にはなかった魅力……だからこそ、浮気は浮気で済んでいたのに。
旦那様はその気持ちを悶々と抱えているようだった。
良識が邪魔をして、自分の気持ちを誤魔化そうとしているのが私には手に取るようにわかる。それは他人事だから。
私はそんな旦那様を、ある感情から、お嬢様には内緒で追い詰めていく。
メイドへの気持ちを加速させていく手助けをした。
どうやらあれほどの戯れを重ねながらも、旦那様は人を好きになるということが初めての事らしく、それは愉快なほど簡単だった。
そして、私は旦那様に、お気に入りの娘が坊ちゃまの親友と交際し始めたと囁く。

――このままでは二度と手に入らない、と。

あとは予想通り、旦那様はメイドへの愛に歯止めがきかず暴挙にでた。
心が手に入らないなら、体を奪うなんて単純もいいところだ。

お嬢様にそのことが知れるのはすぐだった。
しかし、いつもの「浮気」だと思っているようだった。
使用人に恋をするなんてお嬢様は考えもしないのだろう。それは彼女にとって人が牛馬に恋をするほどの不可解な事だったからだ。
使用人の事は人扱いしていない、お嬢様は油断している。
自らの価値観がすべてでそれでしか見えない――愚鈍で可愛いお嬢様。旦那様の瞳はあの娘を常に追っているというのに。
正妻という揺るぎない地位で、今まで蔑ろにされたことがない経験で、高を括っていたのだ。
しかし旦那様はメイドに異常なほどのめり込んでいく。浮気ではなく本気なのだから当たり前だ。
寧ろ、旦那様の意識下ではすでに妻であるお嬢様の方が浮気相手であり、立場が逆転している事なんて夢にも思っていないだろう。
お嬢様もそれを無意識に感じ取ってか、比例して日に日に不機嫌になっていく、しかし矜持で堪えていた。

旦那様はメイドに誘いを掛けたという理由だけで、屋敷からその男使用人達を紹介状もなしに追い出した。
彼等は他の屋敷でも使って貰える事はもうないだろう……を見てもまだ危機感を持っていなかった。
次に旦那様はメイドのために不相応な規模のヴィラを用意した、そこに旦那様が入り浸る生活を続けても堪えた。
しかしある日。
旦那様はメイドの体調が少し悪いという理由だけで、お嬢様が重要視していた夜会のエスコートを断った。

生まれて初めて、あからさまに人に蔑ろにされるという経験。しかも大事にしている人に。
お嬢様を支えていたものが折れた瞬間だった。
旦那様の気持ちを手に入れるのには、自分が変わるしかなかったのに。それでも学習しなかった。そのツケがまわる。

そして愚かなお嬢様は、諸悪の根源はメイドの所為だと……自らを省みる事もせず。
旦那様が領地を治める関係で長期で不在にする時期。ヴィラに行きメイドをその美しい顔を歪ませて詰り、自らの手で鞭で打ち据えた。
初めは詰るつもりだけのはずが、鞭で打ち据えるほどの激情に駆られたのは、どれだけメイドが旦那様に愛されているか目の当たりにしたからだ。

ヴィラの内装は旦那様のセンスで、流行を取り入れながらも最上級の家具をそろえられ過ごしやすく改装されていた。
そしてなによりメイドの着ているドレスは、旦那様の親しくしているミルドレイク伯爵夫人のデザインされたドレスだ。
夫人のデザインするドレスは一流の証。王族でさえも半年待ちというほど大人気の夫人の例外が旦那様の頼みごとで。
お嬢様でさえめったに新作は作っていただけないモノだ。それを当たり前のようにメイドは着ていたのだ。価値も知らずに。
久しぶりに会うメイドは、旦那様の手で一流の淑女へと変貌していた。
お屋敷で働いていたころにはなかった頼りなさげな危うげな雰囲気が、男の劣情をそそる。
変われば変わるものだ。女という生き物は本当におそろしい。
しかし、幸せそうには見えないと言うことを、お嬢様は見抜けない。
メイドは自らの立場を弁え抵抗することなく、お嬢様の仕打ちに黙って堪えていた。
この分だと旦那様に告げ口をすることもないだろうが。それが益々奥様の心を苛立たせて行く。

その時のお顔は激しく、醜くもあり同時に美しかった。
長年の付き合いである私が、初めて見るお嬢様の新たな魅力に興奮してしまう。
私個人の感情としては、メイドに全く思うところはなかったが。この時ばかりはメイドに感謝したいぐらいだった。

そして散々打ち据えた後でもメイドは旦那様と別れるとは頑として受け入れなかった。
お嬢様の責めは鞭を振るだけでは飽き足らず……服も破き、髪も鷲掴みメイドを追い詰めるだけ追い詰める。
どんなことをされてもメイドが首を縦に振る事はないと「理由」を知っている私は、止めることにした。
これ以上やって、お嬢様が人殺しになってしまうのは好ましくないし、お嬢様がお怪我をしてもいけない。
何とかお嬢様を宥めて、屋敷に帰ると……お嬢様は苛々と爪を噛んで考え込んでいた。その姿も私には美しい。
その状態が続くこと数日、ある新興の企業家が開いた夜会に行って、さっぱりしたお顔をして帰ってきたお嬢様。

「偶然にも、今日珍しい方にお会いできたの」

話を聞いてみるとどうやら、夜会でフィアゴ伯爵に会ったという。
社交界でもごく一部の情報通な人間しか知らない、悪趣味な性癖を持つと名高いフィゴア伯爵。
彼を見て……彼にメイドを払い下げるという計画を立てたらしい。しかもすでに話はつけているとのことだった。
お嬢様はメイドさえ排除できれば旦那様が元通りになると信じて疑わないでいる。

「あの女さえ居なくなれば……目を覚ますでしょう」

伯爵と関係した女性は一月も絶たないうちに廃人になるとか……まことしやかな噂が流れている。
ただの人買いではなく、メイドの捨て先を伯爵にするなんて、お嬢様の深い恨みがうかがえるような気がした。

そのお嬢様の計画は、あっさりと失敗した――旦那様に露見したのだ。

旦那様は領地の中でも僻地にある屋敷に、お嬢様の生活の拠点を移すことにお決めになった。
何故ならその屋敷には……堅固な塔があり。高貴な者を幽閉するためには格好の場所だったからだ。
そこにお嬢様を対外的には病気のための療養という名目で旦那様は閉じ込める。勿論お嬢様に拒否権はなかった。
塔の中の部屋はそれなりに整っていたが、メイドに与えたヴィラとは過ごしやすさは雲泥の差だ。
それは、愚かなお嬢様にもはっきりと目に見える――愛の差だった。必要最低限の義務という名の。
そんなお嬢様には墓所ともいえる部屋を用意して、旦那様はお嬢様にこれからの事を告げる。

「君は何も心配しないでもいい。君は病気で……かつ懐妊しているので静養中ということにしているよ」
「懐妊?」
「ああ、君も知っているがアーネに子供ができた、その子も君の子ということにして私は正式に育てたい」
「そんな勝手な……嫌よ、絶対に嫌です!」
「君に拒否する権利があるとでも?君は私の子供を産みたくはないと言っていたじゃないか」
「そ、それは……」
「これからは大丈夫だよ。君には期待しない、これからは彼女が産んでくれるから。
だから君は妻として美しく居続けてくれるだけでいい、ここで」
「あなたっ……」

そう昏く笑う旦那様の顔はどこまでも優しく――そして残酷だった。



お嬢様が幽閉される塔から私と旦那様は出ると、旦那様は心底ほっとしたようにつぶやく。

「よかったよ、君のような冷静な判断を出来る人間が彼女についていてくれて」
「恐れ入ります」

計画を漏らしたのは――勿論、私だった。
お嬢様にはもう真相を知る手立てはないのだから、伯爵側から計画が漏れたと説明している。

「かつては妻と思った人に酷いことはしたくないからね。リスティンも悲しませたくない
……彼女を失うことになったら私は何をしてしまうかわからないから仕方ない」
「寛大な処分に感謝を。私の方もお嬢様が旦那様に捨てられてしまうと大変困ったことになりますから」

恋に狂う旦那様の行動は、簡単に予測と誘導ができた。
メイドの危機を事前に防いだにも関わらず、この処分。
本当に計画が実行されていたら……私はお嬢様を一生失ってしまうだろう。
それだけは避けなければならなかった、お嬢様を裏切ってでもそれだけは譲れない。

「お嬢様の事は、今後すべて私にお任せください」
「ああ、頼んだよ」

旦那様は今までの働きの功績としてお嬢様の全権を私に託された。
手の中に握られた塔のカギ――それは、お嬢様は私のモノになったという事と同義だ。
お可哀そうなお嬢様。
自分がもう旦那様に、必要とされていないと今度こそはっきりと気づかされたのだ。
今頃、塔の中で泣き崩れている事だろう。そして私の事が無能だとでも罵っているのかもしれない。
それでもいい。
私はずっと……この愛が報われなくとも、私だけは最後までお嬢様のお傍におりますから。


だからご安心ください私だけの愛しい人よ。






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