明るい主従(非エロ)
シチュエーション


高杉悟は目覚めを迎えつつあった。頭はちょっとばかり痛むが、ひどく気持ちの良い何かを抱いている。
あったかくて柔らかい。こんな抱き枕持っていたかななど思いつつそれにきゅっと力を入れた。
横向きになって抱いているそれは、腹部から足の前面にまで温もりを伝えている。
やばい、気持ちよすぎるだろ。これ。
しかも音声機能付きなのか、近いところから呼ばれている気がする。

「……様。若旦那様。起きて下さい」

うわあ、この声真由にそっくりだ。なんて素晴らしいんだ。これを開発したひと天才だろう。
などど思いつつ、にやけながら再度夢の世界に陥りそうになった悟の耳には。

「いい加減起きて下さい、若旦那様」

地を這うような、低い低い起床を促す音声が聞こえた。
どすの利いたその音声にようやく目を開いて見たものは。
腕の中に後ろから抱き込まれながら首だけをめぐらして冷たい眼差しで見つめる真由本人。

「……え?」
「さっさと起きて、この手を離してください。若旦那様」

我が家の使用人の、いや昨日でその職を辞したはずの若宮真由が、どうして一緒に寝ている?
しかも二人とも裸だ。
事情を飲み込めずにしかし、腕の中の異性に固まってしまっている悟をねめつけ、真由は拘束するかのように腰に回されていた
腕をはずし、思いっきりベッドの端に寄った。

「さて、若旦那様。覚えておいででしょうか」

首だけを掛け布団からだした状態で真由が問いかける。なまじ整った顔だけに静かに怒っている様子がとてつもなく恐ろしい。
悟は訳が分からないながらも、ごくり、と唾を飲み込んだ。

「ええと、確か昨夜は真由が辞職する慰労会で、本来なら親が同席するはずだったのが急用が入って、俺が代わりに」
「そうです。ここでの最後の夜だからと恐れ多くも使用人の私を同席させてくださって、夕食をとりました」

思い出した。真由と二人で、料理人が真由のためにといつにも増して腕を振るった美味しい料理を食べて。
すごく楽しくて料理も美味しくて、色々話をしているうちにあっという間に時間が過ぎたのは覚えている。

「うん、あれは美味しかった。俺一人の食事とえらく違った気が、じゃなくって」

食事の後どうしたか? 普通ならそれでお開きのはずだが真由がいなくなってしまうのが寂しくて……

「確か、俺の部屋で軽く飲もうって」

そこまで言って、悟は真由の周囲の温度が下がった気がした。真由はうっすら笑ってはいるけど目が、目が笑っていない。

――すごく、怖い。美人が怒ると本当に怖い。

「ちょっと、そう、あれが若旦那様のちょっとなのですね。お止めしたのにボトルを二本空けられて、泣くは絡むは、あげくの
はては『これでどこにも行けないだろう』と」

そこまで言って真由はベッドの向こうを指差した。それを追っていくと床に散乱する真由と悟の服があった。
しかも真由のはボタンが引きちぎられたり、生地が破れていたり。これはもしや……
ぎぎぎ、と音がしそうな気になりながら悟は真由のほうを振り向く。

「え、と、俺は」

真由はゆっくりと頷く。しっかりはっきり、軽蔑と怒りを伝えて。

「――けだものでした」

一刀両断されてしまった。言葉で人は死ねるかもしれない、絶対胸に穴が開いたと悟は思った。

あろうことか勤めを終えて翌日には去っていく使用人を、酔ったあげくに手篭めにした、と。
赤くなったり、青くなったり悟の顔色は面白いように変わっていく。
知らず後ずさってベッドから転げ落ちたがそんなことはどうでも良かった。

「ま、真由、俺は」
「まずは服を着てください、若旦那様」

起きてからこっち真由は『若旦那様』としか呼ばない。人目がある時はこの呼び方だが二人の時は『悟様』と、悟が希望した
呼びかけをしてくれた真由が。これは相当に怒っているのだろう。
真由の絶対零度の怒りにおののきつつもとりあえずは言われた通りに服を着る。

「私のは二度と着られませんので、服を貸していただくか、私の部屋に取りにいっていただきませんと」

依然首から下は布団にもぐりこんだまま真由は淡々と言う。
真由と目が合った瞬間悟はベッドの脇で土下座をしていた。

「すまない、真由。何と言ってわびればいいか、本当にすまない」
「謝罪などいりませんよ、若旦那様。けだものに襲われただけです。犬に噛まれたとでも思っておりますので」
「で、でも、真由。故郷に帰るんだろう? あちらに婚約者とかいないのか?」

泣きそうな気分で悟は真由に尋ねる、
真由は行儀見習いのために家に来た娘だった。そんな娘は礼儀作法が身に付くと故郷に戻って婚約者と結婚するのが自然な
流れだった。つまり結婚目前の娘を無理やりに、というあるまじき行為をしてしまったのだ。
預かった大事な娘さんを傷ものにしたなど、いくらわびても取り返しがつかない。
真由は悟をじっと見て少し顔をゆがめた。辛そうな表情だった。

「そのような人はおりませんのでご心配なく。故郷に戻って両親とのんびり暮らす予定でしたのでお気遣いなく」

そこまで言うと真由は悟にコートでも貸してくれと頼んだ。それを着て自室に戻るから、と。
悟は正座したまま勢いよく顔を上げる。真由をしっかり見つめて再度土下座した。

「俺に責任を取らせてくれ」

「どう、責任をとるおつもりですか。腕のいいお医者様でも紹介してくださるのですか?」
「へ? あ、いや、あの、俺と結婚してくれと言いたかったんだが」

真由は悟の言葉にぐっと眉間にしわを寄せた。

「若旦那様。寝言は寝て言え、です。冗談もたいがいになさいませ」
「俺は本気で申し込んでいる」

言い切って悟は納得する。ああ、そうだ、ずっと真由のことが好きで去っていくのが寂しくて、いつまでも側にいてほしくて、
酔いにまかせて本心と本能を吐露してしまったのだと。
残念無念なことに昨夜のことを覚えていない。痛恨の極みだが関係を持ったのなら好都合だ。
真由に伴侶になってもらえたら、これ以上に幸せなことはない。
我ながらなんていい考えだと舞い上がる悟を前に、反比例するように真由の機嫌は降下していく。

「本気ならなおのこと救いようがありません。いいですか私は使用人です。主と結婚するなど許されるはずがないでしょう」
「もう使用人じゃない。真由は真由だ。俺はずっと好きだったんだ」

使用人としての真由は細々と働き、よく気がついて家の中を明るくしてくれるような娘だった。
何度も話しかけて人目がない時は友人として接してくれるようになって、しっかり者で優しい性質を見せてくれて、悟は
どんどん真由に惹かれていった。
両親からの結婚話をことごとく蹴散らし、最近では諦められている節まであるのも心に真由がいるからだった。
真由は悟の告白を聞いて泣きそうな顔になった。
初めて見る、真由の悲しそうな表情を見て悟は慌てた。

「ま、真由、俺が告白したのがそんなに嫌か? 当然か、俺は昨日真由を……」
「私は使用人です。職を辞しても若旦那様との立場の違いは変わりません。両家のお嬢様と結婚されるのが若旦那様の幸せです」

私は決して若旦那様の妻になれるような者ではありません、と言い切られる。
それきり壁のほうを向いて真由は悟の顔を見ようとはしなかった。

あれこれと言葉を尽くしても真由は振り返らない。
そのうち悟は焦りだした。その焦りがだんだんと自分勝手な怒りに変わってきた。

「真由は俺の幸せが分かるのか。俺の幸せは俺が決める、俺は真由以外考えたことはない」

着ていた服を再び脱いでベッドに上がり真由の後ろに膝をつく。
振り返った真由が裸の悟を見て悲鳴をあげた。
構わずに布団を引き剥がして真由をこちらに向かせる。

「真由は俺が嫌いか?」
「嫌い、だなんて、そんなことは……」
「じゃあ好きなんだな。両想いじゃないか」

じたばたともがく真由を抱きしめて耳元で真摯な気持ちを伝える。

「俺は真由がいいんだ。真由といるのが幸せなんだ。うんと言ってくれるまで」
「……どうなさるというんですか」

胸元でおそるおそる尋ねる真由にゆっくり、にっこり、はっきり告げる。

「うんと言ってくれるまでベッドから出さないぞ」

言うなり遠慮なく腕の中の真由を触り始める。よくやった昨夜の俺。頑張れ今朝の俺。喜べ未来の俺。
真由の抵抗を封じ、記憶の彼方の昨夜の出来事を取り戻すべく悟は想いをこめて真由を愛する。

「いや、ちょっと、止めて、っどこ触っているんですか?」
「ん? 真由はどこもかしこも柔らかくていい匂いがするなあ。うん、この揉み心地なんか最高だ」
「この……この、馬鹿旦那がああ!」
「ははは、真由は手厳しいなあ」

扉の向こうで悟の両親がぼんくら息子に気立てのよい嫁が来てくれる、と手を取り合って喜んで、お気に入りの真由に
逃げられないようにと外堀を埋めるべく色々な手続きを指示しているのは、人生をかけた攻防を繰り広げている二人には
知る由もなかった。






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