教授と助手21(非エロ)
シチュエーション


昼食はできるだけ医局で食べる。連絡事項や雑談を介して医局員とのコミュニケーションを取る目的もあるからだ。
その日は若手の男性医師の結婚話がでていた。
誰かから『男の方は結婚はいつでもできるが、女医さんは両極端だ』という話になった。
学生時代から付き合って研修医かそれが終わってすぐか、専門医や認定医、博士号などを取得して医師としてのキャリアが
ひと段落してから結婚するか、らしい。
そこに彼女が昼食をとるべく入ってきた。この話が向けられるとあっさりと肯定された。

「早めに結婚する相手は学生の頃からの同級生や先輩医師。ある程度たってからはむしろ年下の医師や男性看護師、
技師さん、MRさんなどの医療関係の人、あとは異業種の人とですね。同級生の女医を見てもそんな感じです」

草食系とか乙女系とか言われる男性からは女医は結構人気があるらしい、と笑う。
収入がそれなりにあって、女医の性格が気が強くて男らしいからでしょうかなどとも言っている。

昼食を食べながら次第にもやもやしてくる。
彼女はその分類でいくと後者。その志向でいくと俺は守備範囲ではない、ということになる。
急に彼女と関係してからもう数年になるのに気付かされた。
彼女は俺とのことを清算して、他の男と結婚するつもりはないのだろうか。
一応一人前の医師で、優秀でよく気が付いて美人で。つまりとても魅力的で。
群がる男共は彼女に知られないように秘密裏に排除しているけれど。
そう思うと堪らずに、彼女が来てくれた時に聞いてしまった。

「君は結婚するつもりはないのか?」と。

そんな相手がいるのだろうか。最初の時にお互い他の人に本気になったらやめよう、と約束している。
彼女はじっと俺を見て、真面目な顔で言う。

「お嫁さんが欲しいと思ったことはあります」

お嫁さん?顔に疑問符が浮かんでいたのだろう、彼女は微笑する。
俺とこういう関係だけどそっちもいけるクチだったのかい?

「家に帰ると食事とかお風呂が用意されて、出迎えてくれる人がいたらいいな、幸せだろうな、と思います。
今は帰って寝るだけですから。だから奥さんが家にいてくれる男性の先生方が羨ましいです」
「えっと、女性と結婚したい、というわけではないのかな?」
「そちらの趣味はありません」


ほっとしつつ、今、俺は危険な方向に舵をきろうとしていると自覚する。内心がどうであれ冗談めかした、そして何故か
自信たっぷりな強気な物言いになるのは良い癖なのか、悪い癖なのか。

「君だったら相手は選り取り見取りだろう。草食系を捕まえるか?」

そう言う俺に彼女はさっきとは別の笑みを浮かべる。自嘲するような、皮肉めいた感じで目が笑っていない。

「可愛くないですから結婚には向きません。するつもりもないです。スタッフ曰く私は男前らしいですよ」

その言葉に眉が上がるのを自覚する。可愛くない?いやそんなことはない。
普段クールな彼女が俺に抱かれて始めのうちは声を耐えて乱れまいとするのに、それがかなわなくなってからは無意識に
すがり付いてきて全身で俺を受け入れ腕の中で登りつめる。
必死に押さえる声も、細かな体の震えも、上気して汗ばんでゆく肌も、俺を見て潤む瞳も可愛いと思う。

「いや、君は可愛いと思うけど」
「教授しかそんなことはおっしゃらないです。私は可愛げのない面白みのない、もういい年の人間です」

彼女はそう言いきると身支度を整えた。ドアノブを握ってこちらを振り返る。

「教授こそ、そろそろ落ち着かれたらいかがですか?いつまでもこんな関係を続けていても不毛ですよ」

俺の返事も待たずに彼女は部屋を出て行った。

一人きりになって、急に寒々とする。初めて彼女から踏み込んだ発言をされたのに気付く。
こんなに、何年も経ってから。
落ち着けだと?不毛?……とんでもない。
彼女の存在と関係は俺に良い刺激になった。彼女のおかげで人に関わる楽しみを堪能することもできた。
自分の感情がこんなに動いたのも初めてなら、大人気ない自分を自覚したのも、みっともない姿を晒したのも彼女ゆえだ。
いい年というが、彼女にはいつまでも清潔感があって、仕事はクールで十分大人なのに年より下と思わせる可愛らしさを
あわせもっている。言われて初めて彼女の年齢に思い当たったくらいだ。
それでも俺よりずっと若い。

「俺は彼女より忙しいし、家で出迎えてほしいクチだし」

第一結婚には向かない、しないと彼女は断言した。
好きも愛しているも言えない。まして、

「プロポーズもできないのか……」

考えても答えのでない問題に頭痛がしてくる。どうやら俺は地雷を踏んだらしい。
ずっと彼女に可愛いと言ってきたのに、彼女には届いていなかったようだ。それが彼女のコンプレックスだと分かっていた。
俺に言わせれば誰が見ても分かる可愛さより、冷静な中にふと垣間見えるそれがどれほど魅力的か。
冷静さを保てなくなった時のそれがどれほど俺を縛るか。どれほどそそるか。
その落差にどうしようもなく惹かれてしまうのに。
彼女は俺との付き合いを不毛、ととらえているのか。
こんな経験は初めてで一人きりの部屋で、珍しく頭を抱えてしまう。
面倒くさがりの常で人ときちんと向き合うのを回避してきたつけが一気に来た気分だ。

終わり?


おまけ

「結婚か」

その単語は古傷をえぐる。何年経っても否定された痛みは消えてはくれないらしい。
自分の進歩のなさ、成長のなさに全く呆れてしまう。同じところをぐるぐる巡っているようだ。
可愛げのない、面白みのない、庇護欲をそそらない。
彼はそんな私を素直だと言ってくれた。冷たくないとも言ってくれた。
可愛いと言われて嬉しかった。そんなことを言ってくれるのは彼くらいだったけれど。
さっき抱かれる時以外で初めて彼に可愛い、と言われたけど何故だか惨めな気分になる。
彼には誰から見ても可愛い人がいる。それを知らないと思っているのだろうか。

結婚する気がないのか、なんて。

彼にとっては私は都合のよい相手だったけれど。さすがに年を重ねたからそろそろお払い箱なんだろうか。
だからあんなことを言い出したんだろうか。関係を清算して欲しいのだろう、な。

「ちょっと長く続けすぎたかな。飽きて当然か」

彼がきちんと手間暇かけて口説く女性を料亭や高級レストランの料理とすれば、私はファミレスやコンビニの料理や弁当のような、
いや、彼の都合で呼び出されて出向くのだから宅配のピザのようなものだ。
手軽に空腹を満たせるけどそれだけの存在。

――手軽がとりえなのに、色々重くなってしまったのなら私にはもう価値はない。
彼が私に望むのは時間と手間の短縮で、口の堅い従順な部下であることで。――都合のいい女であること。

割り切ってその役回りを引き受けていたはずだったのに。
いつからかそれが辛く苦しいものになった。部屋での時間はともかくそこを出た後での空しさが無視できないほど大きくなってきた。
彼のまわりにいる女性から目が離せなくなったからだろうか。あの可愛らしい姿を、素直な口調を、引き込まれる笑顔を羨んでいる
ことに気がついた時、自分の立場を思い知らされた。
目をそらしていた現実がそらしていた分だけ重くのしかかる。その惨めさをやり過ごせそうにない。
もう潮時だろう。
引き際を見誤ってはいけない。不自然な形で始まったのだ、そしていつも終わりは心のどこかにあった。
彼の可愛い人の話も後押しになった。私の事情もよすぎるほどのタイミングだ。
そうでなければ彼にあんな口はきけなかった。
もう十分、長い時間を彼と関われた。もう十分、いやこれに関しては不十分だが誰よりも近くで教えてもらえた。
だから、もう……






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