シチュエーション
彼女の髪から垂れ落ちた水滴が落ち、ぽちゃん、と音が響いた。 メイベルは俯いて膝を抱えたまま、その水滴が波紋となって広がるのを見ている。 「どうしたの?」 彼は、メイベルの顔を覗き込んで尋ねるが、彼女は下を向き、 目を合わせてくれようとはしない。 彼女の顔は見えないが、その耳は真っ赤。 「…やっぱり…あの…恥ずかしい、です…」 「何が?」 「な、何がって…」 彼女はそこでようやく少しだけ、目線をあげる。 「旦那様と、お風呂に、入るなんて…」 広い浴室で、二人は同じ湯舟に体を沈めていた。 人が泳げるほどの大きなバスタブ。 金持ちのための建物は、こうして不必要なところにやたらと面積を費やされるということを、彼はよく知っている。 メイベルは、大きなバスタブの隅で、膝を抱えて動かない。 髪を高くまとめ、タオルをきつく体に巻き付けている。 「風呂は嫌い?」 いつもの調子でクリフが言うと彼女は、むきになったように声を荒げる。 「そ、そういうことではなくて…!」 真っ赤な顔をあげるが、主と目があうと、 彼もまた何もまとっていないことを思い出し、慌てて視線をそらした。 「旦那様」 恨めしそうな声で、彼女は言う。 「わかってておっしゃってますね」 「うん」 クリフがにっこりと笑いながら答えると、メイベルは どうしていいかわからないというような表情でうつむいた。 恥ずかしそうに両手で肩を抱き、湯船に顎先を沈める。 初心で真面目なメイベルは、何かあると大げさなくらいに、こうして恥ずかしがる。 クリフが一緒に風呂に入ろうかと言ったとき、 当然のように彼女は猛烈な勢いで拒否をした。 しかし彼がこんなことをできるのは今日くらいだから、というと メイベルは時間をかけて悩んだ末、こう言った。 ―眼鏡を外していてくださる、なら。 メイベルは、見られることをとことん避けた。 膝を抱えたままクリフの方を見ようとはしない。 彼女の横顔はのぼせたように紅潮し、すっと伸びたうなじや細い肩から濡れた水滴が流れている。 そして、その膚のあちこちには、毎晩のように彼が唇で刻みつけた淫らな跡。 「あまり、見ないで、ください…」 彼女は小さな声で抗議し、彼に背を向ける。 「見えていらっしゃらないとはいえ、やっぱりこちらを向かれると…なんだか」 「注文が多いなあ」 クリフは苦笑する。 「だ、だって…!」 彼は、その言葉を遮るようにして、後ろから抱きしめる。 彼女にしては珍しく丸まった背中がびくり、と大きく跳ねた。 「こうすれば、見えない」 濡れた腕で抱きしめるとぴったりと膚が密着する。思った以上に彼女の温度は高い。 「…だ、だんな、さま」 「何?」 「恥ずかしい、です」 「君はそればっかり」 彼女の顎を片手で支え、その細い首筋に垂れ落ちる水滴を舌で舐めると、彼女はくぐ もった声をあげた。 「…んっ」 「他に感想はないの?」 クリフは低い声で聞く。 「…すき…です」 彼女は小さな声で繰り返した。 「クリフさまが、好きです…」 彼の体は気がつくと動いていた。メイベルを振り向かせ、強くキスをする。 何かを奪いとるような激しい口付けに、メイベルは一瞬体を堅くし、そしてすぐに受け入れた。 「ん…」 水音と体にまとわりつく湯気が、頭の中をぐらりと揺らす。 唾液を絡めるようにして舌を動かすと、苦しそうに彼女は呼吸を漏らす。 長いキスのあと、彼は額と額をくっつけたままメイベルを見る。 彼女の大きな目には、官能の色が、じわりと浮かんでいる。 「ねえ」 彼女の体に巻きつけられたタオルに人差し指をひっかけて引っ張ると、彼は囁く。 「これ、邪魔だと思わない?」 「だ!旦那様…だめです…っ!ここでは」 「なんで?」 「だって、もう、のぼせてしまいます」 真剣な表情で言うメイベルの顔は、確かに酔ったように赤い。 なんだか可笑しくなり彼は吹き出す。 「それもそうだけど」 「だから、もう、出ましょう?ね?」 子供をあやすようにして、メイベルは言う。 「その前に」 彼はそういうと、首から肩にかけてゆっくりと指を這わせる。 「見せて」 「い、嫌です…」 「どうして?」 「お見せできるような…ものでは…」 彼女がいつも恥ずかしがるのは、真面目であるからという理由だけではないのだろう、とクリフは思う。 彼女は自分に自信がないのだ。 仕事のためだけに生きてきて、誰かに愛されたような経験もなければ 身なりに気を配るようなこともなかった, そんなこれまでの人生を顧みれば、それは無理のないことかもしれない。 「君はなかなか信じてくれないけど」 彼はいつものように、彼女を抱きしめて言う。 「君はとても可愛い」 彼女は腕の中でしばらく俯いていたが、やがて静かに顔を上げた。 その表情の艶めかしさに、彼はぞくりとする。 「旦那様がそう、おっしゃるなら」 いつもは恥じらいに顔を背ける彼女が、まっすぐに必死に、真っ赤な顔でこちらを見つめている。 「…信じます」 彼女はまるで、誓いの言葉のようにそれを言った。 クリフは彼女の純粋さに衝撃を覚える。 胸の奥にこみ上げる、驚きと愛しさ。 そして。 ―寒気のするようなおぞましさ。 「あんまり可愛いこと言うと」 彼は薄ら寒い感覚が激しく心を掻き回してゆくのを、おくびにも出さずに言う。 いつでもメイベルはこうしてまっすぐで、つつましく、ひたむきで、素直で。 「ここから出られなくなっちゃうよ」 彼は言い、彼女の耳に唇を寄せ、焦らすように吐息を吐きかける。 傷口から吹き出した血のように止まらない不快感。 不安、困惑、焦り、そしてその奥に隠している。本当の自分のこと。 「…ん…っ」 彼女が声を漏らし、わずかに身を捩る。 メイベルは唇を噛み、物欲しそうな表情を浮かべる。 「どうしたの?」 彼は意地悪く微笑み、言ってみせる。 息を吸うように水を飲むように。 愛するメイベルにすら、たやすく彼は自分を偽る。 「旦那様は本当に、いじわる、です…」 「どうしてほしい?」 メイベルは、ぱくぱくと僅かに口を動かすが、恥じらいが邪魔をして、言葉を続けることができない。 白い膚、濡れた髪、潤んだ目、うっとりとした表情、半開きになった唇。 どうしてだろう、と彼は思う。 彼女の持つ一つ一つの物が、こんなにも自分を引きつけてやまないのは。 そして。 ―自分がこんなにも醜いのは。 彼は抑えられなくなり、強引に、激しいキスをした。 タオル奪うように引きはがし、その体を求める。 「…や…っ、あ、…だ、だんな、さま……っ」 柔らかく、温かく、か弱いその肢体。 膝を割り、バスタブのヘリに彼女の体を押し付け、唐突に挿入する。 「あ、…んんっ!」 彼女は声をあげる。 「だめ、そんな…急に…」 言葉とは裏腹に、彼女の奥はとうに濡れ、彼の物を呑みこむようにするりと受け入れる。 淫らな声が浴室に響き、彼は中をかき回すように動かす。 彼女のことが好きだ。死ぬほどに。自分を保てなくなってしまうほどに。 しかしなんだろう。 覚めきった頭の芯を、この胸の奥を。 ざらざらと撫でる感覚は。この、せり上がる吐き気は。 ―旦那様の、ご家族は? 心臓の奥に凍えた針が突き刺さるような感覚。 耳鳴りのような、金属的な不快感。 避けて通ることはできないと頭ではわかっていたはずの、自分の過去。 しかし。 「あ、ああ…いや、駄目です!クリフ、さま…」 切なげな表情を浮かべ、彼女はクリフにしがみつく。 快感と恐怖。そして愛しさ。腰を激しく動かしながら、頭の中は目まぐるしく回転する。 ―知られる訳にはいかない。 自分がどういう人間なのか。何をして生きてきたか。それは、彼女には、絶対に。 「ねえ、メイベル」 目を閉じて、雑音を排除し、クリフは彼女の膚に溺れようとする。 「恥ずかしい?」 声はいつもと変わりないように、慎重にさりげなく。 「…あ、ああっ…」 メイベルは答えることもできず、力なくがくがくと首を振る。 胸に顔を埋め、優しく舐めながら、もっともっと、彼女の思考能力を奪う必要がある、と思った。 彼女が異変に気がつかないように。 自分しか見えなくなるように。 自分から離れられなくなるように。 「しょうがないね、君は」 口はどこまでも滑らかに、不誠実に動く。 「今日はたくさんしてあげる」 彼女の注意を上手に逸らすような、挑発的な言葉。 「この程度で恥ずかしいなんて言えなくなるくらい恥ずかしいことを、たくさん」 彼女の表情が、弾かれたように変わった瞬間に、キスをする。 可愛いメイベル。彼女が好きだ。今までにないくらい。経験したことがないくらい。 しかし、彼の頭の中心はどこまでも冷たく痺れ、彼女に浸りきることを許さない。 浴場で交わり激しく果てた後も、彼はメイベルを休ませることはしなかった。 彼女の体を抱きあげてベッドに運び、ろくに体をふくこともしないまま、激しく求め続ける。 「あ…いやっ…」 彼女の濡れた体と髪の毛が、彼の皮膚に縋るように張り付く。 まるで人魚だ、と彼は思う。 乱れたシーツの波に、打ち上げられた体。でも王子様は迎えにはこない。 ―君は俺に捕まってしまったから。 「あ、クリフ、さ、ま…っ…わたし…」 クリフは彼女の言葉が終わるのを待たずに、指を差し入れる。 「んああっ…!!」 「ねえ、わかる?」 わざと音を立てて動かす。 「こんなにとろとろになってる」 「いっ…言わな、いで…ください…」 「言われるのが好きな癖に」 彼がぐっと指を奥まで差し込むと彼女はひときわ大きな声を上げる。 「う…あっ…」 彼女の両手を押さえつけ、逃げられないようにして、中をかき回す。 「…ん…ん、んんんんっ!!」 「君の好きなようにしてあげる」 反対の手で乳首を指でつまみ、すり潰すように刺激する。 その赤くなった耳を舌で舐める。 「どうしてほしい?」 感じるところを同時に責められて、彼女は我を忘れて声を上げる。 「ひ、あ…ああ、いやあ、いやっ…!」 メイベルは無意識に彼の背中に爪を立てる。ぐ、と食い込む鋭い爪の感覚。 しかしクリフはその痛みさえ愛しく感じる。 「君の願いはなんでも聞いてあげる」 「あ、あ…クリフ、さま…!」 彼は、メイベルの口から垂れる涎を舐めとる。 「だから俺に、君をちょうだい」 彼女の腰を引き寄せると、怒張したもので突きあげる。 「あ、あああああ…っ!!」 悲鳴に近い喘ぎが漏れる。 可哀想な、メイベル。彼は思う。 少し触れられるだけですぐに溢れるような。 いくら抑えても声が上がってしまうような。 乱暴に突かれるほど濡れてしまうような。 恥じらいさえ感じる余裕がなくなるほど、よがってしまうような。 こんな体に作りかえられて。 「…さしあげ、ます…クリフ様に、みんな…」 メイベルは絞り出すように、言葉を紡ぐ。 「ぜんぶ…あげ、ます…わたしを…」 そして彼女は囁くように言った。 「…愛してます」 彼は焼けつくような感情に振り回される。 ―俺も、愛してるよ。 そう思った。 しかしなぜか、それは言葉にはならなかった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |