姫と盗賊
シチュエーション


王国北部の要であるエデュの街には由緒ある建物が多いが、旧市街のただ中に他を圧してひときわ壮麗なそれがある。
街の名の由来ともなった古の聖女を称えて作られた教会と北部駐屯軍の広大な軍舎に挟まれるように立つ白亜の建物。
王国有数の格式を誇るサンテデュ女子修道院である。



「姫様、イヴァン様から書簡が参りましたよ」

三階の窓辺に拠り、目の下の広場の練兵風景を見るともなく見ていたコリーヌは、呼びかけた女官に振り向いた。
明るい灰色の衣裳に身を包み、あっさりまとめて真珠の櫛を刺した濃い茶色の長い髪、落ち着いた薄い琥珀色の瞳で色白の、見た目の派手さには欠けるが相当に美しい娘だ。
だがどこか線が細く危うげで、背が高いわりには華奢に見えた。
実際、年齢は二十代半ばなのに小娘じみて見えるのはそのせいか。

コリーヌはおっとりと口を開いた。

「来週には私は出家するのですよ。ミシェル、『姫様』はそろそろおやめ」

中年の女官は決まり悪げに一礼し、手に捧げていた文筒を差し出した。

「どうぞ。そういえばコリーヌ様、駐屯軍のオベル連隊長が今度退役なさるとかで」
「そう。挨拶にいらっしゃるの?」

コリーヌは筒の中から、丸めた羊皮紙をぽんととりだした。

「明日夕食をご一緒なさいませんと。国王陛下のご名代も大変ですわね」
「そうねえ。でも、それも来週までだと思うと不思議な気分…」

羊皮紙を延ばし、コリーヌは弟からの手紙を読み始めた。

「まあ」

すぐに唇に微笑が浮かび、彼女は女官に声を掛けた。

「ミシェル、おめでたい知らせよ。ナタリー様がご懐妊なさったわ」
「まあ!」

世継ぎの若い王子夫妻に早くも子供ができた事を知り、女官は手を打ち合わせた。

「さぞかし両陛下がお喜びでしょう。なにしろお世継ぎにはご苦労なさいまし…」

そこまで言って、女官は急に言葉を濁し、筒を点検するふりをした。
コリーヌは笑った。

「気を遣わずともよいのよ。それよりイヴァンに祝いの文をやらなければ…紙とペンを」

女官が急いで用意をする気配を後ろに、コリーヌは琥珀色の目をまだ冬の残る薄曇りの空にあげた。

コリーヌは国王と王妃の一番目の王女である。
不幸なことに父の国王は結婚後、十年近くも子供に恵まれなかった。
やっと生まれたコリーヌの兄たちが二人続けて夭折し、王子で残っているのは彼女の弟のイヴァンだけだ。
妹の王女たちがあと三人いるが全員蒲柳の質であり、長姉のコリーヌも例外ではない。
女子修道院に入ると決めたのは穏やかで学問を好む性質の彼女自らの意思だったが、それを了承した両親の気持ちもわかる気がする。
政略結婚に供するには躰が弱すぎる娘なりの幸せを思えばこそであろうし、その思いやりには感謝するばかりだ。
弟の婚礼を機に、この由緒ある修道院に彼女は移った。
仲の良かった世継ぎのイヴァンは兄弟姉妹中例外的に頑健な体質の上姉と同じく聡明でもあり、それもこうして無事に妃との間に跡継ぎを得られる事がわかってみればもはや後顧の憂いは何一つない。

ない……はずなのだが。



「しかし、最後の最後にこうしてコリーヌ姫様に拝謁を賜りますとは、誠に思いがけない事であります」

連隊長のオベルは声の大きい、いかにも軍人らしい態度の初老の男だった。

「北部は北部でよい所ではありますが、なにぶん寒うございましてな、長年の軍隊生活が祟り…」

昨年から持病のリューマチが悪化して、進退願いを出していたのがやっと先週聞き届けられたのだという。

「私の後がまはジェイラス将軍の甥で、現在王宮付衛兵隊長を務めておる男です。ご存じでしょうかな」

コリーヌは、巨大な体のわりにはきびきびと動く寡黙な衛兵長を思い出した。

「サディアス・ダジュールですね。若くとも彼ならば安心なさって結構だと思いますわ」
「よくは知りませぬが、将軍の推薦であれば甥でも実力がありましょう。ご存じかな、私はストラッド攻防戦の折には将軍と同じ隊でして…」

聡明で美しい王女相手に思い出話と食事を楽しみ、オベルは終始上機嫌であった。
これからどうするのかと王女が尋ねると、田舎の領地に引っ込んで経営に明け暮れるつもりです、と大声で笑い、やがてオベルは立ち上がった。

「では、ご寛容に甘えてついつい居座りましたがこれにて失礼を致します。コリーヌ様、ご歓待いただきまして誠にありがとうございました。爺の自慢としてこれも孫に語ってやる事どもになりましょう」

王女が見送りのために立ち上がろうとするのを固辞し、初老の連隊長はふと、彼女に視線をやった。

「コリーヌ様は先月お越しになられたばかりだからご存じありますまいが、このところエデュでは夜な夜な不逞の輩が出没しておりましてな」

コリーヌはにこりと笑った。

「『盗賊アルディ』の事でしょう。なんでも宝石や貴金属が大好きとか。修道女の間でも評判ですわ」

オベルは慨嘆した。

「なんと。修道院におられようが女性というのは誠に耳の早いものだわい!…おっと、ご容赦を」

コリーヌは興味津々に尋ねた。

「まだ捕まりませんの」
「これがなかなか腕がいいと申すか、はしっこい盗人でしてな」

オベルは半白の眉をしかめた。

「警察も憲兵もやっきになっとるがまだまだのようです。ものがものだけに金持ちの商人や貴族の館だの大きな寺院だのを狙います。幸いまだこのサンテデュは押し入られてはおりませぬが…」
「隣が北部駐屯軍の本部では、入る気が失せるのも無理はありませんわね」

コリーヌは頷いた。
オベルは誇らしげに胸を張った。

「ま、そうであればよろしいのだが。一応こちらにも憲兵はおつけしております。それにしてもお気をつけくだされよ、うっかり窓など開けておかれませんようにな」
「ご安心くださいな」

コリーヌは微笑した。

「出家するのですもの、狙われるような宝石など持って参っておりません」
「いや、相手は下賤の輩ですぞ、姫様。そのような事情は何もわかってはおりますまいよ」

オベルは肩を竦めた。



この髪をくしけずるのもあと数日というところだ。
就寝前の儀式のように生まれてこのかた続けてきたが、この髪も短く切りそろえれば、慣れるまではさぞ寂しいことだろう。
つややかな茶色の髪を寝間着の肩に流して、コリーヌは立ち上がった。
オベルとの会食が終わって三日たち、彼女の誓願の日までの日にちは二日と迫った。
もっとも出家とは言い条、実際の儀式はかなり賑やかなものである。
彼女の身分が高い事もあり、この修道院の院長に迎え入れられる故もある。
神との婚儀を執り行うその日には同じく出家する貴族の子女たち6名も含め、サンテデュあげての壮麗な催しになる予定だった。
コリーヌは窓の傍にうちかけてある儀式用の衣裳をちらと眺めた。
レースをふんだんに使ったそれは贅沢で純白の、それこそ普通の婚礼衣装と変わらぬ豪華さを漂わせている。

殿方のために着てもよかったのだけれど…。

コリーヌは物思いに耽りながら窓辺に近づき、背の高い窓を開けた。
細い雨の糸が無限に、室内からの蝋燭の弱々しい灯りに浮かび上がっている。
いつの間にか降り始めたらしい。もう雪ではないが、とても冷たい雨だ。
狭いベランダが続いていたがそこには出ず、椅子に腰掛けた彼女は冷え冷えとした湿った夜気を吸う。

…無事に子供が望めるならともかく、無理を通したあげく産褥の床で死ぬのも気が進まない。

恋でもしていればそれでも良いと思えたのだろうが、特段惹かれる男性に出会うこともなく深窓の姫としてここまでうかうかと生きてきてしまった。
もっとも病弱の彼女が無事に成人するとは両親も思っていなかったらしい。
幸い彼女は勉学が好きで、しかも博士たちから太鼓判を押されているほどの探求心と考察力を兼ね備えている。
ここサンテデュ女子修道院の院長として、歴史ある附属図書館の管理をし、躰をいたわりつつ学究の日々を送るという道も得た。
たいして事件が起こることもなさそうな日々だが、それはそれで穏やかな人生だ。
悪くない。

…そう思いつつ、コリーヌは衣裳に手を伸ばして撫でてみた。
レースの、繊細に爪にひっかかる感触がすがすがしく、新鮮だった。
その時、ベランダで小さな音がした。
上で差し交わした大木の枝が軋み、やがてがさがさと一気に葉ずれの音。

コリーヌは立ち上がり、急いで窓に近づいた。
窓枠にかけたその指を掴み、引き剥がしたのは男の手である。

「しっ」

目を丸くしたコリーヌの口元をもう一方の掌で覆い、手の持ち主は勢いよく部屋の内側に入ってきた。

「しめた、まだ運の尽きではないらしい」

コリーヌは目だけでちらと男を見上げた。
背の高い彼女よりさらに背が高い人物である。
黒っぽい地味な服装、荷物は持っていない。いや、腰帯に短剣かナイフのようなものをつけているのが唯一の武器だ。
全身雨に打たれていたらしく濡れている。
顔は疲労の色が見えるがまだ若い。

「なんて建物だ。こんなに滑りやすいとは思わなかった」

男は呟きながら掌に力を込めなおそうとした。
だが、コリーヌがおとなしくしているのに気づいたらしい。
ひきよせていた彼女の手首を離すと、目を合わせた。
男の目はほとんど黒に近い焦げ茶糸だった。

「大声を出さないなら、手を離してやろう」

男が言い聞かせるように呟き、コリーヌは目顔で頷いた。

「聞き分けのいい女だ。珍しい」

男の手が離れ、彼女は急いで深呼吸をした。
自分が落ち着いてはいる事はわかったが、我が身に降りかかったこの珍しい事件に奇妙に胸が高まっている。

「…では、おまえが『盗賊アルディ』なの?」

男は黒っぽい目をすがめた。

「どうして?」
「それ以外に考えられないわ」

男はまじまじと彼女を眺めた。
コリーヌも負けじと彼を見つめた。
正面から見ると、まだかなり若いらしいことがわかる。
おそらく彼女と同じくらいの年齢だろう。

「で、アルディだとわかったら?」
「ここに来た望みを聞きましょう。聞くだけですよ。叶えられるかどうかはわかりません」

男は頭を振り、髪の水滴を跳ねとばした。

「それでは意味がない」
「大体の察しはついております」

コリーヌの言葉に、男は顔をあげて口元に微笑を浮かべた。
卑しげな笑い方ではない。
盗賊にも感じのいい…といって悪ければ、人当たりの悪くない者もいるらしいという発見をコリーヌは興奮とともに心に刻んだ。

「では、教えてもらえないか。どこにある?」
「ありませんよ」

簡単にコリーヌは言った。

「ここは修道院ですから宝物などありませんし、特に今はおまえが活躍しているという事で先日来、聖遺物なども全て駐屯軍に預けております」
「駐屯軍」

男は舌打ちした。

「さすがにあそこには歯が立ちかねる。聖遺物は好きではないし」
「残念でしたね」

コリーヌは微笑した。

「それにここの修道院の石材は濡れると本当に滑りやすいのよ。石英を含んでおりますから。ちゃんと調べないと危ないわ」

男は眉をよせて彼女を見た。
盗賊におびえるどころか理路整然と喋る彼女にとまどっているらしい。

「では」

彼はゆっくりと言った。

「今、こちらには新院長としてこられた王家の姫君がおられるはず。その寝所はどちらかを教えて欲しいのだが」
「ここです」

コリーヌはまたあっさりと答えた。

「でも、ここには宝石もなければおまえの好きそうな金銀もありませんよ。嘘だと思うなら、探してみてもよいけれど」
「……なるほど」

男はじっとコリーヌを見た。

「あなたが姫君か」
「コリーヌといいます」

彼女は初めて落ち着かない気分で男を見上げた。
いかに深窓の姫とはいえお付きの者が常にいる生活なので人に見られるのは比較的慣れているのだが、こう一人の人間に間近で興味を示されたことはない。

「私が珍しいですか?」

思わず尋ねると、男は苦笑した。
無遠慮に眺めていたことに気づいたらしい。

「いや、初めて王家の姫を拝見したもので。弟君の顔は知っているが」
「私ども姉妹はみなあまり人前に出ません」

コリーヌは呟いた。

「弱いものですから」

顔を伏せた彼女の、ほっそりとかぼそい首に男は視線を落とした。

「そのようですな」

彼はつぶやき、コリーヌから離れた。
男の言葉がやや丁寧なものになった事を彼女は感じている。

「それにしても王女ともあらば一つや二つはなにかお持ちのはずだ。悪いがお言葉に甘えて探させてもらおう」
「どうぞ」

男が部屋を手早く調べて回るのを、コリーヌは長椅子に座って眺めていた。
てきぱきとした動作を見ていると、このような深夜に盗賊と一緒に部屋にいるということが、面白い夢のような心地である。
連隊長オベルはずいぶん下賤の者のように言っていたが、実際の『盗賊アルディ』は結構紳士的で乱暴ではない。
言葉から察するに、中流以上の市民階級の出のようだ。王宮に出入りする商人や議員のしゃべり方によく似ている。
どういう素性の男だろう、と彼女は思った。

「おまえのその名は、本名ですか」

男は声をかけられた事に驚いた様子で、彼女の紙ばさみを持ったまま向き直った。

「『盗賊アルディ』」

コリーヌがつけたすと、彼はまた肩を竦めた。

「もちろん違う。本名はもっと平凡です」
「教えてくれませんか?」

彼はもっと驚いた様子で紙ばさみを置いた。

「なぜ?」
「………あら。そうね。教える人はいないわね」

コリーヌも驚いた。
本名を知ってどうしようというのか。
いくら物腰が穏やかといっても相手は盗賊である。

「では名前はいいわ。今はアルディと呼びましょう」
「お好きに」

男……アルディは呆れたような視線を残し、探索に戻った。
その後ろ姿に、彼女はまた声をかけた。

「なぜこんな仕事を?」
「………それがあなたになにか関係がおありで?」

その声に少々うんざりしたような響きを察知し、コリーヌはさっと頬を紅潮させた。
確かにその通りである。

「それもそうね。続けてください」

あまり時間もかけず、アルディは部屋の中央で腰に手をあててそのへんを眺め回していた。

「言った通りでしょう」

コリーヌが控えめに言うと、彼は頷いた。

「王侯貴族にしては実に珍しい部屋だ」
「女子修道院などに入ったのが間違いでしたわね」

コリーヌが思わず頬をゆるめると、アルディは焦げ茶色の目でじっと彼女を見た。

「確かに。なぜあなたのような人が修道院に?間違いだ」
「…………」

思わず顔をあげると、アルディは至極不思議そうな表情をしている。

「あなたは美しいし、頭もいい。多少詮索好きのようだが」
「言ったでしょう」

コリーヌは返した。

「虚弱で結婚生活には耐えられそうもないんです」
「修道院のほうが厳しいだろうに」
「何もわかっていないのね」

王女はため息をついた。

「王族の結婚には必ず義務が課せられるのです。子を身ごもり、産むというね。それが無理ならば他に道はありません」

「なるほど」

アルディはゆっくりと言った。

「身分ゆえの悲劇というわけですな」
「……幸い、仕事や勉強は好きですのよ」

顔をさっと振り、彼女は明るい声で言った。

「それはともかく。さあ、嘘ではありませんでしたでしょう。これからどうするの?」
「退散するしかなさそうですな」

彼は顔をしかめた。

「どこから?」

彼女はアルディを見た。

「入り口には憲兵が張り付いていますよ。連隊長が言っておりましたもの」
「では、来たところから」

コリーヌは立ち上がり、窓を押し広げた。
強まった雨足の音が響き、それをアルディが聞いたことを確かめて彼女は窓をそっと閉じた。

「…今度はベランダではなく地面まで真っ逆様に落ちそうですわね」
「くそ」

アルディはイライラと髪をかきむしった。
コリーヌはきっぱりと言った。

「私の前でそんな汚い言葉はおやめなさい」

あっけにとられたようにアルディが顔をあげると、コリーヌは頷いた。

「弟もたまにそんな言葉を遣います。聞くといやな気になるものだわ」
「…………」

なんとも複雑な顔になった男に、彼女は言い聞かせた。

「雨が小やみになるまでここに居てもいいですから。お話でもしていましょう」
「…………………」

アルディはもっと複雑な顔になった。



「このような事はよくあるのですか?」

彼女は、向いの重い革張りの椅子に座ったアルディに尋ねた。

「このような事といいますと」

相変わらず丁寧な口調なので、本当に世間話をしているような気分になってくる。まさか姫君と盗賊との会話とは誰も思うまい。

「何も収穫がない場合です。労力に見合うとは思えません」

アルディは微笑した。

「対象が高価なものなのでね。それなりに埋め合わせはつく」

オベルが、盗賊アルディは宝石や貴金属を主に狙うと話していたことをコリーヌは思い出した。

「盗んだものはどうするの?」

興味津々で彼女が尋ねると、彼はぼそぼそと言った。

「ま、換金しますが…そこまで知りたいものかな。どうも不思議ですな」
「怪しまれないの?」
「それは蛇の道はヘビでして…いや、しかし」

アルディは急に自分の妙な立場に気づいたらしく、頭をあげた。

「なぜあなたに詳しく喋らねばならないのです?」
「知りたいのよ。世界は広いのね」

コリーヌは熱心に言った。

「知らぬ事を聞くのは面白いわ」
「………」

アルディはため息をつきかけ、その拍子にくしゃみをした。

「あら、まあ」

王女は立ち上がった。
急いで寝台に置いていたガウンをとってくる。
アルディに着せかけようとすると、盗賊は抵抗した。

「余計な世話です」
「びしょぬれではないの。風邪をひきます」

その手首を握り、アルディはじっとコリーヌの顔を見た。

「あなたには関係ない」

そう言われればその通りである。
コリーヌはそっと言った。

「では、せめて髪だけでも拭かせてちょうだい」

アルディは深々と息を吐き、細い手首を放した。

「………ご勝手に」



コリーヌはガウンを握ってせっせと盗賊の髪の水滴を拭った。
本当はもっと用途に合った布もあるのだが、ミシェルを呼ぶわけにもいかないしハンカチではすぐにびしょびしょになってしまう。
雨とこの男の頭皮や髪から立ち上る生々しい臭いが入り交じるが、コリーヌは初めて嗅ぐにも関わらずそれをイヤだとは思わなかった。

「いい匂いがする」

低い声でアルディが呟いた。

「そうですか。洗濯の時、濯ぎに香草の根を煎じたものを使うから」

男の首すじに垂れた水の流れを拭いながらコリーヌは応じた。

「あなたの匂いでしょう。ガウンだけではない」

コリーヌは手を止めた。
椅子に座ったアルディが、すくい上げるように彼女を見上げていた。

「見知らぬ男にこんなに親切にするはやめたがいい」

コリーヌは呟いた。

「でも放っておけば風邪をひきます」
「構わないでしょう。おれは盗賊だ」

コリーヌは困惑を滲ませた琥珀色の視線を間近の男のそれに絡ませた。

「盗賊でも、おまえは、そう悪い者ではなさそうです」
「深窓の姫君らしく、やはり世間知らずですな」

腰に腕が廻されていた。
抱き寄せたコリーヌの唇に男は唇を触れさせた。
すぐに男は離れたが、コリーヌはガウンを握ったままの片手を解放された唇にあてた。

「せめて唇を戴いていく」

盗賊の男は囁いた。

「ご勘弁願いたい」
「ずうずうしい男ですね」

コリーヌは眉を少しひそめ、唇から手を放す。

「いつもそうするのですか?」
「は?」

アルディは彼女の琥珀色の目を見た。

「思うような宝石がないと、おまえはその館の子女の唇を奪うのですか?」

彼はふっと笑った。厭味な笑いではない。

「好みの女ならね」
「そう……」

コリーヌはアルディの腕の中で考え深げに首を傾けた。

「私は明後日、修道女の誓願をするのですが──」

男は呟いた。

「もったいない話だ」
「ありがとう」

真面目に答え、彼女は続けた。

「──誰にも言えぬ事ですが、神の花嫁になる前に、一度でよいから体験してみたかった事があるの」

「どのような」

コリーヌはじっと盗賊の男の顔を眺めた。若々しいその顔を改めて見ても嫌悪感が浮かばぬ事を確認する。

「殿方に抱かれる事です」

あまりにも普通の口調だったので、アルディは一瞬聞き逃したらしかった。
頭にその言葉がやっと到達したらしく、彼は口をかすかに開けた。
その反応を見たコリーヌはさすがに少々頬を赤らめた。

「……はしたないと思いますか?」
「いや──」

盗賊は首を振った。

「驚きはしたが」
「良かった」

コリーヌはほっとしたように微笑した。

「納得したつもりでもやはり女に生まれたのですから、できるだけ人並みの体験はしてみたいのです。でなければ、後々までも悔やむと思うわ」
「あなたならそうだろう」

アルディは面白そうに呟いた。

「でも私は王の娘でしょう。誰も言い寄ってはくれないの」

王女は訴えた。

「意気地なしばかりだ」

アルディは彼女にもう一度キスをした。
おとなしくそれが終わるのを待ち、コリーヌは目を開けた。

「……間に合って良かったわ。おまえ、私を抱いてくれませんか」

アルディは不思議なものを見る目つきで彼女を見た。

「──答えはわかっているが、一応聞かせていただこう──初めて?」
「はい」
「おれは初めての女は面倒で苦手なんだが──」

コリーヌは至極穏やかな視線を彼に向けた。

「できるだけ迷惑をかけぬよう、努力するわ。出家するのですから、今後おまえにつきまとう事もありません」

盗賊の頬に微笑が浮かんだ。

「──いいでしょう」



奇妙な話である。
まさか修道院に忍び込んでこんな事になるとはアルディも予想だにしていなかったに違いない。
コリーヌは窓を閉め、扉の鍵を確認して振り向いた。
たおやかな手を動かして寝台を指し示す。
男は寝台に到着すると、丁寧に整えられたカバーの上に腰をおろした。
靴紐を解き、脱ぎ捨てる。
それを見ながらコリーヌは寝間着の胸に手をやった。
男女の交わりに衣服が必要ないことは知っている。
自分で言い出しておいてもたもたするのはイヤだった。
だがアルディは目顔で止めた。

「──こちらに」

コリーヌは解きかけた胸のリボンをそのままに、急いで寝台に向かった。
アルディがその腕を掴み、引いた。
男の上に倒れ、寝台ごと軽く弾む。

「こういうものは解いてもらうほうが、あなたも愉しいと思う」

彼はそう言うと、コリーヌの脚を寝間着の裾ごと引き寄せた。
彼女を寝台の上に降ろし、唇を覆う。
さっきの、合わせるだけのキスではなく、コリーヌの口中に男の舌が潜り込んできた。
彼女は目を閉じ、力を抜いた。

──たぶん、私はこの男のことが好ましいのね。

思った通り、アルディの唾液にもその臭いにもそう違和感を覚えぬ事で彼女は確信を持った。
自分でも意外なほどに見知らぬ男を大胆に誘い、しかもその男が厭がりもせず応えてくれるとは。
彼女は自分の美貌を知性ほどには把握しておらず、男というものにも無知だったのでこの顛末が奇跡のように思えた。

ごく自然に柔らかな舌が絡んできたので、男は口元を緩めた。
面白い女だ。
王女、しかも明後日修道院長になるという身でありながら自らなんという事を提案するのか。
たぶん普通の泥棒ならこんな面倒は御免だろう。
だが彼は興味を持った。
コリーヌの美しさもだが、穏やかでいて破天荒というこのギャップにひどく惹かれた。
王女を抱く機会などたぶん一生巡ってはこないだろうし、後腐れがないのも魅力的だ。
無事に退散する事だけは忘れぬよう、彼女の望みに協力するのもいいだろう。



解けかかったシルクの細いリボンをはずし、彼は掌を滑らせて王女の細く薄い肩を露にした。
肩幅といい丸みといいいかにも華奢で、病弱というのも頷ける。
だが肩から落ちた寝間着があらわした乳房は思いのほか豊かだった。
仰向けになっていてもふっくらと盛り上がって見える。
男はコリーヌの胴を両手で掴むようにして纏いつく寝間着を引き下ろした。
ほっそりとした躯だった。
布を放り、躯の両脇に掌をついた盗賊を、彼女はやや恥じらいながら見上げた。

「……痩せておりますでしょう」
「そうでもない」

アルディは彼女の乳房の先端に頭を下げた。

「ん」

ぴくん、とコリーヌは肩を竦めた。
淡い紅色の柔らかなそれを唇に軽く挟み、ほんの先を舌でなぞる。
白い肌の奥から早い鼓動が伝わり、アルディは思わずまた微笑した。
顎を大きく開けた彼が乳暈ごと口中に吸い込むと、コリーヌはその感触に小さくのけぞった。

「あっ」

舌が絡み付き、見えない場所で乳首に芯が通っていく。
男の口の中で自分の躯がどんな反応を返しているのか、コリーヌには感覚でしか察知することができない。
捏ねられている芯はとても敏感で、アルディの口元から濡れた音がたつたびに硬く尖っていくのがわかった。

コリーヌは唇を開き、熱い呼吸を逃した。
呼吸が勝手に早くなっていく。
男が身じろぎするたびに、顔の角度を刻むたびに、それに反応したくてうずうずする。
コリーヌは腕をあげた。男の頭におき、まだ湿っている暗い色の髪の毛に指先を潜り込ませる。
男が顔をあげた。ふるりと、吸われて伸びていた乳首が落ち、頼りなげに揺れた。
コリーヌは首を軽く曲げ、紅潮した顔で男を見た。
濡れた自分の乳房と、はちきれんばかりに硬く尖った乳首越しにアルディが視線を返す。
彼は唇を開いた──それが濡れているのを彼女は見た──「…なかなかに、みだらなお躯だ」

「そうですか…」

コリーヌは表情の選択に迷い、曖昧に微笑した。

「それは……悪い事ですの?」
「良い事です」

男の目に薄い笑いが浮かんだ。

「あなたにもだが、おれのほうにも。感じてくれる女を抱くのは愉しい」
「それは、ようございました…」

コリーヌは思わず喘いだ。
男の指が腰の曲線を辿り、太腿の内側に滑り込む。
彼女のような身分の女性は生理時でもなければ下着をつけない。その進行を妨げるものはなかった。

「力を抜いて」

コリーヌは頷き、ぎこちなく力を緩めた。

その素直さに、指示をしたにも関わらずアルディは胸をつかれた。
おそらく彼女は、さきほど彼が処女はなにかと面倒だと言った言葉を忘れていない。
これはこの王女の生真面目さなのか、それとも記憶力の優秀さを示すものなのか。
盗賊は頭を軽く振った。
余計な事を詮索するくらいなら最初から話にはのっていない。
とりあえずこの奇妙な姫君は美しく、敷いている彼女の躯は心地いい。

──だが、あまり時間をかける事はできまい。
調子に乗って捕縛されるはめになるのは御免だ。たとえそれがコリーヌを思う存分に抱いた後だとしても。

両脚と下腹部の交わる場所、ささやかな茂みにアルディは掌を這わせた。
覆うように指を揃え、コリーヌの紅潮した頬を見ながらゆるりと揉んで様子を見る。
かすかに姫君の唇が開き、かすかな喘ぎが漏れた。

「ああ…」

少しひそめられたくっきりとした細い眉には嫌悪の気配は漂っていない。
掌を押し下げ、中指に力をこめる。狭間の溝に沿わせ、さりげなくぬめり込ませる。

「んっ、あ…」

コリーヌが悶えた。その花びらの内側が潤っている事を確認し、アルディは染まった耳朶に囁いた。

「…お嫌ならお言いなさい」
「あ、あっ…ま…待って」

コリーヌは太腿をすりあわせるようにしてアルディの手を挟んだ。男の動きを抑えようとする仕草だ。
肩で息をしながら、彼女は盗賊の目に視線を絡ませた。

「も、ものを尋ねるときには、一旦やめてからにして」

男は口元を緩めかけ、無言で指を元通りに揃え、茂みから離した。
コリーヌは呼吸を整えようとしたが、狙いすましたように今度は彼は反対側の腕で彼女の脚の膝を握ってくる。

「え?」

王女のすらりとした片脚を肩に跳ね上げ、もう一方の足首をしっかりと握った男はかがみ込んだ。
コリーヌは細く叫んだ。
声が抑えられず、それは閉じた部屋の中で思いがけず大きく響く。
くねらせる腰から艶かしい水音がたち、コリーヌは必死でなにかしがみつけるものを探した。
男の躯も頭も彼女の下半身の上で、仕方なく手に触れた寝台のカバーを握りしめる。
アルディの唇と舌が、彼女の股間に潜り込んでいる。
煽るように音をたてて舐め上げるかと思えば舌先を尖らせてつついてくる。
攻め込まれているうちに、その舌が触れるとひどく気持ちのいい部分があることに気付く。
かすかに触れられただけで電流が流れたように背筋がこわばり、思考が漂白されかけてしまう。

「あっ、あっ…!ああっ、あっ」

声がいつまでもとまらず、不安になった彼女は拘束から逃れようと男の側頭部を膝で押した。
太腿の内側を押し付けることになったため、アルディは勘違いしたらしくその脚を抱え込んだ。

「──これがお好きか」

くぐもった声を股間に残して、彼が顔をあげた。
髪と同じく濃い色の目がひどく輝き、その口元から顎にかけてしとどに濡れている。
何に濡れているのか、思い当たったコリーヌの脚から力が抜けた。

「あっ、あ、おまえ、嫌なら言えって、今の質問は、どっ、どうでもいいの?こんなことをして」

何度も途切れさせながらそれでも懸命に尋ねると、アルディは目を丸くした。
頭を仰け反らし、彼は大声で笑い出した。
慌てて姫君は男を叱りつけた。

「しっ!人が、来ます」
「おっと」

盗賊も気付いたらしく、急いで口を引き締める。彼は回答した。

「……嫌と仰ってもやめるつもりはない」

コリーヌは唖然として男を眺めた。

「それでは、さきほどの言葉には何の意味もないわ」
「ありません」

アルディはにやりとした。

「これに意味などない。互いに溺れあうだけだ」

そういうものだろうか、とコリーヌは思った。
考え込んだ彼女の頬をひと撫ですると、アルディはかがみ込んだ。

「あっ、ちょ……」

また始まった。



もう腰に力が入らず、つつかれるたびに、吸い上げられるたびに反応してしまう恥ずかしさにもコリーヌが馴れてきた頃、やっと男は上体を起こした。
男が抱え込んだままに膝をたてた姿で姫君はぼんやりとした焦点を彼の顔に向けた。

「かなりお愉しみいただけたようだ」

彼は呟いた。
コリーヌの乱れきった長い茶色の髪を寝台に押し込まないように注意しながら、男は彼女の上に被さった。

「おれもそろそろ愉しみたい」
「おまえも……?」

蕩けるようで重い腰を、コリーヌはゆるやかにくねらせた。
男の重みがかかっているだけで快感が浮かぶ。
アルディは彼女の琥珀色の目に視線をあわせた。

「ご理解いただきたい。あなたはまだおれに抱かれたわけではない」
「そう…ですね」

コリーヌは頷いた。

「だが……」

アルディの声がふと暗くなった。近づいていた躯が固まった。

「…抱くと、子供が出来る」
「…そうです」
「そして、あなたは出産には耐えられない」
「………そうです。よく聞いていたのですね」

彼女の長い髪にアルディは顔を落とした。

「今思い出した。──それでは抱くなと言っているようなものだ」
「……………」

美しい姫君は不思議そうな目を男に向けた。

「…でも、おまえがそこまで気に病む必要はないのですよ」

盗賊はむくりと起き上がった。

「死ぬかもしれぬとわかっていて抱けるはずもなかろう」
「どう言えばよいのかわかりませんが」

彼女は男の頭に手を伸ばした。

「子供ができると決まったわけではありません。──どちらかというとその心配のほうが大きいのです」

アルディはゆっくり彼女を見下ろした。
コリーヌは囁いた。

「侍医が申しておりました。おそらく私には子供は望めぬのです。言ったでしょう、王族は子孫を残すことが義務なのだと」

しばし男はじっと彼女を見つめていた。
コリーヌはその髪を撫でていた。

「それが本当なら」

やがて彼は呟いた。

「──あなたが嘘をついていないのなら」
「良かった」

彼女は囁いた。

「続けてください」



アルディが上着を脱ぎ、シャツのボタンを外していく姿を眺めながら、コリーヌは濡れそぼった谷間を気にしていた。
剥き出しの背中が現れる。
その広さと逞しさに動悸が一層はやまった。
盗賊はシャツを脱ぎ捨て、ズボンを下着ごと脱いでしまうとコリーヌに向き直った。
その腰から勃ちあがり、腹を背景に揺れているものに彼女の目は吸い付いた。
それは彼女がなんとなく予想していたものより複雑なかたちで、しかも大きかった。
王女は低く囁いた。

「アルディ」

その躯を引き寄せながら、男は呟いた。

「何か?」

コリーヌは首を振った。

「弟のと違うわ」
「………」

ちら、と男は自分のものに目をやり、コリーヌの耳朶に質問を落とした。

「最後に弟御のものを見たのは?」
「あの子が赤ん坊の頃です」
「無理もない」

コリーヌが何を言う間もくれず、男は彼女を抱きしめると唇を重ねてきた。
最初のキスよりも激しかった。

「──は…」

解放されて喘ぐと、そのあえかな声に男は目を細めたようだった。

「お喋りはもうおやめなさい」
「でも」

コリーヌは男が太腿を持ち上げてその間に膝をつくのを感じて、動揺を抑えつけた。
男が急に性急になったように感じた。

「黙らなければいけませんか?」
「できれば」

男は彼女の太腿を持ち上げてその間に膝をついた。
腕が、しっとり汗ばんだ腰に巻き付く。

「──名前を呼ぶくらいは?」
「ご自由に」

コリーヌは琥珀色の視線を男に投げた。

「アルディ……」

男は顔をあげた。
その若々しい顔が、率直な、そして不満げな表情を浮かべた。

「…あなたにどうせ呼ばれるなら、本当の名がいい」

ぐい、と男の腰が沈んだ。
コリーヌは思わず男の躯にしがみついた。股間に押し付けられた男のものは熱く、硬かった。

「ん」

姫君は呻いた。
濡れた谷間を探るように突き立て、付け入る隙をすぐに見つけた彼は腰の位置を落とした。

「本名はジャンだ」

コリーヌの耳に囁くと、彼はゆっくりと力をいれて押し入って来た。
申し分なく濡れていたためか、それともコリーヌの協力ゆえか、それは最初は楽に進んだ。
彼女は喘ぎ、その滑らかな違和感に少し安堵する。
これならば醜態を見せることなく耐えられそうだと思ったその時、衝撃がきた。

「……は…っ…」

コリーヌは呼吸をとぎらせた。躯の芯をえぐられるような、だが鋭さには欠ける、強烈な圧迫感。
押し上げるように彼女の躯の奥まで一気に貫くと、男は動きをとめた。

「──辛いですか」

男の声はややうわずっている。

「やめる気は、ないが」

その腕を、コリーヌは握りしめた。

「……」

生まれて初めて、言葉が出てこない。
彼女は脈拍のたびに腰の奥を覆う痛みと重量感に圧倒されていた。
男を躯に迎え入れている状態の実際の感覚は、ひどく感覚的で、言葉にしにくいものだった。

「…わかりません」

やっとの思いで正直に彼女は答えた。
痛いといえば痛く、辛いといえば辛い。
だが熱くて逞しい躯に覆われ、抱きしめられている感覚は悪くない。
盗賊の男は首を曲げ、ぴんと尖ったままの乳首を唇で弾いた。

「あ…やめ…」

不穏な気配がした。
腰に埋め込まれたものまで乳首に与えられた刺激が鮮烈に糸を張り、コリーヌは悶えた。
懸命に頭を押しやろうとするがアルディ──ジャンはびくともしなかった。

「──やはり、相当にこちらの才能がおありのようだ」

ジャンは呟いた。

「それなのに修道院に入るという。つくづく惜しい」

コリーヌは細い啼き声をあげた。
自分がどれだけ獣じみた声をあげているかすらわからなかった。

「これなら初めてでも、あなたを気持ちよくさせてあげることができるかもしれないな」

遠慮のかけらも見せず男は乳首をしゃぶり、腰を動かし始めた。

「あ…あ……あ……!!」

自分の狭い場所を男のものが往復している様をつぶさに感じ取り、敏感な乳首を舐め上げられてコリーヌは乱れた。
狭いながらも動きは滑らかで、男の腰の力は緩まない。
動きにくいのか、男は顔をあげた。
コリーヌの細い躯に沿って、ジャンは片手の指を繋がっている場所に送り込んだ。
乳首よりさらに敏感な場所を撫でられた姫君は躯を震わせた。
彼女と自分の液体にぬるぬると塗れたそれを摘んで転がしながら、男は動きをはやめていく。

「ふ……あ……っ」

押し拉がれた躯を震わせて、コリーヌは高まっていく不穏な気配に囚われていた。
ジャンが抉るたびにそれは内圧を高め、どこまでその圧力が高まっていくのかがわからない。
彼女の躯は男が送り込む感覚を容れる容器になったようで、ただただその感覚に耐えていると勝手に声が漏れ、肌が紅潮し、鼓動が激しくなるばかりである。
自分でも気付かぬうちに彼女の腰はゆるやかに男に応じ、動き始めている。
ジャンが、歪めた顔を彼女の頬に近づけた。
余裕が消えていた。彼は喘いだ。

「コリーヌ」

かみつくように唇を貪り、両腕で彼女の胴を抱いた。猛然と動き出す。

「ああっ、だめ!」

コリーヌは押し上げられるままに躯を仰け反らせ、カバーに背を擦り付けられながら叫んだ。
限界がきそうだった。
男の動きの激しさが彼女を煽り、定かではないものの這いよるものの気配が露になる。

「あぁ、あぁ、あぁ……!」

彼女の喉から漏れるのは完全に男の動きに同調したリズムだった。
コリーヌは、男の腕に指を絡めた。
しがみつかねばどこかに流されてしまいそうなものが、気がつけばすぐそこまで迫っていた。
男がいきなり彼女を押さえ込み、猛ったものを細い躯から引き抜いた。
その動きで彼女は弾けた。
圧力が解放され、彼女の輪郭をぬぐい去り、思考を真っ白に染め変えた。
男の腕に鋭い小さな爪先をたて、コリーヌは叫んだ。

「ジャン…!」

それではこれが快楽というものなのだと彼女は思い、躯を小さく震わせた。
力という力の失せた女の躯を抱き、声にならない喘ぎを男は漏らした。
細く引き締まったぬめる腹に、白濁した滾りを迸らせる。
生々しくくっきりとした臭いが立ちこめた。
温かなそれが自分を穢すのを感じ、それでも嫌悪の浮かばない事にコリーヌは満足して、うっとりと目を閉じた。



やがて男が深い吐息をついた。
己の欲望をぶちまけた姫君の肢体を眺め、複雑な顔になる。
ゆっくりと腕を伸ばすと彼は自分のシャツをとり、彼女の躯を拭いはじめた。
コリーヌはされるままになりながら、ジャンの顔を見つめた。

「……あなたは、優しいのね」

声は少し掠れていた。
ジャンは目をあげず、苦笑した。すっかり綺麗にした彼女の腹を眺め、シャツを床に放る。

「優しい男なら、言われるままに抱いたりしない」
「いいえ」

コリーヌは首を振った。乱れた髪を寝台に残し、彼女は躯をひねってジャンに手を伸ばした。

「……今のは、子供ができないようにしたのでしょう」

その細い手を握り、彼は表情の選択に困ったような顔でコリーヌを眺めた。

「…まさか、修道院に入る女を妊娠させるわけにもいかないから」

それもあるだろうけれど、と彼女は思った。
出産が命に関わる事だという彼女の事情を、この行きずりの男はちゃんと覚えている。

「ありがとう」

コリーヌはそっと手を振りほどくと、寝台の上に起き上がった。
周囲を見回して、ぐしゃぐしゃになった寝間着を探し出す。

「見ないでいてくださる?」

ジャンは肩を竦めて向こうをむいた。
素早く躯を通し、最初に出会った姿になると、彼女は髪を肩から払った。

「……もうお帰りになるの?」
「それがいいでしょう」

振り返ると、男はあらかた衣装を整えていた。
シャツだけは着ずに、彼女が見ているのに気付くとにやりと笑って懐に突っ込んだ。

「残していくわけにもいかない」
「そうね」

少々頬を赤らめて、コリーヌは床に降り立った。
靴を履いている男を残し、彼女は窓べに近づくと空の気配を窺った。
雨はやんだようだった。

彼女が振り向くと、ジャンはすぐ背後に来ていた。
顔をあげると、彼は彼女の躯に腕をまわして抱き寄せた。
唇が軽く重なった。

「──覚えていてくださる?」

顔が離れると、コリーヌは沈んだ口調で言った。

「そういえば、抱いた女の中にあんなはしたない王女も居た、と」
「忘れないと思う」

男は呟いた。

「この修道院を見るたびに思い出すだろう」
「口が巧い殿方は素敵ね」

コリーヌはじっと男の濃い色の目を見つめた。

「ここで生きていく楽しみができたわ」

ジャンはその琥珀の目を見つめ返した。

「──時折、忍んできてはいけないかな」
「だめよ」

臈たけた姫君は顔をしかめた。

「院長がそれでは、ほかに示しがつきませんわ」

ジャンは笑った。

「…あなたなら、そういうと思った」

彼は窓の傍にかけてある豪華な衣装に視線をやった。

「明後日の衣装?」
「そうよ」

コリーヌは微笑した。

「きれいでしょう」
「見られないのが残念だ」

男はもう一度彼女の唇にキスをした。
躯が離れ、その熱を追うようにコリーヌがベランダに足を踏み入れると、もう男の影は手すりの上に立っていた。

「いつまでも捕まらないで」

王女は小さく声をかけた。

「お元気で」

低い声がした。

「忘れない、コリーヌ」

そのままがさりと木の葉が触れ合い、気配は消えた。

コリーヌは足を止め、静かに雨あがりの夜気を吸い込んだ。
湿度の高い空気は冷たく、夜明けにはまだ遠い時刻だった。
この闇の続く世界のどこかにいってしまった男、おそらくもう二度と会うこともない男。
彼女はそろそろと部屋に戻り、窓を閉じた。
ひときわ冷たいガラスに額をつけ、向こうの闇に囁きかけた。

「あなたで良かったわ」



サンテデュ女子修道院の院長は、その後本人も周囲も意外なほどに長生きすることになった。
盗賊アルディが捕まったという噂はその穏やかな生涯の間、王国中で囁かれたことは一度もなかった。






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