シチュエーション
ある大きな別荘に一人の男が働いていた。 半月前、ここに夏の期間人手不足を補うため執事として雇われたのだ。 給料もよく待遇にも不自由はない。 ただひとつの悩みをのぞくとしたら… 「洵!まーこーとー!」 追いすがってくる可愛らしい声に背を向け、聞こえてなどいませんとばかりに歩をすすめる。 ドカッ 背中に強い衝撃が当たる。 「…ぅッ…お…」 顔を顰め視線を背中にはりついた物体を見下ろす。 「洵!お父様が川へ連れていってくれるんですって!」 輝くような笑みを浮かべた少女が青年の顔を見上げている。 「そうですか」 少女を引き剥がすとおよそ愛想もなく立ち去ろうとする。 慌てた様子を見せた彼女は青年を引き留めよめるべく彼の前に立ちふさがる。 「待ってっ!お願い、一緒に行きましょう?きっと楽しいわ」 手を合わせお願いの姿勢をとる少女を見やる。 「いいえ、どうか別の方をお誘いくださいませ。なにもこんな使用人風情などと…」 視線から逃れるように目を逸らし彼女から離れる。 「…でも…」 もごもごとまだ何か唇に言葉をため込んでいる彼女から逃げるように立ち去る。 背中に、「あっ」と小さく切なげな声が聞こえた気がするが無視を決め込む。 どうも彼女は苦手なのだ。自分はお世辞にも愛想の良い人間ではない。 気の利いた言葉をかけたりするのも苦手だ。 反対に彼女は明るく人なつっこい性格の少女であった。 彼女の名前は暁良(あきら)。 彼女はこの別荘の主である大旦那の一人娘でもある。 夏の間、避暑地に立つこの別荘へとやってきたのだ。 なにを好んでか知らずが自分にやたらと構いたがる。元々夏の間だけ主が戻ってくるというだけあって 使用人の数も多くはなく今は最も忙しい時期であり彼女の相手をする余裕はない。 申し訳ないがいつも今のような形になってしまう。 ……とここまではどうでも良いのだが『本当の問題』は―― ちらりと時計を見る。 時間は午後11:30。 寝室には自分しかいない。鍵を閉めたのを確認する。 用心を重ね窓の鍵も同様に確認しカーテンを閉める。 これでようやく落ち着ける。ほっと息を付く。 寝台にくつろぎ腰を落ち着けて着替えを始める。 その時、窓がカタ、と音をたてた。 思わず視線を窓に走らせる。しばし目を凝らしてみる。 特に変わった様子はない。 「風…か」 どうやら物音の原因は風らしい…。拍子ぬけして寝台に滑り込む。 何気ない物音でも警戒する自分は多分、人の目に映ったらどんなに滑稽なことだろう。 灯りを落として目を閉じる。 ……しゅる 衣擦れの音がする。部屋の中で自分の呼吸の音に交じる別の気配。 闇の中で隠れるように動く細い人影。 掛布の中で滑り込む…華奢な手。 (……いつの間に!?) 背中をすべり胸に廻される手に内心どきりとしながら身を起こす。 急いで手元の灯りをつける。 「一体どこから入ったんですか!自分の部屋にお帰りなさい!暁良お嬢様!」 灯りに照らされた可憐な少女がそこにいた。 「…だって…ひとりで眠るのは苦手なのですもの…」 彼の剣幕を恐れるように身を引いた彼女は小さな呟きをもらした。 「いくつですか、貴女は。お嬢様の年頃では独り寝が怖いなんて言ってられないでしょう」 そうして窘めていたが泣き出しそうな彼女の表情を見て嘆息する。 「では…侍女に、添い寝を頼んでみたらどうです?」 同じ使用人でも同性であれば問題はないだろう。 「いや…洵がいい」 ここまで言われたらもう絶句するしかない。 すぅ…とか細い寝息が胸を擽る。 可愛らしい丸みのある頬は微かに色づいている。 息を吐くと彼女の前髪がそよ風に吹かれたように揺れた。 「ん…」 彼女が短く呻いたのを聞いてそっと背中を撫でてやる。 安心したように身を寄せてくる彼女に微かな苦笑すら漏れてくる。 まったく現金なものだ。 すっかり眠ったらしい彼女に自分も眠ろうと背を向ける。 「……」 背中に柔らかい温もりがある。 吐息が背に吹きかかる。 「……」 胸に腹に伸ばされる華奢な少女の腕の感触。 「…まだ、眠ってなかったんですか。……ってどこを触ってるんですかぁ!?」 背中には二つに丸みを押しつけたままの感触がある。 そして彼女の手は腹より下へと降ろうとしていた。 「ちょ…っ、な…なにをする気です!貴女は?!」 洵はぎょっと目を剥いた。 彼の下履きを潜ったその手はもっとも触れて良からぬ場所に到達する。 「…これは、何?」 天使のような愛らしい声が耳を打つ。悪戯な手つきで敏感な膨らみを弄ぶ。 あどけなさを含む声音とは相反し、くす…と笑う彼女は妖艶ささえ帯びている。 それに思わず、ぞくと背中が粟立つ。 「…うあ…」 少女の手が熱を帯びた塊の頭頂部を、揉みしだくように握りしめる。 自身の熱が身体の中心部に集まっていく。 それはじんじんと張りつめて行き場を求めて彷徨う。 「…ふふ…面白い、洵って」 柔らかな温もりが背中に抱きついてくる。 まろやかな胸が背中に押しつけられた。 「止めてください…こんなこと大旦那様に知れたら…」 「…お父様…?…がどうかしたの?」 彼女は背中の後ろで首を傾げた。 その仕草はまるで自分のしていることの卑猥さがわかっていないようにも見える。 その間も刺激は休まることはなく彼を苛んでいる。 「あら…?濡れてるみたい。どうしたのかしら」 彼女の指先、手の平には彼の先走りとおぼしき粘膜で滑っている。 それを彼女は己の唇へ運ぶ。赤い舌先が指、そして手の平を舐める。 緩慢なその仕草は猫の毛繕いを思いおこさせた。 「…苦い」 ぽつりと吐き出された言葉。 「…?」 それきり黙ってしまった彼女を振り返っていぶかしげに見つめた。 ぽすん、と寝台の布団に頭を落とす少女。慌てて彼女を覗き込む。 「…眠いの…おやすみなさい……すぅ」 瞳が目蓋の下に隠されていく。それとともに安らかな寝息が聞こえ始める。 「………」 どうやら今度は本格的に深い眠りの中に落ちたようだ。 「…はぁぁ」 疲れたようなため息が漏れる。 彼は何もいえず持て余した身体の熱をどうしたらいいものか考えていた。 夜が明けて寝起きで潤んだ瞳の彼女が身を起こす。 「おはようございます」 洵は事務的に朝の挨拶をした。 「…洵…?…?わたくし、いつのまに?」 「やはり、『また』覚えてらっしゃらないんですね…」 『また』を強調して言うのは前にも同じようなことがあったからである。 「一応聞きますが、いつごろから記憶にございませんか?」 一瞬沈黙があって、 「えぇと…わたくしが自分の寝室で横になったあたりからかしら」 がっくりと彼はは肩を落とした。 悩みとはこれなのだ… 彼女はあろうことか、夜中に自分の寝台に潜り込んできたこともあまつさえ自分に淫らな行為をしてきたことも まるで覚えてはいないのだ。 彼女は時折、眠りにつくと徘徊する癖があるらしい。 そしてなぜか徘徊し行き着く先がこの部屋なのだ。 いわゆる夢遊病者というものなのだろうか…。 いつもどこからともなく入ってきては添い寝を要求してくる。 「昨夜…わたくし、貴方に何かにしてしまったの?」 おず…と少女が聞いてくる。 彼女曰わく、幼い頃からそのような癖があったらしいが一度は治ったらしいのだ。 それがどのような原因かはわからぬが今頃になって再発しだしたのだとか。 一拍おいてから彼女の問いに答える。 「…さぁ、ご自分の胸に手をあててお聞き下さいませ」 さすがに記憶もない令嬢にまさか淫行を働いていましたなどとは言えまい。 暁良は首を傾げて彼に言われたとおり胸に手を宛てていた。 「ほら、早くご自分の部屋にお戻りなさい」 「いけない!侍女が来てしまうわ」 慌てて寝着を乱して部屋を出ていく暁良。それを見る限り 自分でも夜中に異性の部屋に忍び込むのがはしたないことだとは思っているらしい。 しかし昨日は一体どこから忍び込んだのやら。 これでは『夜這い』と変わりないではないか。 昨夜の無邪気ながら妖艶な彼女を思い出し思わず背中が粟立った。 このままだと身がもたない… そう思った時、ひょこっと扉の隙間から部屋へ戻ったはずの暁良の頭がみえた。 「あの、今夜もよろしくね」 「………」 ぱたぱたと駆けていく後ろ姿。 瞬きをする洵。 「…いつのまに着替えたんだ」 …じゃなくて、本当はすべてわかっいて夜中に潜り込んできているのではないかと思うこともある。 実は、彼女は狐の生まれ変わりとかで自分は狐の彼女にただ化かされているのではないか。 化かされている間抜けな男を見ては腹の底で愉快そうに笑っているんではないか。 そうだとすれば納得…………できるのだろうか。 「…馬鹿げた話か」 いずれにせよ、今夜も自分は彼女に悩ませられるらしいことを確信した洵であった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |