お嬢さまと私(非エロ)
シチュエーション


天蓋付きのベッドに腰掛けているのは年若い可憐な少女。薔薇のような派手さはなく、百合のようなきつさもなく、例えるならば桃の花のように柔らかな美しさだ。
寝室を訪れているからといって私と彼女の関係が恋人又は夫婦だと思わないでほしい。彼女は私の主人である櫻塚智光の妻櫻塚志乃、仕えるべき相手なのだ。
そして、私の名は柏木誠一。大学卒業以来十年櫻塚家の執事を務めている。
そんな私がなぜ主人の寝室にいるのかというと、彼女の為のホットミルクを持ってきたからだ。メイドに任せてもよかったのだが、どうしても直接渡したかった。それというのもここ数ヶ月、彼女が体調を崩してしまっているからだ。
実は櫻塚家当主である櫻塚智光は半年前に不慮の事故により他界してしまっている。つまり、彼女は夫を亡くしてしまっているのだ。十六になると同時に嫁いでから僅か一年。早すぎる別離であった。

「柏木……」

私の存在に気づき、志乃が顔を上げる。儚く消えてしまうのではないかと心配してしまうほどに生気がない。

「やはり眠れませんか?」

こくりと志乃は頷く。

「蜂蜜入りのホットミルクです。昔から眠れない夜はこれを好んで飲んでいらしたでしょう?」
「ありがとう」

私の手からカップを受け取り、志乃はカップに唇を寄せる。そのまま僅かに傾けてミルクを啜る。

「懐かしい味がします」

ほっと息を吐く姿は小さい頃と変わらない。

「……ここへ座って」

ぽんと自らの隣を軽く叩きながら、志乃は私を見上げてくる。

ミルクを飲み干したのを確認しだい帰るつもりでいた私はまぬけな声を上げていた。

「お願い。ダメなの?」

縋るような目でねだられては拒むわけにはいかない。昔から私は彼女に弱いのだ。ねだられれば這いつくばって馬にだってなる。……昔の話だが。

「失礼します」

一礼し、私は志乃の隣に腰掛けた。
使用人と主人の間柄だ。間違いなど起こるはずもないが、さすがに少し緊張する。彼女の意図が読めないものだから余計に。

「膝に座ってもかまわない?」

またしても私は素っ頓狂な声を上げていた。さすがにそれはまずい。丁重にお断り申し上げると彼女は僅かに瞳を潤ませた。

「昔は泣いているとあなたは私を膝に乗せて頭を撫でて慰めてくれました」
「それはあなたがまだ小さい頃の」
「もう抱いてはくれないの?」

第三者が聞いたら確実に誤解を招くであろう台詞を彼女はさらりと口にする。

「わ、私が汚れているから?」
「お嬢さま?」
「柏木、柏木!私、私……っ!!」

止める間もなく志乃は私の首に腕を回してしがみついてきた。薄い夜着越しに柔らかな肢体が押し付けられる。

「私、怖いの」
「落ち着いて下さい。どうされたのです?」

志乃はすっかり取り乱しているようで泣きじゃくりながら私の肩や胸に顔をすりつけてくる。
香水とは違う志乃自身から漂う清潔な香りが鼻孔をくすぐり、なんともいえない気分になってくる。

「大丈夫です。大丈夫。お嬢さまには私がついていますから」

引き離そうとすればより強くしがみついてくると経験上学んでいたので、私は志乃の背を撫で気の済むまで泣かせることにした。
ほどなくして志乃は私の首から腕を離し、膝に横座りになるようにしながら私の胸に頭を預けた。私の右手は志乃の背を支えるようにしつつ、彼女の両手にしっかりと捕まれている。

「私、とても悪い子なの」

時折鼻をすすりながら、志乃が語り始めた。

「私がここにきてから柏木はあまり話をしてくれなくなったでしょう。いつもなんだかよそいきで。それに、智光さんに触られるの本当は嫌だったの」
「はあ」
「智光さんがいなければいいって……私、智光さんが帰ってこなければいいって」

志乃の目に再び涙が溜まり始める。

「ずっと他の女の人のところにいればいいって思ったの。そうしたら、そしたら……」

私の右手を放り出し、志乃は私の胸にしがみついてまた泣き出した。
なるほど、タイミングが悪かったわけだ。帰ってこなければいいと願ったら夫が不慮の事故により他界。気の優しい志乃は自分のせいだと思い悩んでいたわけか。なんとも純粋なお人だ。

「大丈夫です」
「でも……」
「お嬢さまは旦那様が死んでしまえばいいなんて思ってはいないでしょう」

志乃が小さく頷く。

「運が悪かったのです。旦那様が亡くなられたのはお嬢さまのせいではありません。あれは不幸な事故だったのですから」

それでもまだ不安げに瞳を揺らす志乃を安心させようと私は頭を撫でながら微笑んでみせた。

「柏木がいうなら信じるわ」

志乃の顔にも僅かだが笑みが浮かぶ。

「さあ、もうよろしいですね。私にはまだ仕事が」

言い終わるよりも早く頬に柔らかなものが触れた。確認しなくてもわかる。

「柏木、今夜は側にいてくれる?」

ぱくぱくと金魚のように口を開け閉めしている私に志乃は微笑みかけてくる。
それはどういう意味ですか?
口にしかけた言葉を飲み込んで、私は盛大な溜め息をついた。

「添い寝は執事の業務から著しく外れますので」
「どうしても?」
「当たり前です」

惚れた女と一晩過ごして何もしないなんて真似ができるほどまだ人間できてはいないんだ。
私の狼狽を知ってか知らずか志乃は涙を浮かべた目で私を見つめる。
ああ、だから、私はその目に弱いんだって……。

「お嬢さま。元気になって下さったのは非常に喜ばしいのですが無理をしてはいけません。今日のところは早めに休まれることをおすすめします」

しばらくは名残惜しそうに私を見上げていたが諦めたように吐息をついてベッドに横になった。

「眠るまで側にいて」
「はい」
「手を握っていて」
「はい」
「それと、キスして」

はいと答えかけて私は思わず噎せた。

「柏木」

添い寝よりは数倍マシだと言い聞かせ、私は身を屈めて彼女の額にキスをした。

「おやすみなさい、志乃さま」

額へのキスに不満げな表情を見せたが、優しく髪を撫でるとそれ以上の不満は口にしなかった。
目を閉じて眠りに落ちていく志乃を眺め、握りしめた柔らかな手の感触を楽しみ、私は暫しの幸福に酔いしれていた。






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