平安もの(非エロ)
シチュエーション


――時は平安。
右大臣家の二の姫は年頃を迎えており、佳人の噂も相まって
邸には毎日のように求婚の文が引きもきらずに届けられていた。

「ねぇねぇ、こっちの人はどうかしら?」

明るい声でそう言うのはこの邸の二の姫、その人であった。
噂に名高いその姿とはいえば、確かに愛らしい顔立ちはしているが
匂うばかりの藤というよりは、野に咲く菫といった風情の少女であった。

ただその髪の美しさは格別で、『玉鬘』の異名をとるのもかくあらんと思わせるものがある。

その二の姫は、文を広げるとそこに書かれた歌を読みあげた。
但し文の数があまりにも多いため、二の姫はぱらぱらとめくってはぞんざいな扱いをしている。

御簾を隔てた向こう側に、押し黙ったまま控えている人物はその気配を察して
こほんと小さく咳払いをした。

「ねぇってば」

だが、構わず二の姫はその咳払いをした人物へ声をかける。
するとしばらくの後、間を空けて低い声がためらいがちに、だがはっきりと答えを返した。

「……文の管理も私の仕事ですので拝見致しましたが。その御仁は姫には相応しくないかと」

彼の名は、孝守(たかもり)。実直そうな眉の青年は右大臣家に仕える家令でもあった。
彼の母が右大臣の北の方、腹心の女房であったことから、彼は幼い頃から
右大臣邸に仕えており、年の近い二の姫の幼馴染でもあった。

「あらまぁどうして? 道兼さまといえば、先の帝と遠戚にあられる立派な家柄の方。
父さまはこの方がいちおしみたいよ」

そう言いながらも二の姫は、言葉とは裏腹にやる気のない様子で手にした文をひらひらと揺らした。

「僭越ながら申し上げます。文はその方の人となりを表すもの。
手蹟を見れば、大抵のことは分かるものです。良いですか、姫。この度道兼殿が書かれた歌、
これは見るものが見れば分かる単なる和歌集からの借り物です。しかも本歌取りなど片腹痛い
単なる剽窃にすぎません。しかも二首目の恋の字、ご覧なさい。普通はその前に墨をつけ直し
その部分を目立たせ、切々とした恋情を訴えるものです。それがどうです、そのかすれ文字。
求婚を願う恋のお文に墨をけちるなどと、よほどの吝嗇家なのでしょうよ。
そのような御仁を通わせては、姫の名折れ、右大臣家の名折れ。姫がご不幸となりましょう」

孝守はそれだけの長台詞をかしこまったまま一息に言い切った。
二の姫からしてみれば、そのようなちまちました事を大真面目に語るのだから妙におかしさが
こみあげてきて、思わず扇で口元を隠してしまう。

「そんなのあなたの考えすぎよ、第一この家を継ぐのはわたしじゃなくて姉様よ。
だったら、わたしは適当なあたりで妥協して、文を多く頂いているうちに婿君を迎えるのが
世間的にも良いし、得策ってものじゃないかしら」
「いけません!」

髪の毛をいじりながらそんな事を言っていた二の姫は、突然大きな音がしてびくりと身を震わせた。
孝守が拳で板張りの床を叩いたのだ。

「いいですか、姫。これはあなた様の縁談なのですよ。だのにあなた様ご自身がそのような
よりよき婿がねを選ぶ気概がなくてどうされます。もったいなくも長く、近くお仕えしてきたのは
妙ちきりんな男に御身を任せるなどという所をみるためではございません。
姫には、最高の、都一の婿君をめとっていただかなくては!」

鼻息も荒く熱弁を振るう幼馴染の言葉に、二の姫は思わずため息をついた。

「みょ、妙ちきりんってあなたねぇ……。大体孝守はわたしを買いかぶりすぎてる。
大体わたしにこーんなに求婚のお文が来るのは皆わたしが『素晴らしい姫だから好きだ』とか
いうんじゃなくて、うちの父様が権力者だから擦り寄ってきてるだけじゃない。
はなから幸せな結婚だなんてあるわけないのよ。
だから妥協が必要だと言ってるの。せめてうちにも利益がある結婚だとか」

世間ずれした物言いに、孝守は一瞬あっけにとられた顔をした。

「……薫君に憧れてご自分で絵巻物もどきを作った方とは思えぬ口ぶりですね。
あの時書かれた絵はきちんと取ってありますから持ってきましょうか?」
「あ、あの時はわたしだって小さかったの! 源氏を読んだことある姫なら一度は薫か匂宮か迷うはずよ!」
「そうですか」

孝守はしれっとした様子で返事を返す。その飄々とした様相を崩してやりたくて
二の姫は居住まい正して彼に声をかけた。
ずっと言えなかった事を彼に向かって言ってやれば、きっと彼は慌てるはずだから。

「わたしにだって、思う人くらいいるわ。でもそれは叶わぬ思いなの。
その人と結婚できないのなら誰と結婚したって同じだわ。そう思ってるの」

その言葉に孝守はぴくりと体を動かした。そしてそれが無礼だったと言わんばかりにやや下がって
座りなおし、姫の方へと体の向きを変えた。

「その御仁は誰ですか? 私はあなたに幸福になってほしいだけです。その思う方というのが
もしもそれなりの家柄の方でしたら私は全力をかけて大臣を説得いたしますよ」
「それなりの家柄じゃなかったら?」
「全力をかけて阻止します」
「これだもの。言えるわけないじゃない」

二の姫がぱしっと音をたてて扇を閉じると、その音に孝守は眉に皺を寄せた。

「つまり、その男は取るに足らない身分のものだと」
「わたしはそう思っていないけれど」
「いけませんよ、姫。そのような男、何をあなたに吹き込んだのか分かりませんが。
……ああ、いつそのような男を姫に近づけたのだ。女房たちは何をやっている!
いいですか、とにかく男というのは都合のいい言葉で女君を篭絡するものです。
決してそのような男に身を任せてはなりませんよ」

孝守は懇々と説教をするように二の姫に言い聞かせる。
彼はいつまでも二の姫にとって、良い兄のような仕え人であらんとしているのだ。

「それが誰か知りたい?」
「もちろんですとも。ただし、私が知ればそのような下司、右大臣家に出入りすることなど
許しませんよ。あなたはそれでいいのですか?」
「だから名前なんか言ったりしないわ。こんな人って特徴を言うの。それで当ててみて」

二の姫の、悪戯っぽい声の響きに孝守もまた笑んだような気配を返してきた。
言葉遊びは幼い彼らの大好きなものだった。

「いいでしょう、いってご覧なさい。余計な虫を追い払うためです、絶対に当てて見せますよ」

孝守のその言葉を皮切りに、二の姫は大きく息を吸い込み、一言一言はっきりといった。

「その人は、堅物で、仕事一途で、馬鹿正直で、朴念仁。わたしのことをずーっと昔から知っていて
ずっと傍にいるの。それでわたしの幸せをいつも願ってくれている。そればっかり。
自分の幸せなんか全然顧みないの。馬鹿だわ。でもすきなの。ずっとその人の事が好きなのよ。
誰のことかわかる? あなたには分かる?」

その告白はあまりにも熱情的だった。訴えるように言葉が継がれた。孝守は思わず息を呑んだように身を引いた。
二の姫は言ってしまった、もう戻れないという焦燥を少しばかり感じていたが、後悔はしていなかった。
そして唇を引き結んで目の前の男の、次の言葉を待った。そしてその孝守がようやくといった様子で口を開いた。

「いえ、全く」

瞬間、二の姫は御簾も全て取っ払い、この男の頬を引っぱたいてやりたい衝動に駆られた。

「な…、な……っ」
「ずい分と特徴を話されておりましたが、具体的なものが全くなかったので。
抽象的な説明ではどなたの事なのかわたしにはさっぱり……」
「もういい」
「はい?」
「もういい! 琴の練習するからあんたは出て行ってーーー!!」

ヒステリーを起こして孝守を追い出した二の姫は、一人になった部屋の中で
散らばった文を構わず姫君らしくなく握り締めると、心の内で思い切り叫んだ。

(孝守の大ばかーーーーっ!)

当の孝守はその瞬間くしゃみをしたとかしないとか。






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