シチュエーション
![]() 暖炉の薪がかしぎ、はぜるような音をたてた。 その前で、長い金髪の少女が艶やかな髪に火明かりを照り返しながら座っていた。 彼女の傍らには山積みのカードが置かれている。 それらに書かれている宛先はみな同じで、一様にこう書かれていた。 『サンタクロースさんへ』 少女は髪をかきあげ耳に一房をかけると、一番上に置かれたカードを手元へと引き寄せた。 「えっと……、なに? 『彼女がほしい』。なにそれ、いくつよこの子。 三丁目二番地、ジェイク・マクガニア、9才。まだ9才じゃない! なに考えてるのよこのマセガキ。 ……どんな子かしら」 そう言いながら少女はカードをひらひらと裏返したり戻したりしては眺めていた。 すると唐突に背後から抑えたような、それでいてしっかり聞こえるほどの大きさの 笑い声が聞こえてきて、少女はむっと眉を上げた。 振り向いたその先に立っているのは若い男だ。背が高く、長い体をまるめて笑っている。 その震動で茶色の前髪が軽くゆれていた。 「何がおかしいのよ、ロベルト」 毒づくような声音でそういうと、少女はじろっと上目づかいでその相手を睨みつけた。 するとロベルトはわざとらしく手を口元に当ててタニアへと言葉をかけた。 「失礼、聞こえてしまいましたか。……タニアさま。必要以上の詮索は プライバシーの侵害ってもんですよ。そんな暇があるならほら、しゃんしゃん続けて下さいよ。 もうクリスマスまで五日きってるんですから」 「なによっ、あたしに指図する気!? あんたなんかトナカイのくせに!」 「指図だなんてそんなおこがましい。とんでもないことですよ。俺は単に『進言』したまでで」 タニアの剣幕に動じた様子もなく、ロベルトはひょいと肩をすくめて笑った。 そして一度自分を指差し、それからタニアを指差して言う。 「俺はトナカイ、貴女はサンタクロース一族のお嬢様だ。 だから、俺はあくまであなたの下僕に過ぎませんよ」 その言葉にタニアは顔をかっと赤くして、怒鳴りつけるように叫んだ。 「もうもうもうっ、あんたには分かんないのよ―――っ! 屋敷にカンヅメで一ヶ月。毎日毎日することときたら、他人のプレゼントのチェックと その用意だけ。いくらサンタだからって、こんなんじゃ嫌になっちゃう!」 そうやってひとしきり騒いだかと思うと、タニアはふんとそっぽを向いた。 金色の髪が弧を描いて揺れる。 「あたし、もうやらない! がきんちょのためのプレゼントなんか知らないんだから」 その反応にロベルトは小さくため息をついた。昨日あたりからずっとタニアはこんな感じだ。 一年前は大人しく“サンタ家業”をこなしていたはずなのだが……。 その原因を彼は何となく察していた。 だからこそ今彼女のやる気に火をつけるために、切り札を出す時だとロベルトは感じていた。 「……そういえば、ルーカスさまはもう割り振り分の準備が終わったそうですよ。 今年が初仕事とあって張り切られているようですね。 彼のトナカイからそう連絡がありました」 その瞬間タニアの耳がウサギのようにぴくりと動いた。 「ルーカス、ですって……?」 ゆっくりと顔をロベルトの方へと向けると、タニアはその名前を忌々しげに呟いた。 ルーカスは、タニアより一つ年下の従兄弟であった。 そしてその彼とタニアは、何が悪いのか幼い頃から顔を合わせれば罵りあい つかみ合いの喧嘩が始まる犬猿の仲であったのだった。 そして今年からルーカスが一族の仕事を始めるとあって、彼に強烈なライバル意識を 抱いているタニアはここ数日えらくピリピリしていた。 それというのもサンタクロース一族の長老たちは、同じような新人サンタでも 女の自分ではなく、男であるルーカスを何かにつけ立てて、えこひいきしているように タニアには思えたからであった。伝説のサンタクロースのトナカイ、アニエスを 彼のトナカイとして長老達があてがったのもタニアは気に入らなかった。 「……ロベルト、ルーカスにできたことが、あたしにできないはずないわよね?」 えらく低い声で問われたタニアの問いに、ロベルトは力強く断言した。 「もちろんですとも」 「今から準備する。だから邪魔しないでね」 そう言うなり、タニアはカードの中から一枚を選び出しその内容を声をださずに 唇だけで呟くとそっと両目を閉じた。 そして胸の前で、小さな鞠を抱くように手のひらを上げた。 するとタニアの手元が淡く光を放ち始めた。段々その光は大きくなっていき、 その輝きが一瞬強烈に強くなったかと思うと、タニアの手の中には 一つの物体が形を成していた。 鉄道の模型だ。 タニアがその形を確かめるや否や、彼女が持っていたカードに書かれていた 『れっしゃのおもちゃをください』という部分に優雅な筆記体で『Finished』と 赤く印が書き込まれていく。 「おみごとです」 ロベルトは本心からそう言った。 魔法で、世界中の子供達のプレゼントを具現化するのがサンタクロース一族の力である。 彼らを補佐し、傍近く侍るトナカイであるロベルトでさえ、その力はいつでも驚きに満ちていた。 タニアは、一瞬ロベルトの言葉に満足そうな表情を見せたが、すぐにカードの山に 向き直り、黙々と子供達のクリスマスプレゼントを出していった。 ロベルトは、その背中を眩しそうに見つめくるりと踵を返した。 今、彼がタニアのためにできるのは待つことだけだったからだ。 ******* 「ロベルト、ロベルト!!」 「うわっ」 椅子に腰掛けてチェス・プロブレムをしていたロベルトは急にタニアに 後ろから抱きつかれ、思わず声を上げた。その拍子に一つ二つ、チェスの駒が 引っくり返って乾いた木の音を立てた。 「びっくりしましたよ。突然なんですもん」 「なによぅ、いいじゃない別に。……聞いて、あたしももう終わっちゃった」 ふふっと笑いながらタニアはロベルトの傍に顔を寄せてきた。 えらく上機嫌だ。タニアは、いつもはツンケンしてロベルトをいいように扱うのだが、 その割りにこういう風にスキンシップを取りたがる事が多々あった。 さらりと髪がロベルトの視界の隅をかすめ、甘い香りが彼の鼻腔をくすぐる。 「そうですか……」 こほんと小さく咳払いをして答えた声はいまいち力の入っていないものだと ロベルトは自分でもそう感じていた。だがそれに気がついているのかいないのか タニアは更に体を密着させて彼の首に腕をまわした。 柔らかな肢体の感触がロベルトを微妙な気分にさせる。 「これでルーカスとはとりあえず互角ね!」 いかにも楽しげな声でタニアが笑った。そしておもむろに手をぎゅっと握ると そのまま拳を振り上げるようにして叫ぶ。 「あとは本番だけよ! 当日早くプレゼント配り終わった方が勝ち。 絶対に負けないんだから!!」 一族にとっては大事なクリスマスの儀式を勝敗を決めるレースのようなものとして 扱うなどとは、頭の固い長老たちに知られたらそれこそ大目玉をくらう事だった。 ロベルトはこめかみを押さえた。 ――プレゼント配るなんざ、さっさと終わらせて早く屋敷に戻りたいよな。 けろっとした顔でそう言ったのはルーカスだった。その時の彼のパートナー、アニエスの 困ったようなあいまいな表情を考えればロベルトにはルーカスの真意が想像できたが、 それを言葉通りに受け取ったタニアが『初めてじゃ道に迷ってその夜中に終わらないのがオチだ』と 喧嘩を売ったのがこの『勝負』の発端だった。 (アニエスは身持ちの固い女だと思ってたけど、もうとっくにあのお子様の 筆おろしを済ましてたわけね。……分からんもんだなー) 「ちょっと、聞いてるの?」 ぼんやりとしていたロベルトの耳をぎゅっと引っ張ってタニアは息巻いた。 「いい? あたしの輝かしい勝利のためにはロベルト、トナカイであるあんたの活躍が 不可欠なの。だから、ぜったいぜったい全力出してよね!」 「はぁ」 「わかった?」 「ちょっ、苦し……首にスリーパーホールドかけないでくださいよ」 タニアはロベルトの顔ごと彼をぎゅっと抱きしめたまま、くすくすと笑った。 その楽しげな震動が、タニアの胸元の感触と彼女から立ち上る甘い香りを ロベルトを追い込むように伝えていた。いけないいけないと思いながらも あまりにもタニアが無防備なので、時々「誘っているのだろうか」などと 思ってしまうのだ。 (俺も、いつまで我慢しなきゃならないのかね……) 乾いた笑いでため息をつくと、それを勘違いしたのかタニアはロベルトの頭を 抱えたまま力強くうけあった。 「大丈夫だって! ……一応、あたしだってあんたの事は……信頼してるんだから」 その瞬間、『信頼』という言葉がずしりとロベルトの心にのしかかったことを タニアは全く気がついていなかった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |