シチュエーション
物心が付いたときには既に傍らにいた。 傍らにいる事が、空気のようにあまりに当たり前だった。 わたくしの執事。 いつも物静かなところが好き。すっと伸びた背筋が好き。 無駄のない歩き方が好き。乱れなく撫で付けた髪が好き。 ドアノブを握るときの器用だけれど無骨な長い指が好き。 低いバリトンの声と、洗い立ての糊のきいたシャツのにおいが好き。 あなたは気付かないけれど、 気付かない振りをするけれど、 そう。わたくしはもうずっとずっとあなたに恋をしていた。 朝。ベッドから起き上がらないのはあなたを待っているから。 本当はもうずっと早くに目は覚めているのだ。 カーテンを通して窓の外が薄明るくなってくると、わたくしは目が覚める。 鳥の鳴き声。園丁同士の挨拶。徐々に目覚める屋敷の、 けれど決して主人の眠りを邪魔しない控えめな喧騒。 起き上がり、ガウンを羽織って腰掛けて待っていても本当はよいのだ。 今日はお早いお目覚めですねと、あなたが声をかけてくれるかもしれない。 もしかすると、鉄面皮と冷やかされるあなたの驚いた顔を見ることが出来るかもしれない。 けれど、わたくしは起き上がらずに、まどろんだままあなたを待っている。 わたくしの執事を待っている。 焼きたてのパンのにおいが微かに漂い始めると、わたくしの部屋の前に、 毎朝きっかり計ったように、いつもの時間、いつもの足音であなたはやってくる。 ドアの越しに聞こえるくぐもった会話も、いつもと同じ。 ―――お嬢様は。 ―――まだお休み中のご様子です。 ―――では、私が、 そしてはっきりとした、ノックの音。毎朝。3回。 「お嬢様。おはようございます。ご朝食のご用意が整いました」 軽く押さえた咳きの後の、あなたの声。 よく通るあなたの声は、ドア越しでもはっきりと聞こえる。 わたくしは起き上がり、ドアに目をやる。 もしかしたら、と思う。 不意にドアを開いてあなたが入ってくるかもしれない。 まったく毎朝目覚めの悪いお嬢様ですね 旦那様と奥様はお目覚めでございますよ ほら早くお起きになってください本当にいつまでたってもお嬢様は、 なんて言いながら。 あなたは決して入ってこない。 主従の境に人一倍気を置くあなたは、決してそれを超えることはない。 年頃であり、未婚の主人の寝室。 入るはずがない。 判っている。 判っていながら、わたくしは判っていない振りで、 果かない期待を込めてドアノブを見つめる。 毎朝見つめて、その細かい細工の模様まで焼きついてしまっているそれを。 判っているわたくし。判っているあなた。 わたくしの執事。 暫くしてから、やがてドアを開けるのは、寝室付きの侍女の仕事だ。 朝が弱い主人のために、淹れたての紅茶を銀の盆に載せて、彼女は入ってくる。 カーテンをさっと引いて今日もよいお天気でございますよと、 わたくしに声をかける。 急に溢れる光に目を細め、侍女の声を耳にし、 そうねと呟きながら、ゆっくりと閉まってゆくドアの向こうを見つめる。 その隙間からあなたが垣間見えないかと期待して。 あなたはいない。 いるはずもない。 次の仕事に向かったのだ。 うなだれてわたくしはベッドから降り立つ。 わたくしの20の誕生日だった。 おめでとうと、朝食の席で両親に言われて すっかり忘れていたことを思い出した。 ああ、それで。 そういえば二、三日前から妙に屋敷内が騒がしかったのはそういう訳か。 今日の朝がいつもより心なしか賑やかだったのも、 普段は使わない大広間の重たい扉が何度か軋んだ音を立てながら開閉されていたのも。 つい数日前までは覚えていたはずだったのに、 わたくし自身結構楽しみにしていたはずだったのに、 なんで今朝に限ってそんな大事なことを忘れてしまったのだろう。 そうじゃない忘れてしまったわけではない。 今朝が、いつもと同じ始まりだったから。 決して顔は上げないように。 行儀良い娘の振りをしながら、わたくしは目の端でわたくしの執事の姿を追う。 あなたはいつものまっすぐな姿勢で、給仕の邪魔にならない絶妙な位置で。 食堂の扉の真横に立っている。 きっちりと正面を向いたあなたは、今何をその目に映しているのだろう。 「……ね?」 ついぼんやりとしていて、父の顔を見ていたにも拘らず、 言葉を聞き逃していたことにわたくしは気が付く。 「え?」 「……なんだ。まだ目が覚めていないのかね? ……まったくおまえはいくつになっても小さい頃と変わらないねぇ。 そうそう、遊びすぎたおまえが食事をしながら何度も突っ伏して眠ってしまっていたねぇ」 「……お父さま。わたくし、そのころよりは少しはお行儀も良くなってよ」 いつの話をしているのだ。軽く睨むと、父は母と顔を見合わせて笑った。 「いつも抱きかかえられて寝室に戻って行ってね」 抱きかかえられ、の言葉のところで父はちらりと執事を眺めた。 父の視線を受けたあなたは、それに気付いてはい、と生真面目な答えを返してよこす。 そうだ。 その頃はまだ、あなたはわたくしの寝室の中まで足を踏み入れてきていたのだ。 眠れなくて駄々をこねた夜、屋敷のものはみな寝静まって音ひとつしなくて。 あなたはわたくしの枕元にかかんで、よく通るバリトンでそっと静かに、 子守唄を歌ってくれていた。 通常の業務に加えて、朝から晩までくるくると良く動いた小さなわたくしに、 付き合って走りまわされて、きっとへとへとだったろうに、 嫌な顔ひとつせず、わたくしが眠るまで、いくつもいくつも。 低く抑えてともすれば掠れ気味になるあなたの声が大好きだった。 いつからあんな夜はなくなってしまったのだろう。 「……おまえも20歳になったのだし、世間ではもういい年だ。 そろそろ好きな殿方の一人でもできたかね?」 好きな人。 わたくしは思わず言葉に詰まる。 ええいるわ本当は一人だけいるのずっと昔から好きだったの その人はわたくしのことを好きかどうかは判らないけれどそ うねきっとなんとも思ってないのだわけれどわたくしは長い 間その人の背中ばかり診て過ごしてきたのお父さまその人の こととてもよく知っていてよきっと名前を聞いたら驚くわ、でも。 そう言えたらどんなにいいだろう。 言える筈がない。 口に出したらきっと、父はあなたをわたくしから遠ざけてしまうだろう。 例え、あなたにそんな気持ちがまったくなかったとしても。 あなたは扉の横で顔を正面に向けたまま、微動だにしない。 聞き耳を立てるでもない、けれど大事な会話は事細かに覚えていて、 主人が必要なときにさっと指し示してみせる手腕。 崩れることのないポーカーフェイス。 きっと結局はわたくしの独りよがりなのだ。 答えられない問いは、あいまいな笑顔で誤魔化してみせた。 部屋から中庭を見下ろす。 園丁が綺麗に整えたバラ園が見える。 等間隔に植えられ露に濡れた三色菫。 雲のような形に刈り込まれた植木。 手入れされた庭は嫌いじゃない。 でもわたくしは、中庭の向こう、本館の更に向こう、 張り巡らされた鉄格子を超えてずっと遠くに広がる野原の風景のほうが好きだった。 「失礼します」 規則正しいいつものノックの後、外を眺めていたわたくしにかけられた、控えめな言葉。 「お茶をお持ちいたしました」 「……ありがとう」 振り返ってその姿を目に入れる。 直立不動の姿。 この屋敷の中で、盆を持った図が一番様になっているのはあなただとわたくしは思う。 流れるような動作でポットから移された紅茶から、 ぷぅんと香気が漂ってわたくしはあら、と声を上げた。 よい香り。 「……すこし、お疲れのご様子でしたので」 チェリーブランデーの香り。 「……ありがとう」 わたくしの言葉に少し腰を折って会釈をし、 「今年も皆様たくさんおいでですね」 「え?」 窓の外を眺めてあなたはそう言う。 言葉につられてもう一度外を眺めると、 なるほど門前には、今夜のわたくしの20歳の誕生日パーティに招かれた紳士淑女の馬車や輿が、 まだ夕刻前だというのにざわざわと列を成しているのだった。 眺めていたのだから視界には入っていたはずなのに、 わたくしはその光景にまったく気が付いていなかった。 野原の風景が綺麗だったからだ。 「もう20歳ですもの」 冗談めかしてわたくしは言う。 「そのうえ伯爵家の一人娘ですもの。わたくしが嫁ぐことになる殿方は、 家柄と財産を一気に手にすることができるのですものね」 わたくし自身の利用価値の高さは認識しているつもりだ。 あの方たちは、わたくしが必要なわけではなくて。結局はわたくしの背後の、父の力がほしいだけだ。 それすらも判らないほど子供じゃない。 けれど、判っているからこそ空しくなる。 わたくしがわたくしでなくとも、あの方たちは毛ほども気にしないのだ。 わたくしの名が付いた人形でも同じことなのだ。 「……今夜の、皆様からの誕生日の贈り物の数が楽しみね」 心にもない言葉を言ってみた。 数が一体なんだというのだ。 それなのにあなたは、去年も大変に多うございましたからね、などと口を合わせてくれる。 すこしだけ、腹が立った。 わたくしの執事。 「あそこに行ったわね」 「……?」 「昔、あそこにみんなでピクニックに行ったわね」 不意に話を変えたわたくしの言葉に一瞬付いてこられずに、 あなたはこちらを見やる。深い緑の瞳。 「お弁当を持って、みんなで行ったわね」 「……ええ、参りましたね」 「あの頃お父さまとお母さまは毎日忙しくて。構ってもらえずに退屈していたわたくしに、 みんなからのプレゼントだって言って」 「そんなことを申しましたか」 あなたが僅かに苦笑する。 「言ったわ。それで、お気に入りのクマのぬいぐるみと、おまえと、 それからあと何人かと、わたくしと。暖かくてお天気の良い日だったわ。 みんなで歌いながら歩いていったわね」 「参りましたね」 屋敷からほとんど外に出たことのないわたくしにとって、それはちょっとした冒険でもあった。 この窓からも見えるあの野原にわたくしたちは出かけた。 きっと季節は春だったのだろう、上着の必要もないほど暖かくて。 わたくしは両手を繋いでもらって、ほかの皆は荷物を抱えたり下げたりしながら、 子供の足で片道1時間の小旅行を楽しんだのだった。 野原は、見渡す限り丸くて白い、可愛らしい花でいっぱいだった。 真っ白な花が、幼かったわたくしの目には、まるで海のようにも見えた。 花の名前がシロツメクサというのだと、教えてくれたのも、あなただ。 笑いがこみ上げてきて、わたくしはふふ、と小さく笑った。 「お嬢様?」 「……あの時。お姫様ごっこをやったでしょう?」 「いたしましたね」 「悪い大臣に囚われた、姫君を助け出す騎士」 「私が騎士をやりましたか」 「そうよ」 「そう、からかわれますな」 すこしだけ眉尻を下げてあなたは困った顔になった。 わたくしにだけ時折見せる、鉄面皮以外の表情。 「おまえ、とても格好よかったわ」 姫君には騎士が必要だと皆で言い張って。 他に適役がいないから、と仕方なく、いつもは真面目なあなたが、 照れくさそうに、でも堅物なあなたらしく、子供の遊びだからと手抜きもできずに 騎士役を演じていたのを思い出す。 「悪い大臣を倒して、高い塔のてっぺんに捕らえられていたわたくしを助け出しに来てくれたわね」 「……よく覚えていらっしゃいますね」 「忘れないわ」 絶対に忘れない。なぜなら、 「花で作った冠を差し出して、おまえは、」 ―――どうか、私のお妃に。 わたくしの手を取り、深緑の瞳でまっすぐに見つめて、そう呟いたのだから。 「昔のことでございますよ」 「……ねぇ。」 苦笑いをして視線を外してしまったあなたを引き止めたくて私は口を噤んだ。 あの約束を忘れてしまったの? 夜も更けて。 着ている服が同じであったら、皆同じのっぺらぼうにも見える殿方に、 引き合わされ、挨拶を繰り返し、愛想笑いを振りまいた、 そんな軽い責め苦にも似た長い長い時間が終わって、 わたくしはようやく自分の寝室に戻ることを許された。 付き添いの言葉は断った。 紅茶も、お休みの言葉ももう要らない。 早く一人になりたかった。 この重くて息苦しい衣装を脱ぎ捨てて、自分のベッドに潜り込んで眠ってしまいたかった。 目覚めれば、また朝がやってくる。 本館から寝室のある別館に抜け、後ろ手に渡り廊下の扉を閉め深呼吸をひとつ吐いた途端、 不意にどっと訪れた疲労感に眩暈を感じて、わたくしは壁に手をついた。 「大丈夫でございますか」 耳に良く馴染んだバリトンが近くから聞こえて、わたくしは驚いて顔を上げる。 あなたが立っている。 気遣うように、けれど一定の距離を正しく置いてあなたが立っている。 「お部屋までお連れいたしましょうか」 「ええ……いいえ、大丈夫。一人で歩けるわ。緊張が解けてしまっただけ。少し休んだら、平気よ」 壁に背を預けてゆっくりと呼吸を繰り返していると、気分は次第に良くなった。 「おまえこそ、こんなところで油を売っていて平気なの?」 父もお気に入りのあなたは、つい先ほどまで大広間の片隅で、 まるで隣に並ぶ作り物の甲冑と同じように畏まって立っていたはずなのだ。 「片づけが、残っているのでしょう」 「すぐに、広間に戻りますよ」 「……わたくしのことを心配してくれて?」 眩暈ついでにこの際だ。 普段なら絶対に口にしない言葉を。 あなたはきっと上手にかわしてしまうから、口にできない言葉を、わたくしは呟いてみる。 「ご気分がお悪そうでしたので……」 いつも明瞭なあなたの返答にしては珍しい、歯切れの悪い返答。 「もう、平気よ」 そう言いながら壁から離れた足が、ふとよろけた。 「お嬢様」 とっさに差し出された腕は力強くて、わたくしはその感覚に戸惑う。 「お部屋までお連れいたしましょう」 添えられた右腕に手を置いて、おとなしくその言葉に従うことにした。 「……少し、疲れたわ」 「ええ、たくさんお客様はおいででしたから」 「今晩は、夢の中にまで挨拶文が繰り返し出てきてよ。しばらく忘れそうにないわ」 わたくしの言葉に、歩きながらあなたは微かに頬を弛めた。 「それは大変でございます」 「夢で魘されてしまうかもしれないわ」 「温かいお飲み物でもお持ちいたしましょうか」 「歌が、いいわ」 「……お嬢様」 あなたは言葉を切ってわたくしの顔を眺める。 「わたくしが眠るまで歌を聞かせてくれるといいわ」 「ご冗談が過ぎますよ」 諌める口調は、それでも失礼がないように柔らかくて。 「お嬢様は、もう立派な大人の女性でございましょう。 子守唄がないと眠れないのは赤ん坊でございますよ」 そう、とても大人な対応。 わたくしの倍は生きているあなたの心がわたくしにはよく、見えない。 そんなに、変わらない事だって、あるわ。 俯いて呟いた声は、あなたには届かなかったようだった。 「さぁ、お部屋でございますよ」 淡々としたまま、部屋の前にたどり着いたわたくしの手をあなたは離しかけたので、 わたくしは思わずあなたの腕を押さえた。 「お嬢様」 静かに驚いたあなたの言葉を制するように、わたくしは早口で言葉を紡いだ。 「わたくし、今日誕生日なのよ」 「……20歳でございましたね」 誕生日だなんて、言わなくたってそんなことは判りきっている。 先ほどまでの大広間の馬鹿騒ぎがそうなのだから。 「お祝いを、聞いてないわ」 「……皆様からたくさん、いただきましたでしょう」 「言い直すわ。おまえからのお祝いを、聞いてないわ」 「私めのでございますか」 小さく息を継いで、では僭越ながら、と前置いてあなたは、 おめでとうございますと一言、言った。 「……それだけ?」 「他に言いようがありましょうか」 「殿方はわたくしにお祝いのキスをくださったわ」 順繰りに、両頬に。形ばかり、挨拶代わりの冷たいキスを。 嬉しくもなんともなかった。 「私は使用人でございますよ」 困ったように、それでもあくまでも無表情なあなたを、 わたくしはもう何も言わずにじっと見つめてみせる。 小さい頃、駄々をこねたわたくしとそうして、折れるのは結局あなたのほうだったから。 観念したのか、あなたはわたくしの手の甲へ、たいそう慇懃にそっと口付けた。 「お誕生日おめでとうございます、マイ・ロード」 拍手してもお釣りの来る立派な大人の対応。 決して境を越えてはこない礼儀正しいあなた。 我侭を言って振り回す、まるで子供のわたくし。 そして、ゆっくりおやすみなさいませ、と言い置いてそのまま去っていくのだ。 わたくしの独りよがりの恋。 悔しかった。 「わたくし、」 踵を返したあなたに何とかもう一度振り向いてほしくて、 「わたくし、好きな人がいるの」 背中に向かってそう叫んでみせた。 立ち去りかけたあなたは、不意をつかれたのか一瞬足を止めたようにも見えた。 けれどそのあとこちらを振り返ることはなく、何事もなかったかのように、 いつもの歩幅、いつもの姿勢で大広間へ向かって廊下をまっすぐに歩いていった。 わたくしは階段を降りきって見えなくなるまで、背中を見つめ続けた。 あなたの背中を。 もし、視線に力があるなら。ぐいと引きつかんでこちらを向かせてやりたい。 顔が、見たかった。 足を止めた一瞬、あなたはどんな顔をしていたのだろう。 少しは驚いてくれただろうか。 いいえ、きっと、変わりはないのだ。 もし振り向いたところでいつもの完璧なポーカーフェイス。 あなたは執事の顔をしていたに違いない。 好きな人がいるの。 叫んでまであなたを引きとめようとした自分が、浅ましくて笑えた。 本当かどうか聞いてくれたら、冗談よと答えたのに。 それは誰かと聞いてくれたら、あなただと答えたのに。 わたくしの頭の片隅で、カラカラと車輪のから回る音が聞こえる。 なんとも思っていないから、聞く必要もないのだろう。 誰もいなくなった廊下に立っているのも馬鹿馬鹿しかったので寝室のドアを開けた。 なんだかとても惨めな気分だった。 ベッドまでの距離がひどく遠くて、足を引きずるように歩いた。 カーテンを閉めていない窓から月の光が青く差し込んで、ベッドの上に窓枠の模様を作っている。 いつの間に運んだものか、大広間にあった山のような贈り物が、 わたくし宛になっていながら、実際は父に宛てた贈り物が、 テーブルの上にうずたかく積み上げられ、その一部は床になだれて、 見ているだけでむかむかした。 ―――今夜の贈り物の数が楽しみね。 ―――皆様からたくさんいただきましたでしょう。 言葉が蘇って、忌々しかった。 本当は、嫌いよ。 大嫌い。 甘ったるい百合やバラの花束も。 陶器でできたという冷たい人形も。 大きくて場所をとるぬいぐるみも。 あなたも。 めちゃくちゃに掻き回してやりたかった。 嫌い。 大嫌い。 ベッドに倒れこんで、そのまま自暴自棄な気分のまま、 布団を被って寝てしまおうと思ったわたくしの指先に、なにか優しいものがあたった。 枕元にそれは置いてあったのだ。 つんと野原が薫った。驚いて顔を上げると、そこに、 シロツメクサ。 丁寧に編みこまれた花の冠。 ねぇ。 あの約束を忘れてしまったの? 震え始めた指で取り上げた。 いつのまに取りに行っていたのだろう。 なぜならあなたは、今日一日中わたくしの誕生日の集まりのために、 それこそ食事を取れないほどに忙しく屋敷内を動き回って。 そうでなくても父からあれこれと言いつけられて、本当に息つく暇もなくて、 けれど有能なあなたは一切を顔に出すことなく、ただただ、 冠の根元に、白くて小さなハンカチが引き結ばれていた。 シャツと同じ。洗い立ての糊のきいたにおい。 あなたのにおい。 わたくしの、執事。 おかしいわねわたくしはもう子供の頃のわたくしではないのよ それにこんな名前も付いていない贈り物で喜ぶと思っているの かしらわたくし今日はそれこそ両手に抱えきれない以上にたく さんたくさんの贈り物を殿方からいただいたのよそもそも大変 無礼だわ年頃の主人の寝室に許可なく入ってきただなんて。 「馬鹿ね」 他愛もなく嬉しい自分が。 ―――どうか、私のお妃に。 覚えていたのだ。 冠がぼやけて見えなくなって、わたくしは自分が泣いているのに気が付いた。 ああ。 わたくしの、執事。 たったひとつの誕生日プレゼントを抱きしめて、わたくしは、小さい頃のように、声を上げて、泣いた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |