シチュエーション
雪が降っている。 淀んだ灰鼠色の空から白い綿が散り積もる。 深深と。 あんなに草臥れたように見える雲から、何故こんなに真っ白で汚れのない結晶が落ちるのか不思議に思う。 深深と。 窓の外、表通りを雪にはしゃいだ子供等が駆けてゆく。 雲と同じに草臥れた大人と違い、子供等は元気だ。 その歓声を地面に降り積もったそれが、じっとりと吸収している。 ああそうか、全ての雑音を吸い込んで、だから雪は溶けるのだな。 そんなことを思いながら紅茶を入れ終えた。 外を眺めている場合ではない。早くあなたの元へ運ばなくては。 暖かいそれは冷めてしまう。 「今日は、鼻の頭が冷たくて目が覚めたのよ」 あなたの部屋に入ると、同じく窓から外を眺めていたあなたは、こちらを振り向きもせず言った。 あえて振り向かずとも、足音やノックの音で私だと判るのだと、そう言う。 そんものなのかもしれない。 「今朝は寒うございました」 言いながら私は、あなたがすぐに飲めるように茶の支度を整える。 時折暖炉から、ぱちぱちと薪の爆ぜる音。 暖かな音だ。 「雪が降っているわね」 「はい。少し遅い春の雪ですが、積もりましょう」 「雪だるま、作れるかしら」 「そうですね」 「近所の子たちは作ってくれるかしら」 わくわくと嬉しそうなあなたの声に私は思わず頬が緩むのを覚えた。 小さい頃からあなたは雪遊びが好きだった。 長じて、流石にあなた自身では雪遊びをしなくなっても、雪遊びをする子供等をじっと眺めている。 どこかうらやましそうに、どこか切なそうに。 「さぁ、どうでしょう」 「おまえあまり雪が好きではないの?」 「え?」 いつものように唐突な話題の転換。ついてゆけないこちらを振り向いて、あなたは私をじっと見る。 その視線は薄い鳶色。 「あまり好きではないの?」 その真っ直ぐな視線に、たじろいで苦笑で誤魔化した。 「……そう聞こえましたか」 「聞こえたわ」 「……そうですね、」 結露した窓を眺めて、私は小さく頷いた。 「あまり、好きではありません」 「まぁ。どうして」 目を見張るあなたに、私は瞬時戸惑う。 ぱちり。薪が爆ぜる。 どうしてだろう。 考えたこともない。 「寒いからでしょうか」 「そうなの?」 「……いえ、」 違う。 思えば、あまり好きでないのはむしろ、真冬のそれではなく、今の時期、春に降る雪なのだった。 何故ならばそれは、 「……、雪がこうして降っていって、やがて止みましょう」 「止むわね」 止んで。 「ほとんどはすぐ消えてしまいますが、中には陽にあたっても、 なかなか溶けないで残っているものがありますでしょう」 建物の影。縁石の横。町の片隅。 何日も何日も何日も何日も何日も何日も、 「いつまでも溶けずに」 それはそこにあって、 「どんなに黒く汚れても」 決して消えない雪になって。 いつまでも。 ―――そして春が来る。 「私のようなものでございますよ」 私を見つめるあなたは、こうして降っては、すぐに手のひらの上で消えてしまう淡雪だ。 後には何も残らない。 私は多分、片隅に残っている。 「いつまでも」 あら。 自嘲しかけた私を見つめていたあなたは、おかしそうに笑った。 「残っている雪は、大根おろしのように見えてよ。わたくしは、好きだわ」 とても柔らかだもの。 そう言ってころころと、実に楽しそうに笑う。 大根おろし、のあなたらしい表現がおかしくて、私も笑った。 紅茶を注いだカップから、白い湯気が立ち昇る。 その湯気の向こう側であなたは笑っている。 しばらくそうしていたあなたは、けれど不意に笑いを納めて、 「おまえ、そんなこと思って雪を見ているの」 真面目な顔でそう尋ねる。 「はい」 「いつも?」 「はい」 「……まぁ」 それは大変ね。 首を傾げるあなたは、窓の外の白練色の光に照らされて、ひどく澄んでいる。 純白は、あなたによく似合う。 「では、」 言いながら、あなたはまた窓の外を眺めた。 その瞳に映ったものが何だったのか、私には判らない。 「わたくしが、溶けた端から何度も何度も何度も何度も」 雪になって。 「何度も何度も」 雪になって。 「おまえが嫌になるまで、空から降ってくるわ」 あなたの突拍子もない発想に、私は思わず喉の奥で笑った。 そう、まったく敵わない。 「何度も、でございますか」 「ええ、そうよ」 「雪になって」 「ええ、そうよ」 ああ。 なんて酷い殺し文句だろう。 窓の外には雪が降っている。 深深と。 「……しばらく止みそうにありませんね」 「そうね」 かざはな。 風に煽られ、宙を踊りながら、次々に舞い落ちる。 まるで春に散る花と同じ、それ。 「でもそのうち、きっと溶けるわ」 そう言ってあなたは、窓ガラスに映った間抜け面の私を眺めて、花が咲いたように微笑んだのだった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |