シチュエーション
独りになってしまった。 なぜ生かされているのかもわからない。 煌びやかな衣装を身に纏っていた頃は何も言わずとも人は皆足元にかしずいた。 父を殺めた男に同じようにかしずくのを見た時に、皆が崇めていたのは父でも血筋でもなく輝く冠と煌びやかな衣装であったのだと気づいた。 尊いものなどどこにもありはしないのだ。 粗末な麻の服を身に纏い、住み慣れた部屋を追い出され、名も知らぬ男に引き取られた。 男は優しさの溢れる瞳に憐憫を映し出していた。 復讐など虚しいものだと男は言った。 それからは男の息子として彼の屋敷で暮らしていた。 国を離れ、名を捨て、あれからどれだけの時が経ったのだろう。 「……ん?」 少年は足元に現れた白い固まりに意識を引かれた。 小さく鳴いて足にすりよるそれは真っ白な小猫だった。 首に結ばれたリボンに鈴がついている。 少年はしゃがんで猫を抱き上げた。 軍に勤める男に会いに軍部へ赴いてきたばかり。 王宮と軍部は目と鼻の先だ。 飼い猫なのだから王宮か軍部の誰かのものなのだろう。 さすがに軍部に猫を連れ込む者はいないだろうから、王宮から逃げ出してきたに違いない。 少年は猫を抱いたまま、そびえ立つ宮殿を見上げた。 「お前」 か細い声が背後から聞こえ、少年は振り向く。 「お前、その子をはなしなさい」 身なりから判断する限り、家柄のよい娘なのだろう。 毅然と言い放っているつもりだろうが、微かに声が震えている。 少年は猫と少女を交互に見やり、地面に猫を下ろした。 猫は少年の足に擦りよったまま動く気配がない。 少女が困惑気味に猫を見つめる。 少年は一つ小さな息をつき、猫を抱えて少女に近づいた。 首根っこを掴んで差し出すと、少女は大切そうに子猫を抱いた。 「お前、よく探しだしたわ。ほうびをとらせる。何をしょもうだ?」 少女が嬉しそうに猫を撫でながら話す。 少年は僅かに首を傾げ、くすりと笑った。 「では、おそれながら申し上げます。姫様の髪を飾っておられるリボンをいただけますか?」 少女の淡い金髪は両側で一房ずつ桃色のリボンで括られていた。 二度瞬きをし、少女は微笑んで少年を見上げた。 「いいだろう。ふれることをゆるす」 「ありがとうございます」 恭しく頭を下げ、少年は少女の髪からリボンを一つ抜き去った。 円かな瞳がきらきらと輝き、少年を見上げてくる。 「私のへやにくればもっとよいものをやるぞ」 青年は困ったような顔で首を振った。 「私はもう行かなければなりませんから」 少女の瞳に落胆の色が浮かぶ。 「どこへ行くの?」 「家に帰ります」 「お母さまやお父さまが待っているの?」 少年は首を振り、少女は悲しげな表情を浮かべる。 「お前、ひとりなの?」 少女の腕から子猫が飛び降り、少女は少年の腕を掴んだ。 「お前はひとりぼっちなのね。私にはお姉さまがいるけれど、お前はひとりぼっちなのね」 少年は困惑した様子で少女の小さな手を眺めた。 振り払ってこの場を離れてしまえばいいのに、少女の手の温かさが少年を引き止める。 「私、お前をそばにおいてあげる。お前を私の騎士にしてあげるわ」 少女に促されるままに名前を教えた。 少年は一度も頷いていなかったけれど、少女は少年を騎士にするという約束を置いて王宮へかけていった。 腕に残る手のひらの感触に手を重ね、少年は王宮を眺めていつまでも立ち尽くしていた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |