シチュエーション
![]() 絶壁、と言っても差し支えのない山城の、崖か谷か城壁か、判別のつかない壁に張り付いていた。 ダインである。 足場と呼べるものは、僅かな隙間に差し込んだ短剣のみである。 交互に、一対の小さいが頑健な短剣を岩壁に差し込む。支えるのは腕力だ。 全力で体を持ち上げ、片腕で姿勢を保つと更に斜め上へ差し込む。持ち上げる。 手の平が汗でぬめる。 それが冷や汗なのか否か、冷静に分析する余裕は、流石にない。 苦痛に顔が歪む。歯を喰い縛った。 歪みついでにひょいと、気を紛らわすように遥か下を見た。 闇がわだかまり、はっきり見えない。 けれどその中に、少女が立っているはずである。 ――見上げているのだろうな。 そう思った。 「力のあるものを選抜したい」 野営地にてミルキィユが声をかけてきたのは、その日の行軍の疲れと共に晩の質素な食事も済んで、 夜明け前の見張り交代までそろそろひと寝入りしようかと、ぼんやりダインが火にあたっていた時のことだった。 「力、てなァ」 脇に居座り、ひたすら無言で意地汚く飯を掻き込むヤオを横目に流すと、 「言葉が足りなかったな。身軽で、力のあるものが数人欲しい。できれば夜間行動の経験がある者が良い」 眉を上げてミルキィユは言い重ねる。 「じゃ、俺ァ無理だわァ」 目立つし。 一言、早々に脱落宣言を発してヤオは肩を竦め、再び飯を掻っ込んだ。 「なんだ。夜這いでも仕掛けようってェのか」 「まぁ、そうだ」 「マジか」 ミルキィユの応えに、ダインが目を剥く。 「お相手は、どこの貴公子だ」 「あれだ」 「どこよ?」 ひょい、と彼女の指差す方向を肩越しに振り返り、ダインは喉の奥で呻く。 「……三国一の美男子じゃねェか」 「思慕は、叶わなければ叶わないほどに燃える、と言うだろう」 指し示す遥か彼方には、四方鉄壁の、山城がある。 国境に位置するそれは、小さいながらもたいそうな意味を持つ城砦であり、 そこが落ちるという事は即ち、国乱を意味した。 なにしろ、国境と言うのは、国と国との、地図上で仕切られた目には見えない境目であり、 侵犯しただの侵入しただの、いざこざの耐えない厄介な線である。 またそこは、いざ事が起こった際、一番に盾となる防壁であり、 そうでなくとも通事の哨戒任務は、重要な任務であった。 端的に言うと、「敵方をいち早く発見し、それを本国へ伝える」。それが山城の最上任務である。 であるから、小高い場所に築城されることが多い。 見張り場が盆地では意味がないからだ。 ミルキィユの指差した山城は、 エスタッド皇国と同程度の面積と国力を持つ、王国アルカナと、それに隣接する王国とに位置した。 「詳しく言うとだ」 いつの間にか、ヤオとダインの間に割り込んで、ミルキィユも炎に手をかざしていた。 夜は吐く息までも白い。 「本隊が、アルカナの本隊へ向けて今晩進軍を開始する。これは陽動作戦だな。囮だ。 相手本隊の注意を引き付けている間に、わたし達が別行動にて、あの山城へ奇襲を仕掛ける。 奇襲後、制圧。 山城より狼煙を上げて、アルカナ本国へ、隣接国の進撃の情報を与えて、混乱させるのが狙いだ。 その後我が軍の本隊が、混乱する敵本隊へ総攻撃を仕掛ける。わたしたちは速やかに撤収。 本隊へ帰還し、合流する」 「……また臨機応変を強要されそうな、力押しの作戦だな、お嬢」 「上官と呼べ」 呆れた声をダインが上げるとすぐさま、ミルキィユが返してくる。 「少人数で行動したい。貴様の方が仲間内には詳しいだろう?」 「別行動中に、アルカナ軍に発見されたら、」 「助けはない。取り囲まれて討ち死にだろうな」 「本隊の総攻撃のタイミングが悪かったら、」 「それも討ち死にになるな」 「撤収前に、あっちの一隊が山城へ攻めて来たら、」 「骨は拾ってやろう。名残なく逝け」 きっぱりと言い切る女将軍に、がりがりと頭を掻いて無言で返し、 それからダインは、幾人かの仲間の名を上げた。 手にしていた小さな紙に、頷きながらその名を書き込んでいた彼女は、 「半刻後に準備を済ませて、全員揃えておいて欲しい。夜は冷える。身支度はしっかりな」 言って立ち上がり、切れのある動作で去ってゆく。 「……って俺かァ」 肩を落としてダイン、盛大に溜息をついてみせると、 「契約分は働いて返す。傭兵の鉄則だろう」 背中越し、呟きと共にミルキィユが含み笑った。 まったく、叶わない。 夜間の隠密行動に必要な第一は「音を立てない」。それに尽きる。 身軽な動きだとか気配を消すだとかは、その次の問題である。 ぶつかり合って音を立てる鎧の類も、野営地に置いてきた。 身を守るのは皮の上着と、その下に着込んだ厚手の防護服、それだけである。 見つかれば命はない。 山城へ向かって、日の落ちた荒野を馬で駆け、その馬も麓で降りていた。嘶きは意外と闇夜に響く。 息を潜ませて城砦の裏山より登山した。 先頭に立つのはミルキィユ。地の利に詳しい。 次いでダイン。その後ろに彼の選んだ数名が、やはり音もなく忍び歩いている。 背には、油柴を背負っていた。 城砦内の各所に火を熾し、混乱に陥れようとしているのだった。 派手に燃やす必要はない。ボヤ程度で十分だ。 目的は城砦を燃やすことではなく、鎮圧することであったからである。 アルカナ王国のその山城は、三方をせり上がった城壁で囲まれている。 篝火の数も、見回る兵士も多い。 そこから攻め込むことはこの人数では不可能である。 だからして、ミルキィユは残る一方の城砦の背後、絶壁をよじ登って侵入することを、男達に告げた。 そちらは見張りが極端に少ない。 油断ではない。 少ないと言うことは即ち、そこを上る自体、かなりな確率で不可能だと言うことだ。 谷底に立つと、見上げるだけで頂の見えないその壁に立って、一同は思わず無言になった。 獣ならともかく、人間がここをよじ登ることはどう考えても曲芸に近い。 上から縄でも垂れているならともかく。 「……ってちょっと待て」 厳しい顔つきで腕をまくり、壁に近づいたミルキィユが視界に入って 「アンタが上るのか」 ダインは思わず尋ねていた。 「そうだ」 事も無げに彼女は頷く。 「まずわたし一人が上にゆき、上り縄を垂らす。それを伝って貴様達は来るといい」 まくった腕は、何故大剣を振れるのか、不思議なほどに細くて、 「俺が行く」 背中の油柴を下ろし、彼女の行く手を阻んで彼は言った。 勢い半分であった。 「お嬢じゃ、無理だろう」 「しかし。ここを上るのは一番危険なことだ。 この作戦を言い出したのはわたしだ。わたしが責任を取らないでどうする」 「ここまで連れてきておいて今更危険もクソもあるかよ。いいんだよ。 アンタに任せて、俺らがアホ面で突っ立ってるってのも、寒い話じゃねェか」 「しかし、」 「……アンタは将軍様なんだからよ、俺らに命令すりゃいいだろうが」 「上の見張りに見つかれば命がない。そんな危険なことは命令できない」 「いいんだよ」 なお頑なに首を振るミルキィユの髪を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜて、ダインは笑って見せた。 「いいからアンタは命令しろ」 糸のように細いそれは、掌の中で柔らかにもつれ絡まる。 「ダイン」 困ったように首を傾げて、それでもミルキィユはしばらく躊躇っていたが、 やがて、不敵に見つめるダインの視線を受け、その栗色の瞳を真っ直ぐに上げた。 では。 口唇が、ゆっくりとほどかれる。 「上官命令だ。ゆけ」 「……承知」 にやつく。 まるで騎士だと自身に突っ込みながら、彼は絶壁に足をかけた。 「お前ら、姫君をしっかり守っておけよ」 台詞を捨てていくことも忘れない。 「安心しろ」 二人のやり取りを眺めていた数名が、潜めた声で返す。 「お前を生きデコイにして、俺らはちゃんと逃げるから」 聞いた守銭奴、年甲斐もなく拗ねた。 風が騒いでいる。 山の上はこんなにうるさかったか。 アルカナ王国の城砦の指揮を任された男は、そう思い、ぐるりと辺りを見回した。 太守と言う肩書きがある。 城壁の上である。 歩哨が彼を見止めて慌てて敬礼するところに、鷹揚と頷く。 「ご苦労」 労いの言葉一つ掛けてやりながら、その実、内心腹立たしくて仕様が無い。 辺境に飛ばされて一週間になる。 寒い。 つい先日まで、本国に勤務していた身が、何故このような僻地に飛ばされたのかと言えば、 理由も言い方もいろいろあろうが、早い話が艶話である。 まさか知られまいと、国王の気に入りの侍女に、こっそり手を出したのが間違いだった。 覆水盆に還らず。事は直ぐに露見した。 簡単なことである。相手方の女が、国王に直奏したのだ。 後悔という言葉は、本当に後になって悔やむのだなと、妙に納得したりもした。 発覚後。一言弁解する間もなく、速やかに山城へ転任になっていた。 出世街道をはっきりと踏み外した瞬間でもあった。 ――だから女は嫌だ。 自分のことを棚に上げて、大いに文句を垂れた。 自業自得と言う文字は、男には無い。 華やかだった王城勤めとは打って変わって、この、素朴と言えば聞こえはいいが、 粗末で貧しい城砦暮らしに、早くもうんざりし始めている。 女っ気ひとつない。 兵士達はよく務まるものだと、感心すらしている。 轟、とまた、ひとしきり突風が吹き荒れ、城壁に掲げた旗が水平に薙ぐ。 しかめ面でそれを眺めた。 寒い。 気晴らしがてら城壁を一周した後に、部屋で酒でも呷って眠ってしまおうと思い、 こうして供を伴い、形ばかり外に出てきたものの、これでは一周する間に風邪をひきそうだった。 やめた。 即座に予定を変更して、太守は踵を返す。 早々に寝床に潜り込みたい気持ちでいっぱいだった。 石段を降りかけた彼の耳に、遠く騒ぎの声が飛び込んできたのは、その時だ。 「……なんだ」 振り返る。 見晴らしだけは良い。 南側の飼料小屋辺りに、数人が集まっているのが見え、 「何事だ」 苛つきながら声を出した。 「は、」 側に控えた侍従が、伸び上がって暫し様子を眺めていたが、 「ボヤ騒ぎのようですな」 肩を竦めてこちらも同じく、やる気のない声色。 出世株と見込んで、仕えたのが間違いだった。そう思っている素振りもある。 主人以上に、早く室内に戻りたい様子が見え隠れしていた。 「暖を取るために点した炎が、この風で飛んだのでしょう」 「……なるべく早めに事を抑えろ。本国に私の監督責任が問われては」 「……は、」 この期に及んで、未だ本国の風聞を気にする男であった。 脇に控えた侍従は、少々うんざり気味の様子。 しかし、そこは仕えてはや幾星霜、なけなしの自制心と忠誠心を掻き集めて応えた。 「後ほど伝えておきましょう」 「うむ」 城砦の重要さをまるで理解していない男達が、今度こそ部屋へ戻ろうと石段に向きなおり、 ぬっ、と。 目の前に閃光が走った。 「……ん」 形ばかりの太守は、のろのろと視線を落とし、首筋に突きつけられたそれを確認する。 鈍色の。 「太守殿であらせられるか」 轟く風の合間より、静かな声が耳に届いた。 「ん?」 「抵抗は無意味だ。おとなしくされたい」 突きつけられている物が、刃と言うことに気づいたのは、しばらくぼんやり眺めてからのことだった。 「貴様、」 次いで頭に浮かんだのは、突きつけた者への怒りだ。 太守である自分に対して、剣を突きつけるとは何事か。 どんな風習がこの山城にあるのか知らないが、だから田舎者は嫌なのだ。 「き、貴様、ただで済むと思うな」 そう言って傲然と振り返った。 振り返り目を見張る。 闇夜に白くぼう、と光る姿がある。 正直亡霊でも出たのかと男は思った。 肌も髪も白い人間と認識するまでに、またかなりの時間を要した。 「貴様、どこの配属だ」 絶対に、絶対に処罰してやる。 そう心に誓って問い詰めた男の首筋に、やはり動かぬ刃。 「……状況を飲み込めておられないらしいな」 呆れた声で目の前のそれは言った。 「はァ?」 思わず間抜けた声が出る。 そもそも、こんな特異な風貌の兵士をこの砦で見たろうか。 男は首を捻った。 少年のようにも、少女のようにも見える、まだ若い兵士である。 どちらにしても豪く綺麗だった。 例えるなら、蘭の艶やかさでなく、この山頂付近に咲く名もなき花の可憐さである。 声色が女のそれだ。だが女は、この砦にいない。 「わたしはエスタッド皇国の将である。この山城を、乗っ取らせて頂く」 凛と通る声が、疑問符満面の男の耳に染み入り、 数秒。 「エ、エ、エ、エスタッド皇国だと!」 男は、初めて声を荒げる。部下はと慌てて見やれば、既に床に昏倒済みである。 「動くな」 言って女が、僅かに剣を滑らせた。 つう、と薄皮一枚、首に痛みが走る。 強張った体に、風が轟々とうねり、当たった。 華奢な女は微動だにしない。男はあっさり両手を掲げて、抵抗の意思のないことを伝える。 と言うよりも、実は未だに状況がよく飲み込めていない。 エスタッド皇国、の言葉につい反応しただけのことだ。 半ば茫然自失の態であった。 降参した男に、女の朱唇が、にぃと横に吊上がる。 紅を注したのかと思うほど、つややかな口唇である。 見蕩れ、直ぐに、 理不尽だ。 腹を立てた。 ――だから女は嫌だ。 もう金輪際女とは縁を切ろうと、出来もしないことを固く誓った男であった。 夜明けを迎えて、灯火台から「隣国軍の接近あり」の狼煙が三本立ち上る。 エスタッド、アルカナ両軍共にこの狼煙を確認しているに違いない。 同盟を結んでいるはずの、隣国からの有り得ない侵略に、敵軍もその本国も慌てふためいている筈だ。 その隙を突いて、エスタッド本軍は、苛烈な総攻撃を開始する手筈になっている。 今頃は全軍進撃の合図でも、送っているだろうか。 目下に広がる平野を見下ろしながら、ダインはふと思った。 アルカナ本国が狼煙を信じて、この山城へ向けての増援軍を出立させるには、まだ今少しかかりそうだ。 なにしろ、軍部と言うのはどこの国でも、やたらと腰が重いものだったから。 臨機応変に動くには、巨大に過ぎる。 それはエスタッド皇国とて例外ではなく、その分、やたら小回りのきくのは、傍らの鬼将軍である。 規律に縛られない。 本人以外のほとんどを、本国の職業兵士でなく、傭兵を多用するところにも、それが見られる。 真正面からの突撃より、主に遊撃や霍乱作戦が多いのも、 きっとその辺りに起因するのだろうと、ダインは踏んでいた。 その鬼将軍、一所に集められた兵士を眺めやっていた。 砦の兵全数、がんじがらめに縛り上げ、城壁の下に転がしたのだった。 もちろん好色面の太守、並びにその部下も同じ境遇に陥っている。 太守を引き立たせ、首筋に剣を突きつけて脅すと、兵士達は呆気なく投降に従った。 あるいは、 無能そうに見える太守を、兵士一同見捨てるのではないかという、密かな危惧もあったのだが、 任務に忠実で朴訥なものが多かったのだろう、滞りも一切無かった。 目的は果たされたのだから、傷つけるつもりもミルキィユには無いようで、 ただし、 この状況をアルカナ本国に連絡されては困る。 であるから、緊縛の結びは堅い。 命の保障に安心したか、兵士達は、おとなしく転がされるに任せているようだ。 一人を除いて。 山城が敵国に乗っ取られ、自分達が捉えられたという事実に、ようやく行き着いた様子であった。 「……しばらく窮屈な思いをさせるが」 喚く好色漢を見下ろしてミルキィユ。 「援軍が到着したら、きっと発見してもらえるだろう」 「き、き、貴様、一体どこの誰なんだ!名乗れ!」 「わたしはエスタッド皇国第五特殊部隊を任される、ミルキィユと言う者だ」 「……ミ、ルキィ……ユ」 聞き覚えがあるのだろう、幾度か男が口の中で名前を転がし宙を睨んだ。 「ミルキィユ……ミルキィユねェ……」 無遠慮に名前を連呼する姿に、呼ばれた本人はまるで平然としていたが、 傍らで形ばかり、剣を突きつけていたダインは、妙に腹が立った。 ――この状況がわかってねェのか。 判っていないのだろう。 頼むからやめてくれと、言わんばかりの視線で男を眺めるのは、兵士達の方である。 彼等は理解している。 司令官であるミルキィユの機嫌一つで、捕虜の命は左右されるのだ。 けれどその緊迫感と言おうか、臨場感、追い込まれた絶命感が、まるで目の前の男からは感じられない。 ――阿呆か。 頭を掻いてダインはそう断定した。 間違っては無いだろう。 やがてその阿呆は、額に手を当て、 「まさか、貴様」 はた、と思い出したのだろう、唐突に押し黙る。 罵声が止まり、辺りはようやく静かになった。 兵士達はほっと肩を落とす。 「そうだ……貴様……」 驚きに見開かれた男の瞳は、なぜか徐々に悪意に満ちた、陰湿な視線へと変化し、 舐る。 「そうか……貴様がミルキィユか……」 にいい、と下品な笑いを張り付けて、男が歯茎を剥き出した。 「……風の噂に耳にしたぞ。第三王子を……殺して逃げた女だな」 その声のあざとさに、ダインは思わずミルキィユを振り返る。 「さあ」 対するミルキィユは、下卑た言葉にもまるで動揺を見せない。 「奪った命が多すぎる」 片眉を上げて鼻で笑った。 戦場で、奪ったのだろうか。 僅かに引っかかったダインを尻目に、 「ご苦労だった」 やりとりの事など忘れたように、彼女は捕虜に背を向け、大きく一つ息を吐くと、控えた傭兵達にそう告げた。 夜を徹しての隠密行動に、目の下に隈を作った顔が並んでいる。 しかし流石にそこは鍛えた職業傭兵、各々意外に元気そうである。 褒める言葉を、面映そうに聞いていた。 「残りの戦は、本軍の”有能な”将軍共に任せよう。わたし達は戻って昼寝だ」 「上官。作戦は、帰るまでが作戦ですよね」 「上官。俺らに慰労手当は付きますか」 冗談交じり、にやにやと笑う顔を見回して、ミルキィユもまた口の端を上げる。 「そうだな。いっそ盛大に酒盛りでもするとしようか」 途端上がるのは歓声。 後はそれぞれ山の麓の馬止めへ向けて、速やかに行動するのみである。 長居の理由は無い。 同じく去りゆこうとする彼女の背中へ、嘲笑と共に追い被せるのは呪いの言葉だ。 「闇夜に踊る化け物が!陽の許へさらけて付いて来る者はいないのだな!」 振り向いた少女はいっそ凄艶だ。 剣を突きつけた手前、最後まで居残っていたダインは、その顔にぞく、と背を震わせた。 笑っていた。 少女は笑っていた。 ダインに理由は判らない。 ただ、その笑顔があまりに美しかったので、 「……てめェはうるせェよ」 不穏な声で低く呟き、問答無用とばかり、足元で喚く男の鳩尾に、拳を入れて黙らせた。 二発。 「早馬が届きました」 規則正しいノックと共に、部屋に入室を許可された侍従が、咳払いを一つして、広げた紙を読み上げる。 「アルカナ王国軍霍乱作戦に成功し、自軍本隊がアルカナ軍本隊へ、かなりの打撃を与えた模様です。 なお、アルカナ軍は一時本国への撤退。我が軍は深追いせずに皇都よりの連絡を待つ、以上です」 「ほう」 片頬杖付いて、その報告を聞くともなしに、読書に興じていたエスタッド皇国の皇帝は、 侍従が、慇懃に腰を折って退室したのを見止めると、伏せ目がちの視線を流して艶然と微笑んだ。 「霍乱作戦、か」 その笑みは氷結。 「どう思うね、ディクス?」 「……おそらく、ミルキィユ将軍率いる第五特殊部隊が、要の部分を担ったのでしょうな」 皇帝が、彫像のように脇に控える黒鎧に返事を求めると、応えは静かに返ってくる。 完結に求めた答えを返してくる腹心の護衛に、機嫌を少し良くしながら、皇帝は喉の奥で笑った。 「現地の上級将軍共は、下への人使いが少し荒いね。 ……しかし、これでまた、内心腸煮え繰りながらも、彼等はあれを認めざるを得なくなる」 「判っていてからかっていらっしゃる。陛下も人が悪い」 「……退屈を持て余していると言って欲しいね」 少しはこっちの身にもなって貰いたい、そう言わんばかりの素振りで皇帝は頭を振った。 頭を振り、思わし気な溜息を一つ吐く。 自身の刀がまた、研ぎ澄まされていることが嬉しくもあり、悲しくもある。そんな吐息である。 そして憂う。 「ディクス」 「はい」 「これは私の冗談なのだが、もし、あれがね。前々皇帝と、ある女性の間に生まれた子であるならば、どうする」 「冗談ですか」 「冗談だよ」 「……それは、大変な騒動になりましょうな」 分を弁えたディクスはやはり静かに答えた。動じない。 「話のし甲斐が無いね」 とうに倦んでいた本を思い切りよく閉じ、皇帝は窓の外を眺める。 夜である。 己の顔しか窓には映らない。 鏡に映った己の瞳の中に、あの光景を思い出す。 一生忘れられない、残酷で悲しい物語。 「君はまだ、仕えていなかったから知らないだろうが」 母は、美しく聡明な女だった。 皇帝がまだ少年だった頃のことだ。顔はあまり覚えていない。 少年が母と、一緒に暮らした年数よりも、離れて過ごした年数の方が遥かに多いのだ。 栗色の瞳と髪を持っていただとか、近寄るたびに甘いやさしい匂いがしただとか、 断片的な記憶は数多くあるものの、それらを集めた姿が無い。 一つだけ言えるのは、笑った姿は見たことが無かった、それだけだ。 身の置き所が無くて申し訳ないと、怯えたような、困ったような、 淋しい顔をしていたことだけ、少年は覚えている。 なにしろ、その時分はまだ、自身は皇太子ですらなかった。 皇帝である祖父と、皇太子である父。そして跡継ぎの冠だけはとりあえず抱いたものの、 生まれてよりの心臓の欠陥で、ベッドから起き上がれない生活を送っていた自身。 母は、彼を生みながらなお、身分の低いままであった。 城内の一角の、小さな部屋で寝起きしていたことを覚えている。 祖父は、凶皇帝と影で囁かれていた。傲慢で、奔放で、人一人殺すことに何の躊躇いもなかったようだった。 父は、狂太子と影で囁かれていた。神経質で、陰険で、父である皇帝の影に押さえ付けられて暮らしていた。 もとより、愛情は無かったのだ。 或る時。 祖父が母に手を付け、形ばかりの家族は崩壊した。 もっとも、まだ幼かった少年は、なぜ家族が崩壊してしまったのか理解することが出来なかった。 ただ、祖父と父が血みどろの確執を繰り広げるのを、黙って眺めるだけだった。 眺めているうちに、やがて時は経ち、少年は嫌でも理解する。 祖父も父も愚かなのだと。 母は、随分と心を痛めていたように見えた。 とても優しい母であったのだ。 とても優しく、そして弱い女性だったのだろう。 その内に、母は赤ん坊を身ごもる。 祖父の子であった。 祖父と父の諍いは日を増して激しくなり、とうとう彼女は、城内より姿を消した。 その日も同じように、発作を起こして苦しい呼吸を繰り返す、少年の枕元に母はそっと近寄り、 ――ごめんなさい、ぼうや。 小さな声で呟いたのだった。 身分の低いことを口実に拒まれ、一度も枕元に侍ったことの無い母だった。 ――あなたを置いてゆくわたしを許して。 そして凍るように冷えた手を、少年の胸に当て、泣いた。 熱を持った体に、その手はひんやりと心地よい。 許して。許して。 泣きながら繰り返す。 発作の苦痛に霞む瞳で、幼い少年は母を見上げる。 とても美しい泣き顔だと、思った。 涙が、まるで朝露のように次から次へと零れ落ちて、 弾けた涙は温かかった。 気がつくと母は枕元にはおらず、城内にもいないことを後で知った。 祖父と父は、半狂乱になって彼女を捜したが、ついぞ行方は判らないままだったようだ。 滑稽だと、思った。 なにも大切なものが見えていない。 少年は笑うことをやめた。 数年の月日が流れ、 祖父は死に、父が皇位を次いで、少年は正式に、皇太子となった。 しばらく後に。 庸として知れなかった母の行方が、不意に皇都に齎されたのだった。 齎されるべきではなかったのだ。今はそう思う、 慎ましやかに母子二人、生活していればそれでよかったのだ。 けれどその時少年は、知らせを聞いて喜んだのだった。 優しかった母と、その母の子と、また皇都で一緒に暮らせる、 皇都で今度こそ幸せに暮らせると、信じて疑わなかった。 祖父はもういない。 父は母を愛しているのだろう? 小さな小さな村に、大軍が派遣されたのを知ったのはそのすぐ後であった。 父は、長年神経を患って、おかしくなっていたのだ。昔愛した女を慈しむ心は、もうどこにも無い。 代わりに、憎んだ。 母と、祖父の子と、そして母子を匿った村を。 少年の、新しい家族が出来る喜びは無残にも打ち砕かれたのだった。 駆けた。 病身も発作も関係ない。 押し止める付き人を振り切るようにして、馬を走らせた。 ただ今一度、生きている母を、兄弟を、一目見たかった。 助けたかった。 ――村は。 「私が、その知らせを受けて村に駆けつけたときには、既に手遅れであったよ」 淡々と語る皇帝は、物憂げではあったが表情は無い。 ――村は。 一面焼き尽くされ、原形を留めてすらいない。草一本二度と生えないように、塩まで巻かれていたのだ。 身の毛のよだつ、憎悪であった。 そんな父を少年は憎いと思い、同時に酷く哀れに思った。 淋しい男だったのだ。 愛した女を、そんな形でしか手に入れることが出来なくなってしまった、男だ。 少年は焦土へ足を踏み入れる。 僅か焼け残った防衛柵が、余計に虚しかった。 生き残っていないのは百も承知で、少年は生き残りを捜そうとした。 いるはずがない。 彼の父は、一人残らず殺せ、そう勅令したのだから。 逃げ惑う村人を、遠巻きに囲んだ皇軍が、的よろしく射殺したのだから。 未だに大地が燻り、黒煙が立ち込めて、辺りは夜のように暗かった。 身震いしながら少年は歩いた。 地獄と言うものがもしあったのなら、まさにこの光景だろうと思った。 ふと見やった視界の端に、おかしなものが見える。 元は家であったろうその隙間に、棒切れに似た残骸が見えたのだ。 おかしな角度の伸びたそれが、近づくうちに小さな子供であり、 その子が、水の張ってあった甕に頭を突っ込んで、気を失っているのだと判る。 全身を酷く焼かれていて、虫の息の子供を、少年は思わず抱きかかえた。 ――殿下。 付き人が慌てて少年を諌める。 ――それはもう助かりません。 ――助けろ。 助けろ。 助けろ頼む助けてくれどうかお願いだから助けて欲しい。 焼け残った消し炭のような子供に縋り付きながら、少年は初めて、駄々を捏ねて喚いた。 周りは豪く驚いたようだった。 生まれてこの方、聞き分けの良い子を演じ切ってきた少年であったから。 どんな発作が起きても、誰にも告げずじっと耐えているような少年であったから。 小さな村の、たった一人の生き残り。 自身の祖父と父が起こした、余りにも愚かな対立の結末。 少年の剣幕に、周りもそれ以上は何も言えなくなって、 彼の気が済むならばと、皇都にその子を助け運び、手を尽くして治療したのだった。 意識が戻るまでに幾日かかったか。 「子供は、生き延びたのだよ」 皇帝の声が低くなる。 「瞳を開けて、見つめてきた瞬間の戦慄きを、私は一生忘れないだろうね」 地獄を見ただろうに、その瞳はあまりに無邪気に過ぎた。 「真っ直ぐな瞳であった」 覗きこんだ少年に雷にも似た衝撃が走る。 走る程度の生易しいものではない。衝撃に、打たれた。 「切ない瞳であったよ」 窓に映る皇帝の瞳は冷えている。 ディクスと呼ばれた黒鎧は、視線を追って皇帝の表情を伺い、黙然と床へ視線を落とした。 「……あれは、私が命を救ったなどと思っているようだが。救ったのではない。私が救われたのだ」 無くした左腕に手を当てて、皇帝は静かに語っている。 「十まで持たぬと散々言われて、何故か再来年には三十だ。もう十二分に生きた。 そろそろあれの幸せを願っても職務怠慢にはなるまい」 「……ミルキィユ様は、陛下のお気持ちを汲んでいらっしゃいます」 「あれの涙を止めることは出来ても、あれを笑わせることは私には出来ない。 ……戦場にあれの居場所があればいいのだけれど」 傷つけられた腹が引き攣る。 前屈み、そのまま無言で皇帝は彼方へ思いを馳せた。 ぐふ、と喉から奇妙な音を立て、巨体が崩れる。 今まで横にいた腐れ縁の旧友が、反吐を吐きつつ倒れた瞬間だった。 「ヤオ……ッ」 悲痛な呻きが、ダインの喰いしばった唇より漏れ出す。 「畜生……ッ」 肩に手をかけ、揺さぶる。 朦朧とした友の焦点は、もはや合わさることが無い。 がくがくと揺さぶっても、首の座らない赤子のように、それは豪く頼りなかった。 それでもなんとか、ダインの搾り出した声が聞こえたか、 「……悪ィ…ダイ……ン…あとは、……たの、ん、……」 息も切れ切れに、ようようそれだけを呟くと、ヤオはそのまま闇の底に沈む。 行き先は地獄である。 「畜生……」 歯軋りしながらダインは、向かい合った敵に鋭い眼光を叩き付けた。 「よくも、ヤオを……」 悔しさ故か苦痛故か。涙が滲み出る。 「なんだ。降参か」 鋭いと思っているは己だけで、とっくに濁って据わりの無い、ダインの眼光を受けても敵はびくともせず、 逆に鼻で笑って返してくる。 「口ほどにもない」 辛辣な一言である。 向かい合わせで座っている。 既に辺りは、朋友の抜け殻で、埋め尽くされていた。 皆、突っ伏す。 生き残っているのは、既にダインだけである。 その彼もまた、満身創痍、今しも倒れる一歩手前だ。 折れそうな心を支えているのは、もはや意地だった。 目の前の、酒の注がれた杯を睨みつける。 勢いで腕を伸ばし、砕けんばかりにそれを掴むと、持ち上げ同時に一気に呷った。 自暴自棄であった。 「ほう」 感心した声が向かいより聞こえてくる。 少女の声だった。 涼やかな顔をしている。 「まだゆくか。後でどうなっても知らんぞ」 ミルキィユが頬杖を突いて眺めている。 意識朦朧としかけるダインと相反して、ミルキィユに少しの乱れもない。 心底楽しそうだった。 ――事のきっかけは、きっと仲間の誰かの、何気ない一言だったのだ。 曰く、あの将軍を酔わせたら、一体、何上戸になるのか賭けないか、とかなんとか。 悪戯心全開であった。 ダインも嬉々としてそれに乗った。 普段飄々としている少女が、一体どこまで乱れるものか見てみたい、純粋な好奇心が半分。 白い肌が、酒精に火照らされて桜色に色付くところを見てみたい、などと言う邪心も半分。 仲間内でひとしきり盛り上がったところに、折り良く彼女が見回ってきたのだ。 「お嬢も一緒にどうだ」 そう言ったように思う。 本来ならば、戦場で酒を呷る行為を傭兵は嫌う。 はずではあるが、先日のアルカナ王国本隊への霍乱作戦が功を奏し、 現在、手酷く打撃を受けたアルカナ王国は、エスタッド皇国に一時の休戦協定を申し入れたようだ。 ただし、「一時の」ではあるので、状況次第では再び進軍という可能性も大きいのだが、 それにしても今日明日の問題ではないようで、 とりあえずは戦場に駐屯する一隊は、暇を持て余す事になったのだった。 先日の褒美と称して、ミルキィユ将軍の名で、糧食隊より酒樽が届けられた。 据え膳食わぬは何とやら。 目の前に横たわる、美しくも艶かしいワイン樽の腰ラインを眺めて、飢えた狼達はごくりと喉を鳴らす。 結局は自己責任と誰かが言い出し、樽が開けられると、あとは無礼講になった。 誘われて最初は、遠慮していたミルキィユだったが、 「鬼将軍も酒には負けるか」 の一言に、酒宴に加わる気になったらしい。 腰を据えていた。 何の弾みか、いつの間にか、呑み比べに転じていた。 下手すると一口か二口で、彼女は倒れるのでは、当初のそんなダインの心配は杞憂に終わった。 外見と本性と、こうも異なる人物はそうそういないだろうと彼は思う。 乱れない。 どころか、酒豪のダインと同量を飲んで、まるで平然としている。 「……アンタ、……その体のどこに……酒が入るんら……」 重ねて言えば、ダインの方はとっくに限界を超えていた。 脂汗が噴出す。 頭の九割はとうに痺れて動かない。 ――負けてたまるか。 突っ伏しかけて、奥歯をもう一度噛み締める。執念である。 霞んだ瞳で見やると、未だ全く変わりのないミルキィユは、流れる動作でまた一杯、杯を空ける。 「あまり、よい酒ではないな」 余裕綽綽たるものであった。 「……畜生……」 絶望と戦いながら、ダインが杯に震える指を伸ばす。 「もうやめておけ」 その手を不意に引き止める、しなやかな腕がある。僅かに混じる心配の声。 「見苦しい」 「うううぅうぅうるせェ。俺ァいける、まだいけるぞ」 抑えた腕を邪険に払おうと振りかけて、驚いてダインは動きを止めた。 彼の手のひらを、そっと少女が撫ぜている。 使い古したボロ布を、乱雑に巻きつけたその手のひら。 「痛むか」 尋ねた彼女の方が、痛みを堪える顔をしていた。 「ああ、」 鈍った頭に、言葉がゆっくりと飛び込んで、ダインは小さく笑ってみせる。 「慣れてらァ。なんともねェよ」 城壁とは名ばかりの、崖の土壁に挑んだ彼の手のひらは、戦場で普段使い込んでいるとは言え、皮が裂けて血が滲む。 全体重を支えて、小半時ばかり曲芸業を演じたのだ。仕方がない。 油薬を適当に振り掛けて、布を巻きつけたダインだった。 「……すまない」 俯いた表情は、髪に隠れて見えなくなる。 「なんだよ、急に」 「無茶をさせた」 「……良いんだって」 「ダイン」 「あのな、アンタは確かに将軍で、お姫さんで、俺よりずっとずっとお偉いさんで、 一人で何でもこなせる、自立した立派な大人なんだろうがな、 全部が全部ってワケじゃねェけどよ、でもよ、こう、もうちっと俺らを……ていうか俺を! 頼ってもいいと思うワケよ?頑張りゃあアンタは、きっと全部自分で出来ちまうんだろうけどよ、 こう、なんつうかな、守る守られるみたいな……関係って言うかな。 そりゃ俺ァ傭兵だしな、金も権力もねェから、アンタの盾にァなれないかもしれねェけどよ? でもよ、盾にはなれなくてもよ、アンタが刀なら、俺ァ鞘くらいにはなれると思ってるワケよ。 鞘だよ鞘。うん、この例えァいいな。なァ?」 呂律のまるで回らない口を無理矢理動かして、ダインは言った。 既に絡み酒である。 酔った勢いで、何かとんでもないことを口にしている感が無くもなかったが、 それを冷静に判断する脳髄は、60杯辺りでとっくに放棄していた。 「俺ァ、アンタからしたら随分と頼りないだろうけどよ、これでも、」 ――これでも。 「これでも?」 「これでも……ん?なんだァ?」 首を捻る。意味を成さない言葉の羅列の、続きは思いつかなかった。 そんなダインを、眺めていたミルキィユが、やがて感心したのか小さく呟いた。 「変わった男だな。傭兵とはそう言うものなのか」 「なんだよ」 「……側にいたいと言うか」 「そりゃ……刀が鞘だけ置いていっちまったら、意味ねェだろうさ」 「わたしに関わると死ぬぞ」 「俺ァ死なねェよ」 「死にたがりか。自ら不幸になろうと言うか」 「まとめて幸せにゃあ……なれねェもんかね」 「さあ」 どうだろうな。 俯いたミルキィユは、小さく笑う。 ようやく見えた笑顔に安堵して、ダインは卓に突っ伏した。 体はもはや限界である。 「では、ダイン」 「うん?」 暗転してゆく視界の中、ミルキィユが静かに、自身の手のひらに口付けるのが見えた。 ――そんなことしたら汚れるぜ。 言いかけてもう全く口が回らないことに気が付く。 「貴様は私の側にいろ」 僅か羞恥らったミルキィユの声が聞こえたのを最後に、ダインもまた、仲間と同じく闇に沈んでいったのだった。 幻聴だったのかもしれない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |