唯一(非エロ)
シチュエーション


「…夜が明ける……」

豪奢なベッドに横たわったまま顔を覆う姫君の声は、到底初夜が明けた花嫁のものとは思えないほど。
覆う両手の下で、瞳の縁に溜まる涙が耐えかねたように、一筋零れた。

「――なら…天にも昇る心地であったろうよ……」



「姫様…ファリナ様、お目覚めでございますか?」

国から付き従ってきた侍女が扉の外から声をかける。
ファリナは起き上がり、深く息を吐いて口を開いた。

「……起きている。入るが良い」

その言葉に従い、侍女は室内へと足を踏み入れる。

「姫様、お加減はいかがでございますか?」
「良い、とは言えぬな。…のう、セフィラ……アルスレート…は?」
「アルスレート様は暫く後にお越しになるそうでございます。それまでにお召し替えを済ませてしまいましょう」
「そう、だな…」

ゆっくりとベッドを降りると、心得たようにセフィラはそっとファリナの身体を支える。
そこで初めて、セフィラは主の唇に滲む血に気付いた。

「姫様…唇に血が…」
「……昨夜のものであろう」

ずっと、噛み締めておったから…と告げるファリナをセフィラは思わず抱き締めた。
そのセフィラの腕は侍女ではありえない、しなやかな筋肉の付いた、武器を持つことに慣れた者の腕であった。
ファリナに従ってきた侍女はその差こそあれ、その全てが武器を扱うことが出来る。
侍女の姿をしていても、侍女でないものもいる。
事実、セフィラは騎士の称号を持つ。ファリナに忠誠を誓う、女性騎士なのだ。
更に言うなら、アルスレートの副官の一人でもある。

「何故セフィラが泣くのだ」

ぽたり、と落ちて夜着に染みを作るものに苦笑しつつもファリナはセフィラを撫でる。
本当に泣きたいのはファリナだろうに、あやすように撫でる手にセフィラはますます泣けてくる。

「そろそろ泣き止まぬか。アルスレートが来てしまうであろう?」
「はい…申し訳ございません」

セフィラがようやく腕を放すと、しかたのないやつじゃ、とファリナが苦笑しながら涙を拭う。

「湯浴みをしたいのう」
「お手伝い致します」
「いや、よい。そなたは着替えを用意してくれまいか?」
「わかりました」

湯殿に向かうファリナを見送り、見られたくないのだ、とセフィラは思う。
ならば肌を隠すデザインのものが良いだろう、と考えて衣装を選んでいく。
勿論装飾品にも手を抜かない。
己の不手際で、大切な主が見縊られては一大事だからだ。

湯浴みを済ませて戻ってきたファリナの着替えを手伝い、装飾品で飾っていく。
ファリナが長椅子に座るのを助けると、丁寧に丁寧に、癖のない美しい青銀の髪を梳る。

こんこん。

慣れた強さのノックに、くすり、とセフィラは笑う。

「お越しになられたようでございますね」
「うむ。……入るがよい」

音も立てないようにゆっくりと扉が開かれ、アルスレートが姿を現す。

「おはようございます」

常となんら変わらぬ穏やかな声。そして、柔らかな微笑。
微塵の変化も感じないアルスレートに、ファリナは内心安堵する。
それを隠しながら、ファリナは口を開く。

「いつもより遅いのではないか?」
「申し訳ありません、少々用があったものですから」
「用?」

来たばかりのこの国に一体どんな用があるのか、とファリナは怪訝に思う。
それが表情に出てしまったらしく、アルスレートは苦笑するとファリナの傍に跪いた。

「以前頼んでおいた物をわざわざここまで持ってきてくれましたので、受け取りに行っていました」
「早朝にか?」
「持って来てくれただけ有難いというものですよ。本来なら、こちらから出向かなければならないのですから」
「そういうものか…」
「そういうものですよ」

くすくす、とアルスレートは微笑う。

「それで、何を取りに行っておったのだ?」
「左手をよろしいですか、姫?」

疑問に思いながらもファリナが左手を差し出すと、恭しくその手を取り、一度その甲に口付ける。
そして懐から箱を取り出して蓋を開け、その中のブレスレットをファリナの左手首に巻きつけた。

「姫に差し上げるにはいささか貧相かと思いますが、少しでも慰めになれば、と思いまして」

離れるアルスレートの手を残念に思いながら、ファリナは腕を引き寄せてブレスレットに目を落とす。

「!!」

一目で名匠が施したと知れる、繊細にして精緻な意匠。
花びらを一枚一枚重ねて作られた、様々な花。それを繋ぐのは本物と見紛うほどの葉。
そう、例えるならば、花冠だろうか。
そして。
いかに名門といえど早々容易く入手できるはずもない宝石が、並ぶ花々にある一際大きな花の中央に座していた。
花は、国に咲く花のうちでファリナが特に好むもの。
宝石は、彼らの国のごく限られた地域でしか産出されない。
その全てが、国を思い起こさせるもの。

「アルスレート…」
「気に入ってくださるなら、幸いです」

やんわりと微笑むアルスレートがこれを入手する為に一体どれほどの労力を費やしたのか、ファリナには見当も付かない。
傍で、哀しげに痛ましげに目を伏せたセフィラに、考え込むファリナは気が付かなかった。

心ゆくまでブレスレットを眺め、ファリナは息を吐いた。
そして、呼ぶ。

「アルスレート」
「はい」
「ここに座れ」

ぽんぽん、と長椅子を叩き告げるファリナ。
跪いたままのアルスレートがそれに躊躇していると、ファリナに腕を引かれる。
騎士たるアルスレートにはたいした力ではないが、元よりファリナに逆らおうなどとは思わない。
故に、腕を引かれるままに長椅子に座る。
座る位置が端であったのは致し方なかろうが。

「よし」

座ったアルスレートを満足げに見て頷き、ファリナはころり、と横になった。
ちょうど、アルスレートの膝の上に頭が乗るように。

「姫!?」
「動くでない。私に怪我をさせる気か?」

ファリナがそう言えば、アルスレートはぴたり、と動きを止める。
ファリナは満足そうに瞳を閉じ、アルスレートの手を掴むと、自分の閉じた目蓋の上にその手を乗せた。

「姫?」
「休む。昨夜、儀式が済んであの者が早々に出て行った後も眠れなかったのでな」

冷えてはいけない、とファリナの身体に掛け布をかけるように言うアルスレートに従い、セフィラはそっと、起こさないように持ってきた掛け布をかけた。
すぅすぅ、と静かな寝息をたてて眠るファリナを見つめ、セフィラは呼びかける。

「団長」
「私はもう、団長ではありませんよ。譲ってきましたからね」
「アルスレート様」
「なんですか?」

はぁ、と溜息をつき、名を呼ぶと、即座に応えが返る。

「このままにしておくおつもりですか?」
「政略結婚で、初めから上手くいくことなど早々ないでしょう?」
「そうではありません!姫様、姫様は!」
「静かになさい、セフィラ。姫が目を覚ましてしまいますよ?」

ぐ、とつまり、口をつぐむセフィラ。

セフィラがアルスレートとファリナの想いを知ってしまったのは偶然だった。
ファリナが愛おしげにアルスレートを見上げ。
ファリナが視線をそらした後、まるでそれを知っていて呼応するかのように、愛しげにやんわりと、常の笑みよりももっと柔らかい笑みを浮かべてファリナを見つめ。

――最もそれは一瞬で、気付いた者はセフィラ以外いなかった。
ファリナは気のせいだろう、と言い、アルスレートにはあっさりと、それが?、と言われたが。

そうして視線を落とすと、ファリナの腕が目に入る。

「それ、は…」

セフィラが見ている物に視線を落とし、アルスレートは納得する。

「仕方ないでしょう。今更、指輪など贈れませんからね」
「あと少し、でしたのに……あと少しで…」
「それこそ、詮無き事、ですよ。………まぁ、悔やむ気持ちがないわけではありませんが」
「それならば、どうして…」
「全ての愛が、実を結ぶわけではありません。その逆が、ずっと多いのですよ」

それは正論だ。
だが、伝え合っていないとはいえ、何故想い合う二人が裂かれなければならない?
それが表情に出てしまったのか、アルスレートは言葉を続ける。

「いかに名門とはいえ、私が当主となれるわけではありませんからね。陛下にとっては、あれが精一杯の譲歩だったと思いますよ?」
「でも、アルスレート様なら、もう将となっていてもおかしくはありません」
「そう思わない方がいらした。……それだけのことですよ」
「あれは妨害です。ご子息のもとに姫様を降嫁させたかったから…」
「そうですね。でも、もう何を言っても遅いのです」

ファリナを見つめる視線はどこまでも柔らかい。
それだけでどれほどの想いが籠められているのか、わかるほどに。

「姫が幸せなら…私のことなど、どうでもいいのです。私はただ、姫の傍に在り、姫を愛するだけ」


長い沈黙の後、セフィラは問いかける。

「………もし、姫様が幸せになれなかったら?」
「そうですねぇ…そんなものは罪悪ですから」

にこり、とつり上がる口元は冷笑を湛え。
共に戦場に赴き、笑みを浮かべたまま鬼神の如く敵を屠るアルスレートを知るセフィラですらも震えるほどの。
目を細めて冷笑を湛えたまま、酷薄な言葉を紡ぐ。



―――この王家の血を根絶やしにし、国を瓦解させて地図から消してしまいましょう






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