青信号の犬2 原作沿いルート
シチュエーション


→1.原作沿いルート

何が起こったのか理解できない、という表情で女王は大臣を見上げる。
半開きの唇にふつりと鮮やかな色をした血の珠が浮かぶ。未だに痛みを知覚していない女王を酷くさめた目で大臣は見た。薄氷のような瞳の中に女王がゆらぐ。
薄い唇をゆがめて大臣は言う。

「馬鹿」

たった一言の罵倒ではあるが、それは硬質さを持って女王に刺さった。一拍置いて女王の顔に焦りの色が現れる。大臣は何度も言う。

「あっあっあっあぁ、ごめんなさい!ごめんなさい!ねえ!やめてっ、ねえ、ごめんなさい!」

腕を頭上にあげ女王はうずくまる。大臣もそれを追ってしゃがみこみ、その腕を強く掴んだ。男にしては細身であるというのに、掴まれた痛みに女王はうめく。

「私は貴女の兄上じゃあないんですよ。そんなに怯えることないじゃありませんか」

耳元に唇を寄せて大臣は酷薄な笑みを浮かべる。米神を軽く吸うと、女王は小さく悲鳴をあげた。
耳や目元をくすぐるように大臣はくちで触れる。女王はそれを唇を噛むことで耐えた。
大臣の片手はドレスの襟ぐりを彷徨い、くつろげると鎖骨から徐々に上がってゆく。歯を立てて女王に口付ける。血がつよく薫る。探しあてた舌を削るようにして絡めとる。

ひたりと、喉元を大臣の手が覆う。白く華奢なものである。脈が速くなるのが伝わって、女王は離れようとするが無駄に終わる。ドレスを片手で器用に脱がしつつ大臣は徐々に力をかけてゆく。
苦しさからか、女王の目が細められぼとぼとと涙が溢れた。それはそのまま顎を伝って、大臣の手を濡らす。口だけでも放してやる、少し離れて見るその表情は大臣の歪んだ劣情を煽るだけだ。
突き飛ばすようにして長椅子に押し倒す。開放された気管は懸命に動き出し、待ち望んだはずの空気は女王の肺をちりちりと刺激した。

「!っ・・・は、ケホッ!ケホッ、コホッ・・・!***っ」

激しく咽ながら女王は大臣の名を呼んだ。すがるような声を大臣は一蹴する。

「そんな目で見ないで下さい・・・もっといじめたくなる。
・・ああ、あの時の彼のように抱いて差し上げましょうか?」

嗜虐的な笑みを浮かべつつ、赤くなった箇所に爪をたてた。喉が上下するさまが微細に伝わる。

「やめて!***やだ、はなして!ちがうのっ」

女王はもがき大臣から逃れようとするが、その間にもドレスは腰にかろうじて纏わるまでになっていた。

「ちがう!ちがうの!あ、あにうえは」

乾いた音が狭い部屋に響く。

「何が違うのです。事実は事実として認めなさい」
「やめてえ・・・」

黙りなさいと大臣は目で制す。すると女王は両手で顔を隠し、それ以外の抵抗をやめた。
鎖骨を舌でなぞりながら膝で脚を割る。女王はすすり泣いた。乱暴にされたことで兄との、大臣との記憶がごちゃまぜになりそうだった。
いじわるや冷たくされたことは沢山あったが、父王も后も誰も女王を見てくれなかった中で、ずっと一緒に居てくれたのは大臣だ。兄の話相手になるために連れられた筈だったのにいつのまにか女王の教師として近くにいた。
兄は后に似て玲瓏であり聡明だったが残虐で、よく幼い女王をいびり倒しては笑っていた。その響く笑い声を聴いて駆けつけるのは母ではなく、大臣。
女王の中で大臣はずっと「やさしいもの」のカテゴリの属していたのだ。詩歌ができぬと馬鹿にされても、いびつな刺繍を鼻で笑われても。
気の触れた兄は大臣の前で女王を穢した。兄は父王を殺し、母である后も殺め、妹をも手にかけようと訪れたのだ。その際大臣は片目の視力を失い、女王は一年余り言葉を失った。
不必要までに過保護な大臣と侍従らは綿菓子のように女王を甘やかしてきた。
だが、それも終わるのだ。悪魔のような兄を知るものは皆わずらって倒れていき、もう大臣とボケ始めた乳母しか残っていない。

せつない嬌声がもれた。女王の荒れた呼吸は熱を孕み、その熱に浮かされたように瞳がゆらめく。
大臣の愛撫に慣れさせられた身体は、心とは裏腹にとろけてゆく。執拗なまでの愛撫に顔を隠していた手さえ、大臣のそれを受けようと強く押し付ける始末。冷静になろうとすればするほど自身の快楽の種を見つけてしまい、更に羞恥は昂ぶってゆく。
平素と変わらぬ顔で大臣は翻弄し続ける。痛みとも快楽ともつかぬものばかりが女王を追いたて弄ぶ。
いつもの、じゃれあいの延長のような行為ならばここで終わりだ。
ぎりぎりまで追い詰めておいて、そこで終わりにしてしまう。秘所に大臣が侵入することはあっても、それは指で。猫が捕らえた獲物を甚振るように、そのさきはない。求めても与えられない。

だが今は違う。
大臣は女王に告げた。「兄がしたようにする」と。甦る恐怖と共に暗いところからふつりと湧き上がる欲望。
とうとう潜り込んだ大臣の指を、きゅうっとしめつける。肉芽を摘まれて果てかける。それでは物足りなくて大臣にすがる。もっと欲しくて、懇願する。

「・・もっと、ちょうだぃ…いれてぇ。さみし、さみ、しいよ」

知らずに腰が揺れた。腰骨を掴んだ大臣の手に力がこめられると同時に、もう一本指がすべりこむ。二本に増えた指は早々に馴染み、ばらばらと胎内でうごめく。

「もう一本いれます。・・・貴女が私好みに育ってくれて、本当に嬉しいですよ。
今回は私がしますけど、次はあの男にやらせてみましょうか。あれはよく彼に似ている…そう思いませんか?」

身体のうちに何か生き物がいるようだった。軽かった水音は粘り気を含んでぐちゃぐちゃと響き、聴覚を刺激する。あの男、というのが誰を指すのかはわからぬが、凄艶な笑みに恐れをなして女王はいやいやと首を振る。
そんなことより――はやくいれてほしい。

「***っ!さみし、い。せ、つないよぉ」

大臣は呆れたように息を吐いて指を抜く。そして息をつく間も与えずに、自身をあてがい先端をうずめた。
ヒュッ、と女王の喉が鳴った。むず痒い感覚に密かに狂喜する。長く、求めていたことが現実になるのだ。
ずぶずぶと入り込んでくる雄をよだれを出して受け入れる自分はなんて浅ましいのだろう。
挿入されただけで全身がひくついた。充分すぎるほどに慣らされたためか、喜びが勝るのか痛みは感じない。

「物欲しそうな顔をしないでください、はしたない」
「!ひゃんっ」

上気してはいるが無表情の大臣に咎められて、何故か内股がひきつった。大臣の眉根が寄せられる。叱責されて反応した自分が恥ずかしい。
ずるりと引き抜かれる感触におもわずつぶやいた。

「・・・どうして?」
「どうしてでしょう?なんだか面倒になりました。そうだ、乗って動いてくれませんか」

手を引かれて起き上がる。密着していた部分が外気に触れてぶるりと震えた。大臣は体勢を整えると女王を支え、ゆっくりと降ろした。
息が抜けない。女王はより増した圧迫感に息を詰める。先までとは違い、だるそうな雰囲気の大臣を見て悲しくなった。そして気付く。

もしかして、わたしは大臣に・・・焦がれていたのか・・・?
・・・・・・だが大臣はわたしを愛してはくれぬのだ。

泣きながら自身の快楽を追い求めて女王は腰を前後に動かした。大臣の手を胸に抱きしめ、一心不乱に腰を動かす。そうして大臣が果てたか知れないまま、意識を手放した。

自分の上で崩れ落ちた女王の衣服を整え、大臣は女王を子供のように抱え上げた。
そのまま女王の部屋へと連れて、ベッドに横たえる。身体を清めるということは大臣の頭には無い。なぜならまだ、用事があるからだ。大臣は赤く染まった頬にやわらかく口付けて部屋を出て行く。
すぐに戻ってきた大臣は手押し車に一人の男を載せていた。元捕虜である。手足を拘束され、猿轡を嵌められ、これでは捕虜であった頃より待遇が悪い。
ガタンと音を立てて車輪が浮き、落とされる。蹴落とされなかっただけましだと思うが、代わりにしこたま肘を打ちつけた。
背中に体重をかけ固定し、大臣は一本の針を突き刺した。痛みに元捕虜がうめく。頭上で声がした。

「五分。五分でよくなります」

指先に熱が溜まるのを元捕虜は感じた。次第に全身まで熱が巡る。大臣は元捕虜の上に腰掛けたままなにやら語った。重みで身体がひりひりとしている。理不尽な扱いは多く受けてきたが、無性にイライラとした。

「イけないんですよね。どうにもね、イけないんですよ。ねえ、君ちみどろの女性に勃ちます?」

知るか、と言いたいが口は塞がれていて抗議できない。上から動かない大臣を振り落とそうとして身をよじると身体の異変に気がついた。

「ED?これ、EDかな?でも、一応は勃つわけです。むしろこう・・・奉仕している時の方が楽しいというか」

布が擦れて痛かった。下着が元捕虜を締め付ける。床に押し付けられた事で陰茎が立ち上がり始めたのを強く自覚した。元捕虜の頭を疑問符が駆け巡る。

「大抵嫌がるんですけど、みんな口だけですし。挿入してもねえ、精神的にイけないから。精神的に?気持いいと言えば気持いいんですけど…どうも」

何もせず触れてもいないのに達しそうだ。頭上で下らない話を男にされて達するのもバカバカしい。だが男は痛いほどに張り詰めてきている。

「うーん。求める愛しかたが違うんでしょうねー?」

懐から時計を出して大臣は立ち上がった。重みから解放される振動に達しそうになり、口内の布を強く噛んだ。

「五分経ちました。君はベッドの女性を好きにしていいですよ。殺めるといけないので手枷は嵌めたままどうぞ」

拘束を解かれ、下をくつろげられる。平時ならば屈辱の他ないが、今だけはそのまま女性の下に駆け出しそうだった。元捕虜はその場にとどまり、熱をやりすごそうとする。見かねて大臣は声を掛けた。

「チャッチャッと入れて出した方がいいですよ。変に我慢すると脱水で死にますよ」

元捕虜は心中で謝罪の言葉を並べ立てるとベッドに近づく。その上には女性が、女性というには幼すぎたが所々に欝血の痕がなまめかしい体が横たわっていた。
音を立ててつばを飲み込む。元捕虜は大臣を振り返った。大臣は酒を口にしていた。これから行うことを余興にされているようで、酷く侮蔑された気になる。

「どうしたんです?辛いでしょう。ああ、酒はやりませんよ。まあ…薬入ってますから、ダメってこともないでしょうけど」
「違う。・・・このひとは、王ではないのですか」

喉がカラカラに渇いていた。薬が強すぎる上、女に欲情したのか静かに炎がともる。

「そうですよ。彼女はここの王です。それがどうかしました?」

ケロッとして口にした大臣を恐ろしく思う。謁見時の鋭い視線もそうだが、倫理観を持ち合わせていなさそうな今の声音も奥が知れない。

「さあ、さっさと犬のように腰をふりなさい。眠たくなってきました」

あくびをかみ殺すかのような顔をしつつ、向けられた殺気に急かされて元捕虜は女王に向き直った。

自由にならない手で、少しでも女王の秘所をほぐそうと手を伸ばす。襲を拡げるとこぽりと少量の白濁液と愛液がこぼれだす。
イけねーって言ってたじゃねーか
内心突っ込みつつどうにかそれらをかきだすと、白濁液が大臣の放ったものではない事に気がつく。顔を近づけると今までとは比べられぬほどの女が匂いたち、それが女王から分泌されたということを思い立つ。

「遠慮も準備もいりませんよ。ホラずずいと」

言われなくとも、元捕虜は男根を無防備な秘所にあてがい一気に貫いた。獣のように腰を打ち付ける。
肌が打ち合う音が何度も響く。悪夢を見ているかのように呻いた女王から逃れるように、元捕虜は白い肌を欝血の数まで焼き付けるように見つめ続けた。
早々に中で爆ぜるが熱は冷めず、何度もむさぼる内に女王も反応を徐々に現してくる。途切れ途切れに大臣の名を呼んだ。それに返事をすることは無く、元捕虜を促し大臣はただ座していた。
とろんとした瞳が元捕虜を捉えて言い放って伏せられる。

「・・・あに、うえ?」

それきり反応が返らないにも関わらず、元捕虜は精を放ち重なるようにして伏せた。


大臣は意識のないふたりを前にしてひとりごちた。

「子供ができたらどうしましょうか」

しばらくして、考えても仕方がない、というように紙を持ち出し書き付ける。
いつでも始末できるように近くに置いておこう。近くで武芸に秀でた者が多い場所。――城の警護につけよう。

「子供ができたらどうしましょうか」

楽しみでしょうがない、というように大臣は呟いた。

その日は珍しく大臣がいなかった。サポートが無い代わりにボロを出さぬよう、
気を張り詰めて挑んだためか疲れ果ててしまい、夕食が済むとベッドに倒れこんだ。
小言を投げかける者もいない部屋は静かだ。そこに硬質なノッカーの音が響き、
女王の意識を持ち上げた。
メイドが招き入れたのは二人の兵士だ。メイドは彼らの顔と名を確認し、女王に
耳打ちした。

「あちらの茶髪の方が新入りだそうですの。・・・あの、元捕虜の」

遠慮がちに手で示して、心配そうに女王を見遣る。茶髪―元捕虜が敬礼する。

「・・大丈夫だ、おまえも一緒だろう?あの二名が今夜の警護か・・・ご苦労」

二人の兵士は再び敬礼し退出した。やはりメイドは不安そうに主をみた。

退室して兵士とは二手に別れる。巡回をかねて、暇を持て余すように城内を
さまよい歩く。
あれから一ヶ月近く。若いメイドや掃除婦などは別だが、随分城の人間も元捕虜に
なれたものであからさまな警戒を向けるものは少なくなっていた。
陽気な性格の料理番たちがその筆頭で、つい今も夜食と共に焼き菓子を渡された
ばかりだ。仕事や鍛錬は楽とは言えないが心地よい者が多い。
一人を除いて。
その一人―大臣がゆったりと近づいてくる。

「夜分、お疲れ様です」

形式として声を掛けると、ふと大臣が手をあげた。今気がついた、という様子に
元捕虜がわずかに眉をしかめた。
正直な男なのだ。
天敵とも言える大臣を前にして心穏やかにもしてもいられない。

「やあ、ご苦労ですね。あれから21日経ちますが、ここには慣れましたか?」

苦虫を潰したような顔をした元捕虜を知ってか知らずか、やけににこやかな表情で問う。
気色悪い、と思いはするがぐっと耐える。

「はい。皆よくしてくれています」
「ああ君は好青年風ですから、もてるでしょう。今晩は陛下の所でしたね…
あそこのメイドは容色の良い者が多いですから、気をつけなさい。
うっかり手を出すと痛い目を見ますよ、我が強い者ばかりですからね」

絶句する。あの日の大臣はいったい誰であったのだろうか?目の前の人間とは
似ても似つかない。自分は悪い夢でも見ていたのか・・・

「そ…れは大臣殿の実体験からですか」
「君の想像に任せますよ。・・・さて、投薬(あれ)から21日経過しますが、身体に
異常はないですか?今は無くとも、もし何かあるようだったらこれを飲みなさい。
あえて調節せず、雑草風味にしてみましたが」

友人同士のような会話に吐き気を催していると、小瓶を渡された。
にごった緑の薬液が封入されている。確かにまずそうだ。
礼を言ってその場を離れようとすると声がかかる。

「もし、調理場を通るなら彼女に茶を持っていってあげてください。・・・・・・くれぐれも襲ってはいけませんよ」

誰が・・・!
心中で大臣をけちょんけちょんに叩きのめして、逃げるようにその場を離れる。
胸ポケットの小瓶をしっかりと押さえて。

ひっそりと咲く花のような笑顔が、愛らしいと思った。

メイドは差し出したティーセットと元捕虜をいぶかしげに見て、それでも女王の
下に通した。豊かな黒髪のメイドはそっと配置に戻ろうとした元捕虜に目敏く
気付き、宣告する。

「アンタに毒見をしてもらいますからね」

大臣殿から…と訳を話そうとすれば、メイドがジロリと制す。女王には蕩けそうな
ほどの笑みを向けるというのに。この城の者はみな、女王に甘い。
勧められるがままに腰を下ろす。簡素だがすわり心地の良い椅子だ。
だが居心地が良いとは元捕虜には思えなかった。
元捕虜から少しばかり離れた―一息では届かない―位置に女王が伏していた。
華奢なテーブルに豪奢な金の髪が広がっている。その間から覗く表情は暗く見える。

「・・・・・・失礼を承知でお尋ねします。何か・・・何かお悩みでも・・・?」

恐る恐ると、しかし沈黙に耐えがたく尋ねれば、女王はゆらりと身を起こした。
疲労の色が残る顔ではあったが、それが幼い顔立ちにあいまってどこか危うげな
雰囲気をかもし出していた。猫のように細められた目と、かすれた声が元捕虜に向けられる。

「悩み?ああ、大したことはない・・・疲れているんだ、ただ。ちょっと、近頃は何もないんだが・・・」
「悩み?悩みがあられますの?陛下、よろしければわたくしめに教えてくださいな!?」

乱暴にカップを元捕虜に押し付けてお飲み!と命令し、メイドは女王の膝元へ
駆けた。推測するに大臣の言は正しい。
ヒエラルキー最下位の元捕虜は茶を一息に飲んだ。うまいな、とおざなりな感想を抱き
つつ、ほんのりとあたたかいカップを包む。あのメイド言うことはきついが、
キチンと仕事をしている。

「どうして全部飲んでしまうのですの!もう!」
「・・・ハア、スミマセン。大臣殿の言付でお持ちしたので、そんなに警戒しなくとも」
「大臣殿からだろーがアンタからだろーが関係ないですの!お毒見は少し残し
ておくのが常識なのですのよ!もぉう!サテは初お毒見ですのね!わからない
なら正直に訊くのですよ!恥ずかしがっていては何もはじまりませんもの!
サアサ、陛下!忠実なる手足であるノノコにお話ください?」

困ったように、嬉しさを隠せないように、女王は笑みを浮かべた。

「秘密だよ」


ベットの上には裸の女がいた。絹のような光沢のある上等な布で目隠しされており、ときおりその柳眉が寄せられる。
女はこれから何が起こるか理解していないのだろう。元捕虜はため息を飲み込む。おぼつかない足取りでようやくその傍にたどり着くと大臣が肩を揺らして笑う。
大方、薬でふらふらと―衣服どころか下着までとられ―無様ななりの自分を嘲り笑ったのだろう、元捕虜は霞がかった意識で思う。
いいように操られ、それでも命が惜しくて抵抗できない自身が憎かった。
否、そんなものは建前だ。
元捕虜は――女と交じりたかったのだ。
あらかじめ指示された通りにベットに乗り上げると固めのマットレスが大きく揺らぐ。
自身の体幹の安定すらまともに取れない状態だったが、どうにかそれの上に胡坐をかいて落ち着いた。

「たまには貴女にしてもらおうと思うのですけれど、どうでしょう?」

大臣が女の耳に―触れるか触れないかの位置で―ささやいた。その言葉や声音こそはやわらかいものだったが、たしかに有無を言わせぬ剣呑さを含んでいた。
熱っぽい女の吐息が漏れると同時に元捕虜は背中にヒタリと鋭いものを突きつけられたように感じた。
実際、背には何も触れてはいない。
それはおそらく大臣の―――


既に立ち上がった雄に手を添えて、小さな赤い舌が丹念に先端を舐め上げる。
ぱくりとそのまま咥えた。思っているよりも深く咥えてしまったのだろう、女は咳き込む。
すべて口に含めはしないが、それでも懸命に口淫を再開する。咥えなおし、ちゅぱちゅぱと幼子のように吸った。

「ん、ふぅ………ぁふ……」

自身の唾液や、元捕虜の先走りの濡れた感覚を追いかけて舐め続ける。こそばゆい刺激に元捕虜は声を堪える。
大臣の手が後ろから伸びてき、女の頭をゆっくり撫でた。

「そう、初めてにしては上出来です。…さあ、手を動かして…」
「ふっ、……ぁ…ん、ふ…」

激しくなった手での愛撫に、つるりと女の口から元捕虜が抜け落ちた。女は驚き、寂しさの混じった声を上げる。

「あ、ん…どこぉ、どっかいっちゃった……あ、やだぁあ」

つい離してしまった男根を捜し、ぺちりと近くにある男の脚に触れた。
瞬間女の声があがる。

「やだ!***じゃない!」

目隠しをべとついた手でずらし女は―女王は元捕虜を見上げた。
自分の後方で大臣が呆れたような声を上げたのを元捕虜は聞いた。
女王は元捕虜の顔をじぃいっと見、恥じ入ったように後ずさりシーツをかぶった。その顔には興奮とは違う朱に塗れていた。

「やだああ***!大臣はぁ?!どうして?どうしているのぅ?あ、あ、あ、どうしようやだよぅやだよぅ」

どうしてよいのか固まっている元捕虜に大臣はガウンを投げ、そのままでいるようにと言う。大臣はシーツに包まって元捕虜から裸身を隠そうとする女王の背中を優しく撫でた。

「どうしたのですか陛下?何か恐ろしいことでもありましたか」
「だ、大臣?本物だな!……どうしよう、ぼくちがっ、私は……ああ!」

着衣の乱れがみられない大臣に女王は青ざめた表情を見せ、むせび泣いた。
混乱していて、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

「ああ!やだぁあ…やだよぉぅ…やだ、みら、れっ…ちゃった」

トンっと後ろ首に手刀をいれると、スイッチが切れたように女王は静かになった。擦れて赤くなった唇の端から一筋唾液が伝う。

「今晩はもういいです。動けますか?部屋と女を用意します。そこで薬を抜くと良いでしょう」

平坦な声に自身が萎えていくのを感じた。この男は自分の国の統治者に―自分を慕っている人間にどうしてこのような真似ができるのだろうか。

「いえ、結構です。……服を返していただけませんでしょうか」

返事は無く、大臣は元捕虜を見た。時折、このような酷く乾いた目を大臣は他人に―例外なく女王にも―向ける。許容もなく慈悲もなく、かといって拒絶もなく凪いでいる。

「……やめませんか、おれ、これ以上あのひとのこと、あのひとが自分のこと
かわいそうだ、って思うようになることにこれ以上加担したくありません。
あのひと言っていました。やさしいひとばかりで、不安になる、と。捨てら
れるとき怖くなる、と言っていました。どうして!…どうして、そんな目で
陛下を見るんです!あんな風になるほど依存させておいて、どうして…!!」

切迫した声で散らしても、大臣の目は変わらない。大臣は投げ出していた脚を組むと言った。

「…最後のだけ答えましょうか。今さっき彼女が取り乱したのは、私の所為ではないでしょう。
彼女は、君が彼女を好いているように彼女も君を好いているから、ですよ。」

後は勝手にしろとばかりに大臣は立ち上がった。元捕虜はシーツに包まれた女王を見て、大臣を見上げる。出て行こうとする大臣を呼び止め告げた。

晴れの日に出立は出来なかった。元捕虜は曇天を窓から仰ぎ、調理場に向う。
使用人らが中心に使う途はあまり広いとはいえない。それの奥から少女が駆けてくる。
いつかのメイドだった。随分と走り回ったのだろう、所々髪がほつれていて指摘するとうるさいですの!と返ってきた。

「陛下がお呼びですのよ、きっとアンタの話はおもしろくないこともなかった
から出先から手紙を送れ、とかでしょうけど。とにかく呼んでるんですの!
食料は私が貰っておきますから、スグむかいなさいな!ホラ、さっさと!」

尻を蹴とばされ、しぶしぶメイドが来た方へ歩き出す。後方から聞えた走りなさい!という言葉に手を振るとメイドが今度はタックルしてきたので走った。
硬い廊下はそうでもないが、女王の部屋へと近くなる程廊下は走りづらいものになってゆく。足の裏がひっくり返るような気がした。
ノックをして名と所属を言った。それから扉を開ける前に、それは内側から開かれた。
女王が自ら元捕虜を自室へと招いた。元捕虜は固辞した。女王が少しだけ眼を伏せた。

「…どうしても去るの?国を、去るの?ねぇ、旅に出るの!?」
「ええ、遠くまでいきます」

女王の声は少し震えていたようにも聞えたが、あえて元捕虜は追及せず、平静に答える。
扉に触れていた女王の手が元捕虜の上着へと伸びた。しっかりと布を掴む。

「本当?どうしてなの?突然じゃないか…」
「ええ、ちょっと他をみたいと」

長い睫毛を震わせて元捕虜を見上げた。泣いたのだろうか、したまぶたがほんのりと腫れていた。
気がつけば憂いの表情ばかり見ている。

「やだよ!もうちょっとここにいたっていいじゃないか!大臣に言われて出てくわけじゃないんだろ?!」

涙が眼にたまっていき、決壊寸前の赤い眼でキッっと元捕虜を睨みつける。
そう、これだ。元捕虜が初めて見た女王はこのように感情の起伏がはっきりとしていた。
今までが、異常だったのだ。夜な夜な国王の痴態を目にするなどあるわけなかったのだ。

「すみません、いかなくちゃ」
「やだぁぁみんな置いていっちゃうんだ!連れてっててよ」

ぶわあっと決壊した。幾筋もの涙が女王の頬を伝うが、それに意も止めず元捕虜に食って掛かる。

「だめです」
「だめええ、やだぁあ…君が好きなの!なんで好きな人は私を置いてっちゃうの!?いっちゃやだ……」

強く元捕虜の上着を引いた。だが力のない女王には精々生地を伸ばす程度にしかならない。ぐいぐと諦めず引く。
元捕虜はその手をゆっくりとほぐし、遠ざける。

「…忘れてください、これからまだまだあるんですから」
「ねぇ、連れて行ってよ…お願いだから…」

反動で床にへたりこんだ女王は俯いたまま何度も何度もおねがいと繰り返す。
今度は足にすがり付いて、言う。
おねがいいっしょにつれてって。
元捕虜は長く息を吐いた。そしてスルリと足を抜く。

「城(ここ)から連れ出してくれるならだれでもいいんですか?」
「ちが…!ちがうの!そんなこと…」
「お世話様でした陛下。遠くにありましても国と陛下を案じております。…では」

最後ににこりと笑みを女王に向けて捕虜は来た道を戻っていく。
元捕虜が角を曲がって、その先の扉を開けて、調理場へ着いて、裏門をくぐっても女王は床に座り込んだままだった。

「やだ……いっちゃ、やだ」

いくら呟いても、元捕虜はおそらく戻ってこない。女王は額を床にこすりつけた。ひんやりとしていて、いつか触れた元捕虜の手とは違う温度。
だけれど、冷えた頬より温かかった。

「おいてかないで」

女は北へ行くという。なら俺は南に行こう、と捕虜は自分の故郷とは正反対の方向である南へ発った。
なれない土地や気候や風景は面白いもので、暇にまかせてぽつりぽつりと南下した。
いままでそうしていたように乗合馬車に乗る。出稼ぎのもの、故郷へ帰るもの、旅行のもの、様々な人間が狭い荷台に納まっている。
ある村で新しく乗ってきた男からパンを買った。元捕虜と同郷だと男は言った。
無くなったと思っていた懐かしい味に表情筋を盛大に緩めながら頬張る。
まずい。だが、懐かしい。どうして自分の田舎は料理が不味いんだろう。
いかにも調子の良さそうな男は訊いてもいないのにペラペラとよく喋った。

「ねえ、知ってます?」
「、なにを?」

呆けた様子の元捕虜に男はしたり顔でにやーっと笑った。

「いやね、ウワサではあるんですけどークーデターが起こるらしいんですよ。
今オウサマがごびょーきってハナシききました?なんの病気だかは知んねーで
すけど倒れたらしいんですよね。毒盛られたりしてーあはは」
「へえ、困ったな」

話に乗り出した元捕虜に男は「これサービス!!」とりんごを押し付けた。立て板に水、と言うようにそのりんごについても並べ立てる。元捕虜は我慢なら無い、というように男を即した。

「あ、興味しんしーん?んで、おれ本当にクーデター起こるのか確かめに行っ
ちゃおうかなって!うっひょい!オウサマ世継が無いから大臣が王になるのか
な」
「そうだな、そうなるな。…俺も行こうかな」

軽い物言いの男とは正反対に元捕虜は眉間に皺を刻み呟く。
大臣ならば例え一番気に入ったものでも何の執着もなしに切り捨てられそうだ。
散々女王を弄くるために利用した元捕虜の解放とて二つ返事だった。まあ、代わりがたくさんあるのかもしれないが。
自分と同じ様に捨てられる女王のさまが簡単に浮かびあがる。

「本当!?大丈夫なんです?金はあるんですかい?」
「あぁ、こうみえても旅費はたっぷりある」

おどけた様子の男にわずかに微笑んで答える。
自分はからかいの言葉を受けるほどの形相だったのか。元捕虜は頬を摩りながら男を見た。
どちらかといえば男のほうが貧相なナリをしている。指摘すれば男は大笑いした。

「へえ!シッケーシッケー。次の町から首都行きが出てますから」
「そう、ありがとう」

それからずっと話しかけてくる男の声を右から左に受け流しながら、これからのプランを元捕虜は練り始めた。
どうしても、あの男気に食わない。

気にいらない。暇なわけでは決して無いが、たいくつだった。目新しいものはない。気に入りの果実は旬でない。世話係が風邪を引いた。何もないところでつまづいた。
面白くない。
ささいな要素がいくつか重なっただけだというのに女王の気分はひどく落ち込んでいた。
普段は、どうしていただろう。それすら思い浮かばない。
朝起きて、大臣の作ったスケジュールをメイドに告げられて、それから…
さみしい。
指でゆっくりと唇を撫でた。かさついている。最近はだれもかまってくれない。
だから女王は自分で自分を慰めるのだ。
寒さに冷えた手で鎖骨をそっとなぞる。その冷たい感覚は女王に大臣を思い起こさせた。
はふぅ、と喉の奥から息が漏れる。
人差し指でへそをぐるりと撫でるとゾクゾクと何かが這い上がってくる。目を瞑ると自身の秘所にうるおいを感じて、頬が熱くなった。愛撫もろくにしないまま、女王は強引に指を刺し込んだ。柔らかな痛みに眉根が寄せられる。肉壁は指をこれ以上進ませぬよう、動きを拒んだ。
指を入れたままクリトリスを刺激する。するとじんわりと秘所から湿った感触がし、肉も柔らかく女王の指を囲んだ。ひく、と女王は喉を鳴らした。
これが、元捕虜の指であったなら…無骨なあの指だったなら、私は喜んで受け入れるのだろう。
円い瞳にじんわりと涙が浮かぶ。
くちゅりくちゅりと音を立てて指を、身体を動かしたが虚しいだけだった。
ああ、あの時。大臣のときに、似ている。私だけだ。ひとりぼっちだ。
女王は点滅し始めた視界に声を上げて抗おうとした。

「や!あ、ぁ…いやぁ…ぁぁぁぁ」

ただ女王から離れた音は嬌声でしかなく。擦り上げる速さは増し、女王は喉を震わせてのけぞった。
熱っぽい自身の呼吸音が女王を刺激した。今度はうつ伏せになり腰を高く上げた。両手で乳房を強く掴む。まるで後ろから襲われているような格好だ。

「やだ…ぃぃ…いいよぉ……」

乳輪をなで上げると腰が揺れた。もし誰か部屋に入ってきたら、丁度女王の尻が、てらてらと光るほどに濡れた秘部が丸見えだ。
自然とまた指がそこへたどり着く。切ないまでに膨れ上がったクリクトスに爪をそっと立てる。

「ぅ……だれも…い、ないの…にぃ……やだよぉ…ほしっ……ひと、りは」

元捕虜はあんなに親しくしてくれたのに、置いて出て行ってしまった。大臣はあの夜以来、今までのように触れてはこない。きっと私はいらないのだ。悲しみの涙は出てこなかった。代わりに、胸の奥が締め付けられるような、こみあげる熱いものを感じた。

「…ぅ、やだぁ!ずっ、と…………が…い…」

意識と共に、はちみつのような髪が散っていった。

大臣は従者の言葉に片眉を上げた。不愉快、と言うよりは驚きの色が強いと従者は思った。

「叛乱?私が?」

主の言葉に従者は心中で口角を上げた。この方も人の子だったんだなあ。
無理も無い。ただただ凪いでいる状況の今、国王が伏せていてその上腹心である大臣がクーデターなど事実無根である。
大臣はこのところずっと地方の穴だらけの収支報告と格闘していたし、王が籠もっているのだって風邪だとメイドから従者は聞いている。
トントンと机を叩いて大臣は首を捻った。目線は書類に向いているが、意識は違うのだろう。
従者は少しばかり、不謹慎ではあるがわくわくとした。ああ、なんでもできますというこの人が困っている。
高々噂話、されど噂話。
確実にこの話は、問題を起こすだろう。そう考えるだけで従者は卒倒しそうだった。
それは当たっているが、外れていた。
とうに問題は出ているのだ。だれもそれに取り組もうとしていなかっただけで。

「厄介ですね。この話はどこまで伝わっているんです?」
「はい、一番遠いところでは**です。既に宗主国全土には伝わっている模様です」

大臣は額に左手をあてると、書類を後方に放り投げた。いくら写しであるとはいえ普段の大臣からは考えられない所作だった。

「はぁー…面倒ですね。早馬でもなんでもいいですから首都以外の全ての自治区に事実を。それと、兵も出しなさい。特に国境近くの郡には警戒しなさい」
「はい!…ですが、兵も出すとなるとここが手薄になりますがよろしいのですか」
「――よろしいのですよ」

今までの面倒そうな不機嫌な表情が一転して、大臣は口元に笑みを浮かべた。
頬をうっすらと染めて、従者はメモを取った。これから忙しくなる、楽しみだ。

「……それと、おまえ」
「はい!」

昂揚とした表情を隠そうともせず従者は顔を上げた。飛び上がるような仕草に豊満な乳房が上着の下で踊った。呆れたように大臣が告げる。
「その変態のような性癖は嫁ぐときまで隠しなさい。少なくとも仕事場では」
「無理です!」


雨がたたきつける城は壮観であったが、おどろどろしい雰囲気はなかった。
目の前にそびえるこの大きな城の中に勤めていたことなど、夢のようだ。まるで事実に思えない。
あの中での出来事はすべてぼんやりとしている。元捕虜はブーツの中に水が入らぬよう足元に気を配りながら、裏門へ廻った。
いつになく静かだ。雨の音しか聞えず、通用口をくぐっても門番は元捕虜に目を向けただけで黙認した。
顔見知りだったように思うが、元捕虜は門番の名を覚えていなかった。
うつろな記憶をたどって、城内へと侵入りこんだ。これほど容易く入れるとはおもっていなかったため拍子抜けの思いだ。

「物騒だな」

小声で呟いて、口を手で塞いだ。いくら雨音が強いとはいえ誰が通るかわからない。特に使用人口が近いこの通路に留まることは愚かなことに思えた。
だが、どうすればいい?元捕虜は城に戻ってきた事を後悔しつつあった。なりゆき、というよりは勢いで戻ってきてしまった。女王を連れ出すことも、受け入れることも出来ないというのに。
状況によってのプランは立てた。だがそれを実行するのか?
何故そのような決断すらままならないというのにここまで来てしまったのか。
元捕虜の足は意識とは別に、確実に女王の私室へと向かっていた。何度も訪れた場所だ。忘れるわけが無い。
会いたい。会いたくない。
誰かに会えば帰れるというのに。そうため息を吐いて捕虜は足を止めた。
かえれる?どこに「かえる」というのだ。故郷もなにもかも略取されたというのに。

愕然として元捕虜は足を速めた。行き先は、もちろん、女王の部屋だ。
畜生畜生畜生畜生!あの男。
ここで初めて元捕虜に復讐心が芽生えた。否やっと気付いたのだ。自身の心に。いままで見えないフリをしていた暗い部分に。
一番大臣が大切にしていたであろう、女王を奪ってやる。大臣を――。
女王には悪いが、自分への好意を利用させてもらおう。あれを殺されたら女王は悲しむのだろうか。それとも解放されたと喜ぶのだろうか。
―――その場で叶わず、始末される自分に涙を流してくれるだろうか。
元捕虜の手が、女王の私室の扉へと届いた。触れた瞬間、乱暴にその扉を開く。
室内に女王は、彼女は――いた。
――女王は雨にも関わらず、開け放された窓の外を眺めていた。

「待ってたよ。元捕虜くん」

濡れた髪が、風によってゆらゆらとなびいた。
横目で元捕虜を見て女王は微笑んだ。感情のよくわからぬ表情だと元捕虜は顔をしかめる。

「待ってたよ。待ってたけど元捕虜くんは私をさらってはくれないんだろ?私も少しは賢くなったんだ。やっと、やっと現実が見えてきたのかもしれないな」

うねった髪を片耳にかけて女王は元捕虜に向き直った。
確かに会わなかった半年近くの分、いやそれ以上女王は大人びたように見えた。
元捕虜は女王の儚い微笑みに、言葉を探すがみつからない。

「風邪を、陛下。そのようにしていては、風邪を召されます」
「うん。そうだね。風邪をひいちゃうね。でも君となら大丈夫だと思うんだ。だからさ、今度は一緒に連れて行ってよ。途中まででいい。そこからはひとりで行くよ」

女王の言葉にハッとして元捕虜は女王を見据えた。
服装は簡素なもので、庶民風であったし。震える声はともかく、その瞳は意志を持って元捕虜を映していた。

「…行きましょう。俺と一緒に来てくれますか」
「もちろんだよ」

元捕虜の差し出した手を取る女王の、足元はヒールから歩きやすそうな物にいつのまにか変わっている。
もう女王は、元捕虜の知っている女王ではないのだ。
添えられた手をしっかりと握って元捕虜は頷いた。


「大臣のところへ行きます。何も訊かないで下さい」
「わかったよ」

女性の手を取って走るという作業は見た目の通り、大変だ。普段使わぬ部位が酷く緊張しているようだった。
途中からは抱え上げて移動したが、これも物ではなく人であることから緊張を伴った。だが女王と密着した体勢と言うのは次の行動へ移る際に有用だ。
それに不思議とだるさや辛さは感じなかった。
早鐘のように響く鼓動が女王に伝わっているのではないか。元捕虜は大臣のもとへ近づくたびに女王を抱きなおした。握り返す女王の手のひらにあまやかな死を願う。

護身用のナイフでは心許ない、が仕方が無い。元捕虜にも予想外の行動だった。ナイフの有無を確かめて扉を開く。無意識につばを飲み込んだ。

「おかえり。よく来たね、ふたりとも」

広い執務室の正面。机に寄りかかった大臣しかおらず、元捕虜は一歩引いて部屋を見渡した。

「そう警戒しなくともいいだろう。入りなさい。ほら、****も降りなさい。自分で立つんだろう?」

くすくすと笑い声をもらして大臣は二人を招いた。女王にいたっては名前を呼ばれたことに酷く動揺して、元捕虜に回す手を強めた。
警戒しつつ、女王を降ろし入室する。おそるおそるという二人に大臣は温度のない目を向け微笑んだ。侮蔑の笑みではない。
元捕虜は大臣を見据えて柄を握る。このナイフでは殺せないだろう。それでも深く呼吸して、鞘から引き抜いた。
鈍く光るそれを見て驚いた表情を見せたのは女王だけだった。

「、こっ殺すのはだめだ!人を、殺すのはよくない!おまえも傷つくんだぞ!」

元捕虜は女王を見なかった。震える拳を握って女王は俯いた。

「わたしも、きずつくんだぞ!」
「……傷付かない。少なくとも私は傷付かないよ****。私は大臣じゃないからね」

怯える女王を薄い色の瞳に映して大臣は言った。

「だまれ!」
「君は私を殺したいのか?でも残念だね、私は生きたいんだ。だから私は死なないよ。死ぬことを念頭に置いてここに来た君に殺せるわけが無い」

緊張を帯びた元捕虜とは対照的に、大臣は誰の目にも余裕に見えているだろう。
ゆったりとした動作で窓に近づく。充分な高さがあるが飛び降りるつもりだろうか。元捕虜は一歩詰めた。逃がしたくない。
大きくガラスと木枠が軋んで窓は開かれた。外からは相変わらずの雨と風が吹き込む。

「ひどい雨だね」
「な!!おまえも死ぬ気か?!」
「バカだな****。逃げるだけさ」

大臣はモノクルに触れ、そっとそれを机に置いた。雨粒で濡れている。
元捕虜はもう一歩詰める。飛び込みはしない。そんなことをするのは馬鹿だけだ。
元捕虜と大臣には十分な体格差がある。たとえナイフが頼りなくとも、急所に刺さらずとも、それだけで勝因になりうる。
だが大臣が一方的に不利ではない。
手の内が読めない。その上激しい雨の中脱出しようとする体力は最低でもある。

「****。さよならの前にに本当のことをひとつだけ教えてあげよう。私は――」

シュワシュワと発泡するような音がし、激しく煙が焚かれ始めた。先ほどのモノクルの位置からもうもうと煙が舞い上がる。
よく仕込んだものだと、驚きを通り越して感心するが元捕虜は踏み切る。捉えた大臣を、ナイフはすべるようにして掻き切った。
手ごたえは、ない。





煙にちくちくとする目をこすって女王は元捕虜を呼んだ。

「置いてかないで。ねえ!どこなの?ねえ!」

喉もいがらっぽいし、酷く乾いていた。また置いていかれたのだろうか。落胆しつつも手を伸ばせば何かに触れた。

「陛下。目は、こすらないで。ここにいます。あいつは…」
「いいんだ!キミがここにいれば充分じゃないか!」

腕に触れる元捕虜の手をたどって腰に強くしがみついた。
充分だ。ここに、一緒にいるなら。

「でも、あいつは…」
「あれは死んだ!いない人間なんだ!忘れる!キミがいれば充分だって言ってるじゃないか!バカ」

薄汚れた元捕虜の服をぎゅっと掴み、顔を寄せた。女王の頬に涙が伝う。雨はまだ降っているから、声を出したってだれにも聞えないだろう。
元捕虜からは汗の香りがする。生きているここにいる。どうしてそれだけじゃいけないのだろう。

「キミはバカだ!…でも好きだ。どこにもいかないで、傍にいてよ!」

元捕虜は諦め切れないだろう。だがそれでも良い。女王は握った手を緩め、また手をまわした。

「……雨、止むといいですね」

何かを惜しむような、緊張したような声音だったが元捕虜は女王をしっかりと抱きなおした。






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