至高の薔薇(非エロ)
シチュエーション


「来なさい」
「はい」

主人の命令に従者の青年はベッドに歩み寄る。
ベッドの傍には、男が倒れ伏していた。
女であると油断し、さしたる抵抗もできないと侮ったのだろう。
それを視界に入れながら、従者の青年はベッドの傍らに跪き頭を垂れた。

「……ソレを、殺しなさい」
「ですが」
「なに?」

戸惑ったような従者の声に、先を促す。

「それでは、お部屋が汚れてしまいます。それに、館の者が何と言うか…」
「何を言うというの、お前は?」
「また、と噂されています。これ以上は……」
「呼んでもいない男が忍んでくるのが間違いではないかしら?」
「それは、そうですが…。…ならば警備の強化を」
「必要ないわ。私にはお前がいるもの。それに…強化したとしても、このような手合いの馬鹿は後を絶たないでしょう?」
「……」

嘲るような主人の物言いに、従者は無言を返す。それが真実だからだ。

白磁の肌と夜の底の長い髪、そして強い意志を持った黒曜石の瞳。
朝露を纏い朝日を浴びて輝く、瑞々しく美しい薔薇の花の如き美貌。
その主人を掌中にと、この美しい主人の寝室に忍び込む者が後を絶たない。
上手く事が運べば、この広大な敷地を有する館と所有地、そして次代の当主の夫の座が手に入る。
そう考えていることなど、聞くまでもない。
愚かなことだ、と従者の青年は思う。
忍び込んで事に及ぼうなどという、下劣な手段でこの薔薇を手折れる者がいるものか。
傍近くにいる自分が許さないし、何より主人が許しはしない。

「―――やりなさい」

有無を言わさない、絶対的な命令。従者には、逆らうことは許されていない。
意識を取り戻し、しかし身を動かすことのできない男が怯える。
いつの間にか従者の手に握られていたナイフが、男ののどを裂いた。
ほんの一瞬の出来事。
男はおそらく、自らの命が絶たれたことすら気付かなかったろう。
男から溢れた血が上質の絨毯を汚す。
それを無感動に眺めながら主人は口を開いた。

「首を送り届けてやりなさい。何度でも同じようにしてやる、とね」
「はい」

従者は配下を呼び、男の首を断ち落として送り届けるように命じる。
配下はまたか、と思いながらも余計なことは言わずに事切れた男を運び出した。

「これで、よろしいでしょうか?」
「いいわ」
「……近頃は少し増えたように思います」
「でしょうね」
「お決めにならないからでしょうか?」
「私はとうに決めているわ」
「では、どなたを?」
「私は結婚しない。けれど、当主の責務は果たすわ」
「未婚のまま、母になるおつもりですか」
「そうよ。そのほうが煩わしくないもの」

結婚するなどごめんだ、とその顔が語っている。

「御子の父親を問われると思いますが」
「死んだ、とでも言えばいいわ」
「それで納得するとは思えませんが」
「なら、お前が父親だと言うわ」
「何を仰いますか!」
「知らないの、お前は?」
「何を、でしょう」
「この身が、すでにお前のものだという噂よ」
「馬鹿な!?」
「でもそう噂されても仕方ないわね。こうして、寝室で共に世を明かしているのだもの」
「それは…」
「お前が私の許可なく私に触れることがないのは、この館にいる者たちは皆わかっている。でも、他の者はそうはいかないでしょう」
「はい」
「なら、そういう噂が立っても仕方ないでしょう。いちいち撤回するのも煩わしいわ」
「ですが、そのせいであのような馬鹿が増えたのなら…」

何か考えなければ、と言いかけた従者の声は遮られた。

「噂を真にするのも、いいかもしれないわね」

従者はぎょっと目を見開いた。
何を言っている、我が主は。
まさか自分の想いを知っていてからかっているのか?
しかしそれは問わない。
目の前の主人がからかうような態度ではないからだ。

「馬鹿の子を産むよりは、お前の子のほうがいいわ。お前は賢いし強いもの。お父様も否とは言わないでしょう」
「私は、従者です。貴女がなさることに否は言いません。ですが、それは私には過ぎます」
「お前は本当に……」

はぁ、と呆れたように溜息を付き、主人はゆるく首を振った。

「私はね」
「はい」
「お前が私を想っていることくらい知っているわ。だから言っているのよ」

「なっ!?」
「お前の目は、いつだって雄弁に語っているわ。私を愛している、とね」

くすくすと楽しげにフラウは微笑む。
全て過たず知られていたことに耐えられず、スヴァンは目を逸らした。

「だから、お前に夢を見せてあげるわ」
「夢?」
「そうよ。甘美な夢を、ね」

甘美な夢。それの指すところは――。
思い至り、スヴァンはばっと顔を上げる。

「い、いけません!あ、貴女は…」
「だから夢だと言っているでしょう?お前は大人しく、私に言われるままに差し出せばいいのよ」
「で、ですが……」
「おだまり。……答えなさい、お前は私の何?」
「従者です」
「なら、大人しく従いなさい。否は許さない」

スヴァンは困ったようにフラウを見つめる。これはさすがに頷けない。
愛しているからこそ、頷けない。
何がこの薔薇を貶める原因になるかわからないのだから。

「だから、お前がいいのよ」

スヴァンの考えなどわかっているといわんばかりに、苦笑交じりにフラウは言う。

「お前は私を愛していながら、手に入れようなどとは露ほども考えない。私の持つ、富も権力も欲しがらない」
「はい」
「私が結婚しない、と言うのは、なにも個人的な感情ばかりではないのよ。…勿論、それが大部分を占めるけれど」
「それ以外には?」
「私には、一族を、お前達のような仕える者達、そしてその家族を守る、という責務がある。
その妨げになるような、馬鹿な男や愚かな男は私の伴侶になど迎えられないわ」
「だから結婚しない、と?」
「まぁ、理由の一つね」

他にもあるのか、と思うがそれ以上問うことを禁ずるフラウの瞳とかち合う。
二人の間に沈黙が落ちた。

「私の求めに応じ、お前は全てを差し出しなさい」
「………はい」

それ以外の答えを、スヴァンは持たなかった。
その答えに満足そうに頷くと、フラウは従者を手招いた。
側に寄ると、スヴァンはすっと跪いた。主人を見下ろすなど、あってはならない。
見つめる従者の頬を、フラウの細い指先が伝う。
ゆっくりと、輪郭を辿るように撫でていき、やがて顎を捉えた。
く、とその細い指先に力がこもり、僅かに上向けられる。
上向けられたスヴァンの顔に、影がかかる。
スヴァンが制止するよりも早く、フラウのふっくらとして柔らかい唇がスヴァンのそれを掠めた。
羽が触れるような、刹那の口付け。
スヴァンの思考は、完全に停止していた。
触れることなどないと思っていたものを不意に与えられてしまったのだから、致し方ない。

「手付け代わりよ」

不敵に笑って告げるフラウの声も、ただ音として捉えるのみ。

「そんなに衝撃だったかしら?」

くすくすと楽しげにフラウは笑う。
ややあって、スヴァンは口を開く。

「何を、なさいますか……」
「何を?手付け代わりに私の唇を与えてやっただけよ?」

光栄に思いなさい、とでも言いそうなフラウにスヴァンは溜息をついた。

「なぁに、その溜息は?」

機嫌を損ねてしまったらしいフラウにスヴァンは慌てる。

「あ、いえ、その…」

おろおろとするスヴァンにフラウは笑みを零す。
もとより、フラウはさほど機嫌を損ねてはいない。
それを知らないスヴァンは、機嫌が直ったらしい、と判断する。

「次の当主御前会議の後、伽を命じる。……期限は、言う必要もないわね?」
「はい」

もう頷くことしかできない。
過去、フラウは言ったことを全て実行している。直接・間接に関係なく。
つまり、スヴァンがどれだけ拒否しようと最早無意味。
拒否したところで薬を盛られるのがオチだ。
それはさすがに許容できない。

「……御前会議の後、と言いますと…老方を説得なさるのですか?」
「説得?しないわ。子の父親にお前を選んだと言うだけよ」

それで老方が納得するのか、とも思うが問うても意味はない気がした。

「ああ、それから、私の後ろに控えていなさい」

もののついでのように告げられた内容に絶句する。
信じられないように見つめるスヴァンに気付いてか、フラウは薄く笑んだ。

「その時、お前にいくつか質問があるのよ。それに答えてもらうわ」
「質問、ですか?」
「ええ、そう。お前が何と答えても、決定打になるわね」
「え」
「なる、というよりも、する、かしら?」

事は成る、と確信しているのか、フラウの笑みは深い。






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