王都騎士団【幼馴染み】
シチュエーション


「ヒューったら、全然連絡をくれないんだもの。私の事を忘れたのかと思ったわ」

緑が薫る、小高い丘の上。
馬の鼻先を撫でていたミシェルは、皮肉っぽく笑いながら、ヒューの方を振り返った。
被ると言うよりは乗せられていると形容した方が正しい乗馬帽が、弾みで落ちそうになり、ミシェルは慌てて手を沿える。
人からは鉄面皮と呼ばれるヒューだが、この時ばかりは苦々しい表情で、二本の手綱を握りながらミシェルに口を開いた。

「忘れたくても忘れられませんよ。ミシェル様のような方は、俺の知り合いにもいませんから」
「あら、それは誉め言葉ね」
「お好きにとって下さって構いませんよ」

供の一人もつけず、こんな所まで遠乗りに来るような娘など、騎士団でもいるかどうか。
フェイネル群島から、騎士団の視察に来た筈なのに、当のミシェルがこれでは、供もさぞかし困っている事だろう。
王都に戻った時の事を考えるとヒューは頭が痛いが、ミシェルは全く気にした様子もなく、乗馬帽を脱ぐと、それを片手に持ちゆったりと歩みを進めた。

ヒュー・ゴセックの出身地であるフェイネル群島では、領主であるロスマン公爵私設の船団が、王国の守護の一端を担っている。
主力となるのは弓。それ故、群島出身者は、船と弓の扱いに足けた者が多く、ヒューも王都騎士団に入団した当初は、多くの同郷と共に、弓兵を主力とした緑雨隊に所属していた。
それから早十五年。
様々な理由により、現在は精鋭部隊である黒旗隊隊長補佐を務めるまでになっていたが、今でもその腕は衰えていない。

それはさておき。
ロスマン公爵は二年に一度、王都騎士団に視察を送る。自らの所有する船団の兵の強化と、王家への御機嫌伺いの為だが、今回は少しばかりいつもと違っていた。
多くの兵を率いて来たのは、公爵令嬢であるミシェル・ロスマン。ヒューの幼馴染みでもある。

緑雨隊の調練に兵を参加させるだけなので、実質、ミシェルの仕事は皆無に等しい。
昔からお転婆で有名だったミシェルに、ロスマン公爵は今も手を焼いているらしく、暫く王都を見学させて社交界を学ばせようとでも言う魂胆だったのだろう。

しかし、それが裏目に出た。
早くも二日目で王都に飽きたミシェルは、五日目になる今日、供の目を盗んで馬を駆り出し、王都から離れた此処まで、一人で遠乗りに来たのである。
ロスマン公爵から預かった大切な一人娘に、何かあっては堪らないと、騎士団団長であるデュラハム・ライクリィに捜索を言い渡され、ヒューは執務もそこそこに、心当たりを探す羽目になった。

ここからは王都が一望出来る。
昔から、何かある度に群島でも一番高い灯台に登っていたミシェルの癖は、今もさほど代わりはないようだ。

鼻を鳴らす馬をなだめながら、ヒューはやれやれと溜め息を吐いた。

「ミシェル様、お転婆もほどほどになさって下さい。二十をいくつも過ぎたレディが、馬を駆り出すなんて、非常識にも程があります」

言っても利かないのは分かっている。それでも言わずにはいられない。
先を歩くミシェルは、ヒューの事など素知らぬ様子で、くるくると乗馬帽を指先で回す。

「ミシェル様」
「ミシェルよ」
「……え?」
「様なんていらないわ。昔みたいに、ミシェルって呼んで」

足を止めたミシェルが振り返る。
つられて足を止めると、ミシェルはヒューとの距離を詰め、頭一つ分は高い男を真っ直ぐに見上げた。

「それから、その丁寧な口調も止めてちょうだい。貴方は騎士団に入団して、もうロスマン家の臣下の息子じゃないのよ。ゴセックの名は持っているけど、私とは対等なの。そうでしょ?」
「ですが……」

確かに、ミシェルの言う通り、一度騎士団に入団すれば、家柄も出自も関係ない。誰もが対等であるのが、王都騎士団の特徴の一つだ。
だからと言って、他の爵位の者と対等と言うのは、些か疑問が残る。
しかしミシェルは、まるで挑むような目付きでヒューを見上げ、その鳶色の眼差しは何処までも真っ直ぐだ。

何とか言い繕おうとしたヒューだったが、存外強いミシェルの眼力に負け、もう何度溢したか分からない溜め息を、唇の隙間から漏らした。

「分かったよ。だから、そんな風に睨まないでくれないか」
「分かれば良いの。相変わらず、堅物なんだから」

ヒューが観念した途端、ミシェルの表情に笑みが戻る。
不意打ちの笑顔に、ヒューは一瞬虚を突かれたが、騙されてはいけないと、心の中で自分に言い聞かせた。

「堅物で結構だ。ミシェル、そろそろ戻らないとマイルズ殿が心配する。俺は兎も角、マイルズ殿まで叱られちゃ可哀想だろ」

好好爺のようなマイルズは、昔からミシェルの教育係として、散々彼女に泣かされて来た。
いまだ、結婚も見合いもする気のないミシェルの花嫁姿を見るまでは死ねない、と言うのがマイルズの口癖だが、それより先に心労で逝ってしまうのではないかと、他人事ながらヒューは気が気ではない。

「もう少しだけ。どうせ明後日には、フェイネルに戻らなきゃならないんだもの。陸の景色ぐらい、ゆっくり楽しませてちょうだい」

視察の期限は七日。
それが過ぎれば、ミシェルはまたフェイネル群島に戻り、公爵の一人娘として周囲の期待に応えなければならない。
こうして、何の気兼も柵もなく羽を伸ばせる時間は、いくら破天荒なミシェルでも、少ないに違いない。
ヒューは、再び歩き出したミシェルの背を眺めながら、手綱を持つ手を緩めた。

鐙と鞍を外し地面に下ろす。
解放された馬は、暫し不思議そうにヒューを見下ろしていたが、やがて小さくいななくと、自由に辺りを歩き始めた。

「ヒュー?」
「少しだけだ。それから、余り遠くには行かない事。俺の目の届く場所以外には、決して行くな。分かったな」

地面に下ろした鞍の傍らに座り込んだヒューの言葉に、ミシェルは嬉しそうに頷くと、言われた通り、そう離れてはいない場所で初春の風景を楽しみ始めた。
草を食む馬を撫で、花を愛でる。
そろそろ二十五になろうという年頃の筈だが、こうしていると、まだ十代でも充分に通用しそうだ。

ヒューは鞍に片肘を預け、そんなミシェルを眺める。
父親がロスマン公爵に遣える身で、ヒューも騎士団に入団する以前は、ミシェルの良き遊び相手ではあったが、黒旗隊に異動してからは故郷に戻る回数も激減し、ミシェルの変化を改めて目にする事もなくなった。
小さな頃からを知る相手は、姿こそ成長はしているものの、中身は殆んど変わっていない。

栗色に輝く髪は彼女の頑な性格を表すように癖が強く、巻かれてはいるがぴょこぴょことあちらこちらが跳ねている。
年頃の女性らしくほどよい肉付きではあるが、すらりと伸びた手足は、お茶や観劇よりも遠乗りや舟遊びを好んでいるせいか、日に焼けている。

──相変わらずのお転婆ぶりだな。

思わず苦笑が漏れる。
そろそろ縁談の十や二十はあるだろうに、変わらず少女のような雰囲気を持つミシェルは、乗馬服のスカートに付いた草を払うと、やがてヒューの隣に腰を下ろした。

「満足したか?」
「ねぇ、ヒュー」

問掛けにも答えず、乗馬帽を手の中で玩具にしながら、ミシェルが口を開く。
ヒューが黙って見下ろしていると、ミシェルは珍しく口籠りながら、ちらちらとヒューの様子を伺った。
ヒューの頭の中で警鐘が鳴る。
まずいと思う。何がまずいのかは分からないが、きっと、碌でもない事に違いない。口を開かせる前に、相手の口を封じなければと思ったが、数年ぶりの再会は、瞬発力を奪っていたらしい。

「貴方、結婚はまだなの?」

ヒューが話題を切り替えようとするよりも、ミシェルが言葉を紡ぐ方が早かった。
真っ直ぐに向けられる鳶色の瞳。
昔から、この眼差しに弱かった。

「……生憎、執務で手がいっぱいだ。他に気を回す余裕もない。それより──」
「なら」

ヒューの言葉を待たず、ミシェルが身を乗り出す。
香水など付けていない筈なのに、瑞瑞しい果実を連想させる香りが、ヒューの鼻先を掠めた。

「まだ、あの約束は有効だと思って良いのよね」

ミシェルの指先がヒューの腕に伸びる。
執務中だった為、騎士団の制服を身に着けていたが、その手の柔らかさまで感じ取れる錯覚に、ヒューは体を強張らせた。

「何の話だ」
「約束したじゃない。私を貴方のお嫁さんにしてくれるって」

忘れる筈がない。
例え幼い頃の口約束でも、仮にも初恋の相手だ。しかし、そう素直に口にするには、自分と相手の隔たりは大きい。
はぐらかそうとしたヒューだったが、ミシェルは形の良い眉を顰めると、思いきりヒューの腕を引き寄せた。

「私は忘れていないわ。それに、約束を反故にするつもりもない。貴方がお嫁にしてくれないなら、一生、誰の物にもならないわ」
「ミシェル、今、そんな話をしてどうするつもりだ」

倒れそうになる体を支えたヒューに、ミシェルが馬乗りになる形で顔を覗き込む。
嫌な予感が当たって背筋に冷たい物が伝うが、ヒューは至って冷静にミシェルを見返した。
固い巻き髪が肩から溢れ落ちる。
真剣な眼差しに呑まれそうになり、ヒューは唾を飲み込んだ。

「どうもしないわ」

呟かれた声は、ミシェルの勢いとは裏腹に、酷く弱い。
二人の距離が詰まる。
吐息も、心臓の音も、共有するかのような距離で、ミシェルは泣きそうに顔を歪めた。

「ただ、確かめたいのよ」

柔らかな唇が自分のそれを塞ぐのを、ヒューは何処か他人事のように感じた。

熱い舌がヒューの唇を這う。
目を開いたままだったヒューの視界には、伏せられた瞼と長い睫が映る。
下唇を優しく噛まれ、耳の後ろがぞわりと逆立つ。反射的に開けてしまった唇の隙間から、ミシェルの舌が滑り込み、鼻の奥に甘い香りが広がった。
絡められる舌の甘さと意外な弾力に、ヒューはずくりと下半身が疼くのを感じた。
それを知ってか、ミシェルは腰で円を描くようにして、ヒューのその部分に尻を押し付けていく。

「ミ、ミシェ──」

一瞬、息継ぎのように唇が離れる。
ヒューはミシェルの両肩に手を遣り、押し止まらせようとしたが、ミシェルはしっかりとヒューの胸許を掴んで離さない。
鼻先がくっつく距離で、一度軽く唇を重ね、ヒューの灰色の瞳を覗き込む。

「ヒュー、愛しているの」
「っ……」

ミシェルは潤んだ瞳で愛を告げるが、眉は寄せられ、まるで睨まれているようだ。
しかしヒューが言葉を失ったのは、聞き慣れた愛の言葉でも、ミシェルの表情でもなく、彼女の手が自分の股間へと伸びたからだ。

「ミシェル、冗談は──」
「本気よ」

悪夢だと思った。
反応を示し始めている部分に触れられて、何処まで理性を保っていられるか、流石のヒューも自信はない。
理性が途切れる前に行為を止めさせたいが、ミシェルに本気で「命令」されれば、抵抗出来ないのも知っている。
何とか彼女を押し止めようとしたが、ミシェルはズボンの上から堅くなり始めた部分を強く撫でながら、噛みつくように唇を重ねた。
鼻に掛った吐息。くぐもった声。
振り払えば良いのに、甘く痺れるような感覚は、ヒューの抵抗力を奪っていく。

女に襲われるなんて情けないとか、昼日中に外で事に及ぶなんてとか。ヒューの脳裏に浮かんで消える言葉は、表に表れる事はない。

唇を離したミシェルは、ヒューの膝まで腰の位置をずらすと、もはや隠し様もなく膨らみ始めたズボンを見下ろし、満足そうに微笑んだ。
躊躇いなくベルトに手を掛け、ズボンのボタンを外して行く。

「ミシェル、いい加減にしてくれ」

これ以上されたら、どうなってしまうか分からない。
それがヒューには恐ろしい。
だが、

「嫌よ。もう、こんなになってる」

前を開けられ、勃ち上がった肉棒を両手で包んだミシェルは、下着の上から口付けを落とす。
ちゅっちゅっと音をたてて、愛しげに撫で摩る姿を目の当たりにして、ヒューは全身の力が抜けていくのを感じた。

額に手を遣り、空を仰ぐ。
指の隙間から覗く空は何処までも高く、青く澄み渡っている。

──頼むから、もう……。

言葉に出来ず、ヒューは強く目を閉じる。
それが尚、与えられる刺激を敏感にさせると知りながら。

下着をずらしたミシェルの両手が、肉棒を握る。
強くもなく、弱くもなく、絶妙の強さで幹を扱きながら、ミシェルは目を閉じ、先端を口に含んだ。

「く……っ!」

思わず下腹に力が篭る。
ねっとりと先端を舐め回し、舌を絡ませる。鈴口に差し込まれた舌はちろちろと小刻みに動かされ、幹を扱く手は更に下、陰嚢をやわやわと刺激する。
両手を後ろに突いて、ミシェルを見下ろすと、彼女は口一杯にヒューの肉棒を含みながら、ゆっくりと顔を上下させた。

唾液と先走りで、肉棒はぬらぬらと光っている。
それを咥えるミシェルの頬は紅潮し、眉はしかめられている物の、彼女は行為を止めようとはしない。

「ミ、シェル…っ!」

不意に強く全体を吸われ、ヒューの腰から脳髄に向け、痺れるような快感が走る。
背っ羽詰まった声で名を呼ぶと、ミシェルはいっそう激しく舌を絡め、じゅぽじゅぽと淫靡な音をたてながら、肉棒を刺激した。
絶え間ない刺激に、頭の奥が白くなる。
喉の奥から絞り出すような声が漏れた瞬間、ヒューの肉棒はぐっと大きさを増して、滞っていた物を吐き出すように震えた。

「っ……く…ふ」

やってしまった。
後悔の念がヒューを襲う。
ミシェルの口の中に全てを吐き出して、ようやく理性の糸が元に戻るが、気怠さに動く気力が湧かない。
それでもよろよろと上体を起こすと、ミシェルは肉棒から顔を離して、苦い顔付きで口の中の物を飲み下していた。

「な、何してるんだ、ミシェル!」

言い様のない羞恥心に、ヒューの頬が真っ赤に染まる。
慌てて下着を引き上げてミシェルに手を伸ばしたが、ミシェルは眉を寄せたまま、悪戯っぽく笑って見せた。

「苦い」
「当たり前だ! あぁ、もう!」

今更慌てたところでどうしようもない。
ヒューは、ミシェルの唇の回りを拭いながら、苦々しい気持ちで彼女を見下ろした。

「ヒュー」
「何だ」

知らず声に険が含まれるのも無理からぬ事。
しかしミシェルは、満足そうに笑みを浮かべながら、ヒューの胸に体を預けた。

「愛してるの」
「……知っている」

幼い頃から今まで、もう何度も聞いた言葉だ。嘘偽りのない本心だと言うのは良く知っている。
ミシェルの背に手を遣り、ゆっくりと上下に撫でて遣りながら、ヒューはひっそりと溜め息を吐いた。

「ねぇ」
「……」
「ヒューは?」

腕の中で、ミシェルが顔を上げる。
撫でる手を止めてミシェルを見下ろすと、ミシェルは不安に揺らぐ眼差しで、それでもやはり真っ直ぐにヒューを見つめていた。

「……何、が」

聞き返したのは、意味が分からなかったからではない。
今までミシェルは、想いをぶつけて来る事はあっても、それをヒューに求めて来る事はなかった。
今の今まで、一度も。

身分。住む世界。取り巻く環境。
全てが違うと知っているからこそ、ミシェルは敢えて、ヒューには何も求めて来なかった。
求めたところで、叶わぬ想いだと、何処か諦めている節もあったし、ヒューもそれは良く分かっていた。

だが、

「お願い。嫌いだって言うなら、もう無理は言わない。だから……」

懇願。
ぎゅっと騎士団の制服を握り締めるミシェルの声に、痛切な物を感じ取って、ヒューは言葉を失った。

沈黙が流れる。
僅かに立ち上る草いきれ。微かに香る花の香り。

互いを見つめたまま、どれほどの時が流れただろうか。
先に視線を外したのはミシェルだった。

「……ごめんなさい」

目を伏せ、握り締めていた両の手を解く。
そのままゆっくりと体を離そうとしたミシェルの姿に、ヒューは酷い喪失感を覚え、思わず彼女を抱き締めた。

「……愛してる」
「……っ!」

掠れた声は震えていた。

真っ直ぐに向けられる眼差しも、素直にぶつけられる想いも、それだけで充分に満足出来た。
世話を焼かされても、無理難題を強いられても、それでもミシェルの事を突き放す事など出来なかった。
いずれ、ロスマン家にふさわしい者に嫁ぎ、子を生すであろうミシェルの負担になど、なりたくはなかった。

だがもう、躊躇いはない。

この機会を逃せば、恐らく二度と想いを伝える事はないだろう。
伝えない方が良いのかも知れない。
だが、彼女を悲しませるぐらいなら、これから先の人生全てを失っても、伝えたいと思った。

「ずっと昔から。俺も、あなたを愛している」

抱き締める腕に力を込める。
乱れた髪に顔を埋めながら、ヒューは、決して伝える事はないだろうと思っていた想いを吐き出した。

「……本当に?」

腕の中のミシェルの声は、まだ不安に染まっている。
その不安を取り除きたくて、ヒューはミシェルの髪を撫でながら、一言一言を大切に告げた。

「本当だ。……俺も、ミシェル以外の物にはなりたくないし、ミシェル以外はいらない」
「……っ」

抱いた肩が震える。
胸に滲む涙は、伝える筈のない暖かさを伝え、ヒューは吐息を漏らしながら、ミシェルの顔を覗き込んだ。

「そんなに泣き虫だったか?」
「う、うるさいわよっ」

ぽろぽろと涙を溢すミシェルが、愛しくて堪らない。
流れる涙を唇で掬うと、ミシェルはうっとりと目を閉じて、ヒューの背中に両腕を回した。

唇が重なる。
先ほどまでの情事など無かったかのように、優しく、穏やかな口付けが繰り返される。
少しだけ苦い唇も気にならない。
何度も何度も、今まで伝えられなかった想いを交すように口付けを繰り返して、やがてゆっくりと顔を離す。
ミシェルの涙はもう、止まっていた。

「さぁ、そろそろ戻ろう。あまり遅いと、マイルズ殿が心配のしすぎで倒れるかも知れないぞ」
「……それは困るわね」

冗談めかしてヒューが言うと、今更ながら恥ずかしそうに、ミシェルはぱっと顔を背けて、ヒューの上から離れた。
地面に落ちていた乗馬帽を拾い上げ、目深に被るミシェルは耳まで真っ赤で、ヒューはひっそりと笑いを溢しながら、衣服を直して立ち上がった。


数日後。
騎士団団長室で、デュラハムの尻を叩きながら執務をこなしていると、不意にデュラハムが書類から顔を上げた。

「ヒューよ、聞いたか?」
「何でしょうか」

下らない世間話に付き合っている暇はない。
貴族評議会に提出しなければならない書類の期限は、もう数刻後に迫っている。
デュラハムに背を向けたまま、資料棚に向かうヒューは、いつものように冷徹な声を返したが、デュラハムは気にする事なく話を続けた。

「王族評議会から降りてきてる話なんだがな」
「はい」
「近々、近隣の貴族様達から、大使を募ろうって話があるんだわ」

それと今の仕事に何の関係があるのか。
資料棚から資料を引き抜き、デュラハムの元へと運ぶと、デュラハムは面白そうに笑いながら、ヒューを見上げた。

「で、こないだ来たろ。ロスマン公爵のご令嬢」
「ミシェル様ですか?」
「おう。そのミシェル様、帰り際に王族評議会に行ったらしい。ロスマン公爵領地からの大使は、自分が務めますって」
「…………え?」

思わず固まったヒューに、デュラハムはニヤリと笑って見せた。

「大使になりゃ、王都に住む事になるからな。向こうで結婚したくないから大使になりたいって、国王に直訴したらしい」

──……ちょっと待て。

机に資料を乗せる途中の中途半端な姿勢のまま、ヒューの動きは完全に沈黙する。
その様子を確認したデュラハムは、広げた書類に目を落とし、ニンマリ顔のままペンを持ち直した。

あれから、二人きりになる機会もなく、ミシェルとはまともに話してはいない。
だから、彼女が国王に直訴に行った事も初耳だ。

大使を募ると言うそれらしい噂を耳にはしていたが、まさかミシェルが自ら希望するとは。

──しかし……遣りかねないな。彼女なら。

納得出来る話にヒューは知らず笑みを浮かべると、曲げていた腰を直してデュラハムを見下ろした。

「忙しくなりますね」
「お前さんがな」

二人だけの秘め事を知っている筈はないが、デュラハムは飄々とした口ぶりで、書類にペンを走らせる。
一瞬、いつものように小言を降らせてやろうかとも思ったが、思い直してヒューは窓から見える王都に視線を向けた。

今日の天気は晴れ。
白い騎士団の棟が日差しを照り返し、ヒューの目に眩く映った。






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