お嬢さまと主治医(非エロ)
シチュエーション


月明かりの眩しい夜だった。
庭の一際大きな木の根に腰を下ろし、ぼんやりと月を眺めるカーティスに向かって、一人のメイドが駆けていく。

「ドクター・カーティス。こんなところにいらしたのですね」

立ち止まり、彼女は息を切らせてカーティスに声をかける。

「お嬢様が大変です」
「発作か?」

途端に眉を寄せて表情を引き締めるカーティスだが、彼女はゆっくりと首を振る。

「いいえ。まあ、ある意味では発作のようなものかもしれませんが」

要領を得ないメイドの言葉に、カーティスは合点がいったと頭を掻く。つまり、いつもの癇癪を起こしているということだ。メイドが慌ててカーティスを呼びにくるのだから、今夜はすこぶる機嫌が悪いらしい。

「そうか。仕方ない。姫君のご機嫌伺いに行こうかな」

立ち上がり、カーティスはズボンについた汚れを手で払った。


扉の前まできて、カーティスは自身の認識の甘さに愕然とした。

(すこぶるどころか……別人のように訂正だな)

扉を開いて中を覗けば、胸まで伸びた髪を垂らしたネグリジェ姿のミュラが手当たり次第に物を壁に投げつけている。

「あー……レディーにあるまじき行為はその辺にしておいた方がいいんじゃないかな」

おろおろとしながらもミュラを止めようとしていたメイド数名とミュラがカーティスを振り返る。

「後片付けが大変だよ」

メイドはまるで救世主を見るような目でカーティスを見上げ、ミュラはカーティスを見つけた途端にベッドへ座り込んでシーツを頭から被ってしまった。

「ドクター、お嬢様をお願いします」

メイドたちは深々と頭を下げ、次々に部屋を後にした。
ぱたんと扉が閉まり、部屋にはミュラとカーティスの二人だけが残される。
カーティスは寝台へ近づき、ミュラの隣に腰を下ろした。

「今夜は月が綺麗でね、つい外に出てぼんやりと眺めてしまったよ」

カーテンを開いたミュラの部屋の窓からも月明かりが煌々と差し込んでいる。

「風も心地よくて、実にいい夜だ。君もそうは思わないかい?」

ミュラからの答えはないが、カーティスは取り留めのない話を休むことなく続けた。
そうして一人で話し続けること数分、ようやくミュラがか細い声でカーティスの名前を呼んだ。

「私、死ぬの?」

震える声にカーティスは眉根を寄せる。

「もうずっと長い間兄様たちと離れて暮らしているわ。でも、どうして私の体は私のいうことをきいてくれないの?どうしてすぐに苦しくなるの?」

ミュラの声はだんだんと大きくなり、彼女の感情が再び高ぶっていくのがわかる。

「アシュレイ、私は死ぬの?このまま、何も知らずに死ぬの?」
「大丈夫」
「嘘!嘘よ!嘘よ、嘘……あなたもハーネスもいつもそう言うわ。でも、今日も胸が苦しくなった。ちっとも大丈夫なんかじゃないわ」

ミュラは膝を抱えて、その膝に顔を埋める。

(それは君が私の言うことをきかずに庭を駆け回るからだよ)

ミュラの頭からシーツを外し、カーティスは彼女の頭を大きな手で撫でる。

「君は死なないよ。私が死なせない。大丈夫。昔と比べればずっと丈夫になってきてる。昔はこんな風に暴れたりもできなかったじゃないか」

ぽろぽろとミュラの目から涙がこぼれる。

「アシュレイ」
「だから、大丈夫。それでも怖いなら物に当たるんじゃなくて私に言いなさい。君が怖くなくなるまで側にいてあげるから」

カーティスの指が目尻に触れ、涙をそっと拭ってくれる。

「ずっと?」
「ああ、ずっと」

いつもならばそれで満足して眠りにつくミュラが今日はそれでも不満げにカーティスを見上げた。

「それはドクターだから?」

カーティスは絶句した。
その沈黙をどう受け取ったのか、ミュラは落胆した表情でカーティスの腕を振り払った。

「……出ていって」

全身で拒絶を示すミュラにカーティスはどうしたものかと困惑の表情を浮かべる。

「あなたなんか大嫌い。嫌い。大嫌いよ」

ベッドに突っ伏してミュラは泣く。
声を上げないようにしながらも肩は大きく震えているし、泣いているのは一目瞭然だ。
カーティスは深々と溜め息をついた。
ミュラが好意を寄せてくれるのは知っていた。そんなことはもうずっと前からわかっていた。

「嫌い……嫌いよ」

だからといって、どうしろというのだろう。
カーティスがミュラに抱く感情は男が女に抱く愛情だ。愛しているからこそにすべてを奪いたい。自分だけのものにしたい。

(君が私を好きなのは知ってるけどね)

しかし、ミュラがカーティスを慕う気持ちは娘が父親を思うものに近い。真偽は定かでないが、カーティスはそう思っている。

(私が君を抱きたいと思ってるなんて知っても君は私を好きでいてくれるのか?)

ドクターだから、などとそんなのは詭弁だ。ミュラの側にいるためのいいわけにすぎない。

「どうか、顔を上げて」

けれど、ミュラは言葉通りに受け止める。それでいいのだと思っていた。

「泣かないで。君の泣き顔は見たくない」

そっと身を屈め、ミュラの後頭部に口づける。

「愛しているから、どうか……」

ぴくりとミュラの体が震える。

「アシュレイ?」

カーティスは観念したように肩をすくめる。

「愛しているよ。男として、君の側にいたい」

のろのろと体を起こし、ミュラが呆けた顔でカーティスを見上げる。

「う、嘘よ。私が泣くから、そう言うのでしょう?」
「私が冗談で女性に愛を語らうような男に見えるのかい」
「だ、だって、いつも、ドクターだからっていうもの」

ミュラは駄々をこねるように首を振ってカーティスの言葉を否定する。

(これはなかなか疑り深い)

カーティスはミュラの頬に手を添え、頬や瞼、唇をなぞるように触れていく。

「どうしたら信じてもらえるのか教えてくれる?」

徐々に頬を赤く染めながら、ミュラはカーティスを見つめる。

「じ、じゃあ、あのき、き…………キス、して」

真っ赤に染まったミュラの頬にカーティスの唇が触れる。そして、額、瞼と啄むように唇が触れる。

「そうじゃな……んッ」

最後に唇が重なり、触れるだけの口づけをカーティスはミュラに捧げる。

「これで信じてもらえたかな」

キスをしてカーティスへの気持ちが恋ではないとミュラが気づくのではないかと少しばかり不安を覚えてはいたが、カーティスは微笑んでミュラの顔をのぞき込む。

「あ……だ、だめ」

ふるふると首を振るミュラをカーティスは不思議そうに見下ろす。

「愛してるってもっと言って、私が信じられるまで。それから、き、キスも」

ぎゅっとシャツの袖を握りしめられ、カーティスはミュラを抱き寄せる。

「愛してる」

耳元に囁きを落とし、そのまま耳朶を噛んで、首筋に触れる。

「愛してる」

唇を重ね、下唇を挟んで舌でなぞる。
何度も触れ、舌でなぞり、ミュラの体から力が抜けきったのを確認してから咥内に舌を差し込む。小さな舌をつつき、吸い、深く深く口づける。
ミュラのための息継ぎに唇を離す度に愛を囁くのも忘れない。
くったりとして動かなくなったのを確認し、カーティスはようやくミュラを解放した。

「まだ、足りない?」

蕩けきった顔のミュラにカーティスは問う。

カーティスの言葉を何度も反芻し、ようやく意味を理解したミュラは真っ赤な顔で首を振った。

「そう。信じてもらえてなによりだよ」

ちゅっとこめかみに口づけ、カーティスはにっこり笑む。

「あ、私も……あなたが好きよ、アシュレイ」

ごにょごにょと呟くミュラを見下ろし、カーティスは愉しげに口角を上げた。
こうなったからには逃すまい。例えミュラが父親に少し毛が生えた程度の愛情でカーティスを見ていたとしても、離れられなくしてしまえば問題はない。カーティスはミュラを自身の腕の中に落としてしまう方法を笑みの裏側で考え始めるのであった。






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