姫君と家庭教師
シチュエーション


「おろしなさい!無礼は許しません!聞いているの、クラウディオ!」

悲鳴のような、だが凛とした鈴のような声と、かつかつ、という規則正しい冷静な足音が人気のない廊下に響いている。
そのあとを、ぱたぱたと小走りの、小動物のような小さな足音が懸命に追いかける。

「マァル、何をしているのっ……早くお行き!」
「そのようなこと、できるはず、ございません……。クラウディオさま、どうかお許しを!姫さまをお放しくださいませ……!」

はぁはぁと息を切らしながら、懸命に叫ぶ若い侍女の声などまるで耳に入らぬかのように、黒衣の男は黙々と足を進める。

肩にあたかも荷物のように担がれた少女が、ゆるく結ばれた見事なストロベリーブロンドの巻き毛を振り乱しながら、後ろ手にくくられ身動きの取れぬ細い身体を捻っている。
男はそんな抵抗など鼻にもかけず、ずり落ちそうになる身体を抱えなおした。

「姫、私は体力に自信がありません。暴れられると、落としてしまいそうですよ。
細いあなたの身体など、簡単に骨が折れるでしょうね」

ぴくりとプリンセスの身体が震え、それまでせわしなくばたつかせていた足が大人しくなる。

「あ、あなた……一体どういうつもり?」
「どういうつもりか?こちらの台詞です」

目的の部屋に到着したらしく、怒りをあらわにばたんと大きな音を立ててドアを開け放し、ずかずかと中に入り込んだ。
肩の荷を乱暴にベッドに投げ出すと、入り口付近で真っ青な顔をしながらがたがたと震える侍女に向き直る。

「きゃ……」

息を呑むように叫ぶ女を無視して、扉を閉め大仰な閂を下ろしてしまった。
ぽろぽろと涙をこぼし始めた侍女の両手をさらってひざまずかせると、腰にぶら下げていた縄を取り出して、その細い手首をずっしりとした閂にくくりつけた。

「マァル!」

不自由な上体を懸命に持ち上げその様子を見ていたプリンセスが、顔色を変えて叫ぶ。

「クラウディオ、マァルを放しなさい。その子に罪などないでしょう?」
「ええ、マルギットに姫ほどの罪はありません。これはあなたへの罰ですよ」
「なにをばかなことを!」

ついでに金具までぐるぐると固定し、マルギットの身動きも扉の開閉も不可能となる。
プリンセスの忠実な侍女は、ぺたんと冷えた床に座り込んで小鹿のように震えながら、あぁ、と悲痛な吐息をもらした。
丁寧に撫で付けた黒い髪と同じ色の瞳をつめたく光らせて、クラウディオはベッドへ歩み寄る。
片ひざを乗り上げると、後ろへずるりと身を引きずらせたプリンセスの白いあごを掴んだ。

「私は確かに言いましたよね、『この部屋にいるように』と。どうやって抜け出したか、などは問いません。大人しくここにいらっしゃらなかった事が問題なのです」
「だれが従うものですか」
「あなたはご自分の立場がわかっていないようだ……アンネリーゼ姫」

ぴくり、とアンネリーゼの肩が震えた。
顎を掴む手を振り解こうと頭を振るが、食い込んだ指先がますます頬を圧迫するばかりだ。
せめてもの抵抗とばかりに、アンネリーゼはすみれ色の瞳でクラウディオをきつく睨みつけた。
並みの相手ならそれだけでひれ伏してしまいたくなる威厳と迫力を、黒衣の男はまばたき一つで跳ね返す。

「こうも申し上げたはずだ『これは命令です』と……聞いていらっしゃらなかった?」
「聞いていてよ。でもそれが何か?なぜあたくしが、おまえごときの命を受けねばならぬのか、応えてちょうだい」
「これ以上好きにされては、あなたを守れない」

はっ、と空気が凍るような音で姫は笑った。

心底ばからしい。
アメジストのようにきらめく瞳がそう語る。
だがクラウディオはその鉄面皮を崩さない。

「あたくしを縛り上げたその手で、守ると言うの?大いなる矛盾だわ。守るつもりならまずは、この縄を解くことね」
「致しかねます」
「ではその汚い手を放しなさい」

クラウディオは喉の奥で小さく笑い、すっと手を引いた。
アンネリーゼが穢れを振り払うかのように優雅に頭を揺らした。
うっすらと目を細めて、プリンセスは脳を回転させる。

得意の弁論はこの男から習った。
かつての家庭教師だったこの男から。
人の心を動かす話し方も、美貌の正しい使用法も、今まで幾度となくアンネリーゼを助けてきた。
大抵の相手なら、意のままに動かす自信はあるがこの男だけはどうしても駄目だ。
一生クラウディオには勝てないと、聡い姫君は己の身の程をよく知っている。
知っていても、負けたままでいるわけにはいかないのだ。

「おまえは、お兄さまの腹心ではなかったの?これはあたくしへの無礼だけでなく、お兄さまへの背信ではなくって?」
「左様でございます。私は王太子殿下より、あなたを、そしてこの国を愛している。ご理解いただいていると存じますが」
「…………その話だったら聞き飽きたわ。何度も言わせないでちょうだい。あたくしは、権力などに興味はなくってよ」
「お気持ちは変わりませんか」
「変わるものですか。あたくしは女帝になるつもりはございませんとお父さま……いえ、陛下にもお兄さまにも何度も申し上げたわ」
「ええ、ですが殿下は疑い深い。あなたが、ご自分の暗殺を計略なさっていると確信しておいでだ」

だから陛下の信頼を得られないのよ、と毒舌の姫君は吐き捨てた。

姫の優秀な家庭教師だった男は、仰々しくうなずく。
その様子はとても、演技がかっていた。
アンネリーゼはその柳眉を跳ね上げた。

「その通りにございます。何より悲しいことに、殿下が一番愛していらっしゃるのは」
「自分ね。あのナルシスト。で?あの自ら孤独を選ぶ自意識過剰な兄は、妹にやられるまえに妹を殺そうとなさっている?」
「よくご存知で」
「馬鹿にしないで。あんな読みやすい思考はないわ」
「そこまでお判りで、なぜ御身を大事になさらない?」
「しているわ。現にあなたから逃げようとしたでしょう?」
「ああそうでした。護衛もなしで、マルギットとたった二人でどこへ行こうと?殺してくれとおっしゃっているようなものだ」
「違うわ。くだらない権力争いも、ばかばかしい見栄の張り合いも、後を絶たない婚約者も、二度とお目にかかりたくないの。
あたくしにはあたくしの人生を生きる権利がある。そうでしょう?」
「その前に、あなたには王族としての義務があります。私が幾度となくお教えしたはず。
優秀なものが王位につく。まったく不自然ではございません。
この国の歴史をご覧なさい。3代目も8代目も、すばらしい女帝であられた。
姫が一言、王位を継ぐとおっしゃれば、私はあなたとこの国に忠誠を誓います」
「意思のあるものが継げばよいでしょう?」
「いいえ、王には王たる才が必要です。あなたはこの国が兄君の代で潰れてもよいと?」

ぎりと絞れた手首が痛い。腕がしびれて、血の巡りが悪くなる。同時に、頭の回転も酷く鈍ってきたと自覚する。
こんなコンディションではまったくかなわない。
くだらない討論だが、負けるのはいやだ。

「…………もういいわ。出てお行き。そこの閂を外側からかけてしまえばいいでしょう。もう逃げる気など失せたわ」
「ですがあなたに罰を与えねば私の気が休まらない」
「罰?寝言は寝てお言いなさいな」
「私があなたにお教えしたのは……語学、法律、歴史、政治でしたね。あなたは素晴らしく優秀な生徒だった……リズ」
「……その呼び方を許した覚えはありません」

ちっとも悪びれない様子で失礼、と目礼をし、姫、と呼びなおす。
こういうところも、気に食わない。すべてが癇に障る男なのだ。

「さて、教養はバーナー男爵婦人のご担当でしたか」
「それがどうかして?」
「寝所での作法は習いましたか?」
「クラウディオさま!」

マルギットの悲鳴が聞こえる。
何を、と言う前に、肩をとんと押されて、柔らかなベッドに身を沈めた。

「な、なんなの?作法とは何のこと?」
「では、人は何に屈するか、姫はどうお考えですか?」
「……力、ね」
「力とは?」
「権力よ」
「力と権力は同義語だ。正解は、苦痛と恐怖です。今から私はあなたにそれらを与えます」

自らの重みで潰れた両の腕が痛い。
それよりも、今まで見たこともなくつめたく光るクラウディオの黒曜石の瞳が怖い。

違う。

こんなのはアンネリーゼの知るクラウディオではない。
もっと慈愛に満ちた穏やかな男だったはずだ。

息をのんだアンネリーゼの太股にまたがり、体重を乗せたクラウディオがひややかに姫を見下ろしていた。

「く、屈辱ならもう味わっているわ」

恐怖ですくみそうになる身体を懸命に奮いたたせ、気丈にクラウディオを睨む。

「いえ、まだ足りません。二度と愚かしい考えなど抱けぬ程の、苦痛と恐怖と、屈辱を」

おもむろに胸元に手を伸ばす。
アンネリーゼの着ている持女服は、マルギットのものと同じ淡いグリーンの粗末な生地だ。

「こんなもので、私の目を欺けると……」

苦々しく吐き捨てると、躊躇いもなく強く引き裂く。
びりりと安っぽい音をたてて、綿の洋服は縦に裂けた。

「きゃあああっ!姫さまっ!」

マルギットの高い悲鳴が響きわたる。

「クラウディオさま、ご恩情を!姫さまには乱暴をなさらないでくださいまし……!

罰ならどうかわたくしにお与えください!」

「……マルギットはああ言っていますが、どうなさいます?」
「マァルに手を出したら、あたくしがあなたを殺すわ」
「承知いたしました」
「姫さま!いけませんっ」

マルギットが何をそんなに慌てているのか、世俗に疎い姫君には理解ができない。
ただ目の前の男はアンネリーゼの肌を晒して辱めを与えようと、ぼろきれを纏わせて惨めな思いを味あわせようとしているのだと思った。
その程度の屈辱なら甘んじて受けようと、すでに覚悟はできていた。

がたがたと閂が揺れている。
戒めを振り解こうとマルギットが暴れているのだ。
そんなに暴れては縄が食い込み、あの可愛らしい手首が痛々しく擦り切れてしまう。

「マァル、あたくしは――」

大丈夫よ、声を張り上げようと開けた口に、クラウディオが素早く自分の胸元を飾るスカーフをするりと抜き取って強引に詰め込んでしまう。

「ううっ!!」
「失礼。舌を噛まれては危ないのでね……我慢なさってください」

苦しげに身をよじる姫君の下肢に手を伸ばし、勢いよくスカートを捲くり上げるとまるで魔法のようにすばやく下着を剥ぎ取ってしまう。
あまりのことに思考が付いていかないアンネリーゼは、見開かれたアメジストの瞳に呆然とクラウディオを映している。
白いふくらはぎを撫でて膝裏に手をかけると、ためらいもなく膝の頭がベッドにぶつかるほど左右に大きく開かせて、誰にも見せたこともない秘部があらわになった。

「んんっ!んーー!!」
「姫さまっ!!」

羞恥に顔を真っ赤に染めて、抗議の悲鳴を上げる姫君の脳裏に可愛い侍女の声が届く。

マルギットにこんなはしたない姿を見られている。
せめて毅然と、クラウディオの言うところの「罰」を受け入れようと身を硬くしたアンネリーゼは、突如身が引き裂かれるような痛みに襲われた。

「んんんんーーっ!」
「姫さまぁっ!」

マルギットの声が遠い。
苦痛に顔が歪む。
逃れようと首を左右に激しく振っても、まるで中央から串刺しにされているようで身動きが取れない。

「これはさすがに、キツいな……」

クラウディオの低い声が遠くで聞こえる。
吐き出した悲鳴はすべて口の中の布切れに吸い取られ、呼吸もままならない。
すみれ色の瞳から、ぽろぽろと零れ落ちた宝石のような涙を、クラウディオの指が拭い取った。
それはとても苦痛を与える張本人の指とは思えぬほどの優しさを持っていたが、痛みに耐えるアンネリーゼは気がつかない。

ふと、クラウディオの動きが止まった。
じんじんと体中が痛むがようやく息をつき、姫君は己を汚す男を睨みつけた。
まだそんな目をするのかと、クラウディオが口元を歪める。

「さぁ、どうします?私に従っていただけますね?」

きつく顎を掴まれ、無理矢理に男を仰がされる。
出来る事ならば、思いっきり行儀悪く唾を吐いてその顔に引っ掛けてやりたいところだ。
下品な振る舞いが許せぬこの男へのせめてもの報復になっただろう。
だが口の中の詰め物が邪魔をする。仕方なく顎を掴む細い指を振り切って、勢いよく首を左右に振った。

「ほう、そうですか。残念なことに、まだ途中なのですよ」

そう言うとクラウディオは更に奥へと腰を進める。

「うぅぅんっ!!」

一気に最奥まで貫かれて、アンネリーゼの身体が痛みに反れる。

「んんーっ!!ぅんん!」

抗議の声が漏れ聞こえても、構わずにクラウディオはぎりぎりまで自身を引き抜いて、再び奥まで姫の身体を貫いた。

三度ほどそれを繰り返し、最奥で一旦動きを止めるとクラウディオはおもむろに、ぐったりとしたアンネリーゼの口から白いスカーフをずるりと抜き取った。

荒い吐息を繰り返すそのあかいくちびるから、しゃくり上げるような嗚咽が漏れる。

「……いや……どうして、も、イヤ……いや……」
「姫……」

額を撫で上げるその手のぬくもりは以前と変わらぬはずなのに、何故こんなにもむごい仕打ちを自分に与えるのか、混乱したアンネリーゼはますます理解ができずにただぽろぽろと涙をこぼした。

「まだ、続けますか?」

残酷な問いに、姫はとうとうふるふると左右に首を振った。

馬鹿な兄王子と生意気な弟妹たち、気を抜くと彼女を陥れようと知略をめぐらす家臣と召使に囲まれて、精神的には否応なく強くならざるを得なかった姫君だが、肉体の苦痛にはまったくと言っていいほど耐性がない。
薔薇のとげや細い針でその白い指を刺したことすらないアンネリーゼに与える苦痛としては十分すぎるほどだ。
そしてその苦痛は、アンネリーゼを大人しくさせるには効果的だ。
もしかしたら姫君自身よりも、クラウディオは彼女をよく知っていた。

「も、……やめて……お願い…………」
「私に、従っていただけますね?」
「したがう、わ……だから、やめて……」
「結構」

短く言い捨てると、クラウディオはずるりと自身を抜いた。
体内を圧迫する熱から開放され、アンネリーゼは細く長い息を漏らした。
そのため息が終わるより前に、忘れていましたと呟いた男が、再び固い生殖器を姫君の秘壷に突き立てる。

「ああっ!」
「子を孕めばその子があなたの次の王位継承者です。そしてあなたのお嫌いな婚約者どのたちは身をお引きになることでしょう」

低すぎる呟きは届かない。
気にする様子もなくクラウディオは再び腰を大きく動かし始める。

「クラウ、クラウ……おねが、いっ……クラウ」

すすり泣きの混じったその声は、ともすればもっと貪欲にクラウディオを欲しがる声音にも聞こえた。
クラウディオは動きを止めて上体をかがめ、姫の耳元で低くささやいた。

「なんて声だ……あなたの可愛いマルギットが聞いていますよ」
「あ、そんな……んんっ、や……クラウ!いやああっ!」

哀れなアンネリーゼは堪えきれない悲鳴のような嗚咽を上げて、ただただ、この時が過ぎるのを待った。

*

クラウディオが姫君の家庭教師だったのは一昨年までのことだ。
アンネリーゼの知る誰よりも頭のいいクラウディオ。
博士のように物知りで、学者のように頭の回転が速く、物静かで思慮深い彼は、宰相の息子である身分を差し引いても陛下の信頼に厚い。
そして父よりも母よりも侍女よりも、アンネリーゼをよく理解していた。

他者には常に剣呑で射るように鋭いクラウディオの黒曜石のような瞳が、なぜ春の光のように穏やかに暖かなぬくもりをもってアンネリーゼを見つめるのか、彼女は知っていた。

アンネリーゼはときどき、クラウディオを愛してしまいそうだった。

しかしそれをさせなかったのは、他でもないクラウディオ自身だった。
彼女を愛しながら彼女の愛を否定するクラウディオ。
卑怯な彼を嫌いだと、最近は思っていた。


「……姫さま……」

かわいらしくも悲痛な声音に、重いまぶたを何とか押し上げると、顔をぐちゃぐちゃに歪めて泣きはらすマルギットが、寝台の側にひざまずき姫君を覗き込んでいた。
その涙をぬぐうために頬に白い指を伸ばし、いつの間にか拘束が解かれているのに気がついた。

「姫さま、気がつかれましたか……」

ご気分は、といいかけて、マルギットが口をつぐんだ。
いいはずがない。
代わりにぎゅっと細くつめたい手のひらを、自分の両手で包み込んだ。

「……クラウは?」

マルギットは何も言わずに、首を左右に振った。メイド帽からこぼれたこげ茶色のくせ毛がふわりと揺れた。

「姫さま、どうかお忘れください」
「なあに?」
「以前のお優しいクラウディオさまはもういらっしゃらないのです」
「…………」

アンネリーゼは対比する。

以前のクラウディオと、
先程のクラウディオ。

「いいえ」
「姫さま?」
「同じよ。昔からあれはそういう男だったわ。知らなくって?」

やり方はどうにせよ、先程のクラウディオの発言の中に嘘はない。
正しく守られるべき地位へ、アンネリーゼを押し上げたいだけなのだ。
お膳立てはほぼできているのだろう。
あとはアンネリーゼの意思のみだ。

「…………マァル。お逃げと言ったのに」
「いいえ、アンネリーゼ様。生涯お使えすると、誓いました」
「あたくしはクラウディオの思惑に乗るつもりはないの。よくて投獄生活だわ。お前だけでも、どうか」
「いいえ、姫さま……いいえ」

言葉につまりまた泣き出した侍女の頭を優しく撫でながら、アンネリーゼは目を閉じた。
忘れられるものなら忘れてしまいたい。
このまま永遠に、目覚めなどこなければいいと願いながら、泥のような眠りに身を預けた。






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