私の名前を覚えて(非エロ)
シチュエーション


「おじょぉさむぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

そんなむさ苦しい叫び声に、私の優雅なティータイムは終わりを告げた。
まだ飲み掛けのティーカップを背後に控えていたセバスチャンに片付けさせ、ちょうど良いシーンである恋愛小説に栞を挟み、
私は声が聞こえた方に目をやった。
青々と茂った草原の彼方から、物凄い勢いで走り来る青年の姿が見て取れる。
細身で長身、割と美形で足も長い。腰まである長髪は首の辺りで赤いリボンで纏められている。一見すれば爽やかな青年だ。

「ぅぉぉおおおじょぉぉぉさむぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

ああ、もう!!アンタの馬鹿でかい声なんて十分すぎるほど聞こえているというのに、返事をしないとココにたどり着くまで馬鹿みたいに
私を呼び続けるんだから。
私はイヤイヤ手を上げて、聞こえているとアピールをした。

「おじょぉさまぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

あ、音量が下がった。やっぱりアソコまで声を張り上げるのは辛かったのね。ていうか、分かったからもう叫ばないで頂戴!!
私は優雅に立ち上がり、手にしていた小説をセバスチャンに預けた。
アイツときたら、あと1分もすればココに辿り着けるような距離まで迫ってきている。

「まったくもう、あの馬鹿……」

戦災に追われ、路頭に迷っていたのを拾ってあげたくらいで、私に付き従う事に命を掛けるなんて言うんですもの。
性格は単純で一本気すぎる気もするけど、学もあるし、私の元で働かなくとも、真剣に仕事を探せばもっと給料の出る職に就けるでしょうに……。

「本当に――馬鹿な人」

私は頬が熱くなるのを感じながら、もう一度アイツに手を振った。
私はアイツの事が嫌いではない。
アイツの話は面白いし、アイツは絶対に私の味方で居てくれる。

「セリアおじょぉさまぁぁ!!」

でも、私は彼を好きにはなれない。なることはできない。
貴族と平民という立場とか、そういったものを気にしているわけではない。
ただ、私は……。
私は振っていた手をLに構え、駆け寄ってくるアイツの元へと笑顔で駆け出した。

「セリアおじょぁさまぁぁぁ!!愛していますぅぅぅ!!!!」
「その言葉、本当なのね?」
「勿論ですともぉぉぉ!!」
「だったら――」

私はアイツの胸へと飛び――込まず、彼とすれ違いざまにL字に構えた腕を彼の喉元に叩き込んだ。
互いに駆け寄る勢いと私の腕が綺麗に首に決まった事で、アイツは首を軸に綺麗に半回転し、地面に頭から叩きつけられた。

「だから、何度言えば分かるの!!私の名前はマローネ!!何処をどう間違えればそんな名前になるのよ!!」

私は地面でもがいている馬鹿を放って置いて、セバスチャンが準備をしていた馬車に乗った。
また何処か、落ち着いて本が読める場所を探さないといけないわね。

「お、おじょお……さまぁ……グフッ」

こちらまで這おうとして途中で力尽きた馬鹿を無視して、私は馬車を走らせた。
私が彼を好きにならないのは、つまりそういう事。
どうして自分の名前も覚えてくれない人なんかを好きにならなくちゃいけないのよ。
私が彼を一人の異性として感じるかは、彼が私の名前を覚えてから……ってなるかしらね。


執事の朝は早い。鶏が目覚めるよりも先に起きる事こそ、正しい執事の一日の始まりであるといえる。

「あー、うん、おほんおほん」

今日の喉の調子も絶好調。さっそく本日の第一声といくとしよう。

「おじょぉさむぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

うっすらと覗く太陽。黒から蒼へと変わる空。世界に光が溢れ、神秘的な一瞬。
私はその一瞬に、全ての想いを込めて咆哮する。

「愛していますぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」

屋敷の裏手の丘の上。その頂上にある一本杉の枝から、お屋敷へ、太陽へ、そしてお嬢様に向けて。
届け、この想い!!そして帰って来い、お嬢様からの愛!!
この私の愛は不滅、そしてあの太陽のように熱く燃え滾っているのだ!!
む、お嬢様がバルコニーに現れた!?ななな、なんと破廉恥な、まだ寝巻き姿のままではないか!!
いや、しかしコレはコレで……ああ、お嬢様の艶やかな体のラインがハッキリと!!コレはイカン、けしからん、だがしかし、だがしかし!!
お嬢様に劣情を抱くのは執事失格!!早朝からこんな卑猥な思考に耽るとは何事だ自分!!
そうだ、こういう時こそ精神統一、初志貫徹!!お嬢様への溢れる想いをもう一度!!

「リズおじょぉぉ――」



ダダーーーーン……



一本杉の枝に立っていたアイツがコロリと地面に落ちていくのを見届けて、私は手にしていた(まだ銃口から硝煙を上げている)猟銃をセバスチャンに返した。
まったく、まだ夜が明けたばかりだってのに、毎朝毎朝、恥かしい台詞で起こされる身にもなりなさいよ。

「よろしかったので――?」

ナニがかしら?

「今回は普段の威嚇用ではなく実弾でしたが……」
「ええ、構わないわ。どうせ例の如く、私の朝食時にはいつも通りの笑顔で控えているだろうしね。というか、アイツさっきリズとか言ってなかった?」
「は、確かにそう言っておりましたが……」
「…………」

私はセバスチャンから猟銃をもぎ取る様に構え、一本杉の根本の茂みに数発連続して弾を打ち込んだ。
特に反応は無いけれど、手ごたえはあったから……おそらく直撃は二・三発位ね。
それにしても、アイツ、本当に私の名前を覚える気あるのかしら……?
まさかとは思うけど、こうやってヤキモキさせられていること自体がアイツの狙い……な訳ないか。
アイツがそういう小細工できるほど器用で下心があるヤツなら、そもそも気にもかけないわ。
……てことは今、私、アイツの事意識して……る?

「――ッ!!」

カァッと顔が熱くなる。
ないないない、そんな事無い!!朝早くに起こされたせいでまだ寝ぼけてるんだわ、そうに違いない!!
突然沸いた変な考えを振り払うように、私は銃をセバスチャンに押し付けてズカズカとベッドに潜り込んだ。
食事時までにもう一眠り。「できるなら、いい夢を見られますように……」と呟きながら。






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