シチュエーション
「SP」 こう聞くとどんな者を想像するだろうか?黒いサングラスとスーツ? 何者にも負けない鋼の肉体と強い意思を持つ者?そういったものが想像されるのではないだろうか?しかしこの話に出てくるSPは一味違う。なにせ彼はメキシコプロレスの仮面を被った、鋼の肉体は持つが強い意思などまったく持たないSPなのだから。 これは 江戸川龍彦、身長189センチ。 「もうやめましょうよぉ〜。こんなこと」 と 尾ノ上小夜子、身長145センチ。 「弱音を吐くでない!ほれ、どんどん行くぞ」 この究極の凸凹コンビが織り成す、すったもんだなお話である。 『44センチの間に』 話は2週間ほど前に戻る。 そろそろ日も暮れようかという時間帯、河川敷に制服を着た高校生が、二人の男を中心として輪になって集まっている。 タバコを吸っている者、金髪でオールバックにしている者、風邪でもないのにマスクをしている者。皆おしなべてガラが悪い。 集団は学ランを着た者とブレザーを着た者、二種類に分かれていた。 「ぐわっっ」 円の中心にいた180センチはあろうかという男が一撃で吹っ飛び倒れる。学ランの男が放ったストレートが顔面に入ったのだ。 「クソッ、クソッッ!!」 倒れた男は必死に立ち上がろうとするも、手が地面を引っかくだけで立ち上がれない。ストレートが見事急所に決まったようだ。 周りを取り囲んでいる者が、驚嘆、失望、歓喜、様々な感情でざわめき始める。 そのざわめきの中心でストレートを放った男は、自分の拳と地面を這っている男を見比べながら悠然と立っていた。 この男、一言で説明するならば「デカイッッッ!」、それに尽きる。 190センチに及ばんとする身長。服の上からでもわかる大きく張った胸板。バットで殴られてもビクともしなそうな太い首。 そしてオールバックに強い意志を感じさせる雄々しい顔。 まさしく「漢」と呼ぶにふさわしい人物である。 「へっ、決まったな!」 前に出てきてそういったのは「狂犬」、そんな言葉がピッタリくる男だった。 「どいつもこいつもアホみてぇな面しやがって。ざまぁ見やがれクソ野郎!」 彼は、相手の集団にあらん限りの罵詈雑言を叩きつける。 「よせ、シュウ」 「漢」が、シュウを手で遮ると「すんません」と言いながら、彼は後ろへ下がっていった。 シュウが後ろに下がったことを確認すると、「漢」はずいと前に出る。 「俺はな、近くの高校のリーダーになりたいとか考えてないし、喧嘩も好きじゃない」 「漢」が低く、重みのある声で喋ると、一言で一歩ずつ相手の集団は後ずさっていく。 「だが、ウチの学校の生徒に手を出すなら、話は別だ」 そういうと「漢」は、ゆっくりと相手の集団を端から端までにらめ付け、 「わかったか!!」 その場にいる者たちの鼓膜が破れそうな声で、一気に怒鳴った。 「返事は!」 「わかりました!」 ブレザーの集団はその場から逃れたい一心であろう。深々と頭を下げ、そう答えた。 「ならいい」 「漢」はそう言うと学ランの裾を翻し帰って行く。 倒れていた男が痛む顔をゆっくりと上げ、砂埃の向こう、泰然と帰って行く「漢」と学ランの集団を見つめた。 「江戸川龍彦、あれこそ『番長』だ」 「ふぅ」 龍彦の家は1軒屋で、今彼は自室にいた。学ランを脱ぐとジャージに着替え、パソコンの電源をつける。 彼の部屋、何かがおかしい。 普通のヤンキー高校生の部屋、そう聞くと普通どのようなものを想像するだろうか。 タバコが山盛りになった灰皿、壁にかけられた日の丸の旗、何冊かあるヤンキー漫画、そういったものだろう。 彼の部屋にはそれらが一切ない。 そして代わりにあるのが部屋を埋め尽くさんばかりの、漫画、フィギュア、ポスター。 部屋の中ところ狭しと二次元の美少女達が笑顔を振り撒いている。 龍彦はマウスを操作し、デスクトップ上にあるアイコンをクリックした。 アイコンの名前は『木漏れ日の思い出』。3日前に買ったばかりのエロゲーだ。 早く進めようとしていたのだが、今日の一件で忙しくなかなか進められずにいたのだ。 ちなみにこのソフトは有名ブランドの新作で発売と同時に店舗から姿を消すほどだったのだが、 龍彦は開店の三時間前から店先に並び、見事このソフトを購入している。 モニターには人目でツンデレだとわかる目つきの鋭い少女が映っていた。 『べ、別にあんたと一緒にししゃも食べたいってわけじゃないんだからね!勘違いしないでよね!』 「ふぁぁ、堪らないなぁ〜」 身長190センチはあるガタイのいい男が窮屈そうに椅子に座り、こんな声をあげながらエロゲーをやっている姿は絵的にキツイものがある。 「な〜にキチガイみたいなこと言ってんのよ」 我に帰った龍彦がドアを見ると、姉が呆れた顔で立っていた。 江戸川景。龍彦の姉である。ショートカットで眼鏡をかけており、知的な印象を受ける。龍彦とは正反対だ。ちなみに龍彦にはもう一人姉がいる。 「景ちゃんノックぐらいしてよ!」 「何回も、な〜ん回もしましたよ。何かに夢中で気がつかなかったみたいだけど」 「うっ」 龍彦は恥ずかしそうに俯く。 「しっかし」 そう言いながら景は部屋を見回した。 「ホント信じられないわね、あんたがうちの学校の不良のリーダーだなんて」 「別にいいだろ、人の趣味なんだから」 「はいはいそうね、『番長』さん。ところで晩御飯ができましてよ」 「え?もしかして景ちゃんが作ったの?」 「そうよ、他のみんな出かけてるから」 龍彦の表情が固まる。景の料理は決して不味いわけではない。しかし彼女の料理は辛すぎるのだ。この前作った麻婆豆腐が特に酷く、その日一日中、何も食べられなかったぐらいだ。思い出すとまた喉がヒリヒリしてくる気がする。 「あっ、僕外で食べてきたから」 「何?」 景の表情が一瞬で変わった。 「お姉ちゃんの作った料理が食えないって言うの?」 まるで般若のような形相で睨み付けてくる。これに比べればヤンキーのほうがまだ可愛げのある。 「食べさせてもらいます」 龍彦が泣きそうな顔でそう言うと、景の顔はすぐにもとの知的な女性に戻った。 「そう?ごめんね、お腹いっぱいなのに食べさせちゃって」 「いいんだ。僕、景ちゃんの料理好きだから」 「そう?だったらいっぱい食べさせてあげるからね」 「はい」 どうやら明日のトイレは地獄のようです。 景と龍彦が一階のリビングで晩御飯を食べている。大きな背中を丸め、景特製激辛カレーをスプーンにちょこんと乗せ、四苦八苦しながら食べている龍彦の姿は妙に微笑ましい。 「しっかしさぁ、あんたどうにかならないの?その喋り方とか」 景がただでさえ辛いはずのカレーに、さらに辛みを入れていた 「いや、僕本当はこうだし」 「ほらぁ、その僕っての。似合わないわよ、あんたには」 「でも、本当にこうなんだよ。今だって勝手に周りから祭り上げられてるだけだし」 龍彦が不満そうな声でそう言うと、景はスプーンを動かす手を止め大きくため息をつく 「今の姿、ファンの子たちが見たらさぞかし幻滅するでしょうね」 「僕にファンなんているの?」 「あれ知らないの?江戸川龍彦なんっていったら、今うちの学校で一番人気のある男子なのよ」 「それはどこ情報なの?」 「もちろん我が新聞部よ」 彼女は自信満々にそう言うが、実はこの校内新聞相当ヒドイ。 東○スポとフラ○デーを足しっぱなしにしたのを想像してもらえると有難い。 龍彦は丸まった背中をさらに丸め、ため息をつくが、景はそんな弟を気にもとめず話続ける。 「たくましい体に整った顔、喧嘩は無敵、されど弱い者には優しい。道理をわきまえ、仁義を通す。これぞ男の中の男なりってね。龍彦だったら抱かれてもいいって子結構いるんだよ」 「お、女の子がそんなこと言わないでよ」 龍彦は途端に赤面する。 「あら、別にいいじゃない。優れた異性と付き合いたいってのは男女同じよ」 「でも・・・」 「っていうか、あんた女の子と付き合ったりしないの?あんたくらいだったらよりどりみどりでしょ?」 「ぼ、僕はそういうのはいいんだよ」 「ったく、どうしようもないわね」 「僕、もう上行く」 龍彦はそういうと食器を持ちながら椅子から立ち上がった 「何?またギャルゲーでもやるの?」 「別にいいでしょ、僕の勝手なんだから!」 そう言いながら部屋から出て行く龍彦の背中を見て、景は大きくため息をつく。 「ほんと、どうしようもないんだから・・・」 江戸川龍彦、このあたりの不良でその名を知らぬ者はいない、一本、筋がびしっと入ったいい男。しかしてその正体は、顔と体に似合わず気の小さい、こよなく二次元を愛する駄目な男なのであった。 「いってきまーす」 龍彦はそう言うと玄関から出て行く。景は一足先に学校へ向かっていた。春の日差しが、徹夜明けの目に染みる。昨日の夕食の後、『木漏れ日の思い出』を一心腐乱に進めていた結果だった。 ちなみにゲームの話のほうは、あの後龍彦が攻略していたツンデレ少女を謎の組織、「音巣対」が突如誘拐。殺意の波動に目覚めた主人公は仲間達と「末屠魏亜」を結成。圧倒的戦力差を誇る「音巣対」に対して敢然と挑んでゆくといったものである。 龍彦は、なぜかこの衝撃的展開にどっぷり嵌っていたのである。おそらく若さゆえの過ちであろう。 それにしても…龍彦は例のツンデレ少女のことを思い出していた。髪型、目つき、喋り方すべてが龍彦のツボだった。 「す、好きじゃなきゃこんなことしないわよ!」 少女のセリフを思い出すだけで、ついつい表情が緩んでくる。 「龍彦さん、おはようございます!!」 龍彦がハッとし振り返ると、そこにはシュウが立っていた。 「おう」 家の姿からは想像できないドスの効いた声で返事する龍彦。 「どうしたんすか、なんかニヤけてましたけど?しかも何か眠そうだし」 そういったところでシュウは何かに気づいたような表情をし、やたらエロそうにニヤけ始めた。 「あっ、もしかしてコレのところっすか」 そういいながらシュウが小指を突き立てる。 それにしても、この男妙に表現が古臭い。 「ったく、隅に置けないっすねぇ。あれからずっと女のとこにいたんですか?」 ずっと女といたという推理は間違ってはいない。二次元か三次元かの差はあるが。 「やっぱり年上の人ですか?いいなぁ、俺憧れるっすわ、そういうの」 シュウは見た目と裏腹に気さくでいい奴なのだが、喋りすぎるのがタマに傷である。 よくもまぁ、こんなに色々言ってもいないことを考えてつくなぁと呆れながら、龍彦はシュウを置いて歩き始めた。 「あれっすか?やっぱり年齢の差とか感じたりするんですか?でも龍彦さんだったらんなのないっすよね?って龍彦さん!置いてかないでくださいよ!!」 「急がねぇと遅刻するだろうが!」 そういいながら二人は学校への道を急ぐのであった。 ちなみに江戸川龍彦、現時点で無遅刻、無欠席である。 学校へ付くと生徒が早くも昨日の龍彦の決闘について噂話をしている 「おい聞いたかよ?相手、180センチで柔道有段者だったんだけど一撃だったらしいぜ」 「周りのやつらも龍彦さんの迫力に動けなかったてよ」 「へっ、昨日のことなのにもうみんな知ってるらしいっすよ」 シュウがまるで自分の手柄のように嬉しそうに言う。 「そんな噂話されるほどのことじゃないと思うんだがな」 そういいながら龍彦が自分の下駄箱を開けると、手紙が大量に出てくる。まるで雪崩のように。 「またそんなにもらったんですか?いいなぁ?俺にも一枚くださいよ。家帰って手紙の匂い嗅ぐんで」 シュウの変態的発想を聞き流しながら、龍彦は心の中でため息をついた。 昨日のような事件があった次の日はいつもこうなのである。 下駄箱には山のようにラブレターが入っているし、休み時間には教室の後ろのドアから女生徒たちがキャアキャア言いながら龍彦を見に来る。 景も言っていたが、弱い者いじめなどは決してしない龍彦は女生徒のみならず一般生徒から非常に人気があった。 そしてこのような日は運動部からの勧誘も非常に多い。身長190センチ近くあり、力もある龍彦は確実に即戦力だろう。バスケ部、柔道部、ラグビー部といった部活の部長達が女生徒たちと一緒に教室まで来る。 よって龍彦はこういった日は一日中、女生徒たちからの告白、運動部からの勧誘の両方を断り続けなければならない。龍 彦はこれらすべてを断り続けている。 これ以上周りから期待される『龍彦』を演じ続けるのはもううんざりなのだ。 学校が終わってから龍彦は住んでいる町から三十分ほどで着く繁華街の中にいた。 この繁華街は龍彦が住んでいる町から程よく離れているので、 漫画やアニメのDVDを買うときには知り合いに見つからないようこの街によく来ている。 それでも周囲に気がつかれぬようマスクをし、サングラスを着けているのだが、龍彦、現在非常に息が荒い。 傍から見るとよく小学生の女の子に「ねぇ?いいもの食べない?とりあえずアツアツのフランクフルトでも」と声をかけてそうな感じではあるが、断じて何かに興奮しているわけではない。 学校が終わってから告白してくる女生徒や勧誘してくる運動部の部長達を振り切り、急いでここまできたからだ。 彼は学校が終わるまですっかり忘れていた、今日が『魔法少女との日々』三巻の発売日だったことを。 この三巻には限定版があり、ヒロインのフィギュアがついているのだ。これ限定版も通常版も買わざるを得ない。 発売日前からそう思っていたのだが、徹夜明けでボーっとしていたこともあり、失念していたのだ。 果たしてまだ残っているのか?無職の大きなお友達に買い占められてやしないか?龍彦は不安を抱えながら本屋へと急いでいた。 その時である、路次裏から悲鳴が聞こえてきたのは。 「やめぬか!わしを誰だと思っている!」 龍彦が路地裏を覗くと、中学1,2年と思しき女の子と、彼女の腕を掴んでいるスエットを着た男、そしてその様子を平然と見ているスーツの男の三人がいた。 少女とスエットを着た男は激しく言い争っている。 「離せ、離さぬか!わしにこんなことをしてただで済むと思っているのか!?」 「マジで可愛げのねぇガキだなぁ?少しぐらい静かにできねぇのか」 「うるさい、うるさい!お前のような者に触れられているだけで鳥肌が立つわ!」 切れ長の目と強い意志を感じさせる瞳。一本、筋がすっと入ったようにまっすぐとした鼻。 花の茎のように瑞々しい長い手足。そして肩の下まで伸びた黒く艶やかな髪の毛。 この少女、なかなかの美人である。口調が妙なのが玉にキズだが。 「マサル」 スーツの男がタバコに火をつけながら、マサルと呼ばれた男の声をかける。 「そんなにうるさいと運ぶとき面倒だから、一発殴って静かにしちまっていいぞ」 「いいんすか、兄貴?傷つけると後々面倒なんじゃないっすか?」 「腹とか殴っときゃ大丈夫だろ。それにそんなうるさいと運ぶものも運べねぇよ」 「お、お前達、私に向かって手を上-げるつもりか!」 「お嬢様が静かにしてくださればそんなことしなくて済むんですけどねぇ」 「お前たち、わしにどこに連れて行く気だ?誰に頼まれた?」 「まぁ、そいつは企業秘密ってやつで」 「まさかあの者たちに頼まれたのか?」 「だからそいつは教えられないんですよ」 「くっ、下衆がっ!お前達のようなものは人間以下の屑じゃ、汚物じゃ!」 サングラスをした男がそう言われると眉間に皺を寄せながら、吸っていたタバコを足で踏み潰す。 「もう面倒だ。マサル、殴っちまえ」 「だってよ、お嬢様。怖いです、ごめんなさいって言えば痛い目見なくてすむよぉ?」 「うっ、うるさい!お前達のようなものになど屈するか!」 気丈にそう言い放つ少女。しかし彼女の足は恐怖で震えている。 「あぁそうか!んじゃ遠慮なく殴らせてもらうわ!」 マサルが拳を握り締め、今まさに殴らんとしたその時。 「待て!」 そう言い放ったのは龍彦だった。 「なんだ、お前?ガキは向こう行ってろ!」 「まぁ、マサル待てよ」 そう言ってサングラスをかけた男がマサルをたしなめる。 「お兄さん、これはあんたには関係のないことなんだ。だから向こう行っててくれないか?正義のヒーロー気取って大怪我なんてしたくないだろ」 男は口調こそ丁寧だが、言葉の端々から脅迫めいた悪意がこれでもかと伝わってくる。 この時、龍彦はちょっとカッコつけて出て行ったことを後悔し始めていた。 いつもの不良が相手ではない。今日の相手は暴力を生業としている者たちなのだ。 コンクリート詰め、生き埋め、魚の餌。 未知の相手を前にして、漫画などで得た様々な情報が龍彦の頭の中を猛スピードで駆け巡る。 「な?俺らも許してやるから。早く帰りな」 そんな甘い言葉についつい乗ってしまいそうになった龍彦を止めたのは、少女の眼差しだった 。大の男二人に囲まれながらも決して屈さず、虚勢を張り続ける少女。 しかし本当は怖いのであろう。泣き出しそうに潤んだ目。そんな彼女の瞳には、助けずにはいられない何かがあった。 「その子を…」 「あ?」 「その子を放せ!」 「おい、マサル。このクソガキの骨、二、三本折ってやれ」 サングラスの男が舌打ちしながらそう言うと、マサルは待ってましたと言わんばかりに龍彦の前に出てくる。 「さっさと逃げりゃあよかったのによ」 そう言いながら彼は構える。どうやらボクシングの経験者のようだ。両足のステップがそれを証明している。 対する龍彦は何も構えていない。 「おい、いまさら謝ったって許さねぇぞ」 マサルの言葉に龍彦は答えない。 「このクッソガキが!」 何も反応のない龍彦が癪に障ったのか、マサルは渾身のストレートを龍彦の顔面に向け、放つ。 その瞬間、マサルの視界から龍彦が消えた。 マサルが龍彦の姿を捉えたのは、龍彦の拳がマサルの顔面に当たるのと同時だった。 龍彦は放たれたストレートを屈んで避け、いきよいよく立ち上がりながらマサルの顔面にアッパーを放ったのだ。 地面から50センチほど浮かび上がった後、そのまま倒れるマサル。おそらく今日はずっとこのままであろう。 「抉ってやるよ」 サングラスの男は真顔でそう言いながら、懐から刃渡り30センチほどのナイフを取り出した。鞘を取ると刀身の部分が不自然に光って見える。 「や、やめろ!そんなものを出すこともないだろう!」 「わかってねぇな。俺たちは舐められたらお終いなんだよ」 男はナイフを片手に持つと龍彦に用心深く近寄っていく。 ズリッ、ズリッ。 靴の裏が擦れる音が路地裏に響く。 「早く逃げろ!」 少女がそう叫ぶのと男がナイフを突き出してきたのは同時だった。 次の瞬間、ナイフはアサッテな方向へ飛んでいった。 龍彦が突き出されたナイフを持っていた手ごと蹴り上げたのだ。 龍彦は高く蹴り上げた足をそのまま男の脳天へと叩き落とす。 路地裏に衝撃音が響くと、男はうめき声もあげずそのまま崩れ落ちた。 「やれやれ」 そういいながら龍彦が少女のほうを見ると、彼女は呆けた顔で倒れている男達を見ている。 「大丈夫?」 龍彦がそう聞くと 「あ、当たり前だ。この程度のこと、まったく動じないわ」 と無理矢理高慢な表情を作るとそう言った。 「ならいいが」 「そ、それにしてもお主なかなか強いではないか。どうだ?私の」 そこまで言った時には龍彦の姿はもうなかった。当初の目的を果たすため急いで行ったのだろう。 「我を愚弄しおって…」 そう言ったとき、彼女は足元に落ちている何かに気がついた 「ない、ない!」 自室で龍彦は何回も何回もポケットの中を手探りしている。 巨漢の男が慌てふためく様は見ていて妙になさけない。 それにしても何を必死になって探しているのだろう?それは彼の一番大切なもの、彼の一番大好きなキャラクターの絵が入ったテレホンカードである。 彼はこれだけはどんな時も、例え喧嘩の時でさえ、肌身離さず持っていたのだ。いわば龍彦にとってのお守りである。だいぶ妙なお守りだが。 (落ち着け、落ち着けよ) 彼は自分にそう言い聞かせ今日一日の行動を思いだす。 胸ポケットに入れたものだからよほど激しい運動をしなければ亡くしはしないはずだ。 今日激しい運動をした場所は・・・・ 思い当たる節がありすぎた。学校終わってすぐ走って、電車に乗ってすぐ走って、路地裏の一件の後もすぐ店に向かって走ってと今日一日走りっぱなしだったのだ。 深い絶望の中、頭を掻き毟っているとドアをノックする音が。 「誰?」 「私だけど」声の主は景だった。 「何?ちょっと後にしてよ!」 「うるさい、早く下に来なさい!なんか凄い人があんたを訪ねてきてるのよ!」 「えっ!?」 龍彦が玄関に行くとこの家にまったくふさわしくない人物が立っている。 綺麗な白髪をオールバッグで纏め、一目で一級品とわかるスーツを着こなす。その人物はまさしく知的な紳士のイメージそのものであった。 「あなたが江戸川龍彦様ですか?」 「そうだがあんたは?」 龍彦は少し緊張し、外での喋り方になっている。 「おっとこれは失礼しました。わたくし村上欣也と申す者です。尾ノ上家の執事をさせてもらっております」 「その尾ノ上家の執事さんとやらが俺になんのようだ」 「実はあなたにお礼を申し上げたいという者がおりまして…」 龍彦は彼の家の前に止まっていた超高級外車の中にいた。 車は夜の道を走る。 龍彦の中にあった戸惑いや不安は、普段乗りなれていない車に乗った興奮の中にすっかり飲み込まれていた。 車は高級マンションの地下駐車場の中へ入っていき、そこで止まった。 村上は車から降りるとエレベーターのボタンを押す。 二人が乗るとエレベーターは最上階へ上がって行く。最上階は全て同じ部屋主のものであるらしくエレベーターが開いた先が玄関となっていた。 「奥へどうぞ」 欣也に促され、龍彦は奥の部屋へ入ると非常に広い空間が広がっている。 はっきりいって圧倒された。大きな窓からは街中の夜景がはっきり見渡せる。 普段大きく感じる街並みが龍彦の手の中にすっぽり入ってしまいそうだ。 龍彦のような高校生でもこのマンション、しかも最上階という場所がいかに高額かはわかる。 「どうだ?この夜景は?」 すっかり呆けた顔をしていた龍彦だが。その声で連れ戻される。 「お主のような者にはすべてが珍しく見えるだろう?」 その声は大きな窓の前にあるリクライニングチェアーから聞こえてきた。 龍彦に対して椅子の背を向けているので顔は確認できない。 「客がきたら顔ぐらい見せるのが礼儀じゃないのか?」 「確かにそうであるな」 声の主はそう言うと椅子を回転させて龍彦のほうを向く。 そこに座っていたのは今日の昼、暴漢に絡まれていた少女だった。 「なんだ、昼に助けた女の子じゃないか」 「女の子とはなんだ!われは高校生だぞ!」 その子は顔を真っ赤にしながら反論してくる。…だが椅子から足が下に届かず、手足をバタバタさせているのでなんとも説得力がない。 「ふん、まぁいい。それにしても」 少女は椅子に座りながら、龍彦のことを上から下まで舐めまわすように見る。 「昼の件は礼を言うぞ。お主強いのだな。名はなんと言うのだ?」 少女はやたら上機嫌に話しかけてくる。 「…江戸川龍彦」 「そうか、龍彦か。われは尾ノ上小夜子というのじゃ。よろしくな」 「自己紹介のためだけに呼んだのか?」 「いや礼がしたいとさっき言わなかったか?それに少し頼まれて欲しいことがあっての」 小夜子がそう言ったとき龍彦は眉間に皺をよせた。 「悪いけど、面倒事なら帰らせてもらう」 「なぜじゃ?」 「こっちは色々と忙しいんだ。余計なことしている時間はない」 ちなみに龍彦は色々と忙しくない。単純に家での至福の時間が減るのが嫌なだけである。 「こんなに頼みこんでもか?」 「あぁ」 「それなら仕方ないのぉ」 彼女はそう言いながらため息をつく。 「悪いな。それじゃあ」 「ちょっと待て、龍彦」 小夜子は背を向け帰ろうとする龍彦に声をかける。 「なんだ?礼ならもうしただろう?」 「いやな。龍彦、これを知っているか?」 小夜子はニヤついた表情を浮かべながら、何かを龍彦に見せる。 「そっ、それは僕の!」 小夜子が出してきたのは龍彦がなくしたはずのカードだった。 「ほぉ、『僕』とな。それがお主の本当の性格か。村上」 小夜子がそういいながら手を叩くと部屋の照明が落ち、音もなくスクリーンが降りてきた。 「お主のこと少し調べさせてもらったぞ」 彼女がそういうとスクリーンに写真が映る。龍彦が取り巻きの不良連中と一緒にいるときの写真だ。 「江戸川龍彦、近所で知らない者はいない不良中の不良。喧嘩は百戦百勝、 しかし男気溢れる性格と器の大きさで不良のみならず一般生徒からも男女問わず人望が厚い。だが!」 小夜子は右端の唇を思い切り吊り上げるような笑い方をすると 「これがお主の本当の姿であろう」 強い口調でそう言い切る。 龍彦がスクリーンを見るとそこに映っているのは自室での龍彦だった。 エロゲーをやりながらニヤける龍彦。ラノベを読みながらニヤける龍彦。 フィギュアのパンツを覗き込みニヤける龍彦。そこには龍彦の真実の姿が映っていた。 それにしても・・・この龍彦のニヤけている表情は非常に気持ち悪い。 特にフィギュアのパンツを覗き込んでいる時の表情など発禁ものである。 「まったくとんだ番長がいたものよ」 「な、なんで僕の部屋が」 「甘いわ!尾ノ上家にかかればこの程度朝飯前よ」 「こんなの犯罪だよ!」との龍彦の叫びは 「法律など権力さえあればどうとでもなるものよ」 という傲岸極まりない言葉にかき消された。 「さて」 彼女はそう言いながら椅子に深く身を沈める。 「もう一度聞きたいのだが先程の我の頼み聞いてくれるかのぉ」 「どうせ僕には選択肢なんかないんでしょ?」 「まぁ確かにそうであるな。それで頼みというのがな」 彼女はそういいながらまた手を叩き、村上の名を呼ぶ。 「今日の一件を見てわかるように、最近我を付け狙う不届き者が多くての。ちと困っておるのじゃ。そこでじゃ」 彼女がそう言った時、村上が龍彦に黒い箱を持ってきた。 「それを開けるがよい」 彼女の言葉に従い、龍彦が箱を開けると中にはマスクが一つ。 メキシコのプロレスラーなどがよく着けてそうなマスクだった。 「これは?」 「いやお主には我のSPをやってもらおうと思っての。だが普通のSPではちとつまらんじゃろ? 何事も遊び心は大切であると思うしの。そこでお主にはそのマスクを被ってSPをやってもらおうかと思っての。」 あまりの話の展開の仕方についていけず固まる龍彦。 「どうしたのじゃ?このマスクのデザインが気に入らんのか?それなら他にもマスクは用意してあるぞ」 「そうじゃなくて!」 「ならなんなのじゃ?顔が隠れるから周囲の者にも気づかれずに済むぞ?」 不満そうに黙っている龍彦を見て、小夜子はため息をつく。 「もし嫌だったらやめてもいいのだぞ?」 「本当に!?」 小夜子の突然の思いがけない言葉に溢れんばかりの笑顔で答える龍彦。 しかし 「周囲の者にお主の趣味がわかってもよかったらの?」 との言葉に表情が一瞬で、その笑顔は失われた。 「あぁ、やればいいんでしょ!?やれば!」 「おぉ。そういってくれるか?そうと決まれば」 そういいながら小夜子は椅子から立ち上がり、龍彦の近くに来ると右手を差し出してきた。 「何をボケっとしておるのか?レディーが握手を求めてきたらしっかりし返すのが男というものであろう」 「あぁっ、そ、そうだね」 龍彦も握手をするために手を差し出す。 「それでよいのだ。ではこれからよろしくな」 彼女はそういいながら笑い、手をしっかりと握ってくる。 彼女の手は暖かく、笑ったときの頬はとても柔らかそうだった。 その瞬間であろうか。龍彦が彼女に魅了されたのは。 江戸川龍彦。その名を知らぬ者はいない不良の中の不良でありながら、家ではスクリーン越しの少女に熱を上げ続ける男。 そしてなんとも我侭で理不尽なお嬢様、尾ノ上小夜子のメキシコ覆面SPとなってしまった。 いったい彼が望むような生活になる日はいつなのだろうか? 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