Save The Last Dance For Me 〜ラストダンスは私に〜
シチュエーション


ダンスホールでは、たくさんの人がざわめきの中ステップを踏んでいる。
途切れることなく訪れる男たちの手を取って踊る令嬢ヴァイオラを見ながら、ウィルはそっとため息をついた。
ゆるやかにウェーブのかかった鳶色の髪をなびかせて、軽やかにステップを踏む彼女の、
悲しみについて知っているのは、屋敷の人間のほんの一部だけ。
そして、その屋敷の人間たちも今宵のパーティーを最後に、散り散りになるのだ。

―――この国は変わる。
最初にそう言われたのは、学生時代の友人のひとりからだったろうか。
ここ10年、不況に喘ぐこの国では、国粋主義を唱えるひとりの男が若者を中心に支持を集めていった。
その男が去年の選挙で政府の要職についてから、次々と制定された新しい法律により、
異民族の文化や仕事に対する締め付けが、だんだんときつくなってきている。
その事実は、古くから文化に精通し、異国のものや異民族を積極的に受け入れてきており、
当主の妻がジプシーの血を引くジェンキンス家を、この上なく締め付けていると言っても過言ではなかった。

16歳の誕生日の日に他家へと嫁いだヴァイオラは、離縁されて戻ってきた。
元から身体の弱かったヴァイオラの母親は、それからほどなく他界―――。
「ジプシーの迫害が始まる前に、国を出る」という結論に伯爵が至るまで、さして時間はかからなかった。

人望の篤い伯爵の送別パーティーともなれば、さすがに要人たちがつめかけているが、
そこに見当たらない人影が多いことにもまたウィルは気付いている。

(この国は変わる、か―――)

国粋主義に傾倒する若者の気持ちも、わからなくはない。
ウィル自身も父親の他界で学業を諦め、伯爵家に執事として仕える道を選んだのだから。
しかしジェンキンス家に帰ってきたヴァイオラの寂しげな表情を見るにつけ、
この国の進む方向に対して不安がむくむくと膨らんでいくのも事実だった。

ワルツ、スローフォックストロット、ヴェニーズワルツ…。
音楽が次々と変わる中、ヴァイオラがふと視線をこちらへ向ける。

(きれいになったな)

ウィルはふと、まだ子どものヴァイオラに始めてダンスを教えた日のことを思い出した。

(思えばあれから遠くへきたもんだ)

ヴァイオラはもう子どもではない。明日から自分は召使ではない。
ただ今宵、執事の自分が屋敷の令嬢と踊ることは許されない。それだけのことだ。
懐かしいのか、愛おしいのか。
不思議な郷愁が胸にこみ上げ、それをごまかすようにウィルはフロアから目を逸らした。

「痛っ!」

どさ、という誰かが倒れる音がひびく。
振り向くと、しりもちをついたヴァイオラの姿が目に飛び込んできた。

「ヴァイオラお嬢様!」

駆け寄るウィルに、彼女は苦笑いを浮かべて言った。

「ごめんなさい。ちょっと裾を踏んづけちゃって…」
「お怪我はございませんか?」
「大丈夫よ。」

鷹揚に微笑むヴァイオラを目で諌めると、ウィルは伯爵に退席の許可を得た。

冷やしたタオルを用意し、ベッドサイドに座らせたヴァイオラのもとへ行くと
彼女はまとめた髪をほどいて、リラックスした表情を見せていた。

「お嬢様。失礼いたします」

そう断って、彼女の足にタオルを近づける。

「つめたっ!」
「我慢してください。腫れてしまったら格好悪いですよ。」

目の前にある白く綺麗な足が気まずくて、ウィルは部屋の中へ視線をめぐらせる。
ヴァイオラの部屋に入るのは久しぶりだった。
かつて余計なものばかり持ち込み、ウィルを怒らせた部屋は
必要最低限のものしかなく、隅に荷物がいくつかまとめてあるだけだ。

「今日で最後ね。」

まるで彼の心を見透かしたように、ヴァイオラがぽつりと呟く。

「覚えてる?ウィル。私あなたにダンスを習ったのよ。」
「覚えていますとも。何度も足を踏んづけられた。」
「しょうがないじゃない。あの時は子どもだったもの。背だってかなり違ったし。」
「そうですね。しかしお上手になられました。」
「最後の最後に、けちがついちゃったけどね―――。」

ランプの灯りに照らされたヴァイオラの顔は、心なしかうす赤く見えた。

「今夜、ウィルと踊りたかったな。」
「ご冗談を。」
「本当よ。」
「お嬢様には、お相手をしなければならないゲストが沢山おられました。」
「わかってるわ。でも―――」

ふたりの間に沈黙が落ちる。
ダンスホールでは、どうやら静かなワルツが流れ始めたようだ。
思い切ってウィルは視線を上げた。

「足は大丈夫そうですか。」
「え?ええ…」
「少し、踊りましょうか。」

ヴァイオラの大きな瞳が見開かれる。ウィルは少しおどけて手を差し出した。

「今日が最後ですから。―――ヴァイオラ・ジェンキンス伯爵令嬢。私と踊っていただけますか?」

あっけにとられたヴァイオラの顔に、花が開くように微笑が浮かぶ。

「もちろん。」

ベッドから立ち上がり、彼女はウィルに身を預けてきた。

部屋の外から聞こえる遠い音楽に任せ、ふたりの身体はゆれる。
初めてダンスを教えたときは屈めていた背も、今はぴんと伸ばしたままでいい。
足が絡まるようにして転んだステップも、スムーズに運ぶ。
背中に回した手に思わず力が入りそうになるのを、ウィルは必死で抑えていた。

明日には異国へと離れていき、状況次第では二度と会うことも出来ない人に、
自分の思いを、気取られるわけにはいかない。
帰ってきてからこの半年、自分が彼女をどのような思いで見つめていたか、決して知られるわけにはいかなかった。

「ねえウィル。ありがとう。」

腕の中でヴァイオラが囁く。

「こんなに上手なのに、どうしてあの時転んだりなさったんです?」

―――理性を保つための冗談だったはずなのに。

「気付かなかった?」
「え?」

視線を上げるとそこには、ひそかに思った人の黒い瞳があって。

「私、ずっとあなたを見てたのよ。」

―――限界だ、とウィルは思った。

そしてそのまま足を止め、なりふり構わず彼女を抱きしめた。
一瞬身をこわばらせたヴァイオラの顎を持ち上げ、深い口付けをする。
唇を舌でこじあけ歯列をなぞると、彼女もそれにおずおずとこたえてきた。
角度を変え、高鳴る鼓動を感じながらひたすら貪りあうようにキスを繰り返しながら、
ウィルはヴァイオラをベッドの上に横たえた。

後戻りはできない。
かといって未来を約束しあうこともできない。
そんな狭間で大事なお嬢様を抱こうとしている残酷さを打ち消すように、
ウィルは彼女のドレスに手をかける。
胸元をくつろげ、肩をあらわにさせ、しずかに洋服を剥いでいくと
みずみずしい果実のような白い裸身があらわになった。

「綺麗です」
「やめて、恥ずかしい」

そんな姿のままで恥らうヴァイオラが愛しくて、思わず抱きしめ口付ける。
ドレスの上からではわからなかった、思いの外ゆたかな乳房に指を這わせると
彼女ははじめて「あ、」と高い声をあげた。

そのままゆっくりと、ヴァイオラの胸を揉みしだく。
ふんわりと柔らかな触感を楽しみながら、もう片方の乳房の先を舌で転がす。
時折ひくり、と動く彼女の身体が愛おしくて見上げると、自分の指を口元に当てて
声を立てないようにしているのが目に入った。
ウィルは手を伸ばし、指をつなぐと囁いた。

「声を聞かせてください。」
「あ…んっ…気持ち良すぎて…」
「大変にお可愛らしい。」
「やあっ…ウィル。そんなこと…」

身体をくねらせるヴァイオラが愛しくて、彼は乳首の先端を甘く噛んだ。
舌先でねぶり、指でつまんで丹念にほぐすと、彼女は高い声をあげて背中をしならせた。
がくがくと震え絶頂を知らせる身体を抱きしめると、彼女は背中に腕をまわしてくる。
息をはずませぎゅっと抱き合い、ふたりは再び唇を貪りあった。

「ウィル…」

かすれた声でヴァイオラが誘う。
と、熱を帯びた瞳でウィルを見つめた彼女の白い指が、彼の中心を優しく掴んだ。

「いけません。」
「いいの、私がしたいのよ。」

いたずらっぽく微笑むと、ヴァイオラは指で彼自身を刺激し始めた。
ときに強く、ときに柔らかく緩急をつけながらそこを擦られて、
ウィルは全身の血液がかあっと熱くたぎるのを感じた。

「お嬢様…」

そう呟くと彼女の手を取りベッドに再び押し倒す。
口付けをしながら指で触れた彼女のそこは、もう充分なほど熱くとろけきっていた。

「いいわ。来て。」

掠れた声に誘うような目つき。ランプに照らされた白く美しい裸体。
ウィルが大事に育てた、愛しく懐かしいお嬢様―――。

大事にしたいのに、めちゃくちゃにしてしまいたい。
そんなぐちゃぐちゃした思いに心をかき乱されながら、ウィルはヴァイオラの中へと分け入った。

「ひあぁぁんっ!」

それだけで彼女は軽くイってしまったらしく、熱くたぎるそこがひくひくと彼自身を締め付けている。
矢も盾もたまらず、彼はゆるゆると動き始めた。

「お嬢様…」
「はぁっ…んっ…お嬢様じゃ嫌…名前、呼んで・・・!」

快感に攫われながら、彼にすがる彼女は見たこともない女の顔をしていて。
キスを繰り返しながら触れる彼女の身体は、どこもかしこも柔らかく滑らかで。

「ヴァイオラ…」

思わず喘ぎ声を漏らしそうになりながら、ウィルが彼女を見つめて囁くと、
熱に浮かされながらヴァイオラは艶やかな笑顔を見せた。

「ウィル…好きよ…」

止めることなどできない、とウィルは思った。
蕩けきっているのはつながっている部分だけではない。肉体だけでもない。
心の底まで溶けてしまいそうだった。

「やん!ひゃっ…ああっ」

だんだん高くなる声が、ヴァイオラの絶頂が近いのを伝える。

「ウィル、私もう…」
「ヴァイオラ、一緒に…」

そう言ってウィルはヴァイオラの最奥を激しく攻め立てる。
ひときわ甘く高い声をあげたヴァイオラが背中をしならせ締め付けると、
ウィルはぎゅっと抱きしめた彼女の奥へと精を解き放った。

はあはあという荒い息づかいが、薄明るい部屋に静かに響く。
軽いキスをして自身を引き抜き横たわると、ヴァイオラは甘えるように身を寄せてきた。

「お嬢様。」
「駄目。名前で呼んで。」
「あ…ヴァイオラ。」
「もう!どっちでもいいわ。仕方のない人ね。」
「はあ…」
「私子どもの頃、パパよりもウィルのほうが怖かったのに。」
「そりゃ、大事なお嬢様ですから。」

ヴァイオラはふふふと笑うと、目を閉じてウィルの胸元に頬を寄せてきた。

「昔こうやって添い寝してくれたわね。私が怖い夢を見た夜は。」
「ええ。」

ジェンキンス伯爵は、そういうことに目くじらを立てない人だった。
それだけ周囲の人間を信じ愛する賢人が、こうして国を追われようとしている。
そしてその娘であるヴァイオラも。

「私が寝るまで一緒にいてね。怖い夢を見ないように…」

声はふざけた調子を作っているが、ウィルに向けた眼差しは真剣だった。

「もちろんです。だから、安心してお休みなさい。」

そう言って微笑むと、ヴァイオラは安らいだ笑顔を浮かべた。
それから彼女の寝息が聞こえてくるまでは、たったの5分ほどで。

――なぜ彼女が去っていかなければならないのだろう。
腕の中で眠るヴァイオラを見ながら、ウィルの心は悲しみで満ちていた。
ほんの2年とはいえ嫁いでいた彼女が生娘でないことくらいは、とうに理解していた。
しかし政情が不安定になっただけで花嫁を手放すとは、あまりに残酷ではないか。
決して幸せだったわけではない2年が、ヴァイオラに教えたことの非道さ。
そして彼女を抱きながら、口に出して「愛してる」とも「好きだ」とも伝えられない自分の不甲斐なさ―――。

本当ならこのまま、彼女を奪って逃げてしまいたい。
けれど一体どこへ?
暗い方へと転がっていくこの国のどこで、ウィルのような若造が彼女を幸せにできる?
腕の中の彼女はとても暖かいのに、彼の心は冷たい雨に打たれたようで。
部屋を立ち去る前に、ヴァイオラにそっと「愛しています」と呟くだけで精一杯だった。

いつの間にか、ゲストは皆帰ってしまったらしい。
忍び足で廊下を歩き自室に戻ろうと急いでいると

「やあ、ウィル。」

…後ろから聞こえたのは、この家の当主・ジェンキンス伯爵の声だった。

―――どうやら一番会いたくない人に、会ってしまったらしい。

背筋がひんやりとするのを感じながら振り向くと、彼はにこやかにこちらへ向かっていた。

「すまなかったね。ヴァイオラときたらうっかり者で。」
「いえ。お怪我はたいしたことがないようで、何よりです。」
「そうか…」

伯爵はふと窓の外に目を向ける。外には満天の星空が広がっていた。

「この家で見る星も、今日が最後だな。君には随分世話になった。」
「とんでもございません。私こそ、何もできない学生だった頃からお世話になり感謝しています。」
「なに、君の人柄に惹かれただけさ。私は身分や出自など気にしない性質だからね。」

そういう人だから付いてこれたのだ。そういう伯爵だから、別れがこんなにも惜しいのだ。
ウィルは自分の胸が熱くなるのを感じていた。

「心配しなくても、こんなことは長くは続かないさ。」

彼の心を見透かすように、伯爵は言葉をつないだ。

「続くわけがない。こんな風に偏った考えの世界が…」

伯爵の声が震え、途切れる。
何を話して良いのかわからないウィルは、ふと思いついたことを口にしていた。

「ご主人様…今夜のダンスパーティーですが。」
「何だね。」
「どうして踊られなかったんですか。お上手ですのに。」

ウィルの質問に伯爵は、はは、と軽く声を立てて笑った。

「本当はラストダンスくらいは、と思っていたんだがね。」
「―――え?」
「私の愛する人のひとりはこの世にはいないし、もうひとりは…他の男に取られたようだ。」

その言葉の意味に気付いて、ウィルは固まった。

「ま、それも今宵限りだと思えば、咎める気にもならないさ。」

伯爵は暖かな目で彼を見つめている。

「もし君が―――」

言いかけた伯爵をさえぎり、ウィルははっきりと宣言した。

「必ず迎えに行きます。」

伯爵は微笑を浮かべて、また窓の外へと視線を戻した。

「期待しないで待ってるよ、ウィリアム・ハーネット君。」

ジェンキンス家が馬車で国外へと旅立ったのは、それから数時間後のこと―――。

そして2年後。
外国暮らしから戻ってきたジェンキンス伯爵の家のパーティーで、
異国でビジネスを成功させたウィリアム・ハーネットという若者が、
ヴァイオラ・ジェンキンス伯爵令嬢にラストダンスを申し込んだのは、また別のお話。






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