アリスのエステ紀行(非エロ)
シチュエーション


エントランスホールに立つ柱から金髪の端がヒョコヒョコはみ出ている。

(正面玄関に潜入成功!……むむむ、お客は小洒落たおじ様ばっかりですねぇ)

柱の影に身を隠したアリスは慎重に周囲を盗み見た。
辺りに広がるのは極めてリュクスな空間だった。
吹き抜けの広々としたロビーは全面黒の大理石張り。研磨された壁の表面に砂金のような
細かな模様が入っている。しつらえられた家具調度も全て黒地にゴールドのアール・デコだ。
事前にアリスがホームページでチェックした情報によると、
ロビーは日本の漆塗りをイメージしたデザインらしい……。でも、ウルシヌリってなーに?
アリスにはまるで見当がつかなかったが、恐らく黒くてツヤツヤ、ギラギラしたグロテスクな物だろう。
ソファーを立ったおじ様が近くを横切り、アリスは慌てて柱の向こうに引っ込んだ。

ここは、ネイルサロンからスパに宿泊施設まで、あらゆるサービスを内包したメンズエステの総本山。
お金をたっぷり注いで男を磨く、魅惑の高級リゾートなのだ。

(はー、ここで無数のおじさんが世俗の垢や加齢臭を落としてるんですなぁ。……なんかきちゃない)

思わずおでこに皺を寄せる。
十代少女の残酷な価値観の前では、おっさんの皮脂など激毒に等しかった。

(そういや建物全体がオーデコロン臭い気が……!おっさんによる大気汚染の影響か!)

思わず小さな鼻と口を手で覆った。
呼吸を止めると頬がリスようにぷっくり膨らむ。く、苦しいけれど、肺までおっさんに侵食されたくない。
その時、

「公共の場での奇行は自重して下さい」

冷たい言葉と共に天から手刀が落ちてきた。
脳天に直撃を喰らったアリスは「ぶぎっ!」と勢いよく空気を吹き出す。

「まったく。チェックインを済ませる間大人しく座っているようにと言ったはずですが」

よろめくアリスを見下ろし、エドガーは細い眉を僅かにひそめた。
エドガー先生、御年四十六歳。壮年の独身貴族である。

(いったたたぁ……!ちょ、ちょっと静かにしてよ。私は今潜伏中なんだから!
騒ぎ立てて女の子が居るってバレたらつまみ出されちゃう!)

何やらメンズエステという場所を凄まじく誤解しているようで、アリスは辺りを気にして声を潜める。

「まさかとは思っていましたが、アリス様のそれは男装のおつもりですか?」

アリスの服装を顎で示して問うと、真面目な顔で頷かれた。
今日のアリスは白いシャツにアーガイルのベスト、茶色のキュロットで
お坊ちゃん学校の制服風ファッションだ。ダブダブのベストで体を洋梨型に覆っているため、
ぱっと見は女の子だか男の子だか判別がつかないかもしれない。

(お嬢様からお坊ちゃんへ、アリスの変身能力はついに性の壁を越えた!)

えっへん!とアリスは内股ぶりっ子ポーズを決めた。
キュロットから零れたふわふわの内ももが擦れ合い、グレープフルーツの香りが弾ける。
ぴっちぴち。ふんわふわ。おっさんの世界を切り裂いてアリスの半径50センチが甘く染まった。

「……」

エドガーは迅速だった。
トランクを持つと凄まじい早足でエレベーターホールへ。
フロント前のスタッフが荷物持ちと部屋への案内を申し出るが、軽く手で制してそのまま直進。
エレベーターに乗り込み間髪入れずにドアの閉めるボタンを連打。連打連打連打。

「わー!ちょーっと待ってってば!」閉じる寸前のドアから金色の影が転がり込んで来た。
「どうして大切なお連れ様を放置しようとするのかなぁ!」
「置き去りにしようなどとは思っていません。小娘の香害から避難しただけです」

お気に入りのフレーバーソープをけなされアリスは唇を尖らせる。
グレープフルーツの香りには美容効果があると言われてるのに。先生の無知!阿呆!
口に出したら最後恐ろしい目に合うので、黙って壁の四隅の角をツンツンいじくった。

「……それにしても、先生がエステ通いしてるなんて意外だよ。先生も美しくなりたいの?」
エドガーが無表情で「身嗜みです」

と返す。
流石は潔癖症の神経質。全身きっちりケアしないと気が済まないらしい。

(オフはせっせとボディケアねぇ)

苦節八年、やっとこさ先生の休暇スケジュールを暴けたというのに、内容は割りかし普通ですにゃー。
アリスは眼鏡の横顔をまじまじと見つめてしまった。
そう、エドガーのオフは今まで謎に包まれていたのだ。

屋敷に住み込みで働くエドガーだが、一年中業務に縛り付けという訳ではない。
季節毎に長い休暇を貰ってはプイとどこかへ消えてしまう。遊びに行くのか、はたまた故郷へ帰るのか、
出掛ける先は雇い主であるアリスパパですら分からない、完全プライベートのホリデーだ。
毎回エドガーが旅立った直後は、うるさい監視役が消えてせいせいしているアリスだが、
一週間も経てば何となくつまらなくなってくる。
残された宿題にぼちぼち着手し、一人ぼっちで予習復習。
さらに幾日も過ぎ、ようやくエドガーの帰還が近付く頃にはすっかり萎れ、
大きな目を曇らせている。
親の迎えを待つ子供のように、玄関アプローチにしゃがみ込んでエドガーの乗るハイヤーの到着を待つ……。
うう、侘しいよ……。
そこで今回、「私も先生と一緒に行きたいよ」と、駄目元で我が儘を言ってみたのだ。

(うふふー、まさか先生がOKをくれるなんてね。言ってみて良かったぁ!)

アリスはころんとした小顔を綻ろばせた。
パパの目の届かない場所で二人してお泊りだなんて、とってもいかがわしい感じ。
これはやはり、あちらもキケンな恋の過ちを起こす気満々だとみて間違いない。
嗚呼、ついに先生もアリスのラブリーな肉体美に理性を保てなくなったのね。
普段から何かとパンツを見せたり胸を押し付けたりと、地道な色仕掛けを重ねた甲斐があった。
エドガーをアリスの虜にしてしまえば、屋敷内でアリスの自由を遮る人間はいない。お勉強もサボりほうだいだ。
わーい、しゃーわせー。
己の欲望のために大人の男をたぶらかすとは、なんという小悪魔か。いえ、これはもはや魔王、悪鬼の所業よ。

「いやーん、地獄に落ちちゃう」
「どうぞご勝手に」

エドガーの声に被って、チンとベルの鳴らしてエレベーターのドアが開く。
そこは最上階。二人が泊まるスイートルームはすぐそこだ。

「では、私はこれからマッサージの予約がありますので」
「へ?」

突き放すようなエドガーの言葉にアリスはしばし唖然とした。
部屋に着いた途端押し倒されるかもと身構えていたのに、酷い肩透かし。
エドガーはトランクの荷を手際よく解きながら衣類をクローゼットへと移している。

「マッサージって、つまり、先生はエステティシャンさんに肩や腰をモミモミされる――」
「はい」
「――で、モミモミされつつ、先生はアリスのお胸をモミモミするということなのかな、流れ的に」

ベストの下の乳房をたゆんたゆんと揺らして一生懸命アピールするが、黙殺された。揺らし損だ。

「よ、予約って何時から?」

必死で取り繕うアリスをエドガーは一顧だにしない。手を動かしたまま「四時です」と事務的に吐き捨てる。
えと、今は何時だ。
アリスは時刻を確認しようとキョロキョロ室内を見回したが、壁にもデスクにも時計が見当たらなかった。
ゲスト達が時間を忘れてくつろげるよう配慮してのことだろうけど、なんと不便な。
しょうがないので、作業中のエドガーの左腕にそーっと接近し、腕時計を覗かせてもらう。

「えと、今は三時半か……。で、四時から何十分くらい時間がかかるの?」
「予約しているのは二時間のコースです」
「ふぁーー!?にじかーん?」

絶句。
それにしても、
時計が無いだけでなく、部屋には物が少なかった。二人がいる居間からは寝室と浴室が見渡せたが、
白壁と無骨な梁が延々と広がるばかりで、家具は最低限の黒檀のテーブルや桐のチェストしか置かれていない。
過剰な装飾を削ぎ、空白を活かす和のインテリアはアリスにはなかなか理解しがたい。
こういう場所に一人で残されてもつまらんじゃないか。

「ねー、到着早々アリスをほったらかしにするの?」

ついつい口を尖らせる。

「元々私の個人的な旅行にアリス様がイレギュラーに同行したのです。アリス様の予定など存じ上げません」
「つまんないよー!何もすることないよー!」
「ならば、その辺りの路傍の草でも召し上がっていて下さい」

家畜か。

「ふぎーーーーっ!」

アリスは癇癪を起こしてその場でピョンピョコと飛び跳ねた。その怒声は正に小豚だ。






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