シチュエーション
![]() エンジンの音が静かになっていた。 閉じていた目をあけると、窓の外は船着場の景色。 そう、ここはディナークルーズの始まり、そして終点。 振り向くと、何人かのひとが階段を下りていくのが見えた。 この部屋に残っているのは、もう私たちだけ。 背中に顔を埋めた。 あんなに楽しかった時間が、もう終わろうとしている。 私の心をふさぐように、出口のない寂しさがつのっていく。 声を上げて泣きたい気分だった。 田中さんがそのままの状態で振り返る。 そして、私の耳元に口を寄せ、一語一語確かめるように言った。 「さっき車置いたホテル。あそこに、 部屋…予約してある…えっと…」 そして私に背中を見せて、言葉をつなぐ。 「無理にとは、言わないから……」 …うれしかった。 まだ、一緒に居られる。離れなくてもいいんだ! 「行きましょ?」 その言葉を口に出すのに、ためらいなんか全然なかった。 振り向いた田中さんは、私の笑顔に安堵の溜息をついた。 腕を組み、肩を寄せ、一緒にタラップを降りる。 その部屋からはブリッジの全景が見えた。 上端のライトは、光の帯となって夜空に向かい曲線を描いていた。 ときおり、ライトアップした船がその下をよぎる。 水面に映った光たちは、混じり合い、さざめき、きらめく。 そんな景色に見とれていた私の体が、後ろから抱きしめられた。 首筋にキス。右、後ろ、左。順番に。やさしく。 くるっと振り向かされる。 じっと見つめられて…目を閉じるしかなかった。 唇が重なる。 伝わってくる思い。そして伝えたい思い。 沈黙の中、いきかうふたつのことばは、すこしの違いも無かった。 私の唇が強く吸われ、舌は二人の唇の境界線を越える。 狭い口の中で、あきることなくからみあう。どこまでも淫らに。 背中を押さえる手がときおり位置をかえる。 それを中心にして、暖かさがそのたびに広がっていく。 密着する胸。乳首は固くなってブラの内側に当たってる。 気づくと両手が私のお尻へと移動していた。 しばらく柔らかくなでられて、突然強くつかまれた。 そして引きつけられ、腰に強く押し当てられる。 おなかに硬いものがあたっている。それはかすかに脈打っていた。 体の芯がうずいた。 奥からあふれるものは、あっというまにすきまをすみずみまで満たす。 ひとつの思いが心を占領する。他の全てを押しのけて。 満たして欲しい… 何も考えられなくなるくらい…すきまなく…うずめつくして… そんな今の自分がとても淫らに思え、とまどいをおぼえても、 「うずき」はとっくに私の身も心もとらえていて、 押さえることなど出来なくなっていた。 そんな思いにこたえるように、 抱き上げられ、ベッドの上に降ろされる。 上から重なって、キスされた。 いとおしくて、そのたまらなさに広い背中を力の限り引き寄せる。 激しく唇を動かし、自ら執拗に舌をからませた。 与えられぬもののもどかしさは、くるおしい切望へと変わる。 期待に腰が知らず知らずうねる。止めようも無く。 体が…離れようとしている? だめ!いやだ!行っちゃダメ! そう思って、あわててしがみつく。 「カーテンが、あいたまま、だから……」 そのことばにあわてて腕をゆるめる。 私、なにやってんだろ。自分のしたことが恥ずかしくて、目を閉じる。 歩く音。カーテンを閉める音。再び近づく気配。 胸のところ… ブラウスの1番上のボタンが…今、はずされた。 反射的にその手をつかんでしまう。息をつめる。 私の手はやわらかく押しのけられた。 息を吐き出したとき、2番目のボタンがゆるめられる。 あっというまに1番下まではずされ、ゆっくりと前が開かれる。 ブラに覆われてない乳房のうえのほうに、やさしくキスが降った。 スカートもストッキングも、何もかもが剥ぎ取られ、裸にされる。 少しの間を置いてベッドが揺れ、体全面にいちどきに触れるものがある。 素肌が重なる。首に回された手が私の頭を支えるようにして、 唇が奪われ、同時に髪がなでられる。 ……体のあらゆる部分がこの人を欲しがっている。 ……髪の一本一本までが、触れ合いたいと泣き叫んでいる。 どうしようもない思いの中、私は両足を持ち上げて、腰をはさんだ。 からみつけるように、濡れた部分をおしつける。 そうしたくて動いたことが、なおさら「うずき」に火をそそぐ。 お願いを、私は口にした。 淫らな女と思われることの恥ずかしさよりも、 湧き上がる渇望のほうが私を支配していた。 入り口を探す動き。 もどかしさに、腰が知らず知らずうねってしまう。 ふとしたはずみで、位置が合った。 押し分けるように進んでくるもの。 それによってふたつに開かれたその部分が、卑猥な音を立てた。 恥ずかしさと、そして同じぐらいの欲望の強さに気づかされ、 目の前の胸に顔を埋めて、表情も思いも見えないようにした。 でも、つづいて中ほどまで埋められたとき、 その努力はすぐに意味を無くしてしまう。 もっと奥、お願い、もっと… 私はありのままの欲望を、はばかることもなく告げる。 そして…ついに私の中が、固くなったもので埋め尽くされた。 こみ上げる快感の中で、息をすることも出来ず、 ただ強く抱きしめることしかできない。 ゆっくりと、ゆっくりと押し付けられ、ゆるめられ… そんな動きが始まったとき、 さっきの快感がほんの子供じみたもののように思えるほど、 あらがえない巨大な波に私は襲われる。 奥ののあらゆる場所にまんべんなく刺激が伝わり、 吸い込んだ息を吐き出すことも出来ず、ただなすがままになっていく。 私の意識とは無関係に、 奥のほうの場所が、つかみ、こねて、吸いこむようにあやしく動く。 訪れたものとたわむれるように、いくども。あきることなく。 そしてそのこと自体がもたらす強い快感が、さらに私を押し上げていく。 さきほどまでの押し付けるような動きが、今、少しずつ変化している。 押し込まれたあと、少しだけ引かれて。 そのたびに、私の入り口の部分が引きずられながら、 まるで意思を持っているみたいに、まとわりつこうとしている。 全ての感覚が、私の中で動き回るものに集中してしまう。 引かれたものが次に押し込まれるのさえ待ちきれず、 自分から腰を動かしてしまう。 淫らに思われることなど考えもせずに。 多分うわごとのように、 「好き」とくりかえしていたと思う。 快感よりももっと強くこみあげる、 私の思いをどうしても伝えたかった。 激しい動きの中、 私の名前が呼ばれる。唐突に。 薄れゆく意識がその言葉で呼び戻され、 目を開けようとしたときに、最後の一撃が私を襲った。 突き抜けるほど…奥まで… こらえきれないほどの快感で、体中が満たされる。 意識が途切れた。 それはほんの数秒だったと思う。 目を開けると、田中さんの顔が目の前にあった。キスをされた。 おだやかなキスとはうらはらに、 繋がったままの場所は、 余韻を楽しむように、いくども締め付ける動きをくりかえしていた。 挿入されているものの形が、いやというほどはっきりわかる。 今、この人と私はつながっている。 いとおしくて、うれしくて…… 唇をむさぼるように押し付けてしまう。 ことばが…見つからない… そのとき私に出来たのは、 肌がより多くの場所で触れるように、強く抱きしめることだけ。 ただ、それだけだった。 そして、それで充分だった。 「ほほ〜うんうん。…なるほどね。 あんな地味な顔して。あ、ごめん。気にしないで。 いやぁ結構やるもんだから、ちょっと驚いた。 つかみはアクセサリーで、今してるのがそれ? 君枝ちゃんによく似合ってるよ。センスあるね〜、彼氏。 お次がクルージングディナー。 そして、海の見えるホテルの部屋がとってあって…と。 やるな〜敵ながら見事だ!」 「それでさ。やっぱりとことん、イかされちゃった…のかな? もしかして、前よりもっとよかった…とか?」 「ふふ。いいよいいよ言わなくても。その顔見てわかったから。 女の喜び200%って感じだね」 「でも、聞くんじゃなかったな〜 ここんとこ男日照り続きだもんな、私。 つまみぐいでもいいから、ラブアフェアすっか。 君枝ちゃん見習って。うん、そうしよ!」 それから、月に何度かデートをした。毎回、違うところに行った。 ステキなクラッシックの生演奏のある店でフルコースだとか、 イタリア人のシェフがピザの事を教えてくれるお店とか。 渋谷の焼き鳥屋さんとか。 横浜の中華街に行って豚まんをかじって歩くデートもあった。 私の行ったことのない、いろんな所に連れて行ってくれた。 食事が終わり、店から外に出て歩き始めると、 腕にぶら下がるようにしがみついてしまう。 もっとそばにいたい。肌を触れ合っていたい…… そんな思いで胸が一杯になってしまう。 じっと待ってる。ひとつのことばだけを。 不意に立ち止まり、私を見て、ひとことだけ。 顔を上げてうなずくとき、私はぎごちない顔をしてると思う。 うれしいのだけど、こんなあからさまなおねだりをする自分が一方で恥ずかしくて。 部屋に入ると、まずお風呂。 抱っこしてもらって、落ち着くのがお決まりの手順。 そこでは、私はおしゃべりになる。 他愛もないことを次から次へと。 ちょうど、幼稚園から帰ってきた子供が、 その日あったことすべてを母親に話すみたいに。 すべてのものから解き放たれていく時間。 二人っきりの部屋。あたたかいその腕の中で。 さっきまで私の胸の先端を舐めていた舌と唇が、 今、少しずつ下の方へと向かっている。 わき腹を伝わり、腰骨のところで一度止まった。 方向を変え、 もものくびれをなぞるように、ゆっくりと中心へと移動を続ける。 たどり着くだろう場所のこと。その目に映ってるはずの私の姿。 顔と体が急に熱くなる。 反射的に腰をひねろうとした。 でも両手が私のお尻をつかんでいて、ピクリとも動かない。 あきらめるしかなかった。 私の中心のすぐそばまで近づいたとき、唇が離れる。 陰毛のそばにとどまったままの顔。 期待とおそれで詰めていた息を吐き出す。 それでも、敏感になってしまった体は、息がかかるたびにピクッとなる。 お尻にあった手が両足をつかむ。 そしてゆっくりと外側に押しやられた。 とっさに手で隠す。 無言のまま、手にキスされた。 さとすような柔らかいその感触に、手足の力がじょじょに抜けていく。 音のない言葉が緊張をほぐしていく。 手がはがされ体の横にそっと置かれた。 直接、触れることはしない。 でも、唇がほんの数ミリのすきまを保ったまま、 はざまのすぐそばを、上から下へと動いているのがわかる。 かすかな動きをとらえようと、感覚がそこに集中する。 うぶ毛の先までが官能を捉えるために鋭敏になっていく。 上から下、そして下から上、いくどもくりかえされる。 そしてひだの横に感触。そのまま粘りつくように舌が上下する。 反対側も同じようにやさしく。 閉じられたままの部分を無視するように、 いかにもそれが最終目的だったかのように。 私の奥のほうが、かすかに熱くなって、うごめいた。 そこから入り口の方へと、何かが伝わって… いやだ。 もう、中で…あふれて……いる… そう思ったとき、クリトリスに圧力を感じた。 覆っているものの上から。 下に向かってはじくように動いた。 強烈な刺激に思わず声が出てしまう。 舌は、そのままひだの頂上をたどって順繰りに下へと進んでいく。 一番下にたどり着き逡巡するようにとどまっている。 しばらくそうしていたかと思うと、かすかな圧力。 閉じられたものをかき分けて、もぐってくるやわらかさ。 あふれ出る粘液に満たされていた場所は、 あまりにもあっさりと二つに分かれる。 粘膜が外気に触れた感触とともに、あふれ出すものを感じた。 舌は左右に大きく開くように動き、 すくい上げたられたねばりを周囲に塗りこめている。 クリトリスの上にも垂らされたあと、 その周囲を、じらすように舌がくるくると回転する。 そしてまた、包皮の上に置かれる。 息を詰める。 軽やかな一撃。 「ダメ!」 そんなの…ダメ… 支えがほしくて、空いた手で頭をつかむ。 すぐさま強い力ではがされ、手首を握られ自由を奪われる。 そのあいだも、執拗に刺激が続けられる。 背中に力がはいってしまう。 拘束され身動きできないことに、恥ずかしさがつのる。 次々と押し寄せる快感は体中にいきわたり、 それが衰える間もなくつぎの刺激がくわえられ、 硬直した体が弛緩する間もない。 息ができない。 もう…だめ…いや…そんな… そんな私の様子を見て取ったように、両手が乳房をつかむ。 指が器用に乳首をはさんで転がし始める。 あっ! イク…… 胸の上の両手を思いっきりつかむ。 次の瞬間、 真っ白なものが私の視界と意識の両方を埋め尽くした。 目を開けるとそこには田中さんの顔があった。 今、わたしがイってしまったところを、 見つめていたはずのその目。 恥ずかし過ぎる。目を閉じて顔をそむけた。 太ももが私の両足を跳ね上げる。 硬いものが入り口にあたる。 中に入ろうとはしないで、ゆっくりとひだの中を上下している。 先ほどの愛撫で濡れきっている場所から、そのたびに音がする。 動きが止まり、入り口にあたってる。 たぶん何の抵抗もなく奥まで入るはずなのに、 ゆっくり…押し広げるように…確かめるように… 感じるのは…言葉にできないくらいの…うれしさ 奥までおさめられたとき、こらえきれず唇を求めた。 むさぼるように吸い、舌をからめる。 いつしか私の口の中へ侵入した舌は、 性器のように粘膜を刺激し、蹂躙し始める。 間違いなく、口の中でも私は犯されていた。 執拗な愛撫に、より多くの官能を求めながら、 男の欲望をただ受け止めることに喜ぶ女となって。 下半身から別の動きが伝えられる。 体すべてが虜となって、私をとどめるものはなにもない。 うれしさを言葉であらわし、抱き寄せ、要望する。 徐々に早くなっていく動き。 あっ…いく… そう思ったのもつかのま、絶頂がすぐに私を襲った。 しかし動きはとまらない。 官能のカーブが下降線を描き始める前に、 なおも激しく、わたしの中へとつぎつぎと押し込まれるもので、 すぐさま新たな絶頂へと押し上げられる。 そうして、 立て続けに、いくども達してしまう。 私は、確かに愛されている。 この人に。 * * * * * * * * * * * * * * * * * 「で、なんなの?用って?」 「えぇ、あの、ヒカリさんにはちゃんと話しておきたいと思って」 「なによ、急にあらたまって」 「私……お店やめようと思って……」 「そんな、突然……でもないか。 君枝ちゃんがいつ言い出すかなって、正直、思ってた」 「?」 「ぶっちゃけ、彼氏以外の男に抱かれてるのがつらくなった。 そうでしょ?」 「…ええ…まぁ」 「だよね〜」 「あの…ヒカリさんにはとってもお世話になったし、 だから、ちゃんとお話しを」 「いいのいいの。たいしたことしてないし、私。 気にしなくていいの」 「待てよ…ということは、借金はもう?」 「ええ。あらかた返しました。あと、当座のお金も残ってます。 それに知り合いの人に、次の仕事紹介してもらえましたし」 「すごいね。半年で全部返したんだ。ふ〜ん。 入ってきただけ出て行っちゃう私とは人種が違うのかぁ」 「あまりここでの仕事が長くならないうちに、 地味な生活に戻ったほうが、君枝ちゃんにとってはいいかもね。 もともと、ここに来たのが間違いみたいな感じだし」 そう言って、ヒカリさんはタバコに火をつけた。 「ところで、彼氏って…たしか所帯持ちだったよね?」 「えぇ」 「…余計なお世話だけどさ、あえて言うよ。 いずれさ、傷つく日が来る。だよね?覚悟はできてる?」 最初のデートの日。 田中さんは私に、家族がいることを告げた。 そして、家庭を壊す気もないと。 遊び… 普通ならそう考えるべきだろう。 でも、それでもいいと思った。 あの人は私にとって世界で一人。一番やさしい人。 そのぬくもりは、いつだってやすらぎを与えてくれる。 腕も体も、手も指も、笑顔も言葉も。 すべてが私を幸せにする。 かなうものなら、 あの人の腕の中で朝を迎え、 陽のあたるダイニングで、コーヒーをのんびり味わいながら、 たわいもない話をしてみたい。 さぁ、今日はどこに行こうか?って… でも、もしも私が、かたくなにそれを望めば、 手の中にある何もかもが消えうせてしまう。 私は、その話を聞いたときに心に決めた。 ただあの人を愛することに。 「ええ、じゅうぶんに考えました」 「そっか。…じゃもう言わない。幸せになんなよ」 ヒカリさんのそんな優しさに、思わず涙があふれた。 「こらこら!君枝ちゃん! 言ったそばから泣いてちゃ、先が思いやられるじゃない?」 新しい職場は、工場の入出庫を管理するところ。 重たいものは若い男の人がやってくれるので、 私はほとんど電話番のようになっていた。 とはいっても、電話、FAX、メールと、 さまざまな形でひっきりなしに入ってくる出荷依頼を、 整理してきちんと伝票に打ち込むのは、思ったより大変だった。 間違えないように必死の毎日。 つくづく物覚えが悪い自分を呪ってしまう。 小学生の頃からなにも変わってない自分がいた。 それでも1ヶ月を過ぎた頃、なんとか仕事に慣れることができた。 二人でお風呂につかりながら、 新しい職場での話をいろいろとする。 めちゃくちゃな時間に納期指定する営業さんの話をした時には、 めずらしく怒ってしまって。 そんな反応もうれしくて、子供のように抱きついてしまう。 甘えてしまう。 「がんばりすぎてない?」 耳元でそう言われた。 ひとつだけ、私は心に決めていたことがあった。 どんな意味でも、この人に負担をかけたくはない、と。 一人でちゃんと生きてる女として、 何も考えずに愛していたかったし、愛されたかった。 そしていつか、どうしようもなく別れる日がきても、 大人でありたかった。 泣いて引き止めることはしたくない。 自分のために、そしてこの人のために。 「よしよし。大変よくがんばりました。 じゃ、がんばりやさんには、特別なごほうびをあげましょう」 「え〜なんだろう?」 答えの代わりに、 私の太ももの上をてのひらが滑るように動き始める。 お湯の向こうにゆらゆら揺れる手、 そして足からやってくる微妙な感覚。 いつのまにか首筋にあてられた唇。 背筋をかけのぼる快感が徐々に増していく。 「これの…どこが…とくべつ…なの…」 「あ?あぁ。いつもより心をこめた愛情表現、ということで」 「そんな…あっ!」 腿の間に来ていた指が、突然クリトリスを包皮越しに刺激した。 反射的にその手をつかむ。後ろに首を向けた。キスされる。 包皮越しの刺激はその間も止まらない。 「ね?どう?」 「ずる…い…ウッ」 何度もくりかえされる愛撫に、言葉がどうしても途切れてしまう。 もたらされる心地よさの中、 問い詰めることより、官能に身を任せるほうを私は選んだ。 包み込まれるように両腕に抱きとめられ、愛撫が続けられる。 そしてすぐに、いつもとおなじように。 私が発したため息とも悲鳴ともつかぬ声が、 バスルームにこだましていた。 それは、自分の声とも思えないほど、淫らな女の歓びの声。 「出よう。このままじゃのぼせちゃう」 抱きかかえられるように連れ出され、ガウンをかけてもらい、 籐の椅子に座る。 二人で冷えたビールで乾杯した。 「それで…はいこれ」 「?」 「いらないの?『特別なごほうび』なんだけど」 紺色の紙で出来た小さな手提げ袋が、手の中に置かれた。 促されるまま開けると、小さな箱。 中身は、ピンクの石がペンダントになったネックレス。 宝石には詳しくないけど、とっても綺麗だった。 「はい」 私の手から奪い取ると、背中のほうにまわって、 うしろから付けてくれた。けっこう器用に素早く。 手際のよさに驚かされる。 有無を言わさず手を引かれ、鏡の前に連れて行かれた。 「ほら。お嬢さん、とってもお似合いですよ。 このピンクトパーズはね、付ける人を選ぶんです。 肌の白い方じゃないと、正直きついんですよね〜、これ」 おかしいくらいまじめくさって、店員になりきってる。 鏡の向こう。おそろいの白いガウンを来た二人。 私の後ろから、片手はゆるやかに私のウェストに回され、 もう一方の手は、私の髪をかきあげて肩へとおしやる。 胸元に輝く光。後ろから覗き込む笑顔。 これ以上の、なにが必要なんだろう? 言葉はいらない。 向き直りその胸に顔を伏せる。 洗い立てのコットンの香りと、そして彼のにおい。 あごを指で持ち上げられ、キスされた。 いつのまにかガウンが落とされている。 裸であることの恥ずかしさはなくなっていた。 抱き上げられベッドに落とされ、覆い被さってくる。 首筋にキスされながら、下半身では足が開かれ、 そして挿入される。 幸せの時間が始まる。 携帯が鳴った。一人で夕食の方付けをしていたときだった。 あわててダイニングの携帯に駆け寄る。 しかし、つかの間の期待は見事に裏切られる。 番号表示は、あの人からの電話ではないことを告げていた。 なんで連絡くれないの? 明日の晩だよね、デート。いいとこ連れていくよって言ってたけど、 どこで待ち合わせかも決めてないじゃない。 んもう、どうしたんだろ。 こんなこと今までなかったのに。 なんか腹立たしくて、知らない電話は切りたい気分だったけど、 そういうわけにもいかず出る。 「はじめまして。私は中山といいます。 ちょっと田中のことで… あ、君枝さん…ですよね?」 「はい、そうですけど」 この人は?なんで?この携帯に? 「田中とは同期入社で、ずっと友達…だったんですが」 ………だった? 「あいつ、二日前の夜に、交通事故に巻き込まれて……」 沈黙。 直感が私にささやきかけてくる。 その言葉の続きを、私は聞きたくなかった。 「即死でした」 「1ヶ月前。あいつからあなたの電話番号を教えられて、 『オレになにかあったときは頼む、連絡してやってくれ』 そう頼まれていました」 「ひとに頭を下げることの嫌いなあいつが私に向かって深々と… あまりにも真面目なその姿に、何も言わず引き受けたけど、 一月も経たずにこんなことになるなんて…」 「今思うと。もしかしたらあいつ、なんか感じてたのかもしれない。 あんときに、」 どうして? つい、このあいだだって、あの人と会ったし、 私はこんな嘘を信じない! 「明日の晩、お通夜です」 私の思いとは無関係に、場所と時間が告げられる。 「私はずっと会場にいるつもりです。 あいつとは長い付き合いでしたから、 じっくり見送ってやりたいと思っています。 あいつは…ほんとにいいやつでした」 あの人は、高いひな壇の上で黒い額縁におさまっていた。 奥さんと子供が、その前で泣いている。 この場所で、私には感情を出す権利さえもない。 その事実の前に、必死で涙をこらえるしかなかった。 まぎれもなく、私はあの人のものだった。 でも決して、あの人は私のものでは、なかった。 過去も、今も。そして未来も。 部屋に戻ると、急に疲れを感じた。 そういえば昨日からろくに寝ていない。 喪服を脱ぎベッドに入るが、なかなか寝付けない。 …明日の朝、目が覚めても、あの人は戻って来ない。 そして一人っきりの私には、なにも残されてはいない。 生きる気力さえも。すべて。 昔読んだ神話が突然に脳裏によみがえる。 イカロスの翼。 教えを聞かず高く空を上り、太陽に近づきすぎて、 翼をつなげていた「ロウ」が溶けてしまう。 落ちていくとき…イカロスは後悔していたのだろうか? 翌日から会社に行った。 病み上がりということでみんなが大事にしてくれる。 あの日から半月が過ぎた頃には、 以前と同じように、日常は流れようとしていた。 私の心だけを置き去りにしたまま。 気が付くと、とっくに来てるはずの生理が遅れている。 ショック性のものかとも考えたが、もしやと思って婦人科に来てみた。 「おめでとうございます。妊娠3ヶ月です」 医師はそう言って、検査結果の紙から目を離し、私を見た。 そのなにげないしぐさは、私の心を見据えているように思えた。 そっか…… 生きていく糧を失い、出口を失った私に、 これは、あの人がくれた最後の…プレゼント。 この世で、ただひとつ残された、ふたりのもの。 あの日からずっと私をおおっていた暗黒のベールが、 そのとき、ゆっくりと消えうせていくのがわかった。 「ありがとうございます」 笑顔の私を見て、医師は心なしか安心したように見えた。 「じゃ、忘れずに役所で母子手帳もらってください」 病院のドアをあけ、外に出る。 空は、雲ひとつなく晴れていた。 こんな決断自体がまちがいなのかもしれない。 おそらく、これまで以上につらいことが、たくさん起きるだろう。 一人で子供を産み、そして育てる。女一人では大変なことだらけだ。 でも、それに耐えられる自信が私にはあった。 足を止め、おなかに手をやる。まだなんの兆候もない。 でも、このことを悔やむことはないと思う。 これから先も、ずっと。 なぜなら、少なくとも私の生きる意味を、 この子は教えてくれたのだから。 たぶん『翼』が背中に生えているキューピッド。 この子がいれば、私はこの空に羽ばたける。 そう。三人が一緒ならば、私は、大丈夫。 翼 〜Wing〜 The end ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |