『幸せ』のかたちのひとつ 後編
-4-
シチュエーション


お世辞にも豊かな胸ではないし、お尻だって体格通りに小さいと思う。
私が思っている以上に、魅力に欠ける気がしてならない。
浴室に入って、湯船の蓋を取り除いて温度を確認。
私のお母さんはお風呂が大好きで、湯船の温度が常に一定になる電気式のものにしてある。
夏でもこれに入るのだから筋金入りだ。
私が浴室に入ったのを察したひろちゃんが脱衣所に入った。
曇りガラス越しにひろちゃんの身体が動いている。
迷いは感じられない。ちょっと無理な提案だったと思うけれど、ひろちゃんは文句も言わず受け入れた。

……沢山の恩があるのに、なかなか返せない。焦っては駄目だと自制している間にも、
こうして良くしてもらっている私。今日のも半分くらいは空振りのような気がする。

──と、ひろちゃんがこちらに歩いてきた。

背中を向けて正座する。正面の鏡は水滴で曇っていて、室内に入ってきたひろちゃんの身体が
見えない。

ぺたり、と肌と床が触れる音。

「お湯、かけるよ」
「うん」

ひろちゃんは桶を使って湯船からお湯を汲んで、私の背中を流す。
ざざぁ。顔が熱くなっているのはお湯の温かさが沁みただけじゃない、と思う。
性的な感情がないからこそ、こんなにも恥ずかしさを覚えてしまうのだろう。

「スポンジとボディソープ、取って」
「あ、うん」

振り返らないように後ろ手で渡す。ほどなくして冷たい感触が背中に触れた。

「っ、……」

ごしごしと遠慮のない手つき。
さっきまで考えていたスタイルへの不安のようなものが湧いて、少しだけ迷ってから
口にする。

「ねぇ、私の身体って、……どうなの?」

動いていた手が止まる。
突然の問いに戸惑っているのだろう。

「……どうって?」
「その、……大したこと、ない?」

泡を生み出す作業が再開する。
肩から肩甲骨へ。

「あー、そうか。姉御と比べてるんだな」
「うん、まあ……」

さすがに読まれたようだ。あからさま過ぎたけれど、訊けるなら良しだ。

「姉御のは、……そうだな、格好が良いって感じだろうな」
「格好が良い?」
「うん、モデルみたいに形が整ってて、……はっきり言えば、触れるのにはかなりの勇気が要るな。
確かに目を離しにくいし、良いスタイルだなって思うんだけど、……どうしようもない壁が
ある感じだよ。どことなく現実離れしてて、自分のものにしたいって気にはなれにくい、かな」

理想ではあるけれど、理想であるがゆえに触れにくい。

……もしひろちゃんがお姉ちゃんと並ぶくらいの美形だったら、私は近づけないだろう。

ひろちゃんがお姉ちゃんをどう見ていたのか、ようやく理解した。

「そういう意味じゃ、美里の方がいい身体してるよ。よいしょっと」

ひろちゃんは私の身体を持ち上げて、胡坐の真ん中に座らせた。
って──硬い、ものが、お尻に……!

「っ!……ひろ、ちゃん?」

ひろちゃんの顔は見えないけれど、隠しようがない興奮を帯びている声が響く。

「うん、色っぽい身体だよ、美里」

スポンジは捨てられていて、泡だらけの手が私の胸を弄んでいる。
ぐちゅぐちゅと理性を掻き混ぜるような音。快楽が呼び起こされる艶音だ。

「ぁあ、ん……さっき、あんなにした、んんっ、でしょ?」
「さっきのは昨日までの分な。これからは、今日の分だ」

首筋を舐められ、私の身体は勝手にうねり始めた。
私の背中とひろちゃんの胸がいやらしい音をたてる。文字通り、身体全体を使った愛撫だ。

「ふ、うぅん、……あ、……ふああああ!」
「美里って、ここが弱いんだよな」

太ももの内側。私の一番敏感な性感帯をひろちゃんはゆるゆると触れる。撫でる、ですらない
感触に信じられないくらいの快感を得てしまう私。

「んん!く、ああ……っ!」

身体は正直に反応して、ひろちゃんの腕の中で激しく跳ね回った。

かくかく、ひくひく。

見れば、胸元から爪先まで泡が着いている。ひろちゃんの指が伝った証。

「流すよ」

ざぶざぶとお湯で押しのけられる白い泡。
艶やかに光る私の身体がひろちゃんの理性を排除させたらしい。
本能を剥き出しにした口付けの後に、私に命令が下された。

「立て、美里」
「……は、い」

快感で力が抜けそうな膝。やっとのことで機能させて立つ。
直後に後ろから性器を突き立てられた。

「ふ、はぁ……っ!」

悦びのため息が漏れ、目尻が下がるのが自覚できた。
私を抱きしめたひろちゃんは顔を横に向かせて、口付ける。

「ん……む、ぁん……」

踊る二枚の舌。勢いは完全にひろちゃんの方が上だ。
ただただ翻弄されるだけの口付けなのに、この上ない悦びを感じている。
私の口内を存分に味わったひろちゃんが言う。

「見ろよ、美里」

ひろちゃんが指差す先には、室温と同程度に温まって曇りがなくなった鏡。
逞しい腕に抱かれ、性交渉の真っ只中にある私がこちらを見ている。

「ほら、どんどん、色っぽくなる、よ?」

ごつごつと子宮を攻められる私が、ひろちゃんの言葉通りに淫らになっていく。
口は半開きで、涎を拭こうともぜずに快楽に溺れている。突き上げる肉棒に自らの蜜壷を
突き出している。
これが、私。

「ふ、ああ、すごい……」
「だろ?……ん、締まる……っ!」

ぱんぱんと濡れた肌が弾け、その音が部屋中に響き渡る。その大部分は私とひろちゃんが吸収しているの
だろうか。快感が天井知らずに高まっていく。
お腹から迫り来る途方もない快感に、私は我を失った。

「ん!……くぁああん!っ!……っ!ふああぁぁ……ん!」

一緒に果てた私達は今度こそ身体を流し合い、手を繋いで湯船に入った。
さっきと同じようにひろちゃんは胡坐をかいて、その中に私は収まる。
背中を好きな人に預ける感触がたまらない。ひろちゃんの呼吸の度にお腹が膨らんで、
私を僅かに揺らす。ゆりかごを連想させる優しい揺れ。とても安心出来る。

……ひろちゃんにも感じて欲しい。

ばしゃばしゃとお湯を掻き分け、湯船の反対側に移動する。

「美里?」
「ね、こっち来てよ」
「重いだろ」
「お湯の中なんだから平気だって」
「だったらいいけどな」

ひろちゃんは楽しそうな顔で私の胸に背中を預ける。

……大きい。昔とは全然違う。家事でそれなりに鍛えられた筋肉が逞しい。

私はひろちゃんの首に腕をまわして、密着する面積を増やす。
もう離さない。私の傍に居てもらうんだ。

「ここが、ひろちゃんの居場所なんだからね。どこにも行ったら駄目だよ?」

ひろちゃんは私の手を掴んで、同意した。

「ん、そうだな」

お互いの身体を確かめ合う沈黙。

……そうだ、言い忘れてた。

「ね、ひろちゃん。あのバスタオル、あげるからね」
「……了解」
「私が呼んだ時は、必ず持ってきてね」
「ん、了解」

次の機会も、この時間を味わいたい。
もう暫くしてから、ようやく私達はお風呂からあがった。

洗面台で湿った髪をドライヤーで乾かしていると、ひろちゃんが私に声をかける。

「コーヒー淹れるけど、美里も飲む?」

淹れてもいいか、ではない。ひろちゃんがこの家に馴染んでいるからこその問いだ。
それほど喉は渇いていないけれど、ありがたく飲ませてもらおう。

「うん。美味しく淹れてね」

にっこりと笑うひろちゃん。

「期待して待ってろ」

どたどたと台所に向かったひろちゃん。私のお腹に計五回も出したのに、元気だ。
やっぱり年頃の男の子なのだと認識してしまう。
私も満足だ。嬉しい疲れが溜まっている。
多分、ひろちゃんが帰ってすぐにベッドで眠ってしまうだろう。
ひろちゃんの匂いに包まれて眠る。……うん。待ち遠しい。
お風呂では髪までは洗わなかったから、すぐに乾いてしまった。
居間に戻ると、丁度淹れたコーヒーがテーブルに置かれているところだった。

「ありがと、ひろちゃん」
「いいって」

早速テーブルについてカップに口をつける。
温かいコーヒー。微かな甘みが舌に拡がって、喉を過ぎてから少しだけ苦味が残る。
私は結構な甘党だけど、これはこれで美味しいと思う。

「どう?」
「うん、美味しいよ」

答えてからもう一口。
私の様子を見たひろちゃんもカップを持つ。
こくりと喉を鳴らして、ふぅ、とため息を吐いている。
ようやく人心地ついたという感じだ。

「そんなに渇いてたの?」
「あー、……いや、隠すもんじゃないな」

ひろちゃんはカップに視線を向けながら言う。

「発作、起きてるんだ」

「……本当に?」

全然そんな風には見えない。
こんこんと爪でカップを叩き、ひろちゃんは言った。

「そうだな……『軽い』の『軽』くらいだな。放っておいても治まるかなって思ってたけど、
その先まで進む気配があるからこうして対策してる」

……心が沈んでいく。
私を抱いてくれたから、そうなったのかな……。やっぱり、あんなにしたのが拙かったのだろうか。

「気にするなって。美里を抱いたからじゃないよ。こんなの、週に何回もあるんだ」
「……本当に?」

ひろちゃんは頷いて、また一口飲んだ。
長い体験に基づく対処法なのだろう。……そういえば、

「ひろちゃんはさ、吸入薬って言うの?あの小さい筒みたいなのは使わないの?」
「あれは、なぁ……」

少し困ったような表情で天井を見上げて続ける。

「簡単に発作が治まるけど、使いたくはないんだよ」

どういう事なんだろう。簡単に治められるなら、使った方がいいのではないのか。
ひろちゃんは視線をカップに戻して、とつとつと語る。

「最初使った時はびっくりしたよ。こりゃいいや、ってな。……何回か使って、いつも視界
にないと気がすまないようになってた。目に見えないところにあるだけで、不安になってしまうんだよ。
……それが、良くない。今みたいな軽い発作でもちらちら目を向けて、結局は使ってたと思う。
すぐに治めさせる事が出来るって知っていれば、それだけで普段からの予防方法が疎かになるし。
そのくらいに依存してしまう自分が嫌になって、使うのを止めた」
「………」
「僕のは重くないんだから、それを使わなくてもいいんだって身体に言い続けなきゃいけないと思う。
……ま、いつも薬があるとは限らないし、こうやって薬以外のもので鎮める方法を一つでも多く
覚えておきたいしな」
「……そう、なんだ……」

軽めの口調だけど、こうした結論を得るまではそれなりの苦しみがあったのは想像に難しくない。
ひろちゃんは自分のことを弱いと言うけれど、私から見ればやはり強いと思えてしまう。

思い切ったようにひろちゃんが言う。とても真剣な顔だ。

「……な、美里もさ、薬使うの止めろよ」

避妊薬の事だろう。お母さんから貰ったのは所謂『後飲み』の薬だ。
お母さんはこの手の知識には随分と詳しく、私には徹底した教育を施しているのだ。

「詳しくは知らないけどさ、お前の身体にも負担をかけるものなんだろ?」
「……うん、そうなんだけど……」

副作用は思っていたよりもはるかに少なく、こんなので効いているのか?などと相談したものだ。
しかし月に一回だけと強く言われている。自覚出来ないだけで、負担は決して軽くないのだろう。
不安を少しでも軽くしてあげようと私は言った。

「その、ひろちゃんも、着けないでしたいんでしょ?ちゃんと使えれば、そんなに
心配する必要もないんだよ?」

ひろちゃんの真摯な表情は変わらない。

「駄目だって。万が一、美里の身体が壊れたりしたらどうするんだよ。
焦んなくてもいいんだよ。僕が責任取れないような事はするな。
……必ず責任取れるようになってやるから、使うな。いいな?」

その言葉の意味は、ひとつしかない訳で、……困った。どんな返事をしたらいいのだろう。

「……あの、それって」
「悪い。忘れてくれ」

ひろちゃんは頭を抱えてテーブルに伏せてしまった。
勢いにまかせた告白なのだろう。それなりの状況と雰囲気を作ってから言いたかったのに違いない。
でも、嬉しい。これ程までに私の身体を心配してくれて、なおかつ一生大事にすると言う。

「……いいよ」
「……ぇ?」

この際だ。私も言ってしまえ。

「何回言い直されるか解らないから、今のうちに言うの。──いいよ、ひろちゃん」

恐る恐る伏せていた顔があがる。
様々な感情が渦を巻いていた。数秒間混乱は続いて、

「はぁ〜」

と安堵のため息。
ひろちゃんは心底ほっとしたようだ。
両手を後ろについて、天井を見上げている。

「……、よかったぁ……」

「そんなに安心した?」
「そりゃ、な。男としては一大決心なんだぞ」

余裕を取り戻したひろちゃんは笑いながら言う。
女の子としても滅多にない出来事だろうけど、あまり吃驚はしなかった。
突然言われた分だけ戸惑いの方が大きく、衝撃を吸収したのかもしれない。
ぐい、とひろちゃんはカップに残っていたコーヒーを飲み干し、落ち着いた顔になった。

「断られたらどうしようかって思いっきり悩んだぞ」

そして、驚いた。
ぱたぱたと水滴がテーブルを叩くから。

「本当に…ひとりにならなくても、いいんだよな」

表情をそのままに、涙だけが不自然に流れている。
止めさせようとして、思い止まる。この涙は全部出し切らせるのが一番いいのだろう。

「今、美里がいてくれて本当に良かったって思ってる。この前、もう少し遅かったら
ずっと一人で生きようって決めてたと思う。絶対に一人で死ぬんだって気持ちを固めてた」

綺麗な瞳に射抜かれ、私はどきりとした。
誰も触れられなかった心が私に姿を見せてくれているのだ。

「ひろ、ちゃん……」
「何かあったら、何でも言ってくれよ。美里の為なら何でもしてやるからさ」

いつになるかは解らないけれど、本当にどうしようもない問題があったら言おう。
その時までは私も頑張ろう。

「とりあえず、顔拭いて。そのまま帰って欲しくないよ」
「ん、そうだな」

時間が随分と経っている。
そろそろ帰ってもらって、休ませてあげよう。

「じゃ、今日はここまでね」
「…そうだな」

今一番したいのは、一緒に布団に入って気が済むまで眠り続ける事だ。
ひろちゃんも同じ考えだろう。
残念だけど、それを実行できる関係ではないのだ。

「送るね」
「いいって。玄関までで十分だよ」

私はひろちゃんの背中について行く。あっという間に玄関だ。
ちょっとでも多くこの人を見ていたいけど、ひろちゃんは私の身体を考えて、ここで
別れようと言ったのだ。
靴を履いたひろちゃんが私に向きなおす。

「じゃ、またいつかな」
「うん、バイバイ」

『からから』

玄関が開くひろちゃんの動きが止まる。

「どうしたの?」
「あれ?勘違いしてたかな…?」

何だろう?勘違い?
ひろちゃんは強引にその疑問を打ち消したらしい。顔だけ私に向けて言った。
ニヤリとからかう表情。

「明日でもいいぞ」
「えっち!」

ははは、と笑いながらひろちゃんは出て行った。
反射的に言い返したけど、余裕でかわされてしまった。
というか、予定通りの対応だったのか。

「ふあ……ぁ・……っ」

大きな欠伸。ひろちゃんがいなくなって、一気に緊張が緩んだみたいだ。
さて、薬を飲んで、鍵をかけて、眠ろう。

数日後。
勉強していると、宅配便の車が家の前から発進して行ったのに気付く。
荷物、かな。
一階に下りて玄関まで行くと、休みのお母さんが荷物に貼ってある伝票を見ていた。

「あら、あの子からだわ」
「お姉ちゃん?」

お母さんは頷きながら、荷を解く。
もち米と、小豆だけが入っていた。
手紙とかは入っていない。他に渡したいものはない、という事らしい。
この二つが伝えたい事なのだろうか?
お母さんがぼそりと口にする。

「……赤飯?」

めでたい時に食べる物。祝い事。

「……あ」

鍵。この前に、ひろちゃんが帰る時に言ってた。勘違いかな、と。
かけたはずの鍵が開いていたからだ。思い出してみれば、確かにひろちゃんは鍵をかけたはずだ。
『戸締りはちゃんとしろって』と。
なのに、帰る時は開いていた。

──あの日、お姉ちゃんは帰って来てた?あの情事の一部始終を聞いてた?見てた?

そういう事なんだろうか。……それ以外に説得力のある仮説はない。
加熱する頬で我に返ると、お母さんが優しそうな笑みで私を睨みつけていた。

「あの薬の在庫状況なんかを聞きたいな〜」

私の思考は見抜かれてるらしい。
どうせなら、正直に言った方が被害は少ないだろう。恥ずかしいけれど。

「使ったけど、……もう減らない」

使わないと決めた。ひろちゃんが言うとおりに、彼に責任が取れないようなことはしない。
予想外の答えだったらしい。お母さんはぱちぱちと大きな目を瞬かせ、直後に笑い出した。

「お、ほほ!おほほほほほ!今夜は豪勢にしましょうね!
いやいやそれだけじゃ駄目ね、外崎さん家のふたりも呼ばなきゃ!ね、美里!」

……私の一言で全てを察したようだ。恐ろしい推理力。

ずっと前、ひろちゃんを家に呼ぶ為にわざと料理を失敗した事があったけれど、
あれも結局は見破られていたし。
流石、我が姉の母だ。
で、お母さんは嬉しそうに電話のボタンなんかを押してるし。
夕食はどんな会話になるんだろう……覚悟ならどれだけしても、十分じゃないんだろうな。






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