cat_girl(非エロ)
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シチュエーション


部屋に、アイツはいなかった。
こんな時間から真面目に働いてるとも思えないし、きっとどっかで遊び呆けてるのだろう。
もしかしたら女ところに泊まりかもしれない。

…どうでもいいや。

顔合わせなくてすんだのはラッキーってことだ。
当面必要な着替えとか下着とかをトランクに詰めて、その他色々はダンボールに詰めて宅配便で送ってしまって、部屋には『またのご来店をお待ちしています』なんて皮肉たっぷりのメモを残してきた。

こういうことしてるとまたお客が減っちゃんだろうけど……、それも、まあ、今じゃどうでもいい。


駅まで続く商店街のタイルの上で、トランクの車輪がガタガタぬかす。
結構な騒音であるはずなのだが、昼時の喧騒の中じゃもち手から腕を伝って聞こえるだけだ。

ぐぅ、とコートの下、へそ辺りから鳴き声が一つ。
そういえば朝食も食べてない。
財布も返ってきたことだし、なんかあったかいものでも食べようかな、と脇の店に目をやった時、

「――斑目さん、」

聞き慣れない声に、背後から名前を呼ばれた。

「こんにちは。」

振り返ると、にっこりと笑顔を浮かべた、昨日のコが。
確か、遠峯――

「……伶理ちゃん。だっけ?」
「ええ。覚えてもらっていてみたいで、嬉しいです。」

ちゃん付けは嫌がりそうだと踏んでいたのだが、動じた風もなく笑い返された。

「良かったら、少し話しませんか? 美味しい紅茶のお店知ってるんです。」

悠然とした笑顔は、こちらに隙を見せまいとしているようでもある。

…そういうことか。
それならそうで望むところ。こっちにだって訊きたいことはあるんだ。
よそ行きの微笑みを目一杯に取り繕って、彼女の提案に頷いた。

店に入るなり、眠くなるようなクラシックが耳に障る。
よく言えば落ち着いているんだろうけど、どうもこういう気取った店は苦手だった。
"美味しい紅茶のお店"とのことだったので、わざわざコーヒーを注文する。
今度は露骨に眉をひそめてみせるあたり、よっぽどここの紅茶をひいきにしてるらしい。

「斑目さんは、今、平良君の部屋に寝泊りしてるんですよね?」

出てきたコーヒーの薄さにちょっぴり後悔していると、向かいに座った伶理ちゃんが口火を切った。
声は、少しばかり鋭さを持ち始めている。

「ん、そうだけど?」

出来るだけなんでもないことのように言う。
かちゃりと、向かいの席に置かれたカップが音を立てる。

「……一体、どういう経緯なんです?」

ところが、彼女は思っていたより慎重に間合いを詰めてきた。

――まさかとは思ったけれど、案外本当に付き合ってないのかもしれない。
言ってみれば私は横からちょっかい出してきた泥棒猫なんだし、
ちゃんとしたお付き合いをしてるっていうならもっと強く当たったっていいはずだ。
それが、彼女みたいな気の強そうなタイプならなおさらに。

「……そういうキミは一体何さ?」

形勢有利と見て、質問に質問を重ねる。
向かい合った彼女は怯むように私を見ると、一拍置いた後、大仰なため息をこぼした。

「……分かりました。変な誤解は早めに解いておいたほうが良いですもんね。」

どこか諦めたような口調は、颯爽とした雰囲気の彼女にあまり似合ってない。

紅茶を一口。

「平良君とは、以前、お付き合いをしていたんです。 ……私が高校二年の時に、一年ちょっとの間だけ。」

伶理ちゃんの目は、前を向かずに置いたティーカップを映している。

「でも、それももう、一年経った話で、今じゃただの友達です。」

語調はたどたどしくても、彼女の声は凛と空気を振るわせる。

…なるほど。
元、か。
それは考えてなかった。
だけどそれなら、あの微妙な距離にも妙に納得がいく。

「でも――――、まだ、好きなんだ?」

気付かない方が鈍いってもんだ。
つっつかれた彼女は、驚くわけでもなく、慌てて否定するでもなく、ただ照れくさそうに笑ってみせた。
一見幸せそうな笑顔が、少し、悲しいものに見えた。
よっぽどいい別れ方が出来たんだろうな、なんて羨ましくも思う。

「……じゃあ、今度は私の番。」

私がそう返すと、彼女は少し意外そうな表情をする。
そりゃあ、私だって礼ぐらい知っているさ。
嘘をついてる様子には見えなかったし、誠意に誠意で応えられないような人間でありたくない。

「と、いっても、私のほうはつい三日前の話なんだけどね。」

頭にそう付け加えて、成り行きをかいつまんで説明する。
もちろん、嘘は吐いてない。
少しばかり省略した部分はあるのは…………、致し方ないってことで。

「――――そうですか。」

説明し終えると、伶理ちゃんは本日何度目かのため息と一緒に頷いた。

話しながら思ったのだが、今私が置かれている状況、いや、彼の行動は色々と普通の感覚から外れている。
延いては私の説明までもが下手糞な作り話のようだ。

「あ、やっぱ信じてない?」
「いえ、彼ならやりかねません……。」

不安になって訊ねると、顔を手で覆いながら伶理ちゃんは答えた。
やっぱり、彼は万事そういう調子なんだと、つい苦笑いがこぼれる。

「それに貴女ならもっと真実味がある嘘がつけるでしょう? だから、信じます。」
「……そりゃ、どーも。」

ついでに小憎たらしい笑顔でそんな皮肉を言ってくる。



「…………まあ、そういうことだから――」
「ええ、平良君をよろしくお願いしますね。」
「―――――――― へ?」

そろそろ話を切り上げようとした矢先、予想もしてなかった言葉が聞こえて、思わず間抜けな声が出てしまう。

「ちょっ…………、どういうこと?」
「そのままの意味です。 平良君を、よろしくお願いします。
……私のほうは、もう、玉砕でしたから。」

ちょっとだけ茶化して、笑う。
自分は身を引く、ということなんだろうか。
そうとしか思えないはずだったのに、俄かには信じられなかった。

その笑顔と、隠れるように震える手には、どれくらいの想いが――覚悟が、秘められているんだろう。


美人で、賢くて、凛々しくて、
きっと、並の男じゃ気後れしてしまうほど、彼女は強んだ。
そりゃあもう、私なんか目じゃないくらい。

まったく、彼も見る目が有るんだか無いんだか。

「――そろそろ、出ましょうか。」

気付けば店内は込み合いはじめている。
カップ二つで席を居座るのはなかなかに顰蹙だ。

少し冷めたコーヒーを飲み干して、立ち上がる。

「あっ、」
「いーからいーから。社会人のおねーさんに任せなさい。」

有無を言わせずレシートをもぎ取る。
幸い、財布は返ってきたばっかりで、中身は十分にある。

伶理ちゃんは少しだけ不満そうな顔をしてみたが、それ以上抵抗することもなかったので、よくある不毛な争いはしないで済んだ。
半歩後ろの伶理ちゃんを尻目に、レシートをレジに出す。

………………え。

そんなにするの?


コーヒーと紅茶だけだよ?!

「今日は、ごちそうになっちゃってすいませんでした。
今度は斑目さんお奨めのお店で、私にご馳走させてくださいね。」

店を出て、レシートを眺めている私に、どうにもおばさんくさい挨拶がかけられる。
社交辞令だろうってのに、その笑顔はずるいくらい綺麗だった。
生憎、私にこんな洒落た喫茶店に入り浸るような趣味はない。

「…………ねえ。」
「はい?」

声帯が、脳からの無機質な電気信号とは違うものを、受信した気がした。

やめろって。
相手が無条件に試合放棄してるんだ。
それをわざわざけしかけるようなこと――――

「――――本当に、いいの?」


息を飲む音が、聞こえた。


「……私じゃ、駄目だったんです。 今さら私じゃどうにもならないじゃないんです。
私に出来ることっていったら、せめて、あの人の幸せの後押しをするくらいしかないんです。」

辛そうな、聴いてられないような口調でも、彼女の声は凛と空気を振るわせる。

「だから、彼を泣かせたら、ひどいですよ。」

冗談みたいだけど、彼女は本気で言っているのが分かった。

「…………過保護。」
「何とでも言ってください。」

開き直られた。
可笑しくて、二人で笑いあう。

「……わかった、頑張ってみるよ。」

軽く手を上げて、別れを告げる。

「はい――――、それじゃあ、また。」
「ん…………じゃ、ね。」

店の前で、分かれる。
背中に深いおじぎを貰って、歩き出した。




あーあ。
凄いプレッシャーだね、こりゃ。


ため息が灰色の雲のように沈殿した部屋に、呼び鈴の音が弾んだ。

「はぁ……」

また新しいため息が床に溜まる。
結局ちっとも眠れず、布団の中でうじうじしてる間中、暗い気分は悪化していくばかり。
それでも当たり前のように鳴る腹を、ありあわせの昼食で黙らせたところだった。

「ただいまぁっ!」
「……おかえり。」

扉を開ければ、爛漫と笑う昌が立っていた。
自分の家のような顔をして帰ってくる昌に呆れながらも、開け放たれた扉のおかげで、多少空気が入れ替わった気がする。

「で? 用事は済んだのか?」
「うん。居なかったから、荷物だけ勝手に持って帰ってきちゃった。」

そうか、と頷くと、昌は年寄り臭い掛け声と共に大き目のトランクを部屋に上げる。
うへぇ、また部屋が狭くなりそうだな。

「あ、ほかにダンボールがいくつか来るから、よろしく。」

すでに部屋の面積の勘定をしている俺に向かって、昌は平然と付け加えた。

「そうか、俺が外で寝ればいいんだな。」
「へ?」
「……いや、なんでもない。」

きっとなんとかなるさ。
いざとなったら立って寝てやるぜ。

「あ、それとね、――――遠峯さんに会ったよ。」

あはは、と虚ろな笑みを浮かべて遠くを見ていると、突然、予想だにしない名前が耳に飛び込んでくる。
まるで、とっておきを披露するようなリズムで。

「どこでだ?」

それに、まんまと食いついてしまう。

「帰り道に、ぐーぜん。」

だらしなく間延びした答え。
俺はよっぽど情けない顔をしていたのだろうか、昌はくすくす、意地悪く笑いながら続けた。

「別にちょっと一緒にお茶飲んで、世間話しただけなんだけどね。」

昌は明るい口調でそんなことを言っているけれど、恐らく、二人の話題はこの俺が中心だったのだろう。
自意識過剰でも自惚れでもなんでもなく、彼女らの接点といったらそれしかない。
隠し事があるわけでもないのに落ち着かない気分になるのは、見当違いな罪悪感かもしれない。

俺はどんな返事をしたのか、昌は軽快に話題を変えた。

「ね、私まだお昼食べてないんだけど、なんかない?」
「あ、ああ。俺もありあわせで済ませたところだったしなぁ……」

ぱっと出るものは残ってなかったと思う。

「じゃー……、昨日私が作った肉じゃがの出来損ないでいいや。まだあるでしょ?」
「ん? や、それがまさに俺の昼飯だ。」

残念でした。
いつまでも、あると思うな、お金と食べ物。

「……嘘。あれ、食べちゃったの?」
「なんだよ。元はといえば俺のじゃがいもだろ。」

「そうじゃなくてッ! あんなの、食べられたものじゃなかったでしょ?」

どこかそわそわしている昌。
その割に言ってることは可愛いもんで、ちょっと拍子抜けする。

「確かに味は褒められたもんじゃなかったけど……」

というか、はっきり言えばひどかったのだが。
そこそこ貧乏学生している俺とっちゃ、あれくらい許容範囲である。

…実は変な使命感に駆られたっていうのも少なからずあるのだが、それは秘密だ。

なんとなく、先ほど布団の中で幾度もリフレインされていた昨晩のことを思い出してしまいそうで、慌てて話をそらす。

「腹減ってんだろ、なんか作ろうか?」
「いいよ、わざわざ。コンビニ弁当でも買ってきちゃうから。」

不貞腐れてるのか照れてるのか、昌は唇を突き出しながら答える。

「そうとなったらすぐ行ってきちゃうけど、なんかついでに買ってきて欲しいものある?」
「んー…、じゃあ、なんか適当なつまみ頼む。」

ビールはまだ残ってるはずだし。

「…キミって、意外とお酒好きだねぇ。」

何が意外となのか知らないが、昌はそう言って笑う。
本当は酒でも飲まないことには間が持たないだけだったのだが、別に普通だろ、なんて素っ気ない言葉を返した。




「――――で、だ。」

もぐもぐとコンビニ弁当をほうばる昌と向かい合う。
兎にも角にも共同生活をすることになったからには、色々と確認しておかなければならないことがある。
それにしても、女性がコンビニ弁当、それもチャーハンとギョーザ(チャーギョーと略すらしい)なんて食べているのは絵的に美しくない、とかどうでもいいな。

「俺は基本的に土日以外は学校があるんだが、お前は?」
「もが?」

もが、じゃねーよ。
差し出してやったお茶を受け取ってぐびぐびとコップ一杯飲み干すと、大きく息を吐いた。

「お店は火曜定休日だから、それ以外はほとんど毎日お仕事かな。」
「時間は?」
「お昼過ぎから、何事もなければ12時ぐらいまで。たまーに朝帰りとかあるかも。」
「ふむ。」

つぐづぐ水商売って感じだなぁ、なんて改めて思う。

「じゃあ、だいたい入れ替わりになるな。 鍵は――、郵便受けに入れとけば良いか。」

万が一怪しい奴に入られたとしても、盗るもんなんてないだろうしな。

「……………………、」
「……なんだよ。」

気付けば、昌はコンビニでもらったプラスティックのスプーンを止めて、ニヤニヤしながらこっちを見ていた。

「や、なんだか新婚さんみたいだなぁ…、と思って。」

人が考えまいとしていたことを、心なしか嬉しそうに呟く昌。
というか、新婚さんはきちんと合鍵を用意するだろうし、どちらかというとこれはし始めの同棲カップルと言ったほうが…、ってさらにまんまだな。

「うっせぇ馬鹿。お前とそんな色っぽい間柄になった覚えは、ない。」

アクセントを"ない"に置いて、ばっさりきっぱり否定する。
こんなんでいちいち動揺なんかしていたら相手の思う壺である。

「なによう、つれないなぁ。 ……あれ、そういえばバイトしてるんじゃなかったっけ?」
「別に定期的にやってるわけじゃない。知り合いのところだから多少の融通は利くんだよ。」
「ふーん……」

最後の一粒まで舐めるように平らげて、最後にまたお茶を一口。
ごちそうさまっ、と手を合わせ、小さく微笑んだ。
能天気な奴、と無意味に心の中で毒づいてみる。

「…………さて、」
「うん?」
「………………買い物行ってくる。」

間が持ちません。
そそくさと立ち上がる俺を、昌の丸い目が追うように見上げる。

「昨日も行ったのにまた行くの?」
「……買いだめはしない主義なんだ。」

買いだめしないというのは本当だが、今のは間違いなくこの場を離れたいがための言い逃れだ。

「…じゃあ、私も行くっ!」

わーっ! と昌が元気良く手を上げる。

「はい?」
「だってほら、一人より二人でお金出したほうが美味しいもの食べられそうじゃない?」

なるほど。
最近、食事になんか気を使ってなかったし、たまにはそれも良いような気もする。

のだが、

「というか、お前。食費出さないつもりだった?」
「え?」

一時停止。

「いや、間借り賃は五百円でも良いけど、流石に三食つけてたら俺が生活できません。」

そこんところどうなのよ、社会人さん。

「や、やだなぁ! そんなわけないって!」
「うん。わかった。皆まで言うな。」

全然そんなつもりなかったんだなということが良くわかりました。

「まあ、いいや。今回は、引っ越し祝いということで。」
「そう、それ! まさにそれよ!」
「…あくまで仮住まいだからな。あんまり居着くなよ。」

そんなわけで、二人並んでの買い物に出向くことと相成ったわけである。



協議の結果、メニューはすき焼きに決定。
一人にで食うには少し贅沢な肉と、春菊・白滝・豆腐というお馴染みの面々を、たっぷりの時間をかけて吟味して、ビニール袋に下げて帰宅するころには、ちょうど夕食時といったところだった。
約一年ぶりに日の目を浴びたすき焼き鍋の被りかけた埃を払い、コンロと一緒にセッティングする。
手順を思い出し思い出し、あとは煮ながら食うだけまでなんとか完成した。
無邪気に感動の声を上げる昌の隣で、やれやれどうにか、と息を吐く。
ぐつぐつと、タレが煮え立つ音。
優しい熱気を感じながら、鍋物の醍醐味になんとなく安心する。

「…しかし、一人暮らしでよくすき焼き鍋なんか持ってるね。」

昌は誰よりも早く肉を頬張っていた。
ほとんど全部俺が準備したって言うのに、憎たらしい奴だ。

「結構学校から近いからな。よく人が集まって、みんなで鍋をつつくことになったりするんだよ。」

玉子を溶きながら俺も鍋をのぞき込む。
まずは肉を一枚。

…うん。

肉が良いのか、すき焼きの魔力だか知らないが、久し振りに旨かった。

「そーだそーだ。これを忘れちゃいけないよー、っと。」

取り出されたのは、さっき二人で買ったシャンパンだ。
たいして高くはなかったけれど、シャンパン自体そう頻繁に飲むものでもないし、それくらいがちょうどいい。

「なんかお祝いみたいだな。」

自然と笑みがこぼれた。
合わせて、昌も小さく笑う。

「"みたい"じゃなくて、どうせならお祝いってことにしちゃいましょう。」

ポン、と軽快な音を立ててシャンパンの口が開く。
互いのグラスにシャンパンが注がれ、それを食卓の上で掲げあった。


「…何を祝うんだ?」
「それは勿論、二人の同棲生活の始まりでしょ。」
「束の間の共同生活の始まりだな。」
「むぅ、しょうがない、じゃあ、二人の出会いに。」
「……まあ、それならいいか。」
「よろしい。…………それじゃあ、改めて――――よろしくっ!」
「ああ、こちらこそ、よろしく。」

乾杯の声の後、細やかな祝砲が二人の間に響いた。



――――まったく。

成り行きとはいえ、妙なことになったもんだ。


ずっと付きまとっていた灰色の気分は、いつの間にか、キレイさっぱり、消えていた。






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