Can't Stop Fallin' in Love 中編(非エロ)
-4-
シチュエーション


「それで――そんな学校だったから、友人同士で作るグループも、普通とは少し違っていたんです」

当時を思い出すように、綾咲が視線を遠くに向ける。ただ浮かんでいるのは、懐かしさを含んだ郷愁の色ではない。

「あの子の父親の会社は大きいから、仲良くしておこう。
あの人の家は政界や財界とも繋がりが深いから、嫌われないようにしよう。
あそこの企業はもう駄目らしいから、彼女と一緒にいても意味がない……。
少し前までクラスの中心だったのに、父親の会社が不渡りを出した途端、誰も近寄らなくなったりするんです。
そういう関係って、友達って呼べますか?」
「……違うだろうな」

それは利害が一致しただけだ。本人同士がどう考えているかはともかく。

「そんな光景を何度も目にして……なのにみんなおかしいなんて思わない。
当然のことのように受け止めて、いつものように授業を受けたり、誰かとお喋りしたりして、一日を過ごしていく。
……嫌になってしまったんですよ。学校と、その場所にいる私自身に」

綾咲は緩やかに足を進めると、ベンチの後ろにある手すりに身体を預ける。
夕日と向き合う彼女の顔は、この位置からは見えない。

「ここにいたら、私が私でなくなってしまうんじゃないか。大切なものをなくしてしまうんじゃないか。
一度そう考えたら、たまらなくなって。胸にあるモヤモヤが、日に日に大きくなっていって。耐えられなくなって。環境を変えたくなって。
どこでもいい、別の場所に行きたくなって。それで――この街に来たんです」

振り向くと、いつもの笑顔。いつもと変わらないように見える、笑顔。
何か言葉を掛けようとしたが、どれも的はずれになってしまう気がして、結局無難なセリフを選ぶ。

「よく両親が納得したな」
「反対されましたよ。お母様と大喧嘩して、3日間口をききませんでしたし。その間に勝手に編入届けを用意していたら渋々承諾してくれました。
雪ヶ丘にまだ家が残っているからそこに住むこと、徒歩で通える学校に行くこと。この二つが条件でしたけど」

アグレッシブなのは昔からか。

「またずいぶんと思いきったことをやったもんだ」
「そうでもしないと認めてくれそうもありませんでしたから。先手必勝ですよ」

小さく舌を出した綾咲に、俺は苦笑するしかない。
先程とは違う、緩やかな空気が場を支配する。その雰囲気に乗って、出来るだけさり気ない口調で彼女に尋ねてみた。

「で、こっちに越してきて何か変わったか?」

問いかけに綾咲は間を置くように一度だけ目を伏せ、

「転校しただけで全部うまくいくなら、簡単ですよね」

言葉の内容とは裏腹の柔らかい表情を向けてくる。

「……かもな」

曖昧な相づちを打ちながら、綾咲をじっと観察する。
決して愉快ではない自分の過去を吐露しても崩れない、穏やかで屈託のない笑顔。
それはもう乗り越えているからなのか、それとも作られているものなのか、俺にはわからない。
もし無理をしているのなら。まだ彼女が孤独や疎外感から抜け出していないというなら。
普段の笑顔が、本物で無いというのなら。

「最初はそれだけで何もかも解決するって、そう信じてました。格式や伝統に縛られない、普通の学校に行くんだから。
両親の仕事とか、今までの環境とかは関係がない、クラスメートとの間には壁なんて無いんだって……」

感情を偽る余裕もないくらい引っ張り回してやろう。そう決意する。
お節介なんて柄じゃないし、更に深く泥沼にはまっていくような気がしたが……仕方ないよな。毒を喰らわば皿まで、だ。

綾咲はそんな俺の心中も知らず、淡々と続ける。

「でも、そんな甘い考えの通りになるはずがなくて。
クラスのみんなは遠巻きに様子を見ているだけで、声を掛けてくるのは興味本位の男性の方ばかりで……。
やっぱり私は世間知らずのお嬢様でみんなとは違うんだって、突きつけられた気がして。
前の学校の時と同じように、いえ、それ以上に疎外感が大きくなって。
正直に言うと、転校したことをちょっと後悔したこともあったんですよ。これじゃあ何も変わってないって」

そこで綾咲がくすっと笑みをこぼす。怪訝に思って視線を向けると、

「そんなとき、声を掛けてくれたのが篠原くんだったんですよ」
「……俺、そんなことしたか?」

憶えがない。葉山から紹介されるまでまともに話したこともなかったはずだが。

「ええ。いきなり私の席に来て、『困っているか転校生!』って」
「……………………あ」
「思い出しました?」
「思い出してしまいました」

そう、記憶の隅を掘り返したら、確かにそのような事実はあった。
あれは綾咲が転校してきて間もない頃。
その当時、彼女は休み時間のたびに男子連中に囲まれて質問責めにされるのが恒例となっていた。
我よ我よと案内を買ってでる下心満載の男子達。その中心には困惑した綾咲の姿。
当然まとまるはずもなく、勃発する闘争、生まれるカオス。
これは遊べる……もとい、混乱を鎮めなければ思った俺は、綾咲に声を掛け意思確認した後、拳を振り上げこう宣言したのだ。

『ならばここにっ! 第1回転校生案内役争奪ジャンケン大会を開催するっ!』

もちろん直後に『転校してきたばかりの子をネタに遊ぶなっ!』と葉山の回し蹴りが炸裂したわけですが。
あれはマジであばらが折れたかと思った。
それからは無用な混乱を招かないために葉山が綾咲の面倒を見るようになり、現在のような関係を成立させていったというわけだ。

「由理さんと友達になれたのも、篠原くんのあの言葉が始まりだったんですよ?」

つまりあばらで繋がれた友情というわけだな。
そんな茶化したセリフを投げようとした俺の口は、しかし空気を震わせることなく動きを止めた。

「そうして由理さんと仲良くなれて……秋田さんや星野さんとも話すようになって……篠原くんとも友達になれて。
それでようやくわかったんです」

何故なら彼女の表情が、心の奥にしまいこんだ大切な記憶を反芻するような、愛おしげなもので。

「友達が欲しいなら、誰かと仲良くなりたいなら、まず自分から声を掛けなくちゃいけないって。
待っているだけじゃ何も変わらない。周りを変えたいなら、まず自分から動かなくちゃいけないって」

胸に手を当てて、物理的には存在しないけど、でも確かにそこにある暖かさを感じている、そんな姿だったから。

「簡単なことだったんですよ。私が抱え込んでいたものは。
篠原くんや由理さんに切っ掛けを貰っただけで、あっさり解決しちゃうくらい簡単なことだったんです」

そして綾咲はいたずらっぽい光を湛えた瞳をこちらに向け、

「結局、転校しただけで全部うまくいっちゃいましたね」

くすっと、楽しそうに笑う。
それは偽りの入り込む余地など無い、本物の微笑みだと確信できるもので、どうしてだろう、ひどく安心している自分に気付いた。

「そうだな。難しく悩みすぎだ、お前は」

答えながら俺は膝に頬杖を付いて、心の中だけで自嘲する。
感情を偽る余裕もないくらい引っ張り回してやる、か。
どうやら心配は杞憂だったらしい。
既に綾咲は、小さな切っ掛けと自分の力だけで己を取り巻く閉塞感を打ち破っていた。
危うく余計なお節介をするところだった。まったく、らしくもない考えをするものじゃない。
思っていたよりずっと、彼女は強いのだろう。きっと俺よりも。

「でも、そのことにもう少しだけ早く気付けていれば」

少しだけ沈んだ綾咲の声に思考の海から呼び戻される。街並みを見つめる彼女の瞳は、ここではないどこか遠い場所を映しているようで。

「向こうのクラスのみんなとも、もっと違った関係に……友達になれていたのかもしれませんね」

これまでには存在しなかった、郷愁の想いが滲んでいた。

「戻る気はないのか?」
「えっ?」

俺の問いかけに、綾咲は驚いたように目を丸くする。

「前の学校に。やり直しってわけでもないが、まだ遅くないだろ」

そう、遅くない。慣れ親しんだ環境で、自分と同じような家柄の少女達と今度は本当の友人同士になって、日々を過ごしていく。
今の彼女なら、それが出来る。一年前に抱いた望みを叶えられる。

「いいえ、もう遅いです」

しかし綾咲は小さく首を振り、

「だって私、戻ろうなんて全然考えつかないくらいに、この街のことがすっかり好きになっちゃたんですよ?」

微笑んだ。そして詩を詠み上げるようにはっきりと、自分の想いを言葉にしていく。

「由理さんや秋田さんやクラスのみんな――離れたくない人たちがたくさん出来て。
まだ行っていない場所も、入ったことのないお店もたくさんあって。
それに…………えっと……」

と、そこで急に彼女は口ごもった。
照れたように髪の毛の先を弄りながら、はにかんだ笑顔を浮かべる。
もじもじした仕草と重なるように、耳も少しだけ赤くなっている。
それはきっと――

「…………好きな人も、いるんです」

恋をしているからなのだろう。
胸の奥底にかすかな痛みを感じる。けど、それは錯覚だ。綾咲が好きな相手は知っていたし、そもそも俺と彼女はただの友人だ。
痛みを感じる必要なんて、ない。

「……そうなのか? へぇ、意外だな」

ここで『ああ、葉山だろ? 大丈夫、俺は応援するぞ』などと口走ろうものなら、
今までの計画と明日以降の昼飯と俺の生命がまとめて(葉山の拳によって)おじゃんになってしまうので、わざとらしくとぼけておくことにする。
しかし、頭に入っている情報をさも初めて耳にしたように振る舞うというのもなかなか難しいな。

「い、意外って……。私に好きな人がいたら、そんなにおかしいですかっ?」
「そういう意味じゃないって。取りあえず落ち着け。どうどうどう」
「私、馬じゃありませんっ」

恥ずかしさのせいか少々興奮気味の綾咲を静めながら、こっそり胸をなで下ろす。
どうやら俺の演技はバレてはいないらしい。まぁそれもそうか。告白相手である葉山本人から情報が流れているなど夢にも思うまい。
綾咲は不満そうに「うー」と唸りながら、

「じゃあどういう意味ですっ?」

ずい、と顔を近づけてくる。
俺は上体をその距離と同じだけ後方に反らしながら、視線をあさっての方向に向けつつ、

「いや、綾咲って色んな奴から告白とかされてるのに、全部断ってるだろ?
だから今はまだそういうことに興味がないのかなーとか思ったり」

弁明開始。しかし仰け反りながらなので、そろそろ限界に達している。
このままでは非常にまずい。主に背骨が。更にはベンチから落ちそう。頑張れ俺の腹筋背筋。希望の未来を掴むまで。
つーかそろそろ阻止限界点を突破しそうだ。早くこの状況を打開せねば。

「って、そういや誰なんだ?」
「え?」
「綾咲の好きになった奴って。うちのクラス?」
「そっ、そんなの言えませんっ!」

苦し紛れの反撃は、しかし追求を止めるには充分だったらしい。
赤面して顔を引いた綾咲の隙をついて、上体を戻す。苦境に耐え抜いた自らの上半身を心ゆくまで労ってやりたいが、それは後回しだ。
せっかく手に入れた主導権、手放してなるものか。

「そりゃそうか。じゃあ具体名は言わなくていいから、どんな奴かってだけでも」

実は名前はおろか、中学時代は演劇部のくせに何故か頻繁にバレー部やバスケ部の助っ人に呼ばれていたことまで知ってるがな。

「……どうしてそんなこと知りたいんです?」

拗ねたような口調で、綾咲。彼女相手にここまで優勢な状況というのも珍しい……というか初めてかもしれない。ちょっぴり優越感。

「単なる好奇心……かな? だから、教えたくないなら別にいいけど」

これは本当。葉山のどこを好きになったのか、微妙に興味があったり無かったり。
綾咲はしばらく躊躇していたが、やがて決意を固めたのか小さく深呼吸すると、唇を開いた。

「…………優しい人、です」

普段のはっきりとした発音とは対極の、風に流され消えてしまいそうな、小さな声だった。
それでも、そこには決して小さくない想いが込められているとわかる。
優しい人、か。
ありきたりな上に抽象的すぎるが、人を好きになる理由なんて案外そんなものなのかもしれない。それを言葉に出来る綾咲が――

「――少し、羨ましいかもな」
「え? 篠原くん、何か仰いました?」

気がつくと綾咲が瞳を覗き込むように近づいてきていた。考えがいつの間にか声になって漏れてしまっていたらしい。

「……いや、寒くなってきたなって」

何とか当たり障りのない返答をして、ベンチから立ち上がる。いかんいかん、今日は色々ミスが多いぞ、俺。

「そうですね、風も出てきましたし」

流れる髪を手で押さえながら、綾咲が同意する。
空を見ればもう日は沈みかけいて、夜の気配を漂わせている。
12月初旬の空気を胸から吐き出すと、白く色を付けた吐息が宙に浮かび上がる。もう少し時間が経てば黒とのコントラストでより鮮明になるだろう。
そろそろ頃合いだな。

『んじゃ、帰るとしますか、お嬢様』

そう声を掛ける。いや、掛けるつもりだった。

「なぁ、綾咲」

なのに、出てきたのはまったく別の問いかけだった。

「……怖くないか?」
「え? 怖いって……何がです?」

綾咲は目を丸くして、俺の質問の真意を計りかねている。それはそうだろう。突然こんなことを聞かれたら、誰だって戸惑う。
俺だって、何故こんなことを聞いているのか自分でもわからない。

「誰かを好きになることが。誰かを好きでいることが――」

彼女の瞳が、とても素直だったから。恋を語る彼女の姿が、とても幸せそうだったから。
理由を付けるならそんなところかもしれない。だけど、それは恐らく違っていて。
ただ単に、聞いてみたかったんだろう。綾咲の気持ちを。
想いは届かないかもしれないのに。届いても、相手とずっと一緒にいられる保証なんてどこにもないのに。
それでも――

「――怖いと思ったりしないか?」

恋をするのかって。
静寂が辺りを包み込む。耳に届くのは優しい葉擦れの音だけだ。冷たい空気を肺に送り込むと、刺されたように胸がキリキリ痛む。
綾咲の視線は、俺から離れない。真っ直ぐにこちらを見つめている。
10秒か、一分か。時の経過と共に冬が熱を奪っていったのか、次第に頭が冷えてくる。
というか何を変な質問してますか俺は。『怖くないか?』などと突如突然唐突に。
まるで『俺は恋愛恐怖症のヘタレです』と公言しているようなものじゃないか。
しかも綾咲相手に。うわ。何だかものすごく恥ずかしくなってきた。
時間を逆行できるならあのときの自分をぶん殴りてぇ。サンドバッグにしてぇ。そしてそのまま砂となり母なる大地を見守りたい。
いや待て俺の思考。ファンタジックに飛ぶな俺の思考。現実と戦え俺の思考。

「やっぱいいわ。忘れ」
「――怖い、ですよ」

話を消そうとしたのを遮ったのは、もう得られないかと思っていた綾咲の答えだった。

「……え?」

今度はこっちが戸惑う番だった。彼女は俺に小さく笑いかけて、続ける。

「嫌われていたらどうしようとか、迷惑に思われてるんじゃないかとか。
一人になったらそんなことばかり考えて。夜、眠れなくなるときもあります」

訥々と語られるのは、普段からは想像もつかないような、気弱な綾咲の姿だった。
他愛もないことに悩んで、些細なことで臆病になる、どこにでもいる一人の少女。

「好きな人と一緒にいるとそれだけで嬉しくて、楽しくて、幸せなのに。
同じくらい不安で、苦しくて、泣き出しそうで。
会えなかったら寂しくて。いつも頭の中はその人のことでいっぱいになって。
嬉しくても悲しくても、胸がきゅって締め付けられるんです」

誰かを好きになること。誰かを好きでいること。それが幸福なだけじゃないって知っている、普通の女の子。

「私、今までこんな気持ちがあるなんて知りませんでした。こんなに幸せで、怖い想いがあるんだって……」

彼女はくるっと背を向けて、手すりへ一歩、足を進める。
その時、今日一番強い風が吹き抜けた。

「でも、怖くたって平気なんです。だって、私――」

風とダンスを踊るように両手をいっぱいに広げて、綾咲が振り向く。




「恋、しちゃったんですから」




柔らかく微笑みながら。

「恋に落ちちゃったんですから」

夢見るように幸せな表情で。

「恋する気持ちは、誰にも止められないから」

怖さも痛みも、胸を張って受け入れて。

「だから、私はこの想いを離したりしません」

夕日が放つ黄金色の光が、舞い踊る髪からきらきらこぼれて。

「世界でたったひとつの、私だけの恋ですから」

その姿に、我知らず惹かれた。
時計の針も、冬の寒さも、心臓の高鳴りも、綾咲以外の全てが世界から消え。
俺はその幻想的な光景を、いつまでも見つめていた。
まるで魔法をかけられたように。

完全に日が沈み、夜のとばりが降りた頃、俺はようやく綾咲を家まで送り届けていた。

「篠原くん、送ってくださってありがとうございます」
「ん、ああ」

鞄を両手で持った綾咲が、ぺこりと礼をする。
俺は生返事をしながら、すっかり冷たくなった手をポケットに突っ込んだ。気温はもうかなり下がってきていて、制服だけでは少々辛い。
雪ヶ丘の街路樹は葉を落とし、辺りはすっかり冬の気配を漂わせていた。気の早い家はもうクリスマス用のイルミネーションを飾っている。
ちなみに綾咲の家は外観こそ少々古いものの、立派な大きさを誇っていた。
いつもなら何か茶化した感想でも述べるところが、今はそんな気になれず、小さく手を振る。

「じゃあ、また明日な」
「はい。また明日です」

短い別れの挨拶に、綾咲は笑顔で返した。ただそれだけで、心臓が過剰に鼓動を打ち鳴らす。
彼女と目を合わすどころか、顔もまともに見られない。
俺はそれらの感情を無理矢理閉じこめて、自転車を発進させる。
後ろを振り向かなくとも、綾咲が見送ってくれているのがわかった。
そして角を曲がり、姿が見えなくなってから――

「だらっしゃ――――――――っっっっっっっっっっ!!!!!!」

走る。走る走る走る走る全てを解き放ってひたすらペダルを踏み込み、走る。
角を曲がり、曲がり、曲がり、アパートまで辿り着き自転車置き場に強引に愛車を繋ぎ、階段を踏み抜く勢いで駆け上がる。
身体を自宅の扉にぶつけながら止め、鍵を出すのももどかしくドアノブを引き、回し、引き、回し、ようやく開錠して靴を脱ぐのも慌ただしく部屋の中へ入り。

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

荒い息を吐きながら、ようやく落ち着いて

『篠原くん』
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!」

思い出した声をかき消すかのごとく壁にパンチ。パンチパンチパンチ。抉り込むように打つべし打つべし打つペキッという音が鳴って指に激痛が走り悶絶し床を転がる。
ベッドの足に頭をぶつけ、その衝撃で落下した目覚まし時計が額にヒットして――動きを止めた。

「あ〜…………」

口を開けて天井を見上げ、馬鹿みたいに呻く。手も頭も痛い。でもこれはすぐに消える。
消えないのは――



『恋、しちゃったんですから』




彼女の微笑みと、声と、この胸の痛み。
……ちくしょう。
ああ、認めるよ。認めてやるよ。

俺は綾咲優奈が――――好きなんだ。





(中編・おわり)






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