シチュエーション
今日も、昨日と同じように過ぎていった。 昨日も、一昨日と何も変わらなかった。 きっと明日も、今日と同じように過ぎるのだろう。 *** 「おはよう。」 学ランの前をはだけてトーストを頬張ったまま玄関を飛び出すと、門柱の向こうで いつもの微笑が待っていた。 高校へあがると同時に越してきた、香坂真弓。家と席とが近かったこともあって、 俺たちは同性以上に仲良くなった。 「急がないと、遅刻するよ。」 そういわれても、口に物が入っていては答えようもない。小さくうなずきを返して 歩き出した。いつもより少し、早めに。 真弓は大またで歩く俺の横を、トコトコとほとんど小走りでついてくる。 「ユウ、ちょっと、速いよぉ。」 「遅刻しそうなんだから、しょうがねぇだろ。」 そういって膨らませた頬は、ほんの少し桜色に上気していた。 「もう、遅れそうなのは誰のせい?」 文句を言いながらも穏やかな空気に変わりはない。 それは冬の終わりに吹く、匂やかな春の風のようで。 そんななめらかな時間が大事に思えた。 *** 窓際の席に着くと同時にチャイムが鳴った。 「坂下。今日もギリギリだな。」 そう言いながら入ってきたのは今日の一限、国語教師の寺脇だ。 ついでに言うと、俺の所属する野球部の顧問でもある。 決して強いわけでもなく、地方大会で一つか二つ勝てばいい。そんなチーム。 何もかもが平凡で、何もかもが当たりまえ。 型通りに出席を取り、型通りに授業が始まった。 ペン先で消しゴムをつつきながら、ぼんやりと外を眺める。 遠くから響いてくる、寺脇の声。 校庭に並ぶ、裸のケヤキを風が撫ででいた。 *** 「…ユウ?」 「…ん?」 真弓の声で周りを見渡すと、すでに授業は終わっていて、みんなざわざわと動いていた。 「見事な爆睡だったね。」 前の席に横座りして、俺の顔を覗き込む。 あたりまえになったその笑顔に、心臓が少し震えた。 「ねぇ、あんたたち本当に付き合ってないの?」 「何だよいまさら…」 声のしたほうに振り返って答える。心なしか不機嫌な声音になってしまった。 声の主は谷口里加。いわゆる真弓の「仲良しさん」だ。 「だって、端から見たらそうとしか見えないよ?学校来るのだっていつも一緒じゃん。」 「…家が近いだけだって。」 実際は、真弓が毎朝迎えに来るからなんだが。 「どーだかね……真弓、購買行かない?昼休みに行ったんじゃ、混んじゃうでしょ。」 「ん。いいよ。ユウも行く?」 「俺はいいや。弁当あるし。あ、でもお茶だけ買ってきて。いつものやつ。」 「ん。わかった。」 真弓が席を立つと、里加は俺にだけ見えるようにウィンクしてみせた。 まるで俺の気持ちを見透かすように、ものすごく意味深に。 *** 昼休み。野球部の仲間で弁当を開いていると、先輩が近づいてきた。 「「「ちゃーっす。」」」 全員立ち上がって挨拶する。 「今日の練習なんだけど、寺脇のヤツ出張だってさ。俺らも修学旅行のガイダンスあっから、今日はオフ。ラグビーに校庭譲っといて。」 「はいっ!」 主将の言葉に、俺たちは内心ガッツポーズする。…そんなだから強くなれないんだけど。 ラグビーに譲る、ということは自主練さえもできないということだ。廊下なんかで 筋トレするくらいならやれるけど、そんなヤツはいない…だろう。 立ち去る主将たちを見送りながら、案の定仲間たちは放課後の予定を立てだした。 吹きさらしの中庭はまだ少し、肌寒い。 それでも、頬をかすめる風は、ほんのわずかに春の匂いがして。 次の季節を予感させる空気の向こうに、真弓の姿を見つけた。 里加と机を挟んで談笑している、その姿だけが妙にクリアに視界に飛び込んでくる。 「…で、悠樹も来るか?」 突然話題を振られ、意識が引き戻される。 「あ、悪ィ。なんだって?」 「だから、カラオケ。放課後の話だよ。」 …カラオケ。楽しいとは思う。 確かに思うが、終わったときの何とも言えない虚脱感が好きになれない。 「ん〜、俺はいいや、悪い。」 「そうか。じゃ、四人で行くか。」 こんなとき、こいつらは無理強いしない。 遠慮はないが、深入りもしない。そんな距離感がありがたい。 パックの紅茶を飲み干して、教室に戻った。 *** 腹が満ちれば、眠くなる。 BGMが数学の講義では、なおさらだ。 よくわからない数字の羅列と公式が並ぶ黒板は、意識の隅に沈んでいった。 「……………。」 「…………………。」 「まったく、よく寝るね、この馬鹿は。」 頭上の声に意識が覚醒する。 「何だ、里加か。」 「何だ、じゃねーよ。部活ないんだろ、帰らないのか?」 …どうやら授業は終わってたらしい。 「あぁ、帰る。」 一つ伸びをしてから立ち上がると、里加が呆れた顔でこっちを見ている。 「…何だよ?」 「別に?世の中には物好きがいるんだなって思っただけ。」 「?」 「何でもないよ。真弓が図書室来いってさ。」 大して中身の入っていない鞄を抱えて教室を出る。 見ると、里加のバッグも大差ない。 「おまえ、そのバッグ勉強道具入ってるのか?」 「あんたに言われたくないね。少なくとも授業を聞いてはいるし。」 五十歩百歩だが、返す言葉もない。 軽口を叩きながら図書室へ向かう。 *** 「来たよ、真弓。」 真弓の姿を見つけた里加が声をかける。 「ん、ちょっと待っててね。」 そういって抱えていた本をカウンターへ持っていく。 「お待たせ。」 戻ってきた真弓と三人で家路につく。 とは言っても里加とは校門で反対の方へ別れるのだが。 一緒に帰る意味を感じないが、そのへんは女の子にしかわからないのだろう。 そんなことを考えていると、別れ際に里加が馬鹿にしたような声で言った。 「鈍いやつだな、おまえ。」 里加はたまに意味不明なことを言う。 もしかしたら、里加の言うとおり俺が鈍いのかもしれない。 真弓と二人で歩いていると、毎朝と同じ穏やかな時間が流れていく。 いつものように、ふわふわとした空気の中で。 人通りもまばらな住宅街は夕日に染まりはじめている。 「ねぇ、ユウ。」 「ん?」 「里加ってさ、誰か好きな人いるのかなぁ。」 「わかんねぇ。っていうかさ、真弓が知らないのに俺が知るわけないじゃん。」 突然の質問に戸惑いながらも、あたりまえの答えを口にする。 なげやりな答えに、真弓は不服そうな顔をした。 「本当に?里加、私にはしつこく聞いてくるのに自分のことはなんにも教えて くれないんだもん。…ユウなら知ってるかと思ったんだけどなぁ。」 「…聞かれるんだ?」 気になったところを、平静を装って問いかける。 「聞かれるよー。ユウとは本当に付き合ってないのか、って。」 事も無げに言って、悪戯っぽく笑う。 心が、痛んだ。 それでも、この関係は壊したくなくて。 疼きだした想いを封じ込める。 「…そりゃ、里加もわかってねぇな。」 「…だよね。ふふっ。」 精一杯の強がりに、真弓は笑いを返してきた。 その笑顔がわずかに寂しげだったのは……… たぶん、気のせいなんだろう。 「じゃあね、ユウ。」 「ああ。また、明日。」 我が家の玄関先で真弓と別れる。 すぐには家に入らずに、角を曲がるまで背中を追った。 振り返りもせずに角へ消えていく真弓。 「ただいま。」 玄関をくぐり、靴を脱ぎながらため息を零す。 穏やかで、柔らかな、それでいて近づけない距離。 「おかえり。」 夕飯の匂いが満ちていた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |