シチュエーション
1:変わらない軌跡 カラカラカラカラ。 車輪が回る音。 病院の中庭。ここでは、この音だけが唯一で在り無二。 人の気配は無く、すっかり秋色に染まった風景だけが、この空間全体を彩っていた。 「いつも迷惑掛けて、ゴメンね……」 目の前に居る彼女の口から出た言葉。『ゴメンね』と言う台詞は、この一週間で数え切れない程に聴いた。 だからそれが出た時、どう返せば良いのかも知っている。 「気にしないでよ。好きでやってるんだからさ」 そう言ってみるが、 「うん。ゴメン……」 彼女はココに来てから謝るのが癖になったのか、誰にでもすぐに謝罪を吐く様になっていた。 「ねぇ、真理(まこと)?」 先を行く彼女が、空への見上げを移さずに僕の名を呼ぶ。 「んっ?どうしたの朱夏(あやか)?」 一応問うが、朱夏の次言は決まってる。『予感』なんて曖昧なものじゃない。『確信』でさえ当て嵌まらない。 既に先の事を知っているんだから。 朱夏は、必ずこう言う。 「私……鳥になりたい」 聞こえた。一字一句間違っていない。 「翼が有れば、真理に迷惑を掛けなくて済むもの」 朱夏の瞳は夢見る少女。純粋過ぎるその瞳は、虚ろなまでに何も映さない。 「僕の事は気にしないで……だから一生懸命リハビリして、早く治そう?」 今から七日前、朱夏は自由を失った。 ――不幸な事故。 相手側の飲酒運転による衝突事故は、朱夏から家族と両足の自由を奪った。 「足……きっと治らないわ」 朱夏は分かってない。 どうして僕が、朱夏の車椅子を押しているのか。 幼い頃からの付き合いとか、同情とかじゃないんだ。ただ、朱夏の事が好きだから。 だからって、「絶対に治る!」とか確証の無い台詞は言えない。 でも、でもさ。これなら約束出来る。もし治らなかったら…… 「もし治らなかったら、僕が翼になるよ!どこへだって連れて行くし、なんだってさせて上げるよ!!」 本気の言葉。 確かな約束。 どんな事があっても、それだけは守る自信がが有った。 ――それでも、 「ううん、悪いよ……真理くらいは、良い人を見付けて幸せになって。私が側に居ると、真理の幸せまで無くなっちゃうから」 ――それでも。 それでも、朱夏の隣に居たいと思うのは駄目なのか? 幼い頃から恋い焦がれていた初恋の相手が、最悪の事態に向かおうとしているのに放って置ける筈が無い。 僕の気持ちは、朱夏と一緒の場所に在るんだ。 「真理……私、鳥になりたい」 この日二度目の台詞は、僕の言葉が彼女の心境に何の変化も与えてない事を教えてくれた。 2:夢見る少女の愛し方 「上手だね」 病室のベットの横。 僕の座る椅子ともう一つの椅子の上。 朱夏が視線を送る先には、僕の剥いたリンゴが紙皿の上で綺麗に六等分されている。 「たくさん、剥いたから」 この言葉は謙遜じゃない。本当にたくさん剥いたから、これほど出来るまでになったんだ。 朱夏が病院で生活するようになって一ヶ月。毎日一つ剥いたとしても三十個は剥いた事になる。 その間、僕も手伝って朱夏は朱夏はリハビリを毎日続けた。 僕が帰ってからも勤しんでいたのか、翌日になると初見の擦り傷を発見するほど。 朱夏が残した言葉に、「努力は人の見てない所でするから努力って言うのよ」と言う台詞が有る。 正直、感心した。言った本人も、「この言葉は後世に伝えられる」。と自画自賛するほど気に入っていた様だった。 「真理、何か飲み物ないかな?」 その言葉である事を思い出し、持って来たコンビニの袋へと手を伸ばす。 して茶色のパックと朱色のパックを確認。それらを一つずつ片手に掴んで朱夏の前へ差し出し、 「アイスで良いなら、ココアと紅茶が有るけど?」 どっちが良い?と視線だけで続けた。 「それじゃあ……こっちにする」 言って、茶色のパックを指差す。 「ココアで良いんだね?」 余った紅茶を残し、ココアとストローを一緒に手渡した。 すると直ぐに開封され、 「甘いわ……」 不満が発せられる。 「ココアだからね」 それでも朱夏は、「甘い」を連発しながら二分も掛けずに全て飲み干し、 「ふぅ、ごちそうさま」 満足そうに息を吐いて両手を合わせた。 「おそまつさまでした」 久し振りに朱夏の嬉しそうな顔を見れた気がする。 硬貨一枚でこれを見れたのは大した成果だ……と思っていたのだが、 「甘だるい」 この姫様は一筋縄では行かない様で。早く口直しさせろ、と視線で催促して来る。 しかしこちらのズズッと言う不定音は、中身が全て胃に収まった事を示していた。 その音に気付き朱夏は落胆するが、思い出したように再び表情を戻す。 「真理……動いちゃダメよ」 朱夏の両手が、僕の顔を捕らえる。一瞬の硬直。 ――動けない。 頭の仲で、これから起こる事を想像してしまっている。 すぐに離れなくちゃイケない。分かってるのに、身体が動かない。 悟ってしまってるんだ。『この魅力には勝てない』と。 だか、ら。せめて平然としていなければ。何事も無かった様に振る舞わないと。 こっちの心境を見抜かれちゃ……『されたいから動かなかった』と思われちゃ駄目だ。 ――顔が近づく。 そして、 「「んっ……」」 当然のように、赤く色付いた場所を重ねた。 たった数秒の、短い接吻。 「苦いわ」 どうやら、これもお気に召さなかったらしい。 「ストレートだからね」 僕の一言目。ポーカーフェイスで言えてるだろうか? 朱夏はスッと上体を元に。何とも思ってないのか、表情に変化は無い……無く見える。 僕は、初めてだったんだけどな。 「真理、いつもありがとね」 ――――――――ッ。 ちょっと待て! 今の台詞はオカシイだろ!?こんな事をした後に、朱夏が吐く言葉じゃない。 嫌な、予感が、する。 まさか朱夏は…… 「あ、あのさ朱夏」 僕の事を好いてしてくれたのであれば一番良い。僕の事を何とも思ってなくて、からかっただけって言うのでも良い。 でも、 「気にしないで。いつも迷惑掛けてるから……そのお礼よ」 破顔一笑。 やっぱりそうだ。 やっぱり朱夏は僕を哀れんでる。いつも迷惑掛けられて大変、って。 いつまで……いつまで、のぼせ上がってんだ? 何とも想ってない奴を、スキ好んで毎日見舞いに来る馬鹿がいるか?そんなお人よしがいるか? 毎日見舞いに来る理由なんて、そいつに好意を持ってるからに決まってるだろ!? それを、この女は。 「朱夏……」 朱夏、お前は。 「どうしたの?顔、怖いよ?」 嗚呼、 もう駄目だ。 堪えられない。 「誰にでもするのか?」 朱夏の顔は見ていない。見えるのは、足元の白いタイルだけ。 「えっ、何の事?」 白いタイルさえ見えなくなった。 眼を閉じたから見えない。 「お前は、誰にでも抱き着くのか?」 何も見えていない。 でも、それでも分かる。 朱夏の顔は、怒りと恥辱で、赤くなってる、と。 「そ、そんな訳ないでしょ!!私、そんな愚かな女じゃないわ!!」 ――まだ、『そうよ』って肯定された方がましだった。そうすれば、多少ショックを受けるかも知れないが、何も言わなかった。僕も『そうなんだ』って苦笑いして終わりだった。 「僕はね……朱夏が好きだったんだ」 瞳は閉じて俯(うつむ)いたまま。 朱夏の顔を見るのが怖いから。 「知ってたわ!でも……」 「だったら!だったら……哀れみの気持ちで、慰めなんか掛けるなよ」 その気持ちの中に、幻想を抱いてしまうだろ? 「僕は朱夏が好きだったから毎日ここに来てる。少しでも側に居たかったから……」 再び朱夏の表情を見ようと顔を上げる。 だが、今度は朱夏が俯いていた。 「私も真理の事は好きよ……だからね、さっきのは心からの感謝の気持ち。私も、真理に何かして上げたかったのよ。それにね……最後に、真理と絆を作っておきたかったの」 そう言うと朱夏は顔を戻し、舌を出して悪戯そうに笑う。 今朝からだ。思い出せば、今朝から違和感を感じていた。そして、今の言葉で確信する。 また、朱夏はオカシイ事を言った、と。 「最後……って、どう言う……」 「もう、ここには来ないで」 質問の結末を、彼女が告げる。 涙を流しながら微笑んで紡ぐ。 「お医者さんが言うにはね……私の足が完治するまで、最低でも五年は掛かるんだって」 知らなかった。 そんな事さえも知らなかった。 「だから、ね……」 その先は言わせたくない。 言わせたくない、のに。 唇は震えるばかりで、大切な言葉を発してくれない。 もう、 「さよならだよ」 間に合わない。 「真理も、私に付き添って時間を無駄にする事はないよ。もう、じゅうぶん甘えさせて貰ったからさ」 朱夏がさっきから言ってるのは、きっと『別れの言葉』。 「迷惑掛けてくれていいんだ!頼ってくれていいんだ!僕は、それで嬉しいんだよ!」 朱夏の一番近くに居るのは、自分で在りたいんだ! 「ダメ……だよ。これからは、自分の力だけで乗り越えてみたいの」 朱夏は真剣な眼差しで僕を見据えている。 ――ここまで、か。 これ以上引き止めるのは逆効果になる。朱夏の意志は、誰にも崩せない程に鉄壁なもねだろう。 僕の幸せだった夢も、ここでおしまい。 「いつか真理と一緒に歩ける様になった時、隣に居ても恥ずかしくない人間になりたいの。ちゃんと一人で生きていけるんだって、負い目を感じたくないのよ。ねっ……わかって?」 ――止まっていた時間が、動き出す。 これからは、それぞれの道を。 「だから……はい」 朱夏が小指を突き出す。 「絶対幸せになるって、約束」 簡単な契約。 僕が小指を絡ませれば、それで終わり。 「朱夏……どうしても、しなくちゃ駄目なのか?」 朱夏は僕が隣に居る事を望んでいない。 僕の人生を奪いたくないって思ってる。早く好きな人を見つけて、幸せになって欲しいと思ってる。 そう。僕だって、立場が逆だったら、きっと…… 「うん。してくれないと、真理のこと嫌いになっちゃうよ」 ――笑顔。 無理して表情を作ってる。これは僕だから分かるんじゃない。引き攣った口や震えた指を見れば誰にだってバレる。そんな笑顔を、精一杯の気持ちで作ってる。 これ以上、朱夏のこんな顔は見たくなかった。楽にして上げたかった。 だから、僕も小指を出す。 絡み合う指。それを合図に、朱夏が口を開く。 「約束……絶対幸せになるって、約束」 この瞬間に僕は、一番の幸せを失った。 でも、今だけなら我慢出来る。朱夏を待っていられる。朱夏の足が治ったら、必ず迎えに来るって約束出来る。 なっ……その時は、俺を幸せにさせてくれ。 自分の中の盟約。だからこれには『絶対』はない。自分自身の勝手なもの。 朱夏に良い人が出来るかもしれないし、僕が死ぬかもしれない。条件なんて、考えれば幾らでもある。 でも、それでも信じていたい。朱夏と一緒にいたい。 だから、 「迎えに来るから……朱夏が僕を待っていてくれる限り、必ず迎えに来る」 頷いてくれ。 頼む。僕の生き甲斐まで消さないでくれ。 「わた……んっ……」 朱夏は複雑そうな表情をして何かを言おうとするが、すぐに飲み込む。 心情を悟ってくれたのか? 良かった。これまで否定されたら、今まで築いた『自分』が崩れ去っていた。 一つ深呼吸をする。 ――もう大丈夫だ。 自らに言い聞かせる。 ――大丈夫。 何度も、なんども。 言いたい事は全て言った。朱夏も、僕も、最後の一言を残すのみ。 朱夏は笑顔。 僕も、笑顔を作る。 これが、最後の…… 「「さよなら」」 指を解き、そのまま朱夏に背を向ける。表情が崩れる前に。 何も言わない。言ったら、感情を殺し切れなくなるから。 朱夏も…… ――――。 部屋を、出る。 これでもう、振り返っても朱夏を見る事は出来ない。 「さよなら……朱夏」 病室のドアに向かって、もう一度、別れの言葉を掛けた。 涙は出ない。家に着くまでは我慢出来るだろう。 「大丈夫だ」 僕が生きていれば。 朱夏が好いていてくれれば。 僕らは必ず巡り会う。朱夏が居る、この世界のどこかで。 ――いつか、きっと。 3:剣と盾の誓い 彼が消えてから、四度目の春が来た。 つい先日、地元の大学に入学したばかり。 『迎えに来るから……朱夏が僕を待っていてくれる限り、必ず迎えに来る』 真理が言ってくれた言葉。 『私も待ってる……ずっと、待ってるから』 あの時……本当はこう言う筈だった。なぜ口を閉ざしてしまったんだろう? 言っていれば、待ってる時間も、こんな苦痛にはならなかったのに。 ……毎日のリハビリの甲斐も有り、完治するまで五年は掛かると言われた両足も、あの日から三年で普通に暮らして行けるレベルまで回復した。 頑張れたのは、早く真理に会いたいと願う想い。 元はと言えば、一人で何かをやり遂げたいと言う私の我が儘な思いが有ったから。 今となっては、それも怪しい。 私は最低の女ではないのか?悲劇のヒロインを演じたかっただけではないのか?『真理の為』なんて、単なるエゴだったのではないか? 分からない。 ただ……激しい後悔だけが残ってる。きっとそれはドンドン降り積もり、いずれ私を押し潰してしまうだろう。 だって、真理が居ないから。真理の家族は、二年前に引っ越していた。 どこに居るのかさえも…… もう会えないかもって思っただけで泣きたくなる。 でも、涙は出ない。すっかり枯れてしまった。 「待ってるよ」 今でも待ってる。 真理のいない世界で、笑顔でいる。 いつまでも…… 幸せなフリをしながら。 4:月明かりの雨に濡れて 「帰らないの?」 突然、私の名を呼ばれる。 「えっ?」 その声に気付き横に視線を流す。最近よく声を掛けて来る男の子。 そのまま辺りを見渡すと、既に最後の講義が終わった様で、教室に残っている者はそれぞれに帰り支度をしていた。 「うーん……」 頭を押さえ、声を出してまで思い返してみるが、受けた講義の内容は思い出せなかった。 「朱夏さん。帰らない?」 ――『一緒に』って単語は使われてないけど、恐らく『どこかに寄って遊んで行こう』と言う意味。 「ごめんなさい」 誘いを断る。 「そっか……うん分かった。それじゃあ、また明日」 そう言うと、声を掛けて来た名も知らぬ青年は、駆け足で廊下へと出て行く。 ――疲れた。 毎日の愛想笑いが、こんなに大変なものだとは思わなかった。 毎日、毎日。出る筈のない涙を流しながら心を濡らす。 ――もう出来ない。 これ以上、真理のいない世界で生きていけない。 だから……真理を待つのは、今日でおしまい。今日はアノ日からちょうど五年。 真理が迎えに来ると信じて待つ事は、もう出来そうにない。明日になったら、真理の事を忘れよう。 「ふふっ……なーんて、出来るわけないか……帰ろ」 教室を出る。 ――そう、忘れるなんて出来ない。 大学を出る。 ――二人で過ごした思い出は、どんな季節にも刻まれているから。 家に向かって足を動かす。 自宅までは近い距離じゃないけど、電車やバスに乗る気分じゃなかった。人に接したくなかった。 ゆっくり、ゆっくり歩んでいく。 見上げれば、そらにはまんまるおつきさま。 見下ろせば、型遅れの携帯電話。 私は……『今日が終わる』までに、真理から声を掛けて貰う事を望んでる。 早く。早く掛けて! もうカウントダウンしてるんだよ真理!! 「……っ!」 ――――。 そして、携帯の日付表示が明日へと変わる。 「嘘つき……」 私だけが今日に取り残されてた……真理は、来なかった。 ふぅっ、と溜め息を吐いて空を仰ぐ。夜に在る月は、その私だけに光を降らせている様に優しい。 明日からは、違う自分になろう。ずっと私の側に居てくれる人を見付けて幸せになる。 そう言う……約束だから。止まっていた時間を、動かさないと。 切り替え、残り百メートル弱の家路を急ぎ……そこで異変に気付く。 「誰か、居る?」 家の表札の前に、誰か立っているのだ。 ―――ドクン。 自分の鼓動が聞こえる。 嗚呼っ……間違いない。間違いなくあの人。 ――身体が覚えてる。心が覚えてるよ。 近くに居るだけで、私の鼓動を聞こえるまでに高くする人なんて、この世界で一人しかいない。 相手もこちらに気付いて駆け寄って来る。 もう出ないと思ったけど、涙が……停まんないや。 「ごめん。治るまで五年だって聞いてたから、それそろ大丈夫かなと思って戻って来たんだけど、だいぶ前に良くなってたんだな?」 ずっと待ってた。 やっと、時間が動く。 「遅いわ真理……待たせ過ぎよ」 震える喉を絞り、枯れそうな声を出す。 真理は何か言いたそうに表情を強張らせるけど、すぐに笑顔を作り直した。 「僕を待っててくれたって、自惚れてもいいのかな?」 思えば、真理にはちゃんとした態度を取った事がない。 「今日だけ……特別よ」 こんな状況でも、やっぱり逃げてしまう。そんなだから、抱き着いても真理は動かない。 こっちの本音を待ってる……恥ずかしがってなんかいられない。真理の気持ちは五年前に聞いてるから。 「ずっと、側に居てくれる?」 その言葉でようやく、背中に腕を回してくれた。 「もちろん」 ――涙が止まらない。 そしてそれは、 月明かりの雨に濡れて、きっと輝いてる。 5:君の名を呼べば 大学二年。 真理と再開してから、一年近くが経過しました。私のいる大学へ入学して来た真理と、毎日一緒に過ごしてます。 それと真理がここを離れていた理由は、単なる親の転勤だったそうです。それから私が言った事を律儀に守り、五年後に親元を離れて地元に一人で戻って来たそう。 決心が揺らぐから、という理由で連絡も取らずにいたのが、一番しんどかったとか。 真理も苦しかったんだな……と、共感してみたり ○月×日真道朱夏 「ふぅー……」 人生初の日記を書き終えた。この場合、小学生の時の絵日記は除外する。 急に書きたくなったから、大学ノートに殴り書き。 今は真理の暮らすマンション。ルームメイトって感じで一緒に住んでる。 でも、何年かすれば家族になる予定なので問題無し。 「あやかー!遅れるぞー!」 開いたドアから、私の名を呼ぶ声が聞こえる。こんな時に返すセリフはもちろん…… 「いま行くー!」 そう覇気良く答えて部屋を出ようとした時、書き忘れていた事を思い出して再び日記を開く。 すらすらすらっ。 いまとても幸せです。あの時の指切りは守れそう……っと。 「置いてくぞー!」 真理から催促が掛かる。 「わっ、待ってよー!」 急いで部屋を出て、玄関に向かう。きっと彼は、眉をしかめて待っているだろう。 絶対に幸せになるって約束。あの時は枷でしかなかったけど、今は二人を繋ぐ絆になってる。 顔が会う。 「いつまで待……ッ!?」 遮る為に詰め寄り、真理の頭をかかえて胸に抱く。 「ごめんね」 彼の耳元で小さく囁くと、 「わ……わかってくれれば良いんだよ」 照れてどもった声が聞こえてくる。かわいい。 いつもの道を、肩を並べて歩く。 太陽の祝福はとても暖かくて、凍っていたあの時を溶かし、ここまで導いてくれた。 ――もう大丈夫。 あの契りは、これからもずっと守られる。 だって隣には…… 太陽よりも暖かい、あなたがいるから。 FIN SS一覧に戻る メインページに戻る |