Can't Stop Fallin' in Love 後編(非エロ)
-1-
シチュエーション


ずっとひとりだった。

見慣れた部屋の中。いつもの部屋の中。
溶けて消えてしまいそうな暗闇の中で。
世界から切り離された静寂の中で。
ただひとりで、ただひとりを待っている。

心ではわかっている。
頭では理解している。
きっと来ない。
もう戻っては来ない。
あの扉が開かれることは、無い。
それでも――

待つ。
待ち続ける。

その時、不意に。
あっけなく、冗談のように。
固く閉ざされていた扉が、開いた。

光が部屋に射し込んでくる。
眩しさに目を細めて狭くなった視界に、誰かの影が映った。
逆光で、顔は見えない。
でも、待っていた人じゃないということは、わかった。
でも、知っている人のような気がした。

その人は、すぐ傍で足を止めた。
長い髪がさらりとこぼれる。
ゆっくりとこちらに手を差し出してくる。
不思議と恐怖感はなかった。
むしろ、ずっと求めていたような気さえする。
そして、その人はいつものような微笑みで――

「篠原くん」


「――――――――っ!!」

目を開くと、いつもの天井。今の学校に入学した時から住処にしている、ボロアパートの一室の天井だった。
冬の朝の控えめな日光が、室内を照らしている。
起きたばかりなのに、心臓の鼓動がやけに早い。
俺は顔を片手で覆いながら、ため息と共に朝の第一声を吐き出した。

「なんつー夢だ……」

わかっていた。わかっていたことなのだ。
覚悟もしていた。既に避けられないところまで来ていると。
言うならば――そう、運命。
だがそれでも、信じたくはなかったのだ。

「おお……こ、これは……」

手が震える。汗が一筋、額から流れ落ちた。
頭を振り、眼球から送られてくる映像を一旦リセットする。
まず心を落ち着けるため、大きく深呼吸を二回。首と肩を大きく回してから、指をぽきぽき鳴らし、戦闘態勢を整える。
念のために胸で十字を切り、覚えている限りのお経を口の中で唱えてから、手の中の紙に目を落とした。そこには巨大な文字でこう書かれている。

『二学期末試験結果』と。

その下には古文、数学など各教科ごと枠で区切られ、それぞれ今回のテストの点数が記入されている。
ちなみに全教科共通で満点は100であり、欠点となる30点以下だった場合は容赦なく数字が赤色で記載される。
さて、ここで篠原直弥くんの今回の成績なわけですが……。

「何という赤色……!」

赤。
赤です。赤なのです、ええ。
赤い。ひたすら赤い。素敵に赤い。そりゃもー赤い。真っ赤に赤い。

左端の現代国語が何とかセーフ。しかし無事だったのはそれだけで、そこから右へずらりと並ぶ赤・赤・赤。
中間テストで欠点はひとつもなかったので、今回軒並み急降下したことになる。
既に採点されたテスト用紙は返ってきているので、この結果はわかってはいたのだが、改めて一覧にされると破壊力抜群だ。

「……やべぇ」

今回はこれまでの貯金で何とか補習を免れたが、もし次もこんな点数だと、追試が確定してしまう。
そして追試でも調子が上がらなければ……うわ考えたくねぇ。
取りあえず精神の安定を保つため試験結果を鞄の中にしまいながら、何故成績がこんなにバンジージャンプしてしまったのか、
原因を考える――までもないんだけどな。思い当たる節はひとつしかない。
チラリと教室の中程に目を向けると、そこでは長い髪の少女が、クラスメートと何やら談笑している。今回も相変わらずの好成績を修めたのだろう。
何か気配を感じたのか、突然彼女が振り向いた。一瞬だけ目があったが、慌てて窓の外へと顔を向ける。
数秒にも満たない出来事だったのに、心臓は既に早鐘を鳴らしていた。
そう、原因は彼女――綾咲優奈だ。容姿端麗、成績優秀、意外に頑固で怒りっぽくて、でも茶目っ気もあるクラスメート。
そして…………まぁ、その………俺の片想いの相手だったり、する。
彼女への想いを自覚してからというもの、どうにも調子が出ない。というか、確実に集中力を欠いている。
ちょっとした時間、不意に訪れる空白の時間、気付いたら綾咲の姿や声を思い出している。
振り払おうとしても叶わず、何か別のことを考えていても、すぐに浮かび上がってくる。
ちなみに余談ですが夜中に好きな娘との会話を思い出してひとりニヤけるという決して人様に見せられない姿を
自室にあった鏡が極めて無機物的かつ客観的に映しておりうっかりそれを発見してしまい
突発的にさらば青春の日々と叫びながら窓から星が瞬く夜空へ飛び立ちたくなるという出来事もありました。
まぁ、そんな状態だから試験勉強など満足に出来るはずもなく、机に向かえど内容は頭に入ってこず。
結果、成績がこんな血塗れになってしまったというわけだ。

しかし、このままじゃマズイよなぁ……。
流れていく雲を目で追いながら、心の中でそっと呟く。
何というか、自分が恋愛するというのも想像がつかなかったが、まさか日常生活にまで影響を来すとは。
この恋心って奴は本当に厄介だ。まるでブレーキの壊れた自転車のように、コントロールが出来ない。
油断すると突っ走りそうになり、かと思えば浮ついた気分を急に奈落の底に叩き落としてくる。まるで出鱈目だ。
まったく、恋の病とはよく言ったものである。
だが、ずっとこの調子が続くわけでもないだろう。
今はまだこの感覚に戸惑っているが、そのうちに落ち着いてくるに違いない、というかそうなってくれないと困る。そうなってくれ頼むから。
取りあえず今やらなければならないのは、上っ面だけでもいつものように振る舞うことだな。
挙動不審の怪しい人物認定されるのは避けたいところだし。
冬休みまで残り一週間。まずはその期間を耐え抜き、休みの間に頭を冷やそう、うん。
そして元旦の抱負に『冷静沈着』と掲げ、以前のクールな自分を取り戻すのだ。
よし、やってやるぜっ!
決意を新たに教室に視線を戻した俺の間近に黒い瞳があって

「篠原くん?」
「――――っ!」

がったーんっ! という音と共に目に映る光景が天井へと切り替わった。

「きゃっ! だ、大丈夫ですかっ?」

どきどきどきどきどっくんどっくんどっくんどっくん。あ、よかったまだ生きてる。
心臓が激しくビートを刻み、血圧が急上昇しているのがわかる。
椅子ごと派手にひっくり返ったせいか背中が少し痛むが、そんなことはどうでもいい。
今、傍に立っている少女の存在に比べれば。

「篠原くん? 大丈夫ですか?」

さらりとこぼれる黒髪を押さえながら、心配そうにこちらを覗き込んでくるのは、俺を驚かせた張本人――綾咲だ。
急に声を掛けるな驚くだろ。でも声って急に掛けるものだよな。
あとあんまり顔を近づけるなドキドキするから。いや綾咲は前からこんな感じだぞ変わったのは俺の方だ。
色々な言葉が頭の中をぐるぐる回って、何を口に出していいかわからない。思考が支離滅裂になっている。

「あの……」

何も答えない俺に、彼女が戸惑った表情を向ける。ああやっぱこいつ綺麗だよな――って見とれてちゃ駄目だろ俺っ!!
いつも通りいつも通りいつも通りとハイスピードで心の中で繰り返し、無理矢理脳に落ち着きを取り戻させる。
よし、これなら大丈夫さりげなく何気なく平常心で鉄のハートでっ!

「よ、綾咲。どうした?」

完璧。パーフェクト。これぞまさにいつも通りの篠原直弥。
あの混乱から数秒で立ち直るとは、我ながら神懸かっているとしか言いようがない。
しかし綾咲は何故か困ったような顔で、

「あの、取りあえず起きません?」
「……………………そだね」

嘘ついてましたごめんなさい。いまだ混乱中でした。
床に倒れたままの身体と椅子を起こし、すごすごと座り直す。
格好悪いことこの上なかった。叶うものなら全速力でこの場から逃げ出したい気分だった。
すぐに綾咲を直視する勇気も出ず一旦ぐるりと教室を見回してみる。
他のクラスメートは倒れたときは派手な音に何事かと一瞬注目したが、原因がわかるとすぐに興味が失せたらしく、また雑談に戻っていた。
薄情な奴らである。

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんですけど」

声の方向に視線を上げると、申し訳なさそうな綾咲が。今回の場合、明らかに俺の驚きすぎなので、そんな表情をされると座りが悪い。

「いや、こっちこそすまん。考え事してたんで」

答えながら、微妙に目線をずらす。これは彼女と話すときに平静を保つための、自分なりの防衛策である。
ついでに言うと防衛策はもう一つあって、

「それより綾咲くん。テストの結果はどうだったのかね?」

このように、会話の主導権を握ることである。そうすれば自分のペースを崩されず、不意を打たれることも少ない。

「まぁまぁでしたよ。篠原くんはどうでした?」
「話題の選択をミスったと後悔している僕の心を察してください」

……逆に更なるダメージを負うこともよくあるが。

「もしかして、補習受けるんですか?」
「いや、それは何とか回避した。代わりに今までの貯金を全部吐き出したが」
「冬休み、自習しないといけませんね」

くすっと、綾咲が笑う。
こら、俺の成績が落ちたのはお前のせいなんだぞ。まったく、人の気も知らないで。
とはもちろん口に出せず、俺はむっつり顔をしかめた。

「あの、もし――」

と、綾咲が口を開きかけたところで、教室に備え付けられたスピーカーから電子音が鳴り響いた。
本日の授業は全て終了しているので、今からはホームルームの時間ということになる。
タイミングの悪さに彼女は少しだけ苦笑して、

「それでは、また」
「ああ」

軽く一礼して、自分の席に戻っていった。最後に何か言いかけていたみたいだったが、まぁいいか。必要なことなら後で聞けばいいだろう。
喧噪が飛んでいた教室が沈黙に包まれると同時に、担任教師が扉を開けて登場した。
教壇に立った教師からの連絡事項を聞き流しながら、ぼんやりと今日の予定を考える。
本日俺は中庭の掃除当番。綾咲はピアノのレッスンがあり、葉山は部活に顔を出すらしい。
三人の時間が合わないため、綾咲と一緒に帰宅するという放課後の労働は免除するとの通達が葉山から届いていた。
最初は仕方なく葉山の作戦に協力しただけのはずなのに、今は綾咲と会う時間が少なくなるのを残念に感じている。
一ヶ月前までなら想像も出来ないほどの、恐ろしいまでの変わりっぷりだ。ホント、どうしたもんかね。

「――起立、礼」

物思いに耽っているうちに、ホームルームは終了していた。号令通り挨拶を済ませると、みんな思い思いの方向に散っていく。
俺も鞄を持ち、立ち上がったところで、

「あ、篠原。ちょっと話が」
「さらばだ葉山また会う日まで」

声を掛けてきた葉山に別れを告げ、足早に教室を後にする。
さぁ今日は自由だぞぅ。ひゃっほぅ何をしようかなぁ。

「待ちなさい」

しかし人生はそう上手く運ばなかった。廊下を数歩も行かぬところで腕をがっしり掴まえられる。
振り向くとそこには予想通りというか必然というか、ポニーテールの少女が微妙に冷たい目で立っていた。

「話があるって言ってるのに、何で逃げるわけ?」
「急に葉山が来たので」
「何よその言い訳は」

呆れたように葉山がため息を吐く。くぅ、やはりこのセリフでは煙に巻くことは出来ぬか。
だけど『嫌な予感がしたから』とか本音を晒すと怒られそうだしなぁ。

……いや、同じか。

「取りあえず一緒に来なさい。ちょっと話したいことがあるから」

結局はこうなるんだろうし。
売られていく子牛のような気分で、諾々と葉山の後に続く。
あぁ、この哀れな子羊の運命やいかに。頑張れ子羊。負けるな子羊。わんぱくでもいい、たくましく育ってくれ。
あ、牛から羊へとクラスチェンジしているけど気にしないように。先生とみんなの約束だ。
などとどうでもいいことを考えているうちに、

「この辺でいいかな」

そう呟いて葉山が足を止めた。辿り着いたのは俺もたびたび利用する学生食堂、略して学食である。
学食は放課後も経営しているのだが、まだ授業が終わってそれほど経っていないため、周囲に人の気配はない。
料理人のおばちゃん達も奥に引っ込んでいるのか、姿が見えなかった。
うむ、一旦整理してみよう。
問1・この式の解を述べよ。
葉山+人気のない場所+話がある+嫌な予感=??

「ついに葉山がカツアゲのターゲットに俺を選択っ!?」
「んなわけあるかっ!」
「何故だ葉山! どうしてこんなこと! 本当に裏切ったんですか!?」
「こらそこ、いかにも私に何かされた的な演技しないように」

葉山は頭痛を感じているように額を指で押さえながら、盛大にため息を吐く。

「前々から聞きたかったんだけど、あんた私のことを一体どんな目で見てるわけ?」
「うーん、詩的に答えるなら、君の力は1万馬力・地上に降りた最後の戦士、だろうか」
「ふふふふふー、じゃあその1万馬力、全力で殴ったらどれくらいの威力か篠原の身体で実験してみましょうか?」
「葉山由理さんはどうしようもない俺の冗談をいつも受け止めてくれる、天使のように優しい女の子だと思ってます」

光の速度で手のひら返し。何か最近こんなスキルばっかり上達しているような気がするなぁ。うんわかってる自業自得だよね。
ミス・エンジェルから攻撃の意志が消え去っていくのを確認しながら、チラリと時計に目をやる。

いつまでも時間を掛けると掃除当番に間に合わなくなってしまうし、そろそろ問題の解答を出題者に求めることにするか。

「で、だ。話とは何だ葉山よ。ん、待て。この状況…………もしや愛の告白っ!?」
「自惚れんな超絶ヘタレ」
「……泣いていいですか?」

ばっさりと斬り捨てられた。致命傷だった。心のトラウマ大辞典にくっきりと刻まれた一言だった。
ブラックホールの中心点と見間違うほど暗いオーラを纏った俺に、流石に葉山も反省したのか、幾分か優しい声を掛ける。

「いつまでもぐちぐちしないの。それより、これ」

なんてことは当然なく、いつも通りのさっぱりした口調で何かが目の前に差し出された。
反射的に受け取り、まじまじと見つめる。手渡されたのは二枚のチケットだった。

「白岡シーズンランド無料招待券?」

白岡シーズンランドとはこの街から電車で数駅離れた場所にある遊園地である。
全国的に話題になるほどのアトラクション等は無いが、地元の人間には家族サービスやカップルのデートなどに利用されており、そこそこ賑わっているらしい。

「ここにお前と一緒に行けと?」
「正確にはみんなと、だけど。それ団体チケットだから」

確かにチケットには『本券一枚で四名様まで入場できます』とあった。
……何か話が読めてきたような。

「うちの父親からの貰い物なんだけどね。せっかく大勢で行けるんだし、終業式終わったらさ、暇な連中誘って遊園地で打ち上げしようって思って」

嫌な予感を裏打ちするように、葉山が続けてくる。
終業式が行われるのは12月24日。子供が夢を膨らませ、カップルは寄り添い、独り者は呪詛を吐くクリスマスイブである。

「まだメンバー全員は決まってないけど、あんたは参加ってことで」

当然のように葉山はそう告げて、最後にそれがいかにも自然なことのように付け加えてくる。

「もちろん優奈も誘ってるから」

一瞬、心が揺れた。だが俺は動揺を無理矢理押さえ込み、何気ない風を装う。

「俺の意志は無視か?」
「都合悪いの?」

きょとんとした顔で葉山が聞いてくる。俺が参加することは決定事項だったらしい。
葉山め、俺を相当な暇人だと思っているな。いいだろう、奴にこの世の真実を教えてやろうではないか。

「貴様は知らんだろうが、俺様はとても多忙を極めているのだ。
その日も炊事洗濯掃除からゲームのレベル上げまで、分刻みのスケジュールが組まれている。具体的に言うならお金がありません」

胸を張って暴露する。まぁ金欠なのはいつものことだけど。
このチケットは入場料は無料だが、アトラクションの類には普通に金が掛かるのだ。
先立つものが無い俺としては、このイベントの参加は厳しいと言わざるを得ない。
だが葉山は俺の説明にまったく動じず、

「それくらい大丈夫でしょ。今月は結構余裕って聞いたけど?」

そうあっさり返す。

「何故お前が俺の預金残高を知っている!?」
「あんたが自分で吹聴したんでしょうが。『期間限定ブルジョワジー篠原』って」

まさかそんな凡ミスを犯していたとはっ! くそっ、口は災いの元とはこのことか!

「それに少しなら私が貸してあげてもいいわよ。無利子無担保で」
「そこまでしなくていいけど……でもなぁ」

葉山の申し出をやんわりと拒否しながら、しかし俺ははっきりと答えを出せない。
正直に告白するなら、葉山の言う通りなのだ。
今月は彼女が用意した弁当によって昼飯代が浮いたため、遊園地に遊びに行くくらいの余裕はある。貯金を使う予定もないから、この計画に乗ったって構わない。
なのに俺が二の足を踏む理由、それは。

『もちろん優奈も誘ってるから』

綾咲優奈の存在だ。
本音は、行きたい。綾咲と一緒にいたい。同じ場所で同じ時間を過ごしたい。
けれど、怖い。離れていたい。近付きすぎれば、決定的な何かを決めてしまうことになるのかもしれないから。
もう自分で自分がよくわからない。どうしたいのか、この気持ちは何なのか。
濁流に呑まれた木の葉のように、思考がぐるぐるさまよっている。

「別に家で財布と相談してもいいけど。あと一週間あるんだし」

迷いを見て取ったのか葉山がそんな提案をするが、俺は小さく首を横に振った。
結論を先延ばしにしても、何も変わらないだろう。結局時間ぎりぎりまで悩んで、焦燥感に胸を灼かれるだけだ。
なら、ここで決めてしまえ。
一度、綾咲の姿を強く心に思い浮かべてから――
俺は答えを口にした。

空は憎らしいくらい晴れ渡っていた。けれど漂う冬の空気は、身を竦めてしまうくらいに冷たい。
俺は愛車を駅近くの駐輪場にチェーンで繋ぎながら、朝に見たお天気キャスターの言葉を思い出した。
夕方までは晴れだが、日が沈む頃には少し機嫌を損ねる可能性有り。今日は全体的に冷え込むので、もしかしたら雪が降るかもしれない――

「ホワイトクリスマス、か」

何とはなしに呟いて、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、歩き出す。
目指す場所はすぐそこにある駅前広場。
俺達と同じように待ち合わせしている奴らがちらほらいたが、その一団はひどく目立つため、遠目でもすぐに見分けることが出来た。
俺が広場に到着すると相手もこちらに気付いたらしく、ひとりの少女がブンブンと手を振ってくる。

「おーい、しのっちー。こっちこっち」

人数を数えると、どうやら俺が最後だったらしい。遅刻者がいないとは、なかなか優秀なメンツと言える。
まもなく集団に合流すると、手を振っていた少女が待ってましたとばかりに不満を口に出してきた。

「しのっち遅い。遅刻ギリギリ」

茶色がかった髪を肩より少し伸ばし、ヘアアクセサリーで飾ったこの少女の名は、秋田小町。ノリの良さと気安さが売りのクラスメートである。

「うむ、待たせたようだな皆の衆」
「うわ。滑り込みセーフのくせに一番偉そうですよ、この人は。何様のつもりか」

この野郎。普段は自分が遅刻する事が一番多いくせに、ちょっとビリを逃れたと思ったらここぞとばかりに攻撃してきやがる。
だが俺はそんなことで怒り狂うほど心の狭い男ではない。余裕の態度でさらりと受け流してやる。

「ふっ、真打ちは最後に登場するものなのだよ」

しかし秋田の隣にいた葉山がそれを聞いてニヤリと笑い、

「そう。それじゃあ今日のお昼ご飯は真打ちさん持ちってことでよろしく」
「すごいじゃん、しのっち太っ腹ぁ」
「貴様ら俺に年を越させないつもりか!?」

とんでもない罠に嵌められそうになった。まったく油断も隙も無い。
と、そこで俺の背中がポンと叩かれる。
振り向くと、ウェーブのかかった髪をショートにした小柄な少女がこちらを見上げていた。そしていつも通りの抑揚のない声で告げる。

「大丈夫。シノラーにそんな甲斐性誰も期待してないから」
「実際口に出されると傷つくからそこはさり気ない優しさを混ぜてください。つーかシノラー言うな」

俺の控えめな要求に彼女――日野ひかりは了解というように何度か頷いた後、

「パン買ってこいやシノラー」
「優しさカケラもねぇ!」

やっぱり苦手だこいつ。綾咲とは別の意味でペースを崩す達人だ。
というか、何で遅刻もしていないのにここまで好き放題言われなきゃならんのか。この世に情けはないのか神は死んだのかそうなのか。

「ほら、騒いでないでそろそろ行きましょう?」

救いの手は意外なところから差し伸べられた。
事態を収拾しようと腰に手を当ててその声を発したのは、はっきりとした目鼻立ちの、きびきびとした動作が印象的な女の子。
額を隠すように流した前髪をヘアピンで纏め、腰まである長い髪を揺らしている。その姿にはファッション雑誌のモデルになりそうなほどの華があった。
彼女こそ我が2年D組委員長、笹木貴子その人である。

「委員長の言うとおりだ。貴様ら全員反省するように」
「あ・な・た・が、一番反省なさい」

ギロリと睨まれた。
馬鹿な俺は被害者だぞ! と身の潔白を訴えようとしたが、笹木の口元が怒りに歪んでいるのを見たのでやめておく。
実は彼女、いつも俺に対してこんな感じである。どうも嫌われてるっぽい。
笹木とはほとんど喋らないし、何かした覚えもないんだけどなぁ。うーむ、謎だ。
そんな学校という閉鎖環境で形成される人間関係に思春期の少年らしく悩んでいると、秋田がひょっこり顔を出した。

「キーコ、あんまりしのっち虐めると可哀想だよ」

こいつ、自分が火付け役なことをすっかり忘れてやがる。

「虐めてません。正当な意見を述べたまでです。それに今から昼食を食べに行くんでしょう? 早くしないと、どこも満席になってしまうわよ」
「ちょっと話してただけじゃん。そんなに急ぐことないのにー」

諭す笹木に、秋田は子供みたいに口をとがらせてブーイングする。が、突然何か思いついたようにニヤリと笑った。

「キーコ、そんなにお腹すいてるの?」
「ちっ、違うわよっ」

笹木が慌てた口調で否定した瞬間、ぐぅっという小さな音が、しかしはっきりと我々の耳に届いた。

「…………っ!」

笹木の顔が羞恥に染まる。
発信源は明らかだった。

「わお。お約束ぅ」
「乙女の秘密ぅ」

秋田と、いつの間にか参戦してきた日野の茶化しに、笹木の顔が限界まで赤く染まる。
そして小刻みに肩を震わせ――

「ふ、ふふふふ…………こまち〜、ひかりぃ〜っ!」

爆発。広場にいた人々が全員振り向くくらいの大爆発。騒ぐなと注意していたあなたはどこへ消えたのですかと問いたいくらいの大音量だった。

「ほらキーコ、声が大きい注目されてるよー」
「どうどうどう」

すかさず秋田と日野は慣れた様子で笹木を宥めに入る。その手付きは一切の無駄が無く、まさに職人の仕事と評して差し支えない。
というかお前らいつもこんなことやってるのか。いやもう何が何だか。
取りあえず他人のフリをしておこうと秋田達から距離を取る。
かしまし娘たちの漫才を見物しながら昼飯はもう少し時間が掛かりそうだなぁとぼんやり考えていると、スッと俺の隣に並ぶ影があった。

「賑やかになっちゃいましたね」

微笑みかけられた途端、全身に緊張が走る。俺は悟られぬよう小さく深呼吸し、充分に間を取ってから彼女に同意を返した。

「まったく、一体いつまでやるんだか。いや俺とあの三人は何の関係もない赤の他人ですけどね?」
「篠原くん、その言い方はひどくありません? 友達は大事にしないといけませんよ」

綾咲優奈は言葉の内容とは裏腹のからかうような口調で、いつものように俺の瞳を覗き込んできた。
俺は顔と胸の奥が同時に熱くなる錯覚をやり過ごしながら、まだわいわいやってる三人組を指し示す。

「よし綾咲、あいつらのそばに行って『私はこの人達の友人です』と宣言してこい。俺はここで見守ってるから」
「それは遠慮しておきます」

俺の提案を控えめに、だがきっぱりと却下して綾咲は姿勢を戻した。困ったように秋田達を見つめるその姿に、俺はチラリと視線を送る。
黒のタートルネックに落ち着いた色のワンピース。コートと頭に乗せたベレーを同色の赤で合わせ、足はブーツで飾っている。
鮮やかな色合いが彼女にとてもよく似合っていて、思わず見とれそうになって慌てて目を逸らす。
私服姿の綾咲を見るのは初めてだったので、何だか落ち着かない。
そう、今回は全員私服集合なのだ。
冬休みに向けての心構えをたっぷり聞かされた終業式。
その直後に制服姿で遊んでいるところを教師にでも見つかったら流石にお説教は免れないだろう、という判断が下されてのことである。
昼間なら別に注意程度で済むだろうが、日が落ちてからだとややこしいことになるし。
そんなわけで自宅に着替えに戻る時間を考慮した結果、集合時間は12時ちょうどに決定。
ついでだから遊園地に入る前にみんなで昼飯を済ませてしまおうという魂胆だ。
このままだと昼食にありつけるのはいつになるかわからないが。

「貴子、もうそのぐらいにしたら?」

と思っていたら、あの大騒ぎしている集団に率先して関わる勇気ある人が登場。
パンツスタイルとコートに身を包んだ葉山由理が、呆れの混じった表情で笹木の肩をやんわりと押さえていた。この惨状にいい加減痺れを切らしたか。

「うう〜、ううううう〜〜〜」

笹木はしばらく涙目で子供のような唸り声を上げていたが、やがて徐々に落ち着きを取り戻していった。さすがは葉山、見事な手腕である。
などと感心していると、隣にいた綾咲が急に一歩前へ出た。そして俺を肩越しに見上げながら、

「そろそろ集まらないと、怒られちゃいますね」

くすっと笑う。

「というか既に怒ってるような気がするんだが」

実は事態が収束に向かったあたりから、葉山が『さっさとこっちに来なさい』とでも言うようにこちらを睨み付けているのである。
目の錯覚だったらいいなぁと思いつつ、気がつかないフリでやり過ごそうと考えていたのだが、やはり無理だったようだ。
というわけで葉山よ、騒ぎの後始末をお前に押しつけたのは謝るから、その鋭すぎる眼光はやめてくれ。生きてる心地がしないから。

「では、一緒に怒られに参りましょう、篠原くん」
「勘弁してくれ」

何故か楽しそうな綾咲にため息と共に返して、俺は彼女の隣へと足を踏み出した。

そんなこんなで昼食を取るべく向かった先は、バーガーショップだった。
昼飯の選択としては無難なチョイスである。俺達くらいの歳でハンバーガーが嫌いな奴はあまりいないだろうし、値段も程々、客層も男女問わない。
昼食を何処で済ませるか皆で相談したときも、この提案には誰も反対はしなかった。
だからといって、問題がゼロだったわけでもないのだが。
まず店内が混みあっていて六人席が確保できなかったため、四人と二人のグループに分かれることになった。
ちなみに内訳は葉山と綾咲で一つ、残りでもう一丁。
これはいい。店に入った時刻が昼飯時まっただ中であったため、充分予想できた事態だ。
問題はその次、席順だ。陣取った四人席には俺、その隣に秋田、左斜めに日野、そして、

「………………ふんっ」

真正面に我らが委員長、笹木貴子。イッツ予想外。つーか誰だこの配置にしたのは。
俺が彼女に嫌われていることを知らない奴はこの中にいないはず。つまり犯人はこの中にいる!
というわけで俺は犯人を捜すべく、慎重に容疑者達に探りを入れていく。まずは呑気にバーガーを口に運んでいる小娘からだ。

「どしたの、しのっち? 食べないの?」

違う。こいつはシロだ。続けて日野を見ると、何故かピースサインをしている。
犯人は目の前にいた!

「動機は『そっちの方が面白そうだったから』。アイアム愉快犯」
「貴様の仕業かっ! そして心を読むなっ」
「篠原がわかりやすいのがいけない」
「くっ、清廉潔白・公明正大・正直三昧に生きてきたことが仇になったか」
「うわぁ……。ここまで自分を客観視できないヒト初めて見た」

秋田が微妙に冷たい視線を送ってきたが、それは気にしないことにする。
取りあえず黒幕は見つかったので、すっぱりと探偵は廃業。目の前のチーズバーガーセットを攻略するとした。

「せめて本田と松下の奴らがいれば……」

バーガーの包みを開きながら、そんな愚痴をこぼす。
そもそも本日遊園地に行くメンバーは女子五人に男子三人の予定だったのだ。それが野郎どもが当日にキャンセルしたため、男は俺一人に。
両手どころか抱えるほどに花いっぱいと言えば聞こえはいいが、肩身が狭いったらありゃしない。恨むぞちくしょう。

「ま、仕方ないんじゃない。あの二人の性格考えたら」
「秋田、あいつらがドタキャンした理由知ってるのか?」

ポテトを口に運びながら発した俺の問いに、秋田はきょとんと瞳を向けてくる。

「あれ? しのっち聞いてないの?」

俺が頷いたのを確認すると、秋田は一旦ジュースで唇をしめらせてから、微妙に呆れたような顔で話し始めた。

「あー、本田ってさ、カノジョいるじゃない?」
「ああ、知ってる。あいつはことあるごとに他人に自分の恋人の可愛さを説こうとするからな」
「うん。ぶっちゃけあれウザイよねー」

思い出しでもしたのか、秋田が辟易したようにため息を吐く。
そう、本日参加予定だった本田には恋人がいる。
では何故クリスマスイヴを彼女と過ごさず、この独り者達のイベントに参加予定だったのかというと、
彼女のバイト先がケーキ屋だから、というのがその答えだ。

――知り合いの店だしいつもお世話になってるから、一番の書き入れ時に休むわけにいかないの。クリスマス一緒に過ごせなくてごめんね。

『彼女そう言うんだよオイ! な、健気だろいい娘だろぉっ! 
それで、俺がそんなに忙しいなら手伝おうかって言ったら、なんて答えたと思うよオイ篠原ぁっ』
『知らねーって』
『ううん大丈夫。私のことはいいから、クラスの人たちと楽しんできてよ。その代わり、ケーキが売れ残ったら全部買ってね――――って! 
なんていい娘なんだ最高の彼女だぁっっ!!』

『お前それはきっと騙されてる!』

回想終了。うん、同感。確かにあれはウザかった。

「もしかしてその彼女に何かあったとか?」

病気とか怪我とか。それなら予定をキャンセルしたのも納得がいく。
しかし秋田は首を振り、

「『ごめんやっぱり人手が足りないから手伝って』って言われたらしいよ」
「やっぱあいつ騙されてないか?」
「あ、人数は多い方がいいからって松下も連れてかれた」
「哀れな……」

上背もあり、がっしりとした体つきなのにどこか呑気なクラスメートの姿を思い浮かべ、俺は同情の涙を禁じ得なかった。






SS一覧に戻る
メインページに戻る

各作品の著作権は執筆者に属します。
エロパロ&文章創作板まとめモバイル
花よりエロパロ