Can't Stop Fallin' in Love 後編(非エロ)
-4-
シチュエーション


と今までの非礼を詫びる準備をしていると、ぽんっと慰めるように肩に手が置かれた。

「まぁそんなときもあるって。元気出せ」
「ありがとう、見知らぬ人……つーかゾンビかよ」

振り返るとすっかり存在を忘れていたゾンビが腕組みをして俺達の話を聞いていた。ちなみにまだ逆さ吊りのままである。
声からすると若い男であろうそのゾンビはうんうんと頷きながら、

「そんな卑下することもねーって。彼女放ったらかして逃げたわけじゃあるまいし。んな落ち込まなくても大概の野郎はお前と同じ反応するよ」

励ましてくれているのはわかるが、空中を逆さ吊りのままプラプラ揺れながらだと、何だか馬鹿にされているような気になるのは俺の心が狭いからだろうか? 
そんな俺の胸中を余所にゾンビは機敏に親指を立てると、

「とにかく第一関門は突破だ。これから先、何があっても彼女を守ってやるんだぜ?」
「そんな兄貴ポジション的な格好いいセリフ吐かれても。あと恋人じゃなくて友達です」

何故俺はゾンビと仲良く会話しているのだろう。そんな疑問を抱いたまま行った俺の訂正に、ゾンビはメイクで歪んでいた顔を更に歪ませる。
「ああ? 男らしくねーぞてめぇコラ。はっきりしやがれこの野郎。
つーか何で俺はカップル共を元気付けてんだよ。こちとらクリスマスから正月明けまで休みなしだってのに。
クソッタレめ、むかついてきた。おらおら、とっとと先に進みやがれ」
「恐ろしいまでの手のひら返しっすね!」

今までの面倒見の良い兄ちゃんな発言は夢だったんだと錯覚させるような、すがすがしいまでの変貌っぷりだった。
つーかあんた、最初に脅かしたとき以外仕事忘れてただろ。

「あーあ、俺も女とイチャイチャしてぇなぁ。ヘーイそこのカノジョ、お茶しない?」
「ヒトの連れ口説くなそしてゾンビ仕事しろ」

アンデッドにあるまじき軽薄さを漂わせるゾンビに吐き捨てて、俺達は先へ進むことにした。
というかこいつに付き合ってたら日が暮れる。きっとこのシーズン、客が来なくて暇なんだろう。最初の仕掛けであれだけ時間使ったのに後続の奴が全く姿を見せないし。
もしかして今この館にいる客って俺達だけなんじゃないのか?
まぁこんな風に考えられるってことは、最悪の精神状態からは脱したらしい。その点はゾンビの兄ちゃんに感謝、か。

俺はある程度進んだところで足を止めると、すぐ隣を歩いていた綾咲に声を掛けた。

「あー、すまん。偉そうに言っておきながらものの数秒も持ちませんでした」

ばつの悪さを誤魔化すため指が無意識に頬を掻いていた。綾咲はそんな俺を見て、

「いえ、あれは誰でも驚くと思いますよ。ゾンビの方もそう仰ってたじゃないですか。それに……」

綾咲はそこで一旦言葉を句切り、どこか安心したように微笑んだ。

「よかったです。篠原くんが驚いてくれて」

……どういう意味だろう。
はっ! もしや先程の俺の姿が携帯のカメラで隠し撮りされていて、後日脅迫されるのでは。
ふふふ、篠原くん、この写真がばらまかれたくなかったら次のテストの時にこっそり解答を教えてくださいな。優奈……恐ろしい子……!! 
ってあり得ないな。こいつ俺より成績いいし。何より携帯があったらこんな事態になってない。
発言の意図を読みかねて怪訝な顔を向けると、綾咲はそんな俺の行動を待っていたように続けてくる。

「だって驚くってことは楽しんでくれている証拠でしょう? お化け屋敷は驚いたり怖がったりすることを楽しむ場所ですから。
つまらなかったら、そんな反応しないと思いません?」
「まぁ、確かにな」
「ここに誘ったのは私ですから、ちょっと不安だったんです。もしかしたら篠原くんは退屈に感じてるんじゃないかって」

俺が綾咲に遊園地を楽しんでほしいと考えていたのと同様に、彼女も俺に楽しんでほしいと思っていた。それを聞いて何だか嬉しくなる。
でも素直に言葉にするのは照れくさいから、俺らしく皮肉げに返してやる。

「もしかしたらエンジョイタイムはあれだけかもしれないぞ。準備体操はもう終了したからな。
鋼の心と身体を兼ね備えるこの俺にもう油断はない。何故なら鋼だと油が切れると動けなくなるから。そんなわけで俺を驚愕させるのはもう不可能だぞ綾咲よ」
「篠原くん、意地悪です」

彼女はちょっとへそを曲げる素振りをしてみせてから、二、三歩舞うような足取りで前に出た。
それから俺に向き直って、柔らかい笑みを浮かべる。

「では、本当かどうか確かめに参りましょう」

だが俺はすぐには答えられなかった。彼女の表情に目を奪われていたのもあるが、それよりも左腕が軽くなったような不自然な感覚に戸惑っていたからだ。
まるでつい先程まで誰かに掴まれていて、綾咲が離れた瞬間に消失したような――――
いや、都合良すぎだろ。そう否定するものの、頭の奥ではどんどん推論が組み上がっていく。
腕を掴まれれば感触でわかる。だけど別のことに気を取られているときは例外だ。例えば突然目の前にゾンビがぶら下がったときなら。
そういえば少し開いていたはずの綾咲との距離は、いつの間にか肩を並べるほどになっていた。

「なぁ、綾咲」

受付のお姉さんが言っていた『友達以上恋人未満を落とすのに有効だから』という理由は綾咲には当てはまらない。
あいつは、その……俺を恋愛対象とは思ってないはずだし。
だったら残る選択肢は二つ。単に俺をからかったか、それとも。
俺は背後を親指で指し、問いかけてみる。

「さっきのやつ、もしかしてかなり怖かった?」
「さあ、どうでしょう? 自分でお考えくださいな」

しかし彼女はにこにこ笑ってはぐらかすだけだ。綾咲さん、意地悪です。

「悲鳴を上げなかったのは声が出ないくらい驚いたから、とか」

出来れば頼りにされた結果であってほしい。そんな多少の願望を込めて、俺は彼女を見つめる。
綾咲は立てた人差し指を唇に当てて、いたずらっぽく微笑んだ。

「ひみつ、です」

そうやってホラーハウスを満喫した後は。
二人でわいわい騒ぎながら、色々なアトラクションに挑戦した。
体験型の3Dガンシューティングをやって、綾咲と一緒に初心者丸出しの低いスコアを叩き出したり。
ミラーハウスに入って、ものの見事に出口がわからなくなってさまよったり。
ふらりと立ち寄ってみたゲームパークで、人生で初めて目にするというモグラたたきにおっかなびっくりな綾咲に吹き出してしまい、少しの間口をきいてくれなくなったり。
そんな時間を過ごして。
夕方になると葉山達と偶然に再会して、またみんなで行動した。
そうなってから、改めて思った。
あぁ、俺は綾咲が好きなんだって。
どうしようもなく好きなんだって。
ふたり一緒の時間を幸せに感じるくらいに好きなんだって。


だから――――


駅から吐き出される人の波は、なかなか途切れることがなかった。
それでも皆心なしか足早に見えるのは、やはりこの聖なる夜を誰かと迎えるためなのだろうか。
寒いからさっさと帰りたい、という意見が一番多いかもしれないけど。
時刻は夜の冷たさが身体に染み込んでくる午後九時。
うっかりナイトパレードなんてものを見物してしまったため、地元に帰ってくるのが予定より大きく遅れてしまった。
俺はもっと早く帰還しようと主張したのだが、民主主義という名の数の暴力に敗北を余儀なくされた。
まぁ家にいても特にやることもないので特に強く反対はしなかったのだけれど。
パレードが終わってから遊園地を出て、電車でこの駅に着いたのがつい先程。
それでもすぐ自宅に足を向けずにここでだらだらと話し込んでいるのは、何だかんだ言いつつみんな名残惜しいのかもしれない。
大勢で遊びに行くというのは、やはり楽しいものだからだ。
でも、それも終わりが来る。

「んじゃ、お疲れー」
「おっつー」

別れの挨拶を投げながら、秋田と日野、そして笹木が紅葉台方面のバスに乗車していく。
秋田と日野はこの後笹木の家に泊まりに行くらしい。タフだねぇ、三人とも。
そんな感想を抱きながら、綾咲と葉山が別れの挨拶を返すのを横目に、一人無言でひらひらと手を振る。
と、それに気付いた笹木が二、三秒葛藤した後、ぎこちなく手を振り返えしてきた。うーん、律儀だ。
三人を乗せたバスが発車すると、残された俺達の間に沈黙が降りた。
祭りの後の倦怠感。馬鹿みたいに明るいイルミネーションと、そこら中から聞こえる陽気なクリスマスソングと、人々の喧噪と。
賑やかで楽しい雰囲気が町中に溢れているのに、どこか寂寥感が漂う。

「それじゃ、帰ろっか」

それを打ち破ったのは葉山だった。いつもと変わらない態度で、俺達を促す。
その一言で、ギアが日常に戻ったような気がした。

「そうだな。気温も懐も寒いし」
「今月は余裕なんでしょ?」
「第5次篠原バブルは本日をもってはじけました」

駅に到着してすぐ回収してきていたマイ自転車から降り、スタンドを跳ね上げる。
ハンドルを握った手に、冷たさが急激に伝わってきた。
わずかに残っていた寂寥感と身体に染み入ってくる寒さを吹き飛ばすように、腹から声を上げる。

「よしアジトに帰るぞ野郎ども!」
「どうしてバイキング風なんですか?」
「まだ遊園地の気分が抜けてないんじゃない」

部下達の心はバラバラだった。というかお約束を解さない奴らだった。
くっ、これだから社会の常識を知らない世代は。

「あ、私用事思いだしたから先に帰ってて」
「うぉい!」

更に部下の一人が離反した。つーか帰宅の音頭を取ったのはお前だろうが。
そんな思いを込めて葉山を睨むと、彼女は苦笑を浮かべつつ、

「ごめんごめん。ケーキ買って帰らなくちゃいけないのよねー」
「それくらいなら待ちますけど」
「いいわよ。寒いし、時間だって遅いんだから。二人で先に帰ってて」

綾咲の提案をやんわりと断り、葉山はショッピングモールへ足を向ける。

「優奈、またね。篠原も」
「あ、はい。また」

肩すかしを食らったような気分で、綾咲と共に葉山を見送る。
つーかあいつ、本当に用事あるのか? また余計なこと考えてるんじゃないのか? 
しかしそれを確かめる術はない。
葉山の背中が人に紛れて見えなくなってから、俺は隣の綾咲へと視線を移す。

「どうする? ここで待っておくか?」

もし待つなら暇つぶしに付き合うぞ、そんなニュアンスを込めて尋ねたが、綾咲は首を横に振った。

「いえ。由理さんのお言葉に甘えて、先に帰りましょうか」
「お嬢様のご意志のままに」

彼女はくすっと笑って、

「では、エスコートをお願いしますね」
「今度は迷子にならないようにしないとな」

二人で帰路を歩み始めた。

夜空の星は薄い雲に覆われて、その輝きを窺うことは出来なかった。
それでも月だけは邪魔な帳の影響を受けず、暗闇を彩っている。夜の空気は痛いほどに澄んでいて、時折吹く風に身を竦める。
そんな冬の夜道を、月明かりと街灯に照らされながら、綾咲と一緒にゆっくり歩く。
皆家の中でパーティに興じているのか、街は静寂に包まれていた。
耳に流れてくるのは、自転車の車輪が奏でる音と、綾咲のブーツがアスファルトに響く音だけ。
世界で二人きりになったような錯覚の中で、稀にすれ違う自動車が、他者の存在を思い出させてくれる。
駅からここまで、俺と綾咲の間に会話はほとんどなかった。たまに短いやり取りを交わすだけで、後は無言で肩を並べている。
別に緊張しているわけじゃない。むしろ逆だ。ひどく心は穏やかで、程良く力が抜けている。
こんなことは今まで一度もなかった。二人の時はいつも話の種を捜していたような気がするのに。
遊園地で喋りすぎた影響か、それとも無言でも居心地が悪くならないくらいの関係になったのか――あるいは、その両方だろうか。
何にせよ、この雰囲気は嫌いじゃなかった。彼女もそう思っていてくれるといいのだけれど。
横断歩道の前で足を止め、信号が青になるのを待つ。肺から息を吐くと、白い煙がゆらりと広がり、消えていく。

「雪、降りませんね」

夜空を見上げながら、綾咲がポツリと呟いた。
つられるように視線を上げるが、星の見えない空からはまだ雪の降る気配はない。

「ホワイトクリスマスは難しいかもな」

答えた俺の言葉に、彼女の表情がわずかに曇る。俺は何気なく浮かび上がった疑問を、そのまま彼女に投げ掛けた。

「やっぱり、クリスマスには雪、降ってほしいもんか?」

恋人のロマンチックな夜を演出するには最適かもしれないが、残念ながら俺は悲しきロンリーウルフ。
子供の頃ならいざ知らず、この年になってからはホワイトクリスマスを願ったことはない。
綾咲も俺と同じく独り者のはずだが、女の子にはまた違った思いがあるのかもしれない。

「そうですね……」

と、そこで信号の色が変化する。俺達はどちらからともなく歩き出し、車輪の回る音が二人の間に流れた。
横断歩道を渡り終えたところで、自分の中の感情を整理するように、綾咲がゆっくり口を開く。

「私、今日とっても楽しかったんです。みんなと一緒にお昼を食べて、遊園地で遊んで、ナイトパレードを見て。
こんな楽しいクリスマス、初めてでした」

思い出を反芻しているのか、綾咲から笑みがこぼれる。

「今日は私にとって、きっと一生忘れない、特別な一日なんです。だから終わってしまうのが少し寂しくて。
でもホワイトクリスマスになって、雪で街が綺麗に色づいたら――眠るまで笑顔でいられそうな気がするんです。
きっとみんなもこの雪を見てるって、そう思えるから」

そこで彼女は顔を向け、いたずらっぽく微笑んだ。

「私、わがままでしょうか?」

俺は小さく首を振り、民家の庭のクリスマスツリーに目をやる。
その先には姿を見せない本物の代わりに、月の光を受けて輝く星飾り。

「いいんじゃないか? もうサンタさんからプレゼントも貰えないんだ。それくらいお願いしても罰は当たらないだろ」
「篠原くんがそう仰ってくださるなら、安心です」

二人してくすっと笑って、また帰路を歩み始める。
不思議なものだ。こんな雰囲気で綾咲と冗談を言い合える日が来るなんて、春には想像もしなかった。
ちょっと珍しいお嬢様の転校生、葉山の友達。
そんな認識だったのに、今はこの時が少しでも長く続けばいいと思う自分がいる。冬休みになれば、しばらくは彼女に会えない。
あぁ、確かに彼女の言う通りだ。恋するってことは嬉しくて楽しいけど、不安で寂しいよな。
だからせめて、幸せなこの日のことは忘れないでおこうと思った。

そしてその時間が終わりを告げる。
互いの家への分かれ道に辿り着き、俺達は足を止めた。名残惜しさが胸を占めるが、いつまでもこのままというわけにもいかない。
それじゃあ、と別れの挨拶を投げようとしたところで、

「あの、篠原くんっ」

綾咲に強く名を呼ばれた。視線を向けると、唇をキュッと惹き結んだ綾咲が、じっとこちらを見つめている。
その瞳に宿っているのは――決意、だろうか。意志のこもった眼差しに、思わずたじろいてしまう。

「えっと、どうした?」

戸惑い混じりに問うた俺に、彼女は一度大きく息を吸って、一歩だけ距離を詰めた。
その勢いのまま、彼女は口を開く。

「私っ…………その……」

しかし言葉はそれ以上紡がれずに、やがて消えていった。
声量と共に決意も萎んだのか、綾咲からは張りつめた雰囲気が失せている。
彼女は小さく息を吐き、

「いえ、やっぱり何でもありません。ごめんなさい」

いつもの笑顔に戻ってそう言った。『何でもない』わけはないのは明らかだったが、追求するのも憚られる。
取りあえず気にしないことにして、場の空気を変えるために別の話題を持ち出す。

「ま、今日は色々あったしな。人も多かったし。結構疲れたんじゃないか?」
「いえ、そんなに疲れてはいませんよ。本当に楽しかったですし。次の機会があったら、またみんなで行きませんか?」
「その時は携帯電話を忘れないように」

そんなやり取りを交わして、一区切り付いたところで綾咲が丁寧に一礼する。

「それでは失礼しますね」

一瞬離れがたい感情が胸を突いたが、それを押し込めて普段通り手をひらひらと振った。

「ああ。それじゃまたな」
「はい。また」

段々と小さくなっていく後ろ姿を見送る。
曲がり角でこちらに小さく手を振ってから、彼女は完全に姿を消した。
それを見届けると、俺はぎゅっとハンドルを握った。そして自宅へと自転車を走らせようとして――

「…………」

けれど、何故かそんな気になれなかった。
その場に愛車のスタンドを立てて、壁に背を預ける。ダウンジャケットのポケットに手を突っ込むと、じんわりとした痺れが手に広がった。
そのまま何をするわけでもなく、ただ空を見上げ、佇む。
夜空の様子は先程と変わらない。星は見えず、雪も降らない。
吐き出した呼気だけが白く色づき、天へと昇っていく。すっかり冷え込んだ身体は、瞼すら冷たい。
時折通り過ぎる人がチラリと視線を向けてくるが、すぐに興味を失い目を逸らす。
お喋りにしながらすれ違う女子高生が、喧噪を残して去っていく。
耳に届くのは風の音と、どこかの民家から微かに流れてくるジングルベル。
漠然とした寂寥感と、倦怠感。そんなものに身を浸しながら、雪が降ればいいのにと、ぼんやりと考えていた。

「――篠原?」

それを打ち破ったのは、聞き覚えのある声だった。
億劫に顔を動かすと、良く見知ったポニーテールの少女が視界に飛び込んでくる。

「こんなところで何してんの?」

駅前で別れたときと同じ格好、変わらない口調で尋ねてくる彼女に引っ張られるように、思考が普段の調子を取り戻す。

「うむ。サンタクロースというと基本的にひげ面の爺さんを想像するが、
もし本当に爺さんしかなれないとするならサンタの社会も高齢化で大変だな、
そろそろ新しい血を取り入れるべきなのではないかというどうでもいい心配をしていた」
「うん。ホントどうでもいいわね」

一切の躊躇無く断言する葉山さんの優しさに、わたくし涙が止まりません。

「――で、どうしたのよ?」

重ねて聞いてくる葉山に、俺は仕方なく正直に打ち明けるとする。
といっても、何故こんなところで突っ立っているのか、自分でもよくわかってないのだが。

「まぁ、何となく……」

俺の答えに葉山は綾咲の家へと続く道を見やり、

「優奈と何かあったの?」
「いや、別にないぞ」
「ふーん」

疑わしげな目で見られても、本当に何もなかったのだからこれ以上は答えようがない。

「つーか俺にはお前がここにいる方が不思議だよ。何故こんな所を彷徨っている? 
……ん? ひょっとして迷子か?」
「昼間思いっきりはぐれたあんたが言うセリフ?」
「……その節は誠に申し訳ありませんでした」

繰り出した軽口は見事にカウンターで返された。まさしくその通りなのでぐぅの音も出ない。
厳しいがこれが世の掟、敗者に許された権利は勝者を称えることのみ。

「悔しいが認めざるを得ないな。……葉山、お前がナンバーワンだ」
「あんたの中でどんな物語が完結したか知らないけど、取りあえず辞退しておく」

頂点の称号をすげなく投げ返すと、葉山は手に持っていた小さな紙袋を示して見せた。

「優奈から借りてたCD。今日渡すつもりだったんだけど、すっかり忘れてて。今から返しに行くところ」

ケーキを家族に渡して一度着替えのため部屋に戻ってから思い出したのだという。
どうやら俺は結構な時間、ここでぼうっとしていたようだ。

「休み明けでもいいんじゃないか?」
「優奈はいつでもいいって言ってくれてたんだけどね。でも冬休みの間、ずっと気にしておく方が精神的に良くないでしょ、っと」
そう説明しながら彼女は俺へと近付いてきて、
「……おい」
「ん? 何?」

自転車の荷台に女の子座りした葉山が俺を見上げた。

「まさか運転手をさせるつもりじゃないだろうな」
「いいじゃない、送ってよ。どうせ暇なんでしょ」

若干あどけなさを残した瞳で、彼女は笑った。俺はため息を吐いて、頭を掻く。

「貸しにしとくぞ」

断るのも面倒になって、俺は自転車のサドルに跨った。後ろ手に紙袋を受け取ると、前面に設置されているカゴに放り込む。
地面につけた両足を蹴り出すと、ガタンという衝撃と共にスタンドが上がった。

「いいわよ。篠原が今まで溜め込んだ借りを全部返してくれるなら」
「相殺でお願いします」

グッとペダルに力を込め、俺は愛車を発進させた。
車輪が回転し景色が動き出すと、冷たい空気が風になって吹き付けてくる。
そんなに急ぐ用事でもないだろうと判断し、緩やかな速度を維持することにした。あんまりスピード上げると寒いしな。
チラリと後ろに目をやると、葉山は慣れた様子で自転車に掴まりバランスを取っている。
ま、たまにこいつを後ろに乗せることもあるし、当然と言えば当然なのだが。
俺の視線に気付き、葉山は面白がっているような声を上げる。

「おおー、速い速い。楽ちん楽ちん」
「おおー、重い重い」

瞬間、ひやりとした感触が首筋に。

「うふふー、篠原? 私が後ろに乗ってるんだから、滅多なことは言わないようにね」
「はい、マスターチーフ!」

哀れな子犬のごとく無条件降伏。
もうちょっと頑張れよという意見もあるだろうが、仕方ないのだ。頸椎の安全には代えられない。
しかし葉山の奴、送ってもらう立場でありながらドライバーを脅すとは。
もしかして俺はとんでもない危険物を運んでいるんじゃないだろうか。
そんな考えを抱きながら、自転車を走らせていく。徐々に高級めいた家が並ぶようになり、現在地が雪ヶ丘だということを教えてくれた。
それと同時に、緩い上り坂が始まる。だが両足に感じる重量感はさほど無い。
先程『重い』などと冗談を飛ばしたが、実際は彼女の重みなど大したことはなかったりする。
しかし葉山でもやっぱり体重は気にするものなんだなー、太りすぎなけりゃいいと思うんだが。
というかあのスタイルだったら十分すぎてお釣りが来るだろうに。そこは男子と女子の違いというやつか。俺にはいまいちよくわからない。

「わっ、と!」

坂が終わり平地に差し掛かったところで、段差を踏んだ自転車が縦に揺れた。
それほど大きな揺れでもなかったが、葉山は体勢を崩してしまったらしく、とっさに俺の腰に掴まってくる。

「ごめん、思わず力入れちゃった。痛くなかった?」

少しだけ近くなった声に、正面を向いたまま答える。

「ああ、ダウンジャケットだったし。別にバランス取りやすいトコに掴まってていいぞ。
ただし首を締めるのだけは勘弁な」
「そんなことしたら二人とも転倒するでしょうが」
「大丈夫だ、俺に構わず先に行け!」
「いや、そんなに急いでないし」
「おみやげ忘れないでね」
「子供か、あんたは」

という話とも呼べないやり取りを続けているうちに、覚えのある家が見えてくる。

綾咲家には一度しか行ったことがないので少々不安だったが、脳はちゃんと覚えていたらしい。
凄いぞ俺の記憶力。テストの時ももうちょっと頑張ってくれ。
徐々に減速していき、門の前で停車する。同時に腰の感触が消え、葉山の両足が地面に付いた。

「流石に、篠原の自転車だと早いわねー」

こちらに向き直り賞賛を送ってくる葉山に、カゴに放り込んであった紙袋を手渡す。

「どうせ帰りも送らせるつもりなんだろ」
「ここからなら途中まで一緒だし、いいでしょ?」
「トナカイ使いの荒いサンタクロースだな」

予想できていたことなので、特に抗議もせず肩をすくめて、自転車を降りた。

「ありがと」

まぁ、こんな風に笑顔で礼を言われると、悪い気はしない。
すっかり冷えて固まってしまった手を揉みほぐしながら、彼女の傍に立つ。
葉山が門の脇に備え付けられたインターホンを押すと、すぐに応対の声が流れてきた。

『はい』
「夜分遅くすいません。葉山ですけど、優奈さんいますか?」
『あ、由理ちゃん? ちょっと待っててね』

葉山が名乗ると声が砕けたものに変わり、心持ちトーンも高くなる。
応対に出てる人は恐らく綾咲が以前言っていたお手伝いさんだろう。どうやら葉山とは知り合いらしい。

「それにしても、一人で住むには確かに大きすぎるよな」

インターホンの通話が切れているのを確認して、俺は独りごちた。
高級住宅街雪ヶ丘基準なら、綾咲宅はそれほど飛び抜けて広いわけでもない。むしろ造りが古い分、少々見劣りするかもしれない。
だが住人が一人というなら話は別だ。夜中にここで一人っきりって、想像しただけでちょっと怖いぞ。
綾咲よ、是非ともお手伝いさんにはローテーションで泊まっていってもらいなさい。
などと余計な心配をしていると、ガチャリと鍵の外れる音がして、扉が開いた。
しかし姿を見せたのは綾咲ではなく、還暦ほどの年齢のお手伝いさんだった。

「あ、石井さん」

葉山がお手伝いさんの名を呼ぶと、彼女は困ったような笑みを浮かべながらこちらに歩いてきた。
門を開き俺達の前で立ち止まると、申し訳なさそうな口調で告げる。

「ごめんなさいね、由理ちゃん。優奈ちゃんまだ帰ってきていないの」
「えっ、そうなんですか」

驚きを隠せない俺達に、石井さんは頷く。

「そうなの。さっき『少し寄り道してくる』って電話があったのだけど。何処に行ったのかしら?」

石井さんと同様に俺も首を傾げた。
俺はあの後もずっと同じ場所で佇んでいたが、綾咲には会っていない。つまり駅に戻ったということはない。
でもこの辺りは民家ばかりで、行くところもないしなぁ。

「あら? そちらの男の子は?」

三人で頭を捻っていると、石井さんが俺の存在に気付いたらしい。ここは軽く自己紹介をしておこう。

「初めまして。通りすがりのトナカイです」
「真面目にやれ」

葉山に睨まれてしまったので、背筋を正し気合いを入れて自己紹介テイク2を敢行する。

「初めまして。気が向いたときだけあなたの街の運び屋さん、篠原タクシーです」
「ごめんなさい石井さん、彼ちょっと残念な子なんです」

待て葉山、その称号は非常に不本意だぞ。
不当な扱いに抗議しようとしたが、石井さんのころころした笑いがそれを遮った。

「そうなの、あなたが篠原くんなの。優奈ちゃんとクラスメートなんでしょ? いつも話は聞いてるわー。
あ、ごめんなさい。私ったら名乗りもしないで。この家で働かせてもらっている石井と申します」
「あ、はい、どうも……」

急に饒舌になった石井さんに気圧されつつ、初めて会う人が自分のことを知っているとわかって、妙に照れくさい気分になる。
同時に綾咲が家でも俺の話題を口にしてくれているのが何だか嬉しかった。

「それで由理ちゃん、優奈ちゃんに急ぎの用事があるの? それとも渡すものがあるのかしら?」

俺を解放してようやく本題に戻った石井さんに、葉山が紙袋を持ち上げてみせる。

「ええ。これを返しに来たんですけど」
「だったら私から返しておきましょうか?」

愛想良く請け負ってくれる石井さんに、葉山はお願いしますと頭を下げた。

「はい、確かに預かりました。それじゃあ二人とも、いいクリスマスを」

そう残して家の中へ消えていく石井さんを見送ってから、俺と葉山は止めてある自転車の元に赴いた。
一際冷たい風が吹いて、反射的に体を震わせる。もう身体は芯まで冷えきっていて、肌が露出している部分が痛みを訴えている。
もしかしたらこの冬一番の寒さかもしれない。

「でも優奈、どこ行ってるんだろ」

独り言のような言葉が葉山の口から漏れるが、俺も彼女が求める答えを持ち合わせてはいない。

「さぁなぁ。途中まで一緒に帰ったけど、寄り道するなんて聞いてないな」
「確かあの娘携帯持ってないはずだけど、駅の電話ボックス使ってた?」

俺は首を横に振りながら、そういえば綾咲が携帯を所持していなかったことを思い出す。

「いや、駅からまっすぐ帰ってきて、いつもの所で別れた。
その後俺はお前が来るまでずっとあの場に居たから、引き返して駅に行った可能性は無いな」

もちろん別のルートを使えば別だが、と付け足す。しかし遠回りになるだけなので、考慮に入れなくても良いだろう。
だが駅の方面ではないとすると、綾咲が何処に向かったのか見当も付かない。電話ボックスだってこの辺りにはそうそう設置されてないだろうし。
葉山はしばらく腕を組んで唸っていたが、やがて降参するように大きく息を吐いた。

「ダメ、思いつかないわ。篠原、あんた優奈が行きそうな場所に心当たりある?」

何を言い出すんだ、この女。親友のお前がわからないのに俺が知っているわけがないだろう。

「あのなぁ、そんな場所――」

ない、と答えようとした瞬間、脳裏に一つの光景がよぎった。
茜色の空。黄金色の光。

『ここからの景色は、この公園だけのものですから。だから素敵なんですよ』

彼女の言葉。
もしかして、そうなら。そうだとするなら、俺は。






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