コトノハ ヒラヒラ第十四話(非エロ)
シチュエーション


夢を見た。どこか、遠くの方で蝉の声がして。周囲には人が溢れていて、ごちゃごちゃと喋っているけど、俺には何を言ってるのかさっぱり分からない。
その中・・・俺の視界の中心に、彼女がいた。倒れて生気を失っている人間に寄り添って、その最後の言葉を聞こうとしている。

『・・・やだよ・・・なんで・・・どうして・・・!・・・いかないで・・・わたしを、置いて行かないで!』

やがて、その腕の中にいた人が息を引き取ったのだろう。亡骸となってしまったその身体にしがみついた彼女が、胸も張り裂かんばかりに慟哭する。
すぐ近くから、涙に濡れた顔を見詰めていた俺は・・・

(・・・・・・・・・・)

指一つ動かす事は愚か、その頬の涙を拭うことすら、出来なかった・・・

「・・・っ!?」

頭を揺さぶられるように、目を覚ました。・・・本日の目覚め、最悪。

「・・・くそっ、なんて夢だ・・・」

昨日の今日で縁起が悪すぎる。頭を掻くが、苛立ちは消えなかった。

「・・・ん、かずくん?」

隣で、もぞもぞと咲耶が身体を起こす。誤解の無いよう予め言っておくが、昨日のうちに色気の漂う事態に発展したりはしていないので悪しからず。
・・・今ヘタレとか言った奴、表出ろ。

「ああ悪い、起こしちまったか」
「・・・・・・(ふるふる)」

謝ろうとした俺を制して、咲耶が首を振る。

「んっとね・・・ありがと。わたしね、すごく嬉しいよ」

昨日の俺の告白の事を言っているのだろうか。面と向かって言われると、すげえ気恥ずかしい物があった。

「あー、うん。まあその、なんだ・・・あー、っと」

何を言えば良いのか解らず、盛大にどもる俺。そんな俺を見て、咲耶は微笑みながら、俺の胸に顔を埋めてきた。
・・・そうだ。夢なんてどうでも良い。今、現実として、咲耶はここに居る。俺の腕の中で、微笑んでいる。それで、充分じゃないか。
咲耶の顎を指で持ち上げて、薄く開いた唇に自分の唇を重ねる。咲耶は、抵抗も何もしなかった。

「ん、ぅ・・・」

彼女が息をする動作さえ、俺にはとても美しく見えた。

「・・・あの、かずくん・・・」

胸元から、呟くような声が聞こえた。

「ん?どうした?」

視線を落とすと、咲耶が真っ赤になっている。まさか熱でもあるのかと思ったが、それを俺が言うより早く。

「・・・え、えと・・・その・・・あ・・・あたってる・・・」

咲耶はそれだけ言うと、赤くなった頬を更に赤くして、自分と俺の腰の辺りから目を逸らした。
・・・腰の辺り?

(・・・って、うぉ!?)

・・・まあ、その、なんだ。今は朝で。俺は起きたばっかりで。その俺は咲耶と身体を密着させていて。それでなくてもこういう年齢なので。重ねて言うが今は朝で。以下お察し下さい。
・・・嗚呼、俺の馬鹿。せっかくいい雰囲気だったのに一気に台無しじゃん・・・

「えっと・・・し、失礼しました」
「・・・・・・(ぶんぶんぶん)」

気にしないで、といったニュアンスで咲耶が頭を振る。が、それで分かりましたと言える程に俺も達観してはおらず。すげえ気まずい空気の中、俺はすごすごと咲耶から身体を離した。

********************

頭を冷やして来る、と言って、和宏は咲耶の部屋を辞した。多分洗面台に顔を突っ込んで水を被ってくるのだろう、と結論付けて、咲耶はもう一度ベッドに横になった。

(・・・まあ、かずくんも男の子なんだし・・・)

保健体育の授業で分かってはいるのだが・・・先程、腰の辺りに当っていた硬い感触を思い出すと、女としてはどうにも言いようの無い恐怖感を覚えずには居られない。
そういえば中学校の時、やたらと和宏が『頼むから朝は絶っっっ対に部屋に入るなよ?』と言っていたのを思い出す。
しばらく経ってからうっかり失念して部屋に入り、その理由を知ってしまったのだが・・・それから気恥ずかしくて、和宏としばらくまともに口を利けなかった。
しかし、朝起きて隣に誰かが居る、というのは今までに無い経験で、自分の心が何とはなしに高揚している事に、咲耶は遅ればせながら気付いた。

(・・・キス、したんだよね、わたし。かずくんと・・・)

自分の唇を指でなぞる。和宏の体温がまだ残っている気がして、瞬時に頬が熱くなる。

「・・・っ」

気恥ずかしくなり、タオルケットに再びくるまって敷布団に潜り込む。もぢもぢと身体を揺らすと、ついさっきまでそのタオルケットを二人で使っていたという事実も思い出し、更に頬が赤くなった。


********************


洗面所で冷水を頭から被ってから自室に戻ろうと思い、廊下に出る。と、そこで。

「昨日はお楽しみだったようだな」

煙草の臭いと共に、ドスの効いた声が耳に入り、咄嗟に俺は息を呑む。まさかと思い、声の聞こえてきた辺りに目を遣ると・・・

「・・・お、おかえり」
「うむ、ただいま」

・・・廊下に仁王立ちになった親父が、射殺さんばかりに俺を睨みつけていた。

「あ・・・あの、親父、これはその・・・」
「・・・とりあえず、リビングまでツラ貸してもらうぞマイサン」

万力のような腕で首根っこをがっしり掴まれて廊下をずるずる引きずられ、俺は市中引き回し刑の罪人よろしく連行される羽目になった。


いつもの食卓で、俺と親父が向かい合って座っている。それはまだ良い。親父は先程から煙草を吸っては握り潰し、吸っては握り潰しを四回ほど繰り返している。
よっぽど心を落ち着ける必要があるんだろう。そんな状態の親父に何か言ったら言ったで死ぬまで殴られそうなので、俺としても何も言えない。
やがて煙草の箱が一箱、まるごと空になった頃。

「・・・まあ、これだけは確認させろ」

親父は天井を仰ぎながら、重苦しく息を吐きつつ言った。

「事前か?事後か?」

一瞬、何の話かと思い・・・直ぐに、昨日俺たちがいかがわしい行為に及んだかどうかを聞いているのだと理解する。

「・・・事前です」

簡潔に、そう答える。

「どはぁぁぁぁぁ・・・」

すると親父は、大きく息を吐きながらテーブルに突っ伏した。

「お、親父?どうした?」
「・・・うん、まあ良い。なら良いんだ。取り敢えずよく耐えた和宏」

俺の答えに、心底安堵しているようだった。すると親父は食器の入った戸棚の方まで歩いていくと、何やら下段の引き戸を開けてがさがさと物色を始め・・・

「うむ、あったあった」

戻ってきた親父の手には、まだ封の切られていない煙草の箱が握られていた・・・将来の夢は肺がん患者か、この親父は。

「で、何があったんだ?七年も一つ屋根の下に置いといて何も無かったお前らがいきなりくっつくなんて、何か触媒になるような事があったとしか思えんぞ」

触媒というフレーズに、この親父が元々理系の出身である事を思い出すと同時。忘れてしまいたかった事もついでに思い出す。
・・・話した方が良いのだろうか。あの男が、七年ぶりに俺達の前に姿を見せた事を。

「・・・高橋光也」

ぼそり。俺が呟くと、親父の手から煙草の灰が落ちる。ただそれは、灰皿の上には落ちなかった。

「昨日、祭りの会場に居た。咲耶と話していて・・・咄嗟に、逃げてきた」

大嘘も良い所だ。実際は、そんな利口な手段は取れなかった。感情に任せてあの男に怒りをぶつけて・・・不安に襲われる咲耶を、ほんの数分でも一人ぼっちにした。

「・・・そうか、あいつが・・・」

言って、親父は手に持った煙草を銜え・・・それから、火が消えていたことを思い出し、それを灰皿の中に放り込んだ。そして、数刻の逡巡の後に・・・

「和宏、しばらく兄貴の家に泊めてもらえ」

いきなり、そんな事を言った。

「は・・・?」
「こうなった以上、お前らを同じ家の中に置いておく訳には行かん。夏休みの間だけで良い、咲耶とは離れて暮らしてもらうぞ」

呆けていた俺にも、親父の言葉の意味がようやく分かった。

「ふ・・・ふざけんなよ!?んな事よりも今は・・・!」
「なら聞くが、お前、この機に乗じようって気持ちが全く無いと言えるか?」

続けて放たれた言葉に、俺はぐっと言葉を詰まらせる・・・全くどころか、昨日の告白はまさに『それ』に因る物だった。

「・・・ガキの間ってのはな、何が起きても不思議じゃないんだよ。今お前がやましい事を何も考えていなくても、ふとした拍子に外に出てくる」

言葉が、容赦なく突き刺さる。最後に親父は、テーブルから立ち上がりながら言う。

「こんな事言うのは卑怯だがな、そんな風にして咲耶とゴールインできて、お前は満足か?」

もはや、俺に反論の余地は残っていなかった。・・・言いたい事は多々あったが、それを言うべきではない事に、俺は気付いてしまっていたから。

「・・・わかった。出てけば良いんだろ、出てけば」

夏休みの間だけだ。自分に言い聞かせて、部屋に戻る。程なくしてクローゼットから鞄を取り出し、俺は身支度を始めた。

********************

和宏が部屋に戻ってから、和也は新しい煙草に火を点けた。途端に、肺の中がニコチンとタールと一酸化炭素の混合気体に満たされる。
ふと、自分が和宏と同じ年の時、何をしていたか考える。煙草の味を覚えた辺りだったな、と思って苦笑すると同時に、人の顔を二つほど思い出す。

(光也・・・沙希・・・)

高橋光也と、久遠沙希。後に彼らが夫婦となるなど、当時の自分は思っていなかった。それは自分と、まだ桐生の姓を名乗っていた華澄も同じなのだが。

「あなた、今日は随分早いんですね」

和也の思考を中断したのは、勝手知ったる妻の声。

「うむ、ちょっと考え事をな」

言って、煙草を再び銜えようとした所で・・・
ぱしっ。

「・・・何をする、華澄」

目にも留まらぬ早業で煙草を没収された。

「何本目ですか?」
「まだ二本目だぞ。ほれ、箱の中にはまだこんなに残っている」
「あら。それじゃあゴミ箱の中にある空箱は私の見間違いかしら。昨日は無かったはずだけど」
「・・・・・・」
「それに我が家のリビングって、こんなに煙草の臭いが充満してたかしら」
「・・・ごめんなさい」

素直に負けを認めて、リビングの窓を開ける。華澄は没収した煙草を洗い桶の水に漬けてから灰皿に置いて、苦笑しながら言った。

「頭を使うと煙草を吸うのは、あなたの昔からの癖よね・・・特に、深刻な事を考える時には」

本当に、この妻には何も隠せない。和也は煙草の代わりに飴玉を一つ、口の中に放り込むと、溜息と共に言葉を吐いた。

「・・・光也に会わせるべきだと思うか?」
「咲ちゃんがそれを望むならね。けど私は咲ちゃんじゃないから、そんな事は分からないわ」

当たり障りの無い返答が返って来る。心のどこかで、和也も同じことを考えてはいたのだが。

「けど・・・私は、会わせてあげたいわ。『例え咲ちゃんが拒んだとしても』ね」
「・・・だな。荒療治だが、それが一番か」

胸の中で一つの決意を固めると、小さくなった飴玉をがりっと噛み砕く。と、その衝撃で、思わぬことを思い出した。

(そういえば、今兄貴の家にはあの子が居たが・・・まあ、良いか)

先ほど和宏に伝え損ねた事を、和也は黙殺する事にした。






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