コトノハ ヒラヒラ第十五話(非エロ)
シチュエーション


家の近くの駅から電車に乗り、十分ほどがたんごとんと揺られると、隣町に着く。そこからバスに乗って、またも揺られる事数分。そこに、伯父さんの家はあった。

「・・・あっつー・・・」

バスから降りると、途端に熱気に包まれる。一週間分の着替えと夏休みの課題を詰め込んだ鞄が、やけに重かった。
辺りを見回すと、視界は広い。畑と田んぼが広がり、それらの間に点々と民家が立ち並んでいる。はっきり言って、俺の住んでいる場所よりも田舎だ。

「伯父さんの家は・・・ここから歩いて十分・・・」

言葉にすると、気が遠くなりそうだった。

********************

「・・・・・・」

咲耶は不機嫌だった。原因は分かっている、和宏の不在だ。朝起きて朝食を食べて、いきなり和宏が出掛けた。大荷物に気付かず、「買い物でもしてくるのだろう」程度と思ったがそうではなかった。
華澄に理由を聞かされて、和宏がしばらく帰って来ない事を知ったのは、つい先程の事だった。

(・・・・・・かずくんのばか)

今朝まではあんなに幸せだったのに、と思うと、余計に寂しかった。
現在、家の中には咲耶しか居ない。和也は仕事だし、華澄も買い物に出かけた。ついでに友達の家に行って来ると華澄は言っていたから、多分二時間は帰って来ないだろう。
宿題を片付けようと思ったがどうにも手に付かず、休憩がてらリビングに来てよく冷えたジュースを飲んでいた次第である。

「・・・・・・」

ふと、和宏の部屋に入ってみようと思い立ち、ソファから立ち上がる。

(・・・きのうはわたしの部屋にいたから、これでおあいこ・・・かな?)

お邪魔します、と心の中で言いながら、立て付けの悪いドアを開く。見知った部屋が、眼前に広がった。

「・・・・・・はぁ」

が、やはり最大の違いというのはどうにも目に付いてしまうもので。人の気配の無い部屋を見て、咲耶は盛大に溜息を吐いた。来るんじゃなかった、和宏が居ない事を改めて確認しただけだった。
とりあえず、以前借りたままになっていた漢和辞典を、本棚に戻す。和宏の本棚はベッドの脇に付けてあるので、まずはベッドに昇るのだが・・・

「・・・・・・(ぴくっ)」

咲耶の眉毛が、何か閃いたようにぴくんと跳ね上がる。そして。

「・・・・・・えいっ」

ころん、と横になってみる。安物のパイプベッドが、ぎし、と揺れた。そのまま横を向いてみると、本棚が見える。三国志とか水滸伝とか、小難しそうなタイトルの本が並んでいた。

「・・・・・・(ぷいっ)」

中国史にはさほど興味は無いので、そこからは視線を逸らす。今度は上を向き、背泳ぎをするように手をすいすいと動かしてみる。

「・・・・・・・・・・・・(ぱたぱた)」

なかなか楽しい。もうちょっとオーバーな動作で空気を掻いてみる。すいすい。すいすいすい。すいすいすいすい。すいすいすいすいすい・・
・ごっ。

「っ!?あ、っ・・・!〜〜〜っ!(ふるふるふる)」

伸ばした右手を壁にぶつけた。とても痛い。あまりに痛かったので、ベッドの上で身を縮めて、しばらく痛みに打ち震える。傍から見ればただのお馬鹿さんだが、まあ咲耶なので。

「・・・・・・はぁ」

一通り悶絶した後、身体を伸ばし、またもや大きな溜息を一つ。

(これじゃわたし、まるでただの変な人だ・・・)

まるで、というか全く以ってその通りなのだが、彼女はまだその事に気付いていない。

「・・・・・・あ」

ふと、ぶつけた右手を見てみると、手の甲の外側、親指の付け根の辺りが赤く腫れていた。今までは気になっていなかったが、一度目にすると、どうにもじんじんと痛み始めた気がした。

「ん・・・」

ほぼ反射的に、右手を口元に運び、腫れている手の甲を吸ってみる。虫刺されなどを見つけたときに、彼女は患部を吸う癖があった。

「ちゅ・・・っ、ん・・・はふ・・・」

・・・健康な諸兄に言っておくが、あくまでも打撲の応急処置の音である。念の為。

(・・・かずくんが居ないだけで、こんな風になっちゃうなんて)

じんじんと痛む指を舐めながら、ふと思った。こうして冷静に考えると、自分はかなり和宏に依存している。今だって、和宏の居ない部屋で、なんとか和宏の形跡を探そうと躍起になっている。

(これで、良いのかな・・・?)

七年前に父が消えた時、周囲の心無い声から自分を守ってくれた和宏。そして昨日父が現れた時、不安に震える自分を抱き締めてくれた和宏。ずっと、彼に惹かれていた。恐らく、出会った時から。
だから、昨日の夜に互いの想いが通じたとき、手放しで嬉しかった。こんなに深く愛された経験が、咲耶には無かったから。けれど彼の想いに、自分は真っ向から向き合っただろうか?

(・・・わたしは、かずくんが好き。けど、昨日のわたしは、かずくんじゃなくても良かった・・・?)

脳裏をよぎった言葉に、背筋が冷える。そんな馬鹿な、自分はそんな女じゃない。それでも、昨晩自分のそばに居たのがたまたま和宏だった、という疑念は消えない。

「・・・違う・・・」

違う。

(わたしは・・・わたしは、本当にかずくんが好き。慰めてくれなくても、抱き締めてくれなくても・・・!)

自分自身に言い聞かせるように自答する咲耶。それでも、いや、だからこそ余計に・・・和宏がそばに居ない事が、悲しく、切なかった。

「・・・っ!」

不意に涙が零れそうになり、咄嗟にそれを枕に押し付けて拭う。しばらくそのまま、込み上げる嗚咽を押し殺す。枕からは、愛しい人の匂いだけがした。

(・・・かずくんの、匂い・・・)

枕を胸元に抱えこむようにして、両手で抱き締める。和宏の髪からかすかに漂う、日差しに灼かれたような香りが、枕に移っていたのだろう。懐かしい匂いに、少しだけ呼吸は落ち着いた。

「・・・・・・」

冷静さを取り戻した頭は、無意識に、それを与える物を求める・・・もっとも、その時点で冷静でも何でも無かったのだろうが。

(・・・もう少しだけ・・・もう少しだけ・・・)

枕に顔を埋めたまま、すうっ、と息を吸い込む。和宏の匂いに肺が満たされるような気がして、無意識に、何度も何度もその行為を繰り返す。
「・・・かず、くん・・・」

その名を呼んだ時、自分の身体に異変が起こっている事に、咲耶は気付いた。薄着をしているのに、全身が熱かった。それだけじゃない。いつの間にか、呼吸は荒くなっていた。
深呼吸をしすぎたからかと、一瞬思う。が、それだけでない事は、どこかで気付いていた。全身が熱くて、ベッドの上の敷布団に触れているとじっとりと汗をかいてる事が余計によく分かる。
けれど、ベッドから離れる事ができない。むしろ、もっと触れていたい。少しでも、和宏の痕に触れていたい。

(わたし、何して・・・)

不快とも何とも言えない感覚に、咲耶は寝返りを打つ。と、その時。

「・・・!?」

擦れた太ももの辺りを、湿っぽい感触が這い、咲耶は大いに動揺し・・・そこまで来てやっと、自分の大事な場所が汗とは違う湿り気を帯びていた事に気付いた。

「え、っ・・・うそ・・・!?」

精神的に幼く見えても、咲耶とて年頃の少女だ。それが何を意味する現象なのかは、保健体育の時間に嫌と言うほど教えられた。まあ正直聞きたくも無かったが、テストで点を取れなければ拙いので。

(こ、これって・・・)

自分が今、現在進行形で、和宏に欲情している。それは咲耶にとっては、不快も快も無く、ただ混乱だけをもたらす事実だった。






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