コトノハ ヒラヒラ第十七話(非エロ)
シチュエーション


「あー・・・ったく、酷い目に遭った」

洗面所から借りたタオルでがしがしと頭を拭きながら、俺は日差しの照り付ける縁側に座り込んだ。冷たい麦茶とスイカを持った伯父さんが遅れて現れ、俺の隣に座る。

「お前も学習しないなぁ。小さい頃から七瀬がうちに来る度にあの子の悪戯の餌食になってただろうに」
「まさかこの年になってまでやられるとは思わなかったんだって。つーか、学習しないっつったら、あいつこそ昔とやる事が全然変わってないじゃないかよ」

ぶつぶつと言いながら、俺はスイカにかぶりつく。しゃりっと音を立てて、口いっぱいに水っぽい甘さが広がった。

「何よー。和宏だって悪いんだよ?あんな面白いリアクションされたら、誰だっていじめたくなるよ」
「お前だけだ、そんな悪趣味の持ち主は」

伯父さんの反対側に座って麦茶を啜りながら悪びれもせずに言う従妹に、俺は素っ気無く言い返す。
七瀬は、俺から見て遠い親戚に当たる。同世代ではあるものの親等も離れているので従妹という言い方も正しく無いのだろうが、俺にとってはどうでも良いので従妹の一人と思っている。
小さい頃から活発だった七瀬は、年の近かった俺によくちょっかいを掛けて来た。どうにも、毎度毎度悪戯の度が過ぎて、俺にはいじめられている様にしか思えなかったが。

「好かれてるとでも思っときなさいよ。人間ちょっかい出されるうちが華なんだから」
「・・・落とし穴に落とされたり、寝てる間に髪にリボン巻かれたり、コーヒー牛乳だといって牛乳に醤油混ぜたものを飲まされたり、宿題のノートに消しゴムかけられたりするのが?」
「・・・まあ、小学生の頃って、大概誰だってそんなもんでしょ」

夏休みの課題を白紙にしやがったのは中二の時だろうが。言いさした俺に、七瀬はいきなり肩をびたっとくっ付けて、柄にも無く俺にしなだれかかって来た。

「かーずーひーろー。もうそんな昔の事なんて忘れてさぁ、お姉さんとイイ事しない?年齢マイナス彼女居ない歴イコールゼロの坊やにはいい体験かもよ?」
「離れろ気持ち悪い」

一言だけ言って俺は七瀬の頭を掴み、べりっと引き剥がした。言っておくが俺の方が誕生日は先である。
どうにも、今こいつと話していると無性に腹が立ってくる。八つ当たりだと分かっているが、それでも胃の辺りの疼きは治まらず。結局俺は、客間に引っ込もうと思い立ち上がる。

「あ、台所行くんなら麦茶のおかわり頂戴」

・・・・・・めんつゆ飲ましたろーか、この女。

********************

「・・・ねえ、伯父さん」
「ん?」

苛立たしげに縁側を立った和宏が台所へ消えるのを見送った七瀬は、傍らに座る和樹に声を掛ける。

「和宏の奴、どうしたの?」
「恋煩いだろうよ。若いというのは本当に羨ましい」
「ふーん・・・」

言って、七瀬はコップに口を付け・・・

「・・・あ」

中身が空になっていた事を思い出した。

********************

麦茶の入っていたガラス瓶を縁側に置いてから(注いでやるのは腹立たしいので)、俺は荷物を持って客間に足を踏み入れる。部屋の隅っこに鞄を放り投げて、畳の上に横になった。

「・・・・・・はぁ」

溜息を一つ。この家に来ても、正直言ってすることが無い。課題を片付ける気にもならない。ああ気だるい。しかし暑苦しくて寝ようにも寝られやしない。要約すると気分は最悪。
・・・原因は、分かっているのだが。

(守るとか言っておいて、次の日にはこれだものな)

咲耶が居ない。それが、俺にとってこれほどに堪える物だとは思わなかった。今までは、俺が咲耶の面倒を見ているつもりだった。が、どうやら俺も俺で彼女に依存していたのだろう。

(会いたい・・・)

自分が、こんな事を考えるようになるとは思っても居なかった。ずっと、咲耶が傍に居るのは俺にとって当たり前の事だったから。
・・・あの男との再会から、僅か一夜。二十四時間経っていない。それなのに、俺の周りではいろいろな事が起こった。
咲耶に想いを伝えて。彼女はそれに応えてくれて。その直後に家から追い出されて。そして、七瀬と再会した。最後の項目は、個人的には無くても良かったが。

(くそっ・・・全部あいつのせいじゃないかよ)

高橋光也。あの男のせいで、全てが無茶苦茶になったというのに。あの男は、何食わぬ顔をして戻ってきやがった。俺は、それが気に入らない。

(七年前に、咲耶がどんな気持ちで居たか知らないくせに・・・!)

七年前。あの男が失踪してから、咲耶を引き取ると最初に言って来たのは、咲耶の母方の家だった。
彼女の祖父母は多忙を極める身で、我が家にその話を持って訪れたのは彼女の叔父だという人だった。

『・・・ですから、咲耶ちゃんは私どもの方で・・・』

その時に知った事が、幾つかある。咲耶の母の実家・・・久遠の家は、隣町の名家だった事。そして、そこの長女・・・咲耶の母と共にこの町まで駆け落ちてきたのが、あの男だったと言う事。

『・・・断る。こんな状態のこの子を見知らぬ土地に放り出せば、俺たち夫婦は沙希にも光也にも申し訳が立たん』

その手助けをしたのが、二人と仲の良かった俺の両親だったと言う事。

『ですが、彼女は久遠の縁者です。彼女を引き取る義務が、私には御座いまして・・・』
『この子は!・・・この子は、高橋咲耶だ。久遠なんて苗字じゃない』

俺と昨夜は隣の部屋で、そのやりとりを聞いていた。咲耶の傍に居ろと言われて俺達は隣の部屋に居たけど、聞きたくも無いその声は、薄い壁を越えてしっかり聞こえていた。

『・・・致し方ありませんな・・・山口和也さん、建築会社にお勤めですね?』
『・・・それがどうした』
『奇遇ですな、私も同業でして・・・そちらの会社にも、学生時代の友人が居ます。少々の口利きは可能ですが・・・それに、あの男と姉の事を略取誘拐と捉えれば、あなた方も・・・』
『貴様・・・』

父の柳眉が逆立ったのが、声だけで分かった。

『申し訳ありません、このような方法は使いたくないのですが・・・私としても、どうしてもあの子を引き取りたいのです。私達夫婦には子供が生まれませんで・・・』
『養子にとって次の代にでも据える気か!?・・・久遠の家は昔から、金の話で揉めやすいと聞く。沙希は、それが嫌で光也に付いて行ったんだろうが!』
『・・・姉の事は、私も残念だったと思っております。ですが逆を言えば、姉が逃げなければ、あの子は久遠の娘として幸せな未来を保証されていました』
『あの子は人の心に敏感だ。あんたがあの子を『長女の忘れ形見』と言って担ぎ出せば、あの子には直ぐに分かるぞ』
『久遠の家に生まれた以上、我慢してもらわねばなりませんが・・・』

そこまで聞いた俺の目に、ある光景が映った。

『・・・とう、さん・・・』

俺の服の裾を握り締めて、咲耶が震えていた。その頬に、透明な雫が、一筋伝って。それを見た俺は。

『でてけぇっ!この野郎!』

生まれて初めて、キレた。

『『えんじゃ』だの『くおんのむすめ』だのうるせーよ!あいつには咲耶って名前があるんだ、ばかやろぉっ!あいつの名前も覚えてないよーな奴が訳わかんねえ事言うなーっ!』

・・・うん、我ながら滅茶苦茶だな、この言い分。
まあ、それはさて置き。木製の野球バットで俺にボコボコにされた男は、そのまま逃げるようにして出て行った。まあ、実際逃げたんだろうが。
俺は親父に散々どやされたが、後から同じぐらい褒められた。言った事は立派だが、他人をバットで殴るのは駄目だぞ、と。
それから、光也が残していった巨額の借金は、久遠の家で肩代わりしてくれた。後から聞いた話だが、その男は咲耶の祖父母に話を通さず・・・早い話が『抜け駆け』しようとしたそうだ。
後に祖父母に当たる老夫婦がちゃんと訪ねてきて、親父と母さんといくつかの取り決めをしていた。咲耶と言う人間を、久遠の名から完全に切り離す為に。
三人の叔父叔母の家のどこに養子に入ろうと、家に戻れば彼女に自由が無くなる事を知っていて、彼女の祖父母は先に手を打ってくれたのだった。

・・・ただしそれは、咲耶が、肉親と呼べる人を失うという意味でもあったのだが。


(あいつはずっと、泣いていて・・・「お父さん」って、ずっと泣いてたんだぞ・・・!あいつが泣いてる時に何もしなかったくせに、今更・・・!)

俺が回想に耽っていると、廊下から声を掛けられた。

「和宏ー。メシだから降りて来いってさー」

七瀬の声で、俺は現実に引き戻された。

「・・・わーった」

俺はそうして、重い身体をのそりと起こした。暑さのせいだろうか。頭が、鈍く痛んだ。

********************

和也は、山道を歩いていた。勤め先から数分の所にある、八百万参道の道である。口の端に銜えた煙草を揺らしながら、懐かしい道を登っていく。

(俺も老けたな・・・昔ならこんな道、後ろ向きにでも登れたんだが)

しみじみと考える。学生時代から変わらない光景の中で、自分はというと髭を生やして校章の無いワイシャツに身を包み、鞄の中には教科書や雑誌ではなく書類が入っている。
自分だけは、何もかもが変化していた。それがもの悲しく・・・

「よう、やっぱりここに居たか」

見つけた人影に声を掛けても、その人影が笑顔を浮かべていなかった事が、更に拍車をかけた。

「・・・どうして、分かったんだ」
「この町でお前の来そうな場所と言ったら、ここしか無い」

二十年来の友人である和也に声を掛けられて、高橋光也は驚愕に大きく眼を見開いた。






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